「メールマガジン」カテゴリーアーカイブ

メールマガジン3月号 / 2021

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2021/3/28

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン3月号/2021の配信です。

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【1】浅間山の噴火警戒レベルが2に

【2】今年の富士登山は?

【3】ナラ枯れ」が深刻になっています

【4】奥多摩は「鬼滅の刃」の聖地

【5】行ってきました Now

【6】編集後記

【7】記事の募集とマガジンについて

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【1】浅間山の噴火警戒レベルが2に

浅間山では昨年12月以降、活動の落ち着いた状態が続いたことから、先月5日に噴火警戒レベルを1に引き下げていましたが、23日(火)16時00分、浅間山の噴火警戒レベルが、レベル1(活火山であることに留意)から再度レベル2(火口周辺規制)に引き上げられました。

山頂火口から概ね2kmの範囲では、大きな噴石や火砕流に警戒するよう呼び掛けられています。

【レベル5(避難)】:危険な居住地域からの避難等が必要。

【レベル4(避難準備)】:警戒が必要な居住地域での避難の準備、要配慮者の避難等が必要。

【レベル3(入山規制)】:登山禁止や入山規制等危険な地域への立入規制等。状況に応じて要配慮者の避難準備等。

【レベル2(火口周辺規制)】:火口周辺への立入規制等。

【レベル1(活火山であることに留意)】:状況に応じて火口内への立入規制等。

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【2】今年の富士登山は?

3月24日、富士山の標高2100mの大沢崩れで降雨によって雪が溶けて土砂を巻き込んで流れ下るスラッシュ雪崩が発生し、山梨側の麓と5合目を結ぶ有料道路「富士スバルライン」の4~5合目間4カ所の計325メートルに土砂が流入しました。

雪解けとともに例年発生しているスラッシュ雪崩ですが、急に暖かくなったせいでしょうか、今年のような複数回の目立ったスラッシュ雪崩は2018年以来ということです。

さて、昨年は新型コロナの感染防止のために全ての山小屋が休業し登山道が閉鎖されてしまいましたが、今年はどうなるのでしょうか。

富士山の山小屋や関係団体は今年は夏山を開く事で準備を進めいるようですが、夏山シーズンに向けて国や山梨と静岡の両県、それに富士山のふもとの市町村などで構成する「富士山における適正利用推進協議会」はコロナ禍にあっての富士山を登る際のマナーを策定しました。

  1. 発熱・症状のある時は登山を行わない
  2. なるべく住居を共にしている少人数で登山
  3. 混雑する日や時間帯を避ける
  4. 山小屋は必ず事前予約
  5. 宿泊をともなわないご来光目的の夜間登山は行わない
  6. 最新情報をよく確認し、安全に配慮した余裕のある登山計画を立てる
  7. 感染対策グッズを準備
  8. 同行者以外の人とはソーシャルディスタンスを確保
  9. 必要に応じてマスクや手ぬぐいなどで鼻と口を覆う
  10. 登山道の渋滞時には交互登下山に協力を
  11. 呼吸を荒げないよう、自分のペースを維持
  12. 同行者以外との物品の共有、杭やロープへの接触は避ける
  13. トイレや売店を利用した後は、必ず手指消毒
  14. ゴミや吐物は密閉式の袋に入れて持ち帰る
  15. 体調不良時等は速やかに登山を中止して下山

また、それぞれの山小屋ではコロナ禍での開業に向けて、人数制限と予約の徹底、各所へのアルコール配置、食堂や寝床などの各部屋内を分けるためのパーティションの設置、使い捨てシーツの活用、換気システムの導入、寝床のスペースの改良など対策を進めているようです。

関係者はスバルラインの夜間営業停止や検温の周知徹底、観光バスやタクシー、マイカー利用者はスバルライン料金所で検温や体調確認の書類提出し、協力しない場合は通行させないことを求めるなどの要望を山梨県に求めているようです。

富士山の開山については5月に決定するということのようです。

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【3】「ナラ枯れ」が深刻になっています

ミズナラやコナラをはじめマテバシイなどドングリを実らせるナラ、シイ、カシなどのブナ科の樹木にカビの仲間である「ナラ菌」が入り込むことにより枯死する現象を「ナラ枯れ」と呼んでいます。

 

この「ナラ枯れ」は日本海側で顕著だった現象ですが、温暖化の影響もあると言われていますが、今や日本全国の里山や奥山に広がりを見せています。令和2年度には、42都府県で発生し、被害量は令和元年度から13万立方メートル増加して18.5万立方メートルとなっているという事です。

 

実はこのナラを枯死させる原因菌になる「ナラ菌」はカシノナガキクイムシという5mmくらいの甲虫が元々持っていて、この虫がナラの木に穴を開けて住み着き、木の中でナラ菌を増殖させそれを食物にして生きているのです。

 

ナラに入り込んだこのキクイムシはフェロモンで仲間を大量に招き寄せ、卵を産んで集中攻撃を開始します。穴を開けられたナラは樹皮から樹液を流し、次第にナラ菌自体によって水枯れを起こして夏場に枯死してしまうことになります。

 

次から次へ、山全体が茶色く枯れてしまうとうことにもなっています。また、大木ほど集中攻撃を受けることが多いようです。

 

多摩市などの都市部でも去年までに公園緑地の樹木で293本、街路樹で15本、学校の樹木9本の被害が報告されています。「明治神宮御苑」の森でも被害が出てきており、対策としてストラップを設置したり、ラップで包んで虫が入り込まないような対策を講じていますが、森林などでは十分な対策が取られないこともあって被害は深刻化しています。

明治神宮御苑のカシノナガキクイムを捕殺するシストラップの様子はこちらからご覧いただけます。

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【4】「鬼滅の刃」の聖地

「鬼滅の刃」は週間少年ジャンプに連載されて、色々なキャラクターが登場して鬼退治をする吾峠呼世晴氏原作の漫画で、アニメにもなって興行成績ではジブリの「千と千尋の神隠し」を上回ったとして話題になっている作品です。

菅総理がブームに悪乗りして、国会で「鬼滅の刃」に登場する「全集中の呼吸」というフレーズを使って答弁したことでも話題になっていました。

この物語は大正時代の日本を舞台に、家族を鬼に殺された少年の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が鬼にされた妹の禰󠄀豆子(ねずこ)を人間に戻すため、剣士らの組織「鬼滅隊」に入って鬼を退治する物語です。

さて、この「鬼滅の刃」に登場する主人公や「鬼滅隊」のメンバーの出身地である山が聖地となっていて、漫画やアニメファンで訪れる人も出てきているようです。

主人公の竈門炭治郎と妹の禰󠄀豆子の出身地は「雲取山」とされています。鬼滅隊の最強メンバーの一人である嘴平伊之助(はしびらいのすけ)の出身地は「大岳山」、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の出身地は「日の出山」、時透無一郎(ときとうむいちろう)は景信山と、奥多摩の山々が漫画の聖地の一角になっているようです。

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【5】行ってきました Now

サクラ咲く浅間嶺(2018年4月5日)

高水三山(2016年4月10日)

花盛りの御前山(2018年4月12日)

金時山(2017年4月16日)

残雪機の根子岳と四阿山(2017年4月20日)

高尾山での自然観察会(2018年4月22日)

アカヤシオ咲く仙人ヶ岳(2017年4月23日)

ゴールデンウイーク前の上高地(2017年4月24日)

梯子と鎖場が続く石裂山(2017年4月27日)

頂上にはたくさん人が溢れていた鍋割山(2018年4月29日)

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【6】編集後記

麓のサクラでも眺めながら昔懐かしい日和田山にでも行ってみようと思っていたら、外仕事をしていてステップを踏み外して捻挫して倒れ込んでしまいました。緊急事態宣言はとりあえず解除されたものの、サクラの時期には治りそうにありません。

さて、2016年の9月から毎月発行してきたメールマガジンですが、ネタも尽きてきていることもあり、年度終いでそろそろお役御免かとも思っています。次回の配信は未定です。

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【7】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。メールマガジン

メールマガジン2月号 / 2021

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2021/2/28

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン2月号/2021の配信です。

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【1】インドで大規模な氷河崩壊

【2】苦境に立つシェルパたち

【3】打矢之威のヒマラヤトレッキング紀行

【4】日本山岳会会報が創刊号からHPに掲載

【5】富士山の入山料が義務化

【6】韓国ではコロナ禍の中、登山者が急増

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】インドで大規模な氷河崩壊

2月7日インド北部で発生した大規模な氷河崩壊による鉄砲水は、水力発電所の工事現場にいた作業員など60名が死亡したほか、150人以上が行方不明になっているとAFPは伝えています。

ヒマラヤだけでなく、世界各国で温暖化の影響で氷河が融解し、氷河が後退(喪失)していっていることが問題になっています。また、氷河が融解したことにより、氷河湖が増えたり、氷河湖の水位がどんどん上昇して決壊する事例も増えてきているそうです。

1990年から2010年にかけて、アジアの高山地帯では氷河を水源とする氷河湖が新たに900カ所以上も形成されているようです。湖の水位が上がると、土手のようになっている湖の端のモレーンを越えてあふれ出したり、最悪の場合にはモレーンが決壊したりすることが起こっているということです。これが科学者の言う「氷河湖決壊洪水」(GLOF)で、地元の少数民族であるシェルパは、同じ事象を「チュ・グマ」(壊滅的な洪水)と呼んでいるそうです。今回の災害の原因の詳細はまだ明らかにされていませんが、今回のインドの氷河決壊も温暖化が原因ではないかと考えられるようです。

ヒマラヤの氷河は急速に融解しており、中央部と東部の氷河が2035年までに完全に消えるとする専門家の指摘もあります。また、アフガニスタン、パキスタン、中国、インド、ネパール、ブータン、ミャンマーにまたがる地域では地球温暖化のペース次第では、およそ5万6000カ所ある氷河の3分の1から3分の2が、2100年までに消滅するという研究結果もあります。

2019年にコロンビア大学のマウアー氏は1975年に撮られた衛星画像と、2000年、2016年の衛星画像を比較した研究を発表しているそうで、それによると、2000年以降に1年間で解けた氷河の量は83億トン、2000年以降は毎年1%の割合で消失、その量はオリンピックサイズのプール300万個の水量に匹敵し、2000年以降の年間融解量は、1975年から2000年の年平均の2倍になっているそうです。

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【2】苦境に立つシェルパたち

打矢之威氏(S31年卒)は後述する2015年のネパール大地震の前後に2度ヒマラヤトレッキングを行っていますが、新型コロナの影響で山岳観光に依存しているネパールのシェルパたちは生活物資や収入に困窮している実態が出てきているそうで、お世話になったシェルパ達を救援する活動をしてるという事です。DWV.0B会のホームページにも記事をアップしていますので、まだ、見ていない方はご覧ください。

このコロナ禍に先立って、ネパールでは2015年の4月25日に東日本大地震規模のネパール大地震が発生し、日干し煉瓦などで出来た軟弱な建物が多い現地は多大なる被害を受けていました。余震も続いていたので、観光客も激減するなど、ネパール経済は危機的状況に陥っていました。その影響をやっと克服し、観光客も戻ってきている中でのコロナ禍はシェルパたちにとって極めて深刻のようです。

帰路に立つシェルパたち」の記事はこちらからご覧いただけます。

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【3】打矢之威のヒマラヤトレッキング紀行

打矢之威氏(S31年卒)は2011年には熊野大社から釈迦ヶ岳を登って十津川へ下りるなど5泊6日の大峯奧駈道のロングトレイルを、2015年には2回にわたるヒマラヤトレッキングを、2017年にはスペイン巡礼の旅(サンチャゴ・デ・コンポスティラ寺院まで120Km)iを行なっています。

「スペイン巡礼の旅」については本ホームページ上でも既に掲載されていますが、この度、前項の「苦境に立つシェルパたち」の原稿と一緒にヒマラヤトレッキングの資料を送付していただいていましたので、ホームページに掲載させていただいています。

氏は2015年の地震発生の少し前の3月24日から地震の2週間前までと、11月5日からの2週間ヒマラヤトレッキングを行っています。

4月のヒマラヤトレッキング  11月のヒマラヤトレッキング

スペイン巡礼の旅I    「スペイン巡礼の旅II」 「スペイン巡礼のⅢ」

NHK でも登山家の山岳カメラマンの中島健郎と石井邦彦「グレートヒマラヤトレイル」(BS4K)「グレートヒマラヤ撮影日誌」(BSブレミアム)を放送していました。3月1日(月)午後10時からもBS4Kで「グレートヒマラヤトレイル」10が放送されます。

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【4】日本山岳会会報が創刊号からHPに掲載

日本山岳会は1905(明治38)年に小島烏水を初代会長として設立されましたが、会報「山」を1930年の10月から発行しています。また、翌年の明治39年からは機関誌「山岳」を発行しています。日本山岳会では創立120周年記念事業の一環として所蔵図書・資料をデジタル化して一般公開するという事業を進めています。本HPに掲載されている「小島烏水と日本山岳会の設立」の記事はこちらから

日本の近代登山を牽引してきた日本山岳会の歴史は日本の登山史を知る極めて重要な資料でもあります。誌面に掲載されている広告などからも当時の様子を窺い知ることもできます。特に機関誌は当時の個別な山岳やその登山について詳しく紹介されていて、じっくり読める資料だと思います。

両方ともPDFをプリントアウトしたり、保存することも出来ますので、オフラインでいつでも見ることが出来ます。一度覗いてみてはいかがでしょうか。

会報「山」はこちらから  機関誌「山岳」はこちらから  日本山岳会のHPはこちらから

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【5】富士山の入山料が義務化

昨年、富士山は新型コロナの感染防止から山小屋は一斉休業し、登山すること自体が禁止されていました。平成26年から始まった1人1000円の保全協力金(入山料)も登山者の60%台に留まっていて、不公平感の解消が課題となっていました。

山梨、静岡両県などでつくる富士山世界文化遺産協議会の利用者負担専門委員会は1年間の登山禁止を経て、5合目より上に入山する場合は講習と認定手続きを受けた上で法定外目的税を納める制度の導入を16日に打ち出しました。

専門委員会の上部組織の作業部会が昨年11月、登山者から任意で集めている保全協力金を法定外目的税として徴収する方針を確認し、専門委で徴収方法を検討していたものです。これにより、新制度は15日に開催される作業部会を経て3月下旬の富士山世界文化遺産協議会で審議されるということで、入山料は税金化にシフトが切られたようです。

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【6】韓国ではコロナ禍の中、登山者が急増

日本では昨年、新型コロナ感染防止の影響で一部山小屋や登山道が閉鎖されていることもあって、登山者やそれに伴う遭難事故が減少しました。しかし、同じコロナ禍の中にあって、隣国の韓国では昨年登山者がコロナ禍以前の2倍近くも増えているということです。

新型コロナの感染状況や対策が違っていることもあるのでしょうが、昨年韓国での新型コロナ感染者は9万人、回復者は8万人、死者は545人に対して日本では感染者は43万人、回復者は40万人、死者は7818人と感染者と回復者数は5倍、死者は14倍になっています。(いずれも概数です)日本の人口が韓国の約2倍あるということを考えてもかなり数の違いがあります。そのことからも登山に対する意識や対応に違いもあるようですが、韓国でもジムなどでの運動が難しい中で、登山は比較的安全だということでに人気が集中してきているようです。

ソウル市で昨年発生した山岳遭難は前年に比べ約30%増えていて、特に週末の20-30代の登山初心者が増えいるようです。若者がデートでレギンスにスニーカー、スカートのような軽装で山に登ってけがをしたり、道に迷ったりする事故がて増えているそうです。中にはSNSの”映え”を狙っての事故も発生しているということです。

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【7】行ってきました Now

筑波山(2018年3月4日) 梅祭りで賑わう麓をすり抜けて頂上へ

高尾山(2017年3月11日) ポピュラーコースでののんびりハイキング

鳴神山(2010年3月12日) 低山ハイキングではハナネコメソウのおまけが

沼津アルプス(2018年3月18日) 駿河湾を望みながらぐるっと縦走

赤城山(2020年3月19日) 残雪期の雪の中、頂上からは360度の展望が

北横岳(2016年3月21日) ロープウェイでスキーヤーと別れて頂上へ

三毳山(2018年3月25日) 道の駅から歩いていけば、圧倒的なカタクリの大群

天城山(2020年3月26日) 緊急事態宣言前に、駆け込みで天城山を往復

三頭山(2018年3月29日) 案外奥多摩では遭難が多く、この山行前にも事故が

角田山(2016年3月31日) 一面のカタクリが咲き、日本海の青い海と灯台を見下ろしながら

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【8】編集後記

今月のメールマガジンは油断していて、最終日での配信になってしまいました。関西地区などでは前倒しで緊急事態宣言が本日解除されます。解除後の感染状況は首都圏での解除にも影響を与えそうです。早く安心して韓国のように登山が出来るようになって欲しです。

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【9】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン1月号 / 2021

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2021/1/28

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン1月号/2021の配信です。

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【1】今年もどうぞよろしく

【2】年末年始の山岳遭難

【3】ウインパーの切れたロープの謎

【4】書評 河野  啓著「デス・ゾーン」

【5】冬季K2の登頂成功

【6】登山道でもQRコード?

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】今年もどうぞよろしく

残念ながら2021年もコロナ禍の中で新年を迎え、1月8日には再度2月7日までの緊急事態宣言が発出されてしまいました。

新型コロナウイルスのワクチン接種は医療関係者から始められて、一般には4月以降に高齢者からということのようです。これから日本経済はどうなっていくのか、東京オリンピック・パラリンピックはどうなるのかなど、見通しの立たない年明けになってしまいました。

とりあえず、自分や家族の健康に留意し、新型コロナに対応しながらも前向きに生活していきたいですね。今年もどうぞ、HPとメールマガジンをよろしくお願いします。

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【2】年末年始の山岳遭難

2020年末と2021年始の山岳遭難は前年に比べてだいぶ減少したようです。警察庁は21日、年末年始(昨年12月29日~今年1月3日)に全国で発生した山岳遭難は前年同期比14件減の23件、遭難者数は14人減の38人で、いずれも過去5年で最少で、死者が1人、行方不明者が1人、負傷者が9人だったと発表しました。

新型コロナや大雪の影響が大きかったのではないかということです。

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【3】ウインパーの切れたロープの謎

当時、「魔の山」と恐れられ、登るのも躊躇われていたヨーロッパアルブスで唯一未踏峰だったマッターホルン(4478m)が初登頂されたのは1865年7月のことでした。テントの形式にもその名を残しているエドワード・ウインパー(25歳)ら7人によるものでした。初登頂は同時に下山時に4人が滑落し、1400m下の氷河に墜落して死亡するという悲劇でもありました。

このマッターホルンの初登頂を記録したウインパー著の岩波文庫「アルプス登攀記」は高校生の頃に読み、挿絵なども印象に残っています。

「悲劇のロープはなぜ切れてしまったか。」

「ウインパーのアルプス登攀記に記されたことは事実なのか。」

関係者の子孫や地元ツェルマットの人たちは疑問に思っているようです。ウインパーの切れたロープの謎についてもう一度読み返しながら考えてみましたので、ご紹介したいと思います。

当時マッターホルンはイタリア側のツムット綾の方がスイス側のヘルンリ綾より傾斜が緩いので、挑戦者たちはイタリア側からの初登頂を目指していました。その一人であった英国人のウインパーはすでに何回も挑戦していましたが、なかなか攻略できないでいました。同じようにイタリ人のジャン・アントワーヌ・カレルもイタリア側から国の威信をかけて初登頂を狙っていました。

すでにカレル達はイタリア側から登頂を目指して出発していたので、遅れをとったウインパーはスイス側のヘルンリ綾の方が登りやすいかもしれないと、スイス側から初登頂を狙ってアタックすることになりました。

ウインパーのメンバーは18歳のスコットランド貴族のフランシス・ダグラス卿、英国人の牧師で37歳のチャールズ・ハドソン氏、その友人で19歳のダグラス・ロバート・ハドウ氏と、シャモニーの名ガイドで35歳のミッシェル・クロ、スイス・ツェルマットのガイドで45歳のペーター・タウクヴァルターシニアとその息子の22歳のペーター・タウクヴァルタージュニアの7人でした。

ヘルンリ綾からのアタックは経験の浅いハドウ氏をサポートしながらも順調に進み、登頂を目前にしてウインバーはロープを外して競うように頂上を目指したそうです。無事、7人全員は登頂を果たすことができました。ウインパーは眼下にカレルたちの姿を確認し、大声で叫んだものの聞こえなかったので、岩を落として分からせたということがアルプス登攀記に書かれています。カレルたちは初登頂出来ないことが分かり、途中で下山してしまいました。しかし、3日後にやはりイタリア側からの登頂を果たしているということです。

さて、一行はは歓喜に浸った後、下山の準備に取り掛かりますが、挿絵画家でもあるウインパーは頂上からの風景をスケッチに手間取っている間にハドソンと相談して決めたいた順番でクロ、ハドウ、ハドソン、ダグラス卿、タウクヴァルターシニアはロープを結び準備を済ませていました。ウインパーが登頂者の名前を瓶に詰めて残すという作業をしている間に一行は下山を始めていました。後を追ってウインバーとジュニアはロープで結び合って下山を開始し、二手に別れて下山していきました。

途中でダグラス卿から、誰かが足を滑らせたらタウクヴァルター・シニアは持ち堪えられないだろうから、ウインパーたちとロープで繋いで欲しいという申し出があり、7人は全員がロープで結ばれることになりました。

しばらくして、登山経験が浅く、体力的にもかなり弱ってきていたセカンドのハドウが足を滑らせて先頭だったクロにぶつかって二人は滑落してしまいます。ロープにつながれている後を行く二人がそれに巻き込まれて墜落してしまいます。タウクヴァルター・シニアとウインパーは岩にへばりついてロープを受け止めましたが、ロープはタウクヴァルター・シニアの前でプツンと切れて、4人は1400m下の氷河に墜落してしまいました。

「アルプス登攀記」には、ガイドのタウクヴァルター親子は取り乱し、泣き叫んでしばらく何も出来ない状態だったと書かれています。事故後、生き残った3人は何とかツェルマットまでたどり着くことが出来ました。

3人の遺体は氷河の上で発見されましたが、フランシス・ダグラス卿の遺体は見つかっていません。

事故後、何故ロープが切れて4人が滑落してしまったのか取り沙汰されることになります。

「アルプス登攀記」ではウインパーは切れたロープは、持って行った3本のロープのうち古くて一番弱いもので予備として持っていったロープであったということ、ロープはぴんと張りきったままで切れたもので切れる前に傷がついた形跡も見当たらなかったと書かれています。

ウインパーは自分やガイド二人に落ち度はなかったと言っていたようですが、ガイドのタウクヴァルター・シニアの前でロープが切れたことで、タウクヴァルター ・シニアが自分たちの命を守るために意図的にロープを切ったのではないかと嫌疑がかけられ、検証が行われることになります。

結果はロープは意図的に切られたものではないとされましたが、ツェルマットで一番のガイドのキャリアは吹っ飛んでしまい、親子の評判は回復することなく、親子はしばらくアメリカに逃れることになります。

英国に戻ったウインバーも同様に世間から非難を浴びることになり、その弁明もあって「アルプス登攀記」を出版することになります。アルプス登攀記はウインパー自身の描いた挿絵も効果があって、ベストセラーになったそうです。ウインパーは当初ガイドには責任はないと言っていたようですが、時間が経つと次第にロープを選択したのは自分ではなく、なぜガイドが細いロープを選択したのか分からないと言い始めたそうです。本の出版によって評判を回復したウインパーは、初登頂を争ったカレルとその後も一緒にいろいろな山を登っていたそうです。

タウクヴァルター親子は英語が分からなかったので、ウインパーの主張や「アルプス登攀記」に書かれている内容が分からず、反論することもなかったようです。しかし、英語が分かるようになったタウクヴァルター・ジュニアは事故後に泣いて取り乱したのは逆にウインパーの方だったと言っています。

「悲劇の切れたロープ」はツェルマットのマッターホルン博物館に展示されています。スイスの登山用品メーカーのマムートはマッターホルン初登頂140周年の際に、切れたロープの強度試験を行い、耐荷重は300kgであり、そのロープではやはり4人の体重を支えることは出来なかっただろうと検証しています。

ウインパーによれば、墜落してしまった遺体は2番強度の長いロープに繋がれていたということで、切れてしまったのは3番強度の短いロープ、途中でウインパーがタウクヴァルター・シニアと繋ぐことになったのは1番強度の短いロープ、ウインパーとタウクヴァルタージュニアを繋いでいたのも1番強度の短いロープとなりますので、切れたロープだけに負担が集中してしまったと考えられます。ではなぜ、強度の弱かったロープを使うことになったのでしょうか。

最初に滑落した若者の子孫は当時の記録を調べ、事故のずいぶん後にウィンパー自身が「登頂前にロープを切った気がする」と書かれた文章を見つけ、これを事実として地元などではウインパーは登頂を競った時にロープを外したのではなく、切ってしまったので、帰りに結ぶだけの長さが足りずガイドは仕方なく予備のロープを継ぎ足さざるを得なかったのではないかという説が有力になっているようです。

タウクヴァルター・シニアがなぜ自分とダグラス卿の間だけ予備のロープを使ったのか、あるいは使わざるを得なかったのか明らかにされていませんので、真実は闇の中にしまわれたままです。

ウインパーは体調を悪くした晩年、見納めにとアルプスを訪れます。ツェルマットの再訪は登頂(事故)から46年も経っていました。彼にとってマッターホルンは「栄光の岩壁」ではなかったのではないでしょうか。

その足でモンブランの麓のシャモニーも訪れますが、その宿で心臓麻痺で亡くなり、その地の墓地に埋葬されました。シャモニーの名ガイトのミッシェル・クロはツェルマットの墓地に葬られていますが、シャモニーにはミッシェル・クロと名付けられた通りがあります。

タウクヴァルター親子はツェルマットに戻り、タウクヴァルター家と子孫はその後もツェルマットのガイドとして活躍しているそうです。プロの山岳写真家に転向した白川議員はリッフェル湖から見たマッターホルンの朝焼けに彼岸を見て、6年間通い詰めてアルプスの写真集を発表します。マッターホルンに登頂して山頂からの写真も撮りますが、その時にガイドしてお世話になったのはタウクヴァルターの子孫だったということです。

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【4】書評    河野  啓著「デス・ゾーン」

栗城史多のエベレスト劇場

「冒険や夢の共有」をテーマに「単独無酸素7大陸最高峰登頂」を標榜し、登山をLIVE配信していた栗城史多氏は2018年に8度目のエベレスト初登頂を目指すも途中敗退を宣言し、下山中に滑落遭難死(35歳没)しました。

栗城氏は当初は「お笑い」を目指すも転身して大学に入学し、3年生の時に強い興味はなかったものの、他学の山岳部に所属します。在学中に地元北海道で1週間程度の冬季峠越えをする程度の経験だけで奇跡的にマッキンリーの登頂を果たします。その後スポンサーを見つけながら、アコンカグア、エルブルース、キリマンジャロと各大陸最高峰を踏破していきます。

卒業後、プロの登山家としてカルステンツ・ピラミッドを登頂し、「ニートのアルピニスト」「単独無酸素7大陸最高峰登頂」のキャッチコピーでマスメディアでも取り上げられれる中、チョ・オユー、ビンソンマシフなども登頂し、2007年にはエベレストのみが残されていました。

そして、2009年からは2018年まで8回に渡りLIVE配信によるエベレストと他の高所登頂に挑戦しています。しかし、実力が伴わない挑戦だったのでしょうか、登頂成功したのはダウラギリとブロード・ピークの2回だけで、彼の挑戦はどんどん破綻していき、終わりを迎えることになります。ちなみに後述するネパール人のプルジャ氏と栗城氏は同い年のようです。登山のあり方や言動には賛否が別れる登山家でもありました。

昨年、「デスゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」という河野  啓 著の本が出たので読んでみることにしました。

河野氏は栗城氏を早い段階で取材し、番組も作っていた北海道放送のディレクターで、この著作は「開高  健ノンフィクション賞」を受賞しています。

著者は「単独無酸素」というのは本当だったのか、登頂を果たせなかったのにより困難なルートに挑戦していったのはどうしてなのか、なぜ9本の手の指を失ってもエベレストに挑戦したのか、本当に滑落死は事故だったのかなど、彼にまつわる多くの疑問を投げかけています。周囲の人からの多くの取材を通して「栗城史多氏のエベレスへの挑戦」はマスメディアの人間や一般人を観客に、巧妙な演出でスポンサーや大衆を惹きつけた虚構のエベレスト劇場であったのではないか、そして、「夢や冒険の共有」は大衆の熱狂と鎮静を経て、儚く破綻へと突き進んでいったのではないかと投げかけているように思いました。

著作中の「仮に登頂の生中継ができないとしたらどうしますか?」という著者の質問に対して栗城氏は即座に「それならエベレストには行きません」と明言したということから、栗城氏の登山が何だったのか示しているようです。

ただ、著作は多くの取材から栗城氏の虚像を暴いているようですが、栗城氏の本質に迫るまでのノンフィクションにはなっていないのではないかと感じました。逆に著者が関係者であっただけに主観が強く、言い訳のような著者自身の思いを感じさせられました。栗城氏のインチキを暴き、死者に鞭打つだけに終わってしまったのでは真のノンフィクションとは言えないのではないでしょうか。

高所登山に生き甲斐を見つけ、LIVE配信という手段に活路を見出し、そして破綻していった一人の若者の心情や内面に迫り、このような若者が出現した社会的背景、「夢や冒険の共有」に群がる大衆の熱狂と鎮静、そしてマスメディアやネットの功罪のなど現代の社会性に迫っていって欲しかったと思いました。

共有(シェア)という上部だけの薄っぺらな繋がりは人の人生や生死すらを左右しかねません。ドラマでも見ているかのように大衆は、ポチッと押しただけでお金や冒険・夢を共有できる現代社会の光と闇。自分を客観視できず承認欲求だけが強くなっていく若者の問題。リアリティー番組と称して番組を作り、動物園の檻の中を覗くかのように他人の生活を覗き見させ、言いたい放題言わせて自殺に追い込んで行くようなマスメディアやネットの功罪など。

栗城氏の35年の生涯から何を学ばなければいけないのでしょうか。一読してみて下さい。

河野  啓著「デスゾーン」栗城史多のエベレスト劇場 集英社 2020年発行

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【5】冬季K2の初登頂なる

国の威信をかけたネパールの登山家チームが16日、世界第2位の高峰K2(8611メートル)の冬季登頂に初めて成功しました。

K2はカラコルム山脈にあり、登頂には高度の技術を要するとともに冬季はマイナス50度の気温と風速50mにもなる強風のために、困難かつ危険な「非常の山」と称され、標高8000メートル級の14峰の中で唯一冬季登頂が達成されていませんでした。

登頂に成功したのは数日前から登頂を目指す2つのチームが合同し、協力し合って成し遂げたものでした。

チームの一つはニルマル・プルジャ氏(37歳)が率いる6人です。プルジャ氏は2019年に8000m級14座を約半年で完全制覇していて、現在世界最高と評価されている登山家です。

もう一つのチームはミンマ・G・シェルパ氏(34歳)が率いる3人で、それにセブン・サミット・トレックス (SST) 社の公募隊チームに所属するソナ・シェルパ氏(25歳)が加わりました。

10人全員ネパール人で、プルジャ氏以外はシェルパ族出身でした。これまで多く登山隊のために荷役やサポートをしてきた地元の登山家や山岳民族出身の登山家がスポンサーやソーシャルメディア、クラウドファンディングなどで調達した資金と積み重ねてきた経験で高所登山を成功させました。

プルジャ氏は18歳で英国陸軍のグルカ兵になって6年間従軍し、その後厳しい試験をパスして英国海兵隊所属のエリート部隊である特殊舟艇部隊SBS(Special Boat Service)に所属しました。SBSは機密偵察・急襲を専門としており、SAS(特殊空挺部隊)と並んで英国最高レベルの精鋭部隊だそうです。グルカ兵はネパールの山岳民族から構成される極めて強靭とされる戦闘集団で、英国軍のスカウト部隊が現地を巡回して集めているそうです。フォークランド紛争時にはグルカ兵が攻めてきたと聞いて逃げ出すアルゼンチン部隊もあったということです。

16年間従軍した後、軍を離れてプロの高所登山家となり、「8,000m峰14座を7カ月以内にすべて登頂して世界最速記録更新を目指す」という大胆なプロジェクトを打ち立てて高所登山に挑んていくことになります。

「グルカと特殊部隊メンバーは、決して如何なる人も置き去りにしない」とトライヤル中にデスゾーンで何回ものレスキューにも加わっています。

シェルパや酸素など使えるものは何でも使い、不遜な物言いもしているので批判もされていもいますが、軍出身だけにタフで実行力が全ての新しいタイプの登山家のようです。

プルシャ氏とその支援チームはエベレスト、ローツェ、マカルーの3座をたったの2日と30分で登頂しています。昨年エベレストでの渋滞写真が話題となりましたが、プルジャ氏もこの渋滞に巻き込まれて、7時間も身動きが取れなかったそうです。投稿され拡散されたエベレストの渋滞写真もプルジャ氏が撮ったものでした。

ちなみに、今回のK2ではプルシャ氏は無酸素で登頂を果たしています。この時、純粋主義登山(酸素や他の力を借りないで登る高所登山形式)のスペイン人登山家のセルジ・ミンゴテ(Sergi Mingote)氏はベースキャンプへの下山中に転落事故で死亡しています。

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【6】登山道でもQRコード?

キャッシュレスやURLなどの情報を初め、今やQR(二次元)コードは色々なところで使われていますが、登山道でもQRコードを利用する試みが始められています。

スマホの普及により、GPSとMAPを連動させたスマホ用のアプリを活用している登山者も多く、今やスマホは登山用具の必需品にもなってきています。

九州北部にある背振山(1055m)を中心とした背振山脈は地元を中心に親しまれているそうですが、西南学院大学ワンダーフォーゲル部のOBや現役、早良区役所は協同して脊振山系での道路標識設置の活動を進めているそうです。「脊振の自然を愛する会」を設立し、2019年には日本山岳遺産に認定され基金の補助金を活用してQRコードを取り入れたレスキューポイントの標識の設置活動をしているそうです。

標識にあるQRコードをスマートフォンで読み取れば現在地を確認できる仕組みになっていて、道迷い防止のほか、登山中の急病や負傷時など、消防隊への正確な通報や迅速な救助につなげられると期待しているそうです。スマホの操作に慣れてない人にも役立つように各標識にはナンバーを振り、通報時に居場所を知らせることができるということです。

これから、自然観察などの情報提供なども含めて山でもQRコードの入った標識を見かけるようになるのでしょうか。ちなみに、丹沢の大倉尾根でも塔ノ岳までを45のポイントで示し、警察の連絡先を記した道標が設置されています。

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【7】行ってきました Now

雲竜渓谷(2018年2月4日) 伊予ガ岳(2017年2月5日) 棒ノ折山(2016年2月7日)

妙義山(2019年2月7日) 奥久慈男体山(2018年2月8日)    戸倉三山(2020年2月9日)

雲龍渓谷(2019年2月12日)    鎌倉アルプス(2016年2月18日)

丹沢表尾根(2017年2月19日) 岩殿山(2019年2月21日)

官の倉山(2020年2月23日)    高尾山(2016年2月25日) 伊豆ヶ岳(2016年2月28日)

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【8】編集後記

今月はお店での仕事がお休みなのですが、緊急事態宣言が出されている事もあり、長いお家時間になっています。本を読んだり、大型テレビに買い替えての視聴などしていたらあっという間に1ヶ月経ってしまいました。

長いメールマガジンになってしまいましたが、不要不急の外出?は避けて、ボチボチ読んでいただければ幸いです。

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【9】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン12月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/12/25

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン12月号の配信です。

今月号ではエベレストを特集してみました。

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△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△

【1】エベレストの標高が高くなりました

【2】「山ががそこにあるから・・・」

【3】登山史上最大のミステリー

【4】富士山に登山鉄道構想が・・・。

【5】HPのまとめ

【6】高尾山は元旦登山を禁止に

【7】HPのコラム記事をまとめました

【8】独協通信第96号掲載記事

【9】テント泥棒が捕まりました

【10】行ってきました Now

【11】編集後記

【12】記事の募集とマガジンについて

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【1】エベレストの標高が高くなりました

ニューデリー共同によりますと、12月8日ネパールと中国はエベレストの標高をともに8,848.86mであることを発表したということです。両国が独自に測量した結果ということで、これまでのエベレストの標高より86センチ高くななったということです。高くなった原因は測量技術の向上か隆起によるものか

は分かりません。

エベレストの標高は今まで一般的には8,848m としていますが、歴史的にも測量した国や組織によって諸説あったようです。お膝元の中国とネパールでは測量結果に基づいた認識に違いもあったようですが、今回両国の共通認識が図られたようです。

エベレストはチベットではチョモランマ、ネパールではサルガマータとそれぞれ呼ばれていたようですが、東インド会社では1760年代からインド各地の地図を作成しており、1810年代には統合されたインド測量局はヒマラヤ山脈周辺の地図の作成も手がけていました。1849年には経緯儀望遠鏡で測量を行なっていたそうです。

1954年にインド測量部のインド人技師がエベレスト周辺12ヶ所で三角測量を行い、「ピーク15」としてこの山が8,848mで世界最高峰であることを発見し、ネパール政府も認めていたようです。(この時は氷雪の厚みも含めた値だったようです。)

その後、ピーク15はヒマラヤ周辺を測量していた技師で、後に測量局長官になったエベレスト氏の名に因んで1865年に命名されています。

1992年には山頂にGPSを設置して測定して8,846.10mという結果も出ており、1999年には全米地理学協会が山頂にGPSを設置して8,850mという測定結果も出ています。

これまでネパールは1954年にインドが測量した8,848mを公式としてきていましたが、中国では2005年に再測量し、氷雪部分を除き8,844.43mと公表しています。

ネパールは昨年2019年に測量のために登山隊を登頂させてレーザーゼオドライトとGPSおよび地中探知レーダーにより氷雪の厚みを測定して地質部のみの標高を測定しており、中国も今年2020年に衛星測位システムと登山隊によりGPSを使って測定した結果として、両国ともに先の8848.86mであるとの発表に至ったようです。この標高が今後エベレストの正式な標高になるということです。

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【2】「山ががそこにあるから・・・」

日本では山を登る理由として「山がそこにあるから」という英国人ジョージ・マロリーの言葉が一人歩きしている状態でが、実際の所とは少し違うようです。

マロリーは1924年の第3次エベレスト遠征登山を前に”何故エベレストに登るのか”との記者の問いに「Becouse  it there(そこにあるからだ)」と言ったようです。つまり、彼は山そのものを指して言ったのではなく、「ITはエベレストを指しており、”エベレストがそこにあるから”」と言った言葉だったようです。

マロリーは第一次世界大戦に従軍後、第1次英国エベレスト遠征隊員に選任され、初めてノースコルを踏み、第2ステップを超えて山頂に至るルートを見出しています。

第2次遠征隊では8,225mという当時の最高地点まで登り、最終アタックを目指していましたが雪崩により7名のシェルパが死亡するという事故によって、撤退を余儀なくされていました。

世界大戦に従軍して死生観も変化していたというマロリーは1回目の挑戦で得られた希望、2回目の挑戦で登頂目前で撤退を余儀なくされて味わった無念、そして満を持して得られた3回目の挑戦は並々ならぬ覚悟を持って臨んだのだろうと思われます。

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【3】登山史上最大のミステリー

先だって前号のメールマガジンでもご紹介した日本山岳会主催の「登山史上最大のミステリー マロリーとアーヴィンを探して」と題したZoomによるオンラインセミナーを拝聴しました。講師のジャック・ノートン氏は1999年にエベレストでマロリーの遺体を発見した「マロリー捜索隊」のメンバーでした。このセミナーを基にマロリーのエベレスト挑戦と遺体発見についてご紹介します。

マロリーの最後の挑戦となったのは1924年の第3次英国エベレスト遠征隊で、マロリーは登山経験は少なかったものの若く、酸素ボンベの扱い能力も高いアーヴィンをパートナーに選んでアタックに臨みました。

当時エベレストは北東稜からの挑戦でしたが、難関は頂上直下の第2ステップでした。二人は8,600m付近までは登って来ていることが確認されているものの、その後行方不明になり、そして帰らぬ人になってしまいました。

エベレストの初登頂は南東陵から1953年に英国で組織されたエベレスト探検隊のオーストラリア出身のヒラリーとシェルパのテンジンによって登頂されましたが、マロリーとアーヴィンが登頂を果たしたのかどうかが話題になっていました。

そこで、1999年にイギリスとアメリカの放送局の共同企画として「マロリー捜索隊」が組織されました。今回講師のノートン氏もアメリカ人登山家として捜索隊に参加していました。

マロリーたちの死後75年を経て、捜索隊は8,160m付近でうつ伏せになった大理石の彫像のようなマロリーの遺体を発見しました。うつ伏せになった下部の衣服は残っていたものの、紫外線にさらされた上部の衣服は失い、肌が露出した状態で発見されました。残った衣服からはマロリーの名前が確認されています。

片足は砕けていましたが遺体の損傷は少なく、片足は登山靴が履かれた状態でしたが、靴鋲は一部剥がれていたそうです。体には数メートルのザイルが結ばれたままになっており、アーヴィンとアンザイレンした状態で滑落したことが伺えました。彼のポケットにはゴーグルが仕舞われており、暗くなっていたか下山中だったのではないかと考えられました。また、持ち物の中には登頂した時に頂上に埋めると約束していた妻の写真は見つからず、登頂した可能性が残りました。

第2ステップは3回のエベレスト登頂を果たしている講師のノートン氏も登ることが出来なかったほど困難な箇所で、マロリー当時の装備やフリーの技術では到底超えることは出来なかったのではないかと思われるということです。エベレストの単独無酸素登頂を果たしているラインフォルト・メスナーも著書「マロリーは2度死んだ」の中で同じことを述べています。

その後、第2ステップは1960年に中国隊の人界戦術によって「はしご」が掛けられて、初めて北東陵からの登頂が成し遂げられました。北東陵は現在もそのはしごを利用して登られているようです。

また、酸素ボンベの残量が記載されているメモが遺体から発見されていますが、それによると酸素は下山するまでの残量はなかったということでした。

その後も数回にわたってアーヴィンの遺体の捜索が行われましたが、アーヴィンの遺体も登頂時を写すために持っていったコダックのカメラもまだ発見されていません。今後、衛星写真の解析でアーヴィンの遺体も発見できる可能性もあるとのことでした。

現在、エベレストには200体以上の遺体が放置されており、発見されたマロリーの遺体も危険を冒して回収することはしないでその地で静かに眠らせておいて欲しいという妻の意向もあり、簡単な葬儀をして礫土をかけてそのまま残されています。

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【4】富士山に登山鉄道構想が・・・。

山梨県は山麓駅(東富士五湖道路の料金所付近)から富士吉田口五合目までの富士スバルラインの自動車道にLRT(軽量起動交通)を敷設して、自動車から鉄道に置き換えるという登山鉄道計画を進めています。

富士スバルラインは富士登山を目指す来訪者が世界遺産登録後には2倍以上に増え、大型バスの走行による自動車交通による環境負荷や、電気や上下水道のインフラがなく、自家発電による排ガスや屎尿処理の改善などの必要にも迫られています。

そこで、山梨県は富士山麓と5合目を結ぶ富士山登山鉄道構想が提起され、実現の可能性を議論する検討会が御手洗冨士夫経団連名誉会長を会長として設置され、理事会で採算性などを示した基本構想素案が了承されたそうです。その際に出された課題を検討し、来年2月上旬に総会を開き、基本構想がまとめられるということです。県知事は、パリのユネスコ本部を訪れて自ら基本構想を説明する意向だということです。

詳しいことはこちらからご覧下さい。 https://tabiris.com/archives/fujitozantetsudo/

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【5】OB会HP年間アクセスランキング

今年1年間にホームページにアクセスされた訪問者数はのべ4,266人、表示件数は8,167件で過去最高になっています。(昨年は2,624人、6,708件)  1日平均すると約12人の方が訪れていることになります。ただし、下記のように記事別アクセス数を見ると検索サイトからの閲覧がアクセス数を押し上げていると思われます。

面白いことに「山で歌った歌」が総合ランキングにたくさん入っています。これも今年に限ったことでもないようですので、山で歌った歌に対する興味が少なからずあるようです。

外部からの閲覧はともかく、OB会会員相互の繋がりとホームページやOB会へのアクセスの掘り起こしを第一に記事を作っていきたいと思っています。

【総合ランキングベスト10】

1  「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」 348

2    八甲田山雪中行軍遭難事故  320

3   山で歌った歌 山賊の歌    269

4 「御嶽山噴火 生還者の証言から」231

5   積丹岳事故裁判について 146

6   山で歌った歌 北帰行    114

7   山で歌った歌 「 剣ダンチョネ節」97

8   芳ヶ平湿地群 96

9   山で歌った歌 新人哀歌 90

10   山で歌った歌    獨協中学・高校校歌 87

【行って来ましたランキングベスト10】

1  芳ヶ平湿地群  96

2  三頭山の地質と植生  45

3  燕岳  35

4  伊豆ヶ岳・子の権現  33

5  赤城山  32

6  高尾山(上り色はの森)  30

7  石裂山  29

8  天城山  26

9  岩殿山  25

10  高尾山での自然観察会 25

【山で歌った歌ランキングベスト10】

1  山賊の歌  269

2  北帰行  114

3  劔ダンチョネ節  97

4  新人哀歌  90

5  獨協中学・高校校歌  87

6  谷川小唄  74

7  山の友よ  44

8  獨協小唄  22

9  こんな歌もありました  20

10「山で歌った歌」歌集  10

DATAは12月24日現在のものです。

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【6】高尾山は元旦登山は禁止

東京都は高尾山の山頂である「大見晴園地」を12月31日午後5時から来年1月1日午前7時まで閉鎖することを発表しました。

高尾山は元旦に初日の出を見ようとたくさんの人が訪れる名所にもなっていますが、新型コロナウイルス感染症拡大の予防のためのやむを得ない措置という事です。

1号路は高尾山薬王院まで登ることはできるようです。また、稲荷山コースからの入山は出来ず、6号路は琵琶滝分岐から上へは上がれないようです。

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【7】HPのコラム記事をまとめました

今までOB会ホームページで掲載してきた「コラム」の記事をリンクを張って一覧にまとめ、HPのヘッドメニューに加えました。「30周年記念誌」に掲載されている文章もコラム記事の中に入れてありますので、御覧下さい。

コラムテーマの一覧へはこちらからご覧下さい。

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【8】独協通信第96号掲載記事

独協通信96号のワンダーフォーゲル部OB会の記事はもうご覧になりましたか。見られていない方はHPに掲載してありますので、下記からご覧下さい。

独協通信96号記事へはこちらから

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【9】テント泥棒が捕まりました

昨年、雷鳥沢キャンプ場や劔沢テント指定地で登山のために張っておいたテントと中に置いてあった物などが盗まれるという事件が発生していましたが、今年9月になって容疑者が捕まりました。

今年9月15日に劔沢のテント指定地でテント外に置いておいたザックが盗まれる事件が発生し、容疑者がザックを草むらに捨てようとしていた所を持ち主に見つけられ、私的現行犯逮捕によって劔沢警備派出所に突き出されました。容疑者は大阪在住の50歳の男で、その男がその時使っていたテントが昨年盗まれたテントだったということです。また同じようなことをしていて、1年を経て御用となりました。

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【10】行ってきました Now

筑波山(2016年1月5日) 伊豆ヶ岳(2020年1月5日) 節刀ヶ岳(2018年1月7日)

三つ峠山(2018年1月11日) 有間山・蕨山(2020年1月11日) 赤城山(2016年1月14日)

本社ヶ丸山(2018年1月21日) 大山(2016年1月22日) 守屋山(2017年1月24日)

石割山(2019年1月25日) 塔ノ岳(2016年1月27日) 雲龍渓谷(2019年1月27日)

高鈴山(2018年1月28日)

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【11】編集後記

今月は仕事が忙しくなってしまい、エベレスト関連で読み始めたエベレストで滑落死したライブ配信の登山家「栗城史多」氏について書かれた河野  啓著のノンフィクション「デスゾーン」が読みきれずに途中でストップしてしまいました。巣ごもりのお正月に続きを読みたいと思っています。

さて、今年もあと数日で終わりになります。去年暮れに中国武漢で発生した新型コロナウィルスはまる1年が経った現在も世界中で第3波の感染拡大が深刻になっており、感染者7870万人 死者173万人になっています。(24日午後3時現在)

東京オリンピック、パラリンピックで盛り上がるはずの2020年は思いもかけない1年になってしまいました。

来年はどんな年になるのでしょうか。みなさんお元気で新年をお迎え下さい。

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【12】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン11月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/11/29

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン11月号の配信です。

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【1】低山は自粛から一転して密に

【2】奥穂高の標高が単独3位になるかも

【3】HPのセキュリティーを強化

【4】獨協通信95号にOB会の記事が掲載

【5】富士山入山料の義務化

【6】登山史最大のミステリー

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】低山は自粛から一転して密に

コロナ感染拡大のため自粛していた低山にコロナ禍からの解放気分と感染リスクが低いだろうということで多くの人が訪れるようになり、遭難が多発しているようです。

神戸、阪神間の六甲山系では9月末時点で、神戸市内では山岳救助事案が過去25年で最多となっているという事です。芦屋、西宮両市内でも前年同期の倍になっているそうです。

富士山や南アルプスを抱える山梨県でも富士山の登山禁止と南アルプスの登山道の閉鎖や山小屋の一斉休業で山岳救助事案が少なかったものの10月に入って大菩薩や道志山系の低山の山岳救助事案が急増しているそうです。

4月〜6月は山岳救助事案が八ヶ岳・秩父山系を中心に13件で遭難者は13人、7月〜8月は大菩薩・道志山系中心に20件、22人だったのが、11月1日から11月25日まで1ヶ月で27件、37人と10年間で最多、例年と比べると3倍に上っていてるということです。

例年は富士山と南アルプス山系が半数以上を占めていたということですが、今年は9割が日帰り登山で起っており、そのほとんどは低山で発生したということです。首都圏に近いということで、4月~9月に遭難した45人中35人が県外からの登山客で、そのうち首都圏の登山客が約85%に上っていたそうです。

低山だから大丈夫だろうという意識と「お忍び」でという気持ちから登山届けを出さないケースも多いという事です。救助事案の多くは登山者が道に迷ったり、山道から転落・転倒するなどで、低山だから大丈夫というものではないので、県警では登山届けを出すよう呼びかけています。

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【2】奥穂高の標高が単独3位になるかも

山岳の標高は低くなっている山もあれば、高くなっている山もあり、変化しています。

2014年の国土地理院の発表によれば全国の87山のうち、48山が1m高くなり、39山が1m低くなりました。それまで日本4位の山として知られていた間ノ岳(山梨県・静岡県)は標高が1m高くなり、奥穂高岳(長野県・岐阜県)と並んで3位となっていました。

ほかにも、羅臼岳、天城山(万三郎岳)、赤石岳、光岳などは1m高くなっています。一方、幌尻岳、、栗駒山、安達太良山(鉄山)、などは1m低くなったそうです。この変更は、測量技術の発達による精度の向上と東日本大震災などの近年の地殻変動の影響ということのようです。

2019年には現地計測により八ヶ岳の横岳が1m高くなり、2020年には写真撮影により塩見岳が5m高くなっています。

国土地理院の「日本の主な山岳一覧」はこちらからご覧いただけます。 https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41140.html

さて、奥穂高岳の頂上には穂高岳山荘の故今田重太郎氏によって3mの大ケルンが積み上げられています。奥穂高岳は3,190mで日本第3の高峰ですが、第2位の北岳(3,193m)とは3mしか違わないということで、北岳よりも高くしたいという願いなのか定かではありませんが、重太郎氏の思いが伺えます。このケルンは人工物なので標高にはもちろん反映されませんが。

奥穂高岳には三角点がなく、富士山・北岳・間ノ岳の標高調査が行われたのが2014年なのに対し、奥穂高岳の計測はは1975年で、当時はGPSを使った測量法ではなく航空写真から割り出された標高で、センチ単位で比較できなかったので、3190mで間ノ岳と同じ3位になっていました。

この前、TBSテレビの「林先生の初耳学」で北アルプスの最高峰の奥穂高岳の標高を検証しようというという試みがなされていて、最新の計測システム・GNSS(全球測位衛星システム)をケルンの付け根に設置し、計測を行いました。「同じ場所で2回測り平均値を出す」という正式なルールに基づいた計測の結果、1回目が3191.132m、2回目が3191.066mで平均結果は3191.099mとなり、標高の表記は小数点第1位を四捨五入するということなので従来の標高よりも1mほど高いということになります。これが正式に認められると奥穂高岳は標高ランキングで単独3位に躍り出ることになります。

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【3】ホームページのセキュリティーを強化

ホームページ一には一番上のアドレスバーにURL( Uniform Resource Locator)という所在を示すアドレスが表示されています。そのアドレスには近頃は 🔒マークが付いているのが一般的になっています。

これはSSL(Secure Sockets Layer)というデータを暗号化して送受信する仕組みになっているかどうかを示すサインになっています。ネットに上げた個人情報などが流出したり、ホームページが改ざんされないように暗号化して送受信するためのシステムになります。

DWVのOB会のホームページは今までこのSSLに対応していませんでしたのて、セキュリティーを強化すべく今回SSL仕様に変更しました。

今まで、OB会のホームページを開くと「安全ではありません」などのアラートが出ていたかもしれませんが、現在は🔒マークが付いていると思いますので確認ください。

もし、🔒マークが付いていないようでしたら、https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/ と入力してホームページを開いてみて下さい。なお、従来はアドレスが http://dwvob.sakura.jp/wp/ でしたがSSL方式に変えたので、httpの後ろにsがいた https://  になっていますので、合わせてご確認ください。

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【4】獨協通信95号に当OB会の記事が掲載

獨協中学・高等学校の同窓会の広報誌「獨協通信」には「OB会」のコーナーが新設されていますが、この12月発行の獨協通信95号の「OB会」のコーナーにDWVのOB会の記事が掲載されます。

手島の同期が同窓会の事務をしていることから、声をかけてもらい、原稿を寄稿させていただきました。掲載写真や原稿は勝手に作らせていただきましたので、内容についてご不満などがあるかもしれませんが、とりあえずチェックして見て下さい。

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【5】富士山入山料の義務化

今年の富士山はコロナ感染防止の観点から密になるということが避けられないため、山小屋が全面休業し、登山禁止の措置が取られました。

富士山では世界文化遺産に指定された平成25年から安全対策拡充を目的として保全協力金として一人1,000円を徴収するようになっていますが、あくまで任意の協力金ということで、昨年夏の徴収率は山梨県と静岡県ともに67%だったそうです。

登山客への調査では約8割が「来訪者全員からの徴収に賛同」と回答しているということもあり、富士山の入山料について山梨、静岡両県などでつくる「富士山世界文化遺産協議会」の作業部会に助言する専門委員会は18日までに、富士山入山料の義務化を検討することが確認しました。

協議会で正式に承認されれば、専門委が2020年度中に徴収金額や対象などの制度案をまとめ、早ければ2022年夏から入山料の義務化による徴収が開始されることになるということです。

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【6】登山史最大のミステリー

日本山岳会ではエベレスト企画第3回としてZOOMを利用した誰でも参加できる無料のセミナーを主催しています。今回はマロリーの遺体発見メンバーのJake Norton氏(クライマー、映像作家、1999年マロリー捜索隊メンバー、米コロラド州在住)を講師でとして、登山史最大のミステリー「゛マロりーとアーヴィンを探して」という主題で笹生博夫氏(日本山岳会会員)通訳でのセミナーです。日時は12月5日(土)の午前10:00- (最大2時間を予定)ということです。パソコンやスマートフォンで視聴可能 ということです。下記のHPのオンラインJAC申し込みをクリックして、メールアドレスなどを入力するとメールでzoomのリンクやパスワードなどが送られてきます。あらかじめZOOMアプリなどをダウンロードしておく必要はありません。興味のある方はアクセスしてはいかがですか。

日本山岳会主催オンラインセミナー 「登山氏最大のミステリー –マロリーとアーヴィンを探して—

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【6】行ってきました Now

11月  陣馬高尾縦走(2020年11月1日)  日光・鳴神山(2020年11月5日)  日光・社山(2020年11月5日)  荒船山(2019年11月17日)

12月  浅間隠山(2016年12月8日)  金時山(2015年12月13日)  王岳( 2017年12月21日)  パノラマ台(2016年12月30日)

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【7】編集後記

登山靴選びは普段、街中で履いている靴と違って難しいものです。今まで低山用に履いていた靴はちょっと窮屈ではあったのですが、すでに何回も使っていたのですが、先日陣馬から高尾を登った上った折にはつま先が当たって痛い、痛いと思いながら歩き通しました。数日後お風呂に入っていて足の指を見たら片足の中指と薬指の爪が真っ黒になっていました。

これはいかんと、早速、日帰りハイキング用の靴を求めて神保町の「石井スポーツ」に行きましたが、なかなか気に入った物やサイズがなく、その足で水道橋の「さかいや」へ。次に御徒町の「アートスポーツ」、池袋の「好日山荘」、新宿の「石井スポーツ」と廻ったものの、「これだ!」というものに出くわすことができませんでした。

結局、山登りを再開して初めて買った色ボケしてしまったヌバック皮のイタリア製の靴がピッタリだということに行き着きました。栄養クリームなどを塗り込んでメンテナンスをしたら、買った当初の感じが蘇ってきました。これならまだまだ履ける・・・。

世界中でコロナの第3波が押し寄せています。日本では「GO TO TRAVEL」や「GO TO EAT」などのキャンペーンもあって気が緩んできていることもあるようです。今年も残すところ1ヶ月になりました。気をつけてお過ごし下さい。

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【8】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン10月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/10/19

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン10月号の配信です。

今回は日本アルプスを海外に紹介するとともに日本近代登山の先駆けとなったウォルター・ウェストンとヨーロッパアルプスを日本に紹介した槇  有恒の二人を特集してみました。

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△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△

【1】ウォルター・ウェストンのこと

【2】小島鳥水と日本山岳会の設立

【3】槇 有恒(まき ゆうこう)のこと

【4】国体やインターハイの登山部門

【5】山は秋と冬を行ったり来たり

【6】国立公園内の山小屋への補助を拡充

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】ウォルター・ウェストンのこと

まだ宗教登山や狩猟のための登山しかなかった日本で富士山をはじめ槍ヶ岳や御嶽山、木曽駒ヶ岳をはじめとして多くの山岳を登り、広く海外に日本アルプスや文化を紹介するとともに、日本の従来の登山の概念を革新する近代登山の先駆けとなったのが英国人ウォルター・ウエストンでした。彼を記念して関係した各地ではレリーフが作られ、今だに上高地をはじめとしていろいろな所で毎年ウエストン祭が行われています。

彼は1888(明治22)年から1915(大正4)年の27年間(滞在年数は通算20年間近く)に英国国教会の宣教師として三度に渡って来日し、その間に日本アルプスを中心にいろいろな山岳を踏破し、日本のアルプスや文化をまとめた「Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps」(日本アルプスの登山と探検)他を英国で出版し、広く海外に日本を紹介しました。

彼は1861年、イギリスのダービー市で生まれ、ケンブリッジ大学クレア・カレッジで学び、1886年に司祭となり、1888年にリドレー・ホール神学校で英国国教会の聖職について学んだのちに日本に宣教師として来日します。

英国をはじめヨーロッパ各国では既に山岳会が作られ、名だたるスイスアルプスはすでに登り尽くされ、アルプス黄金時代から難関ルートへの開拓時代に入っていました。そんな時代にあって、彼もマッターホルンやヴッターホルンなどいろいろなスイスアルプスを登るなどしていた登山愛好家でした。

1888年に宣教師として赴任したものの眼病治療のためと称して?一旦宣教師職を辞して登山にのめり込んでいきます。1890年には富士山を皮切りに日光・白根山や男体山、過去赴任していた九州の祖母山、阿蘇山や霧島山、韓国岳、桜島などの山々や、飛騨山脈や赤石山脈などの山々を登っているようです。

1891年から本格的に登山を開始し、浅間山、槍ヶ岳(悪天候などのため鞍部まで)、御嶽山、木曽駒ヶ岳を登っています。1892年には5月の富士山、乗鞍岳、槍ヶ岳、赤石岳に、1993年には恵那山、富士山、大町から針ノ木峠・ザラ峠を経て立山、前穂高岳に登っています。

前穂高岳や前年の槍ヶ岳などの登山の折には、明神池の辺に小屋を持つ猟師の上條嘉門次を案内人に登頂しています。

上條嘉門次は生涯でクマ80頭、カモシカ500頭を仕止めたとされ、ウエストンの著書の中で、抜群の案内人として紹介されたために国内外の登山者に案内人として指名されるなど人気を博します。ウェストンと20年間以上に渡る交流から嘉門次はウエストンからピッケルを贈られ、現在でもそのピッケルは嘉門次小屋に掲げられているということです。

1894年には白馬岳、笠ヶ岳(実際は抜戸岳とみられる)、常念岳、御嶽山、身延山を登り、1895年まで滞在し、離日します。

英国に帰国した翌年の1896年には先述した「Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps」を出版することになります。この本の記述からは神学者のそれではなく、ユーモアを交えたエピソードをはさみながら、民俗学的、文化人類学的、地質学的な観点に基づいて日本アルプスを紹介しており、日本の諺にも日本文化にも精通していることが伺えますが、日本語は拙かったということです。

赴任地での宣教師としての評判はあまり良いとは言えなかったようですが、再度日本への赴任が決まります。1902年、登山愛好家のエミリー・フランシスと結婚し、新婚旅行でカナディアンロッキーに登った足で奥さんと共に再来日します。

その年には広河原から北岳を登り、1903年に甲斐駒ヶ岳、浅間山、1904年に金峰山、鳳凰三山、北岳、間ノ岳、仙丈岳、高妻山、妙高山、八ヶ岳に登ります。地蔵岳では弘法大師も誰も成し遂げられなかった尖峰初登坂し他ことで地元の漁師などから神社建立して神主になってくれと地元の人から言われたエピソードもあったようです。

妻のエミリーさんは1903年に富士山、1904年には再度富士山に登り、火口底まで下りて石を持ち帰っています。また、浅間山や八ヶ岳、妙高山、戸隠山と高妻山にも登っており、戸隠・高妻山では初めて登った外国人女性ということでレリーフが設置され、毎年「ミセス・ウェストン祭」が行われているそうです。

そして、二人は1905年に離日します。

それから6年後の1911年には三度目であり、最後になる来日滞在を果たします。その年、二人は妙義山に登っています。

1912年には夫人を伴って有明山、燕岳を登り、槍ヶ岳の東稜、奥穂高岳は奥さんは伴わず登っています。1913年には夫人を伴って焼岳、槍ヶ岳、霞沢岳、奥穂高岳を登っていますが、この時も18年ぶりに再開し既に60代半ばになっていた上條嘉門次が案内しています。一緒に登った妻のエミリー・ウェストンは槍ヶ岳や奥穂高の女性初登頂者となっています。また、夫人とともに白馬岳も登っています。

1914年には単独で立山から剱岳を登り、ザラ峠と針ノ木峠を経由して下山しています。

しかし、第一次世界大戦の勃発で帰国を決意した二人は最後の山行を中房温泉から大天井岳を登り上高地に下りるコースを選びます。上高地では嘉門次とも別れの挨拶を交わし、1915年に離日して日本滞在は終わりを告げます。

英国に帰ってからは執筆活動や日本アルプスや日本文化についての講演などを行ないながら日本への思いを温めていたようですが、1940年(78歳)に脳出血で急逝してしまいます。

「Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps」は日本アルプスについての紹介だけでなく、日本文化に対しての深い洞察と知識、リスペクトと深い愛情が感じられる紀行本です。今では失われてしまった当時の人々の意識や暮らしぶりについても知ることができます。岡村精一の翻訳もとても読みやすいものでした。嘉門次小屋四代目の上條輝夫の妻である上條久枝著の「フォルター・ウェストンと上條嘉門次」と合わせて読んでみ流ことをお勧めします。

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参照文献 (ウェストン夫妻の登山履歴は資料により違いがあるので正確でないかも知れません。)

「Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps」–『日本アルプス 登山と探検』 (岡村精一訳、平凡社ライブラリー)

「フォルター・ウェストンと上條嘉門次」 上條久枝 著 求龍堂

「知られざるW・ウェストン」 田畑真一 著 信濃毎日新聞社

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【2】小島鳥水(こじまうすい)と日本山岳会の設立

ヨーロッパでは古くはルネッサンスあたりから趣味やスポーツとして登山を楽しんでいたようですが、18世紀後半のスイスアルプスのヴェッターホルンやモンブラン登頂がヨーロッパでの近代登山の幕開になったようです。特に英国人はヨーロッパでは一番早く山岳会を作り、先進的に登山を楽しんでいたようです。先述のウォルター・ウェスンともそんな流れの中でスイスアルプスに登っていました。

日本での登山はまだ霊山を登る宗教登山や狩猟を目的としたものだけでした。

そんな中、何人かの外国人は案内人を伴ってまだ地図もろくになかった日本各地の山を登っていたようです。

初代英国駐日公使のラザフォード・オールコックは幕末の1860年に富士山に登頂していますが、霊山を汚すものだとして大問題になり、外国人居留地を襲撃するという動きに繋がっています。

後に英国駐日公使になるアーネスト・サトウは1862年に来日してから 25年間滞在し、富士山をはじめ、御嶽山、赤岳、浅間山、赤城山、庚申山、そして南アルプスの山々に登っています。

1867年には2代目の英国公使ハリー・スミス・パークスの夫人であるファニーさんは外国女性で初めて富士山の登頂を果たしたとされています。

また、1872年に硬貨鋳造の技師として来日したウイリアム・ゴーランドは古墳研究の先駆者としても日本アルプスの命名者としても知られていますが、いろいろな山に登っており、1878年外国人として初めて槍ヶ岳に登頂、1880年には上條嘉門次のガイドで明神岳の登頂を果たしています。

特に本格的に各地の山を登り、紀行文「Mountaineering and exploration in the Japanese Alps」を出版し、海外に日本の山岳や文化を紹介したたのがウォルター・ウェストンでした。このウェストンの本を偶然目にした小島鳥水は(小島鳥水と岡野金次郎は1902年に二人で槍ヶ岳に登っています)、自分たちよりも10年以上も前に槍ヶ岳に登っている西洋人の存在を知ることになります。その後ウェストンが横浜に滞在中であることを知って訪ね、ウェストンから世界の登山状況や山岳会の状況を教えてもらい、日本での山岳会設立を勧められます。

ちなみに英国山岳会は1857年、オーストリア山岳会は1862年、スイス山岳会は1863年、ドイツ山岳会は1869年、フランス山岳会は1878年にそれぞれ結成されています。

そして、いよいよ1905年、小島鳥水を初代会長として日本でも「山岳会」(後の日本山岳会)が設立されることになるのです。

1910年、ウォルター・ウェストンは日本山岳会設立の立役者として貢献したことで名誉会員となっています。

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【3】槇 有恒(まき ゆうこう)のこと

ヨーロッパアルプスを日本に紹介し、後に日本山岳会の会長にもなる槙 有恒は新潟県の氏族の家柄で東京都文京区で生まれたようです。

宮城県師範学校付属小学校、仙台第二中学校を経て、1911年(明治44年)、慶應義塾大学予科に入学します。1914年に前穂高岳と焼岳を登り、その時に偶然にも日本山岳会会長の小島鳥水と会っています。

ヨーロッパ帰りの慶應義塾大学教授の鹿子木員信とともに日本山岳会に入会し、翌1915年には鹿子木員信教授の勧めでクラスメイトとともに日本で初めて大学山岳会を結成することになります。

1916年には上條嘉門次の案内で槍ヶ岳、穂高岳、薬師岳を登っています。

1917年に慶應義塾大学法学部を卒業し、1918年(大正7年)、アメリカ・コロンビア大学に留学するものの大戦の影響で勉学もままならず、1919年にイギリスに渡りますが、ウェストンを訪ねてアドバイスを受けて、スイスに渡ることになります。

1920年にスイスのグリンデルヴァルトを拠点としてガイドにトレーニングを受けて本格的にスイスアルプスを登り出します。当時アイガーはイギリスのC.バリントンが南西面と西稜から初登頂に成功しており、その後南西稜、南尾根が踏破され、東山稜だけが未踏破となっていました。

そこで槇は東山稜に挑戦することを決め、1921年、熟練のフュレル(案内人)3人と困難と言われていたアイガーの東山稜(ミッテルレギ稜)の初登攀を成功させます。

ミッテルレギからのルートは途中1泊を要することからガイド教会は小屋を設置することになりますが、槙は登攀成功の記念にとして1万3千フランかかる所、1万フランを寄付します。現在このミッテルレギ小屋は新しい小屋に建て替えられていますが、槇が寄付した旧ミッテルレギ小屋は山麓に移設されており、現在も健在のようです。また。グリンデルヴァルトのモンベル支店には旧ミッテルレギ小屋の扉を展示しているそうです。

槙はスキーについても、早いうちから2本ストックによる滑走技術を習得しており、1923年に冬季の立山登山を目指しますが、パートナーの板倉勝宣が遭難死してしまう事故を起こしています。

海外登山では1925年カナダのアルバータ山の世界初登頂を果たしており、1926年(大正15年)には秩父宮雍仁親王の供奉で冬季スキーや、夏季マッターホルン、アルプスなどを登っています。

1944年(昭和19年)に日本山岳会会長に就任しますが、国策会社の南洋拓殖株式会社の拓殖事業に携わり、侵略に関与したとして戦後、GHQ(連合国軍総司令部)から公職追放指定を受けています。

1956年(昭和31年)にはヒマラヤ山脈の未踏峰の一つであったマナスル遠征隊の隊長となり、同年5月9日、11日に登頂に成功しています。

仙台市名誉市民に推戴され、文化功労者、勲三等旭日中綬章を受章しています。

その後も立山観光顧問や英国山岳会(アルパインクラブ)、アメリカ山岳会、アパラチア山岳会、スイス山岳会の各名誉会員を務め、1989年(平成元年)5月2日に逝去しています。

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参考文献

「山行」槇 有恒  旺文社文庫

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【4】国体やインターハイの登山部門

国民体育大会(国体)にも高校総体(インターハイ)にも登山部門があるのをご存知でしょうか。

先述の槇 有恒も第4回、第6回〜第9回まで国体の登山部門会長となっています。

現在の国体ではフリークライミングのリードとボルダリングの2競技が実施されていますが、かつては縦走・踏査・登攀の3種目を実施しており、縦走とクライミング(リード競技)が実施されていたこともあったようです。

かつて実施されていた踏査種目では10kgに調整したザックを背負い、地形図上に複数あるポイント(標識)を探し、規定時間内にゴールするというチーム制オリエンテーリングでした。縦走競技は同じように10kgに調整されたザックを背負い、規定時間内に指定されたコースの登山を完了するもので、天気図作製、計画書、記録書提出なども評価されるもので、踏査競技と縦走競技、登攀競技をそれぞれ100点ずつの総合点で競ったものでした。

インターハイの登山部門は4人でパーティを組んで3泊4日の登山の行程を通して、安全に登山出来るために必要な技術や体力を定着させることを目的として競うものです。

体力(バテていないか)、歩行技術(バランスが良いか)、装備(パッキングはいいか、必要なものをすべて持っているか、防水などの工夫がしてあるか)、設営・撤収(テント設営、撤収の作業要領はよいか)、炊事(献立の内容、コンロの取り扱い)、登山計画や記録、天気図(ラジオの気象通報による天気図作製)、その他必要な知識(その山の概要、自然、気象知識、読図知識、食料知識、救急知識、登山用語、登山技術や装備の知識などについてのペーパーテスト)、マナーの各項目についてを点数下して評価して審査が行われています。

残念ながらコロナのために今年の鹿児島国体は開催時未定の延期、インターハイは中止となっています。

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【5】山は秋と冬を行ったり来たり

10月17日には富士山をはじめ穂高連峰などの北アルプスや八ヶ岳、白山、男体山、燧ヶ岳、鳥海山、立山、妙高連峰、浅間山、武尊山、甲斐駒ヶ岳など各地の高山では降雪があり、初冠雪も記録されています。

まだ、根雪になるわけではないでしょうが、これからは秋と冬が行ったり来たりしながら季節が進んでいくのでしょう。

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【6】国立公園内の山小屋への補助を拡充

環境省は来年度から、国立公園内にある山小屋の新型コロナ感染拡大防止にともなう施設の改修費用に対して補助する方針を決めたということです。今年度は1年間休業している山小屋も多くあり、また営業していても収容人数を半数に抑えて収入が減ったり、改修費用など経費が嵩んだりしていることから、山小屋のトイレ整備を対象とした現行の補助制度にコロナ感染拡大防止のための施設改修を加え4倍程度の予算を計上する方針だということです。

コロナ禍によって予約しなければならなかったり、収容人数も少なくなってしまったりと不都合はありますが、期せずして宿泊のクオリティーは向上してきているので、その点ではいい傾向にあるのではないでしょうか。

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【7】行ってきました Now

10月

茶臼岳(2019年10月24日)  蓼科山 (2017年10月26日)

11月

御正体山(2017年11月2日)  平標山(2016年11月3日) 三頭山(2018年11月3日) 磐梯山(2019年11月3日)   日向山(2016年11月4日)    飯盛山(2017年11月9日) 十二ヶ岳(2017年11月9日) 明神ヶ岳(11月10日)   岩櫃山(2018年11月15日)     大菩薩嶺(2019年11月17日)  荒船山(2019年11月17日) 茅ヶ岳(2017年11月19日) 武甲山(2019年11月21日) 

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【8】編集後記

“ 日本近代登山の父 “とも言われているウォルター・ウェストンですが、私はこれまであまり気に留めることがありませんでした。今回調べてみて今更ながら彼が “ 日本の山への憧れ ” と ” 探査の熱意 ” を持って山に登り、上條嘉門次、小島鳥水、槇 有恒などを結びつけ、日本の近代登山黎明期を作ったパイオニアだったということを実感しました。地図も、十分な情報なく、道も整備されてない未知なる登山は、彼の著作のタイトルにあるように正に” Exploration “「探査」だったのだろうと思われます。彼の切り開いた道は太く確かなものになったようです。

上高地のウェストンのレリーフですが、旗色の悪くなった戦時中に人知れず外され消えてしまっていたという事実があるようです。敵国人を顕彰するレリーフであり、金属製品の供出も行われていたことから、難を逃れるために槇 有恒と山岳画家の茨木猪之史が仕組んで秘密裏に実行したものだったということです。

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【9】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン9月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/9/25

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン9月号の配信です。

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△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△

【1】 シルバーウイークに人出が集中

【2】アイガー北壁の登攀史

【3】日本史上最大被害の熊事件

【4】この時期、スズメバチに注意

【5】ライチョウ移設プロジェクトのその後

【6】富士山は「初雪化粧」

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】シルバーウイークに人出が集中

紅葉にはまだ早いものの、涸沢や雷鳥沢(立山)のキャンプ場にはシルバーウイーク中、たくさんの人であふれていました。コロナ禍の影響で現在、山小屋は完全予約制になっていて収容人数も制限されているために、予約の必要ないテント泊が多くなっているようです。キャンプ人気も影響しているのかも知れません。

涸沢では連休中の土曜日は400張、日曜日は850張、月曜日は600張のテントが張られるほどの人出だったたそうです。朝のトイレや奥穂の登り、そして帰りのバスのロータリーは大渋滞になっていたということです。(涸沢ヒュッテの収容人数は130人で、10月11日まではは満室だそうです。)

また、立山では雷鳥沢のテント場には1000張近くのテントが隙間もないほど建てられ、朝のトイレは1時間待ちだったそうです。コロナ禍の影響でソロテントが多くなっていることもテントの数や場所を圧迫しているようです。

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【2】アイガー北壁の登攀史

先日、アイガー北壁の悲劇を主題とした2008年製作のドイツ映画「アイガー北壁」をTVで観ました。そこで、アイガー北壁の登攀史をちょっとまとめてみましたので、ご紹介です。

アイガー北壁初登攀の競争は1934年のドイツ隊が2900m付近から滑落死亡する事故から始まります。翌年の1935年にはやはりドイツ人2名が3300m付近で膝まで雪に埋もれ、立ったまま凍死するという事故が起こっています。この場所は後に”死のバーク”と呼ばれるようになります。

ベルリンオリンピック前年の1936年、ナチスドイツはアイガー北壁を完登した者にオリンピックメダルを授与するというプロパガンダを打ち立てて挑戦を煽ります。

その年、映画になった悲劇はドイツ隊2名とオーストリア隊2名が同時に挑み、途中から合同パーティーとなって登頂を目指して起こります。先発していたドイツのアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツは”振り子トラバース”というルートを開拓し、前年死亡事故があった”死のビバーク”地点を越えた所まで登っていましたが、オーストリア隊の一人が負傷したため、置き去りにする事も出来ないと一緒に下山することになります。3人は動けなくなった1名を搬送しながら懸垂下降して下山していましたが、天候が悪化して雪崩により1名が即死、2人が滑落して宙吊り状態になってしまいます。そしてビレイしている者を助けるために意識のある1名は自らロープを切って2人は滑落してしまいます。生き残った1名は北壁に開けられた鉄道の坑道入口の”アイガーバンド”まで数メートルの所まで下降しますが、ロープが足りずに結んだロープの結び目がカラビナを通すことが出来ず力尽きてしまい、4人全員が死亡してしまうことになります。

その後も宙吊り事故で2年間遺体が放置されるという事故も発生していますが、アイガー北壁の完登は、1938年ドイツ隊とオーストリア隊の合同登攀で達成されることになります。

この時、完登を果たしたオーストリア隊のハインリッヒ・ハーラーはこの時の様子を「白い蜘蛛」に著しています。その後、ハーラーはヒマヤラ登山を目指すことになります。しかし、インドでイギリス軍の捕虜になり収容所に収容されてしまいます。しかし、収容所を脱走して苦難の果てにチベットに入ることになり、幼少のダライラマ14世との交流が始まります。この間の出来事が自伝「チベットの7年」として出版され、「セブンイヤーズインチベット」というブラッドピッド主演の映画になっています。

日本でのアイガー北壁登攀は1964年に芳野満彦と渡部恒明が挑戦しますが、失敗に終わり、翌年目標をマッターホルン北壁に変えて完登を果たします。これは新田次郎著の「栄光の岸壁」にも描かれています。

日本人で初めてノーマルルートを完登したのは1965年の高田光政になります。この時のザイルパートナーの渡部恒明は頂上まであと300mの所で怪我をして動けなくなってしまいます。高田は渡部を助けるためには渡部を残して頂上を目指し、一般ルートから下山して救助隊に助けを求めることだと判断し完登を果たします。しかし、救助隊が助けに向かったものの、ガスが晴れた時には滑落した渡部の遺体が壁の取り付きで発見されることになります。(このことは新田次郎著の「アイガー北壁」に実名で描かれています)

1969年には現モンベル会長の辰野勇が当時の最年少記録で二登を果たし、同年に加藤滝男、今井道子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進の6名が直登ルートでの完登を果たします。

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【3】日本史上最大被害の熊事件

前号のメールマガジンで熊の目撃情報や人身事故が増えていることを取り上げましたが、1970年に起こった福岡大のワンダーフォーゲル部員を執拗に襲ったのも北海道だけに生息する大型のヒグマでした。日本で過去最大の熊被害を出したのも三毛別に現れたヒグマ(羆)であり、「三毛別羆事件」と呼ばれています。

事件は1915(大正4)年、北海道苦前郡苦前村三毛別の六線沢で起こりました。当時の北海道では開拓事業が進み、かなり奥地まで開拓者が入っていました。三毛別での開拓はまだ開墾初期の段階であり、暮らしは貧しいものでした。沢に沿った森に切り出した木を草や板で囲い、樹皮で屋根を葺き、入口はムシロを垂らしただけの掘建て小屋での生活でした。

事件が起こったのは牡丹雪から粉雪に変わり、そして積雪期に変わってゆく11月初旬であり、通常羆(ヒグマ)は冬眠に入っている時期でした。マタギの間では冬眠出来ないでいる熊や冬眠を妨げられてしまった熊は凶暴になると言われていたようです。

事件は深夜、軒先に吊るしたトウモロコシを狙って羆が唸り声を立てながら小屋の周りをうろついていたことから始まりました。その夜はそれだけで済みましたが、30センチくらいもある足跡が残されていたそうです。

11月20日に再び羆が現れたので、鉄砲を持つ2人のマタギを呼んで泊まり込みで待ち構えていた所、30日夜半に三度羆は現れます。鉄砲は当たりはしたものの仕留めるまでには至らず、足跡を追うも吹雪のために断念することになります。その日以降暫く羆は出なくなります。

12月9日、六線沢上流にある小屋で主人の留守を守っていた妻と預かり子が羆に襲われることになります。寄宿人が帰って来た時、座り込んで顔の下から吹き出した血が固まって死んでいる預かり子を発見します。壁は破壊され、窓枠に髪の毛がこびりついていたといいます。居るはずの当主の妻の姿は見当たりませんでした。30人におよぶ捜索隊が結成され、拐われたと思われる当主の妻と羆の捜索が開始されました。途中、馬の背丈よりも遥かに大きい羆と遭遇するものの、取り逃してしまいます。

懸命な捜索により森のトド松の根元から女の衣服の一部と脚と頭骨の一部とが見つかりました。女はほぼ羆に食われ、残りを貯蔵するために雪の中に埋めておいたのだろうということでした。捜索隊は遺体の一部を持ち帰ることになります。

12月10日、2人の通夜が営まれている席に例の羆が遺体(獲物)を取り戻すべく壁を崩して乱入して来ます。男たちは慌てて外に飛び出したり、便所や屋根裏に身を潜み難を避けられたのでした。しかし、羆はそれから20分も経たないうちに下流にある家を襲うことになります。

この家には前日の事件を受けて避難して来た臨月の妊婦を含む女子供合わせて10人(男は一人だけ)がいました。羆は突然小屋の壁を壊して侵入し、妊婦を含む4人が殺され、3人が重傷を負います。叫び声を聞きつけて駆けつけた村人は静まり返った家の中からは骨を噛み砕く音だけがしていたといます。臨月だった妊婦は上半身を食われ、腹は破られていましたが胎児は無傷のままで暫く動いてたものの死んでしまいます。

この2日間で妊婦や子供を含め6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3名が重症を負うことになったのです。

12月11日、270人もの大規模な討伐隊が組織され、軍隊を含め12日からの3日間で延600人、アイヌ犬10頭が投入されることになります。

捜索の中、検死のために来ていた医者は山中で発見された羆の糞の中から人骨、髪の毛、未消化の人肉が確認されていますが、羆を発見するこ出来ませんでした。犠牲者の遺体を餌におびき寄せる作戦も実行しましたが、羆は近くまでは来たものの気配を察知したのか逃げてしまいます。捜索が続けられる中も羆は村人不在な人家を荒らし回っていました。

12月13日夜になって、警備していた者が対岸の切り株の数が多い事に気づき、黒い塊になっていた羆を発見して軍隊の打ち手が発砲するものの、また仕留め損なってしまいます。

12月14日、単独で山に入っていた山本兵吉という熊打ち(生涯で300頭の熊を仕留めたという伝説のマタギ)により、やっと頂上付近で発見され心臓と頭に玉が命中し、仕留められたのです。

この羆は体重340kg、身の丈2.7m、年齢は推定7、8歳だったということです。

討ち取られた羆は橇で搬送されますが、今まで晴天が続いていたのに天候が悪化して猛吹雪になったということです。熊を殺すと天気が急変すると言われ、村人は「熊風」と呼んでいるようです。

討伐後、羆は解体解剖されましたが、腹からは六線沢で初めに襲われて食われてしまった女の葡萄色の脚絆の他、雨竜で食われた女の赤い肌着、旭川で食われた女の肉色の脚絆、天塩の飯場の女の物と思われる物も発見されたということです。

この事件は木村盛武によって再調査され、事件の50年後にあたる1964(昭和39)年に「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」として発表され、2015年にノンフィクション「慟哭の谷」として文春文庫から出版されています。戸川幸雄は「羆風」を書き下ろし、吉村昭は小説「羆嵐」を著しています。

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【4】この時期、スズメバチに注意

この時期、熊と同じように山で遭遇したくないのがスズメバチです。8月下旬には高尾山の6号路や4号路でもスズメバチの巣が出来て、撤去済みではあるものの通行注意情報が出ています。

スズメバチは秋に巣が最大になり、活動も活発になります。春に越冬から覚めた女王蜂は巣を作り始め、働き蜂を産み続けて巣を大きくしていきます。働き蜂は全て雌で、毒針を持っています。女王蜂候補として選ばれた雌にはロイヤルゼリーが与えられます。秋になると毒針を持たない雄が現れ、女王蜂候補と結婚飛行に出て後尾します。その後、女王蜂、雄蜂、働き蜂は寿命を終えます。唯一生き残るのは女王蜂候補だけで、巣から離れて暖かい朽ちた倒木などで越冬します。(ミツバチは働き蜂も越冬します。)

さて、スズメバチの毒は強力で、アレルギー反応で死に至ることもあるので気をつけなくてはなりません。「蜂の一刺し」と言われますが、スズメバチの針は抜けない構造で、何度でも刺すことが出来き、また空中に噴射することも出来ます。散布された毒液は警戒ホルモンの働きがあり、他の蜂を興奮させ、呼び集めさせます。1匹で飛んでいる時は攻撃性はそれほど強くありませんが、巣を守ろうとする時には攻撃性が強く、巣に近づくことはとても危険です。10m以内に近づくと警戒行動をとり、接近者の周囲を飛び回りはじめます。また、刺されたり、毒液が発射されると仲間を集めてより興奮して攻撃してきます。スズメバチの巣は土中や木洞などに作ることが大半なので気づかないことも多いので、蜂の出入りなどに気を配ることが必要になります。

蜂の接近に驚いて声高に騒いだり、はたき落そうとしたりすると、却って蜂が興奮して危険度が増します。スズメバチは巣に近づいたり、睨み合ったりなどすると左右の大顎を噛み合わせて打ち鳴らし、「カチカチ」という警戒音を出し威嚇してくることもあります。これは最後の警告の段階であり、それでもその場から立ち去らないと、仲間の蜂を呼び寄せて集団で攻撃してくるのです。

香水には警報フェロモンと同じ物質が含まれているので、仲間を集めてしまうようです。また、黒い服は、幼虫やさなぎの捕食者として攻撃の標的と見間違いたり、ヒトを含む大型哺乳類の弱点となる黒色部分(眼や耳孔など)を狙って攻撃を仕掛けてくると考えられ、避けるべきと言われています。

スズメバチが1匹で飛び回っている場合は急に動いたり、むやみに手で振り払ったりしないようにして屈むようにしていれば飛んで行ってしまうことが多いですが、巣を見つけた場合は静かに体を低くして後ずさりして巣から離れる事が肝心なようです。

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【5】ライチョウ移設プロジェクトのその後

木曽駒ヶ岳に2年前に飛来してきた雌のライチョウと8月に乗鞍岳で捕獲され木曽駒ヶ岳に移された3家族の全てのライチョウの生存が確認できたということです。

飛来した雌のライチョウは成鳥1羽とヒナ6羽のグループと一緒に活動しており、成鳥1羽とヒナ4羽のグループは木曽駒ヶ岳に留まり、伊那前岳周辺では残りの1家族7羽が生息していることが確認されています。10月にはヒナは親離れするので、それまで観察は続けられるということです。このまま、定着してくれるといいですね。

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【6】富士山は「初雪化粧」

9月21日、富士吉田市の富士山課は富士山の山頂付近がうっすらと雪が積もっているのを確認し、「初雪化粧」宣言を出しました。去年の富士山の「初雪化粧」は10月23日で、今年は1カ月以上早い宣言となりました。

なお、「初雪化粧」宣言は富士吉田市が独自に出しているもので、気象庁が出している「初冠雪」とは異なるものです。甲府地方気象台による「初冠雪」の発表には至りませんでした。

22日には北アルプス乗鞍岳の畳平にある鶴ケ池周辺で初氷が観測されています。これは昨年より5日早く、過去10年間の平均観測日より7日早かったそうです。

高山ではすでに季節は秋に変わって来ているようです。

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【7】行ってきました Now

10月の過去ログから

景信山(2016年)   苗場山(2016年)   安達太良山(2016年)   三本槍岳(2017年)   本仁田山(2017年)   蓼科山( 2017年)   西吾妻山(2018年)   女峰山(2019年)   茶臼岳(2019年)

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【8】編集後記

シルバーウィークでは各地で沢山の人出かあったようですが、秋の観光シーズンを控えて10月1日からは東京都も「GO TO TRAVEL」が適用されるようになります。ワイドショーでは「旅行費用が半額になる」とか「タダになる所もある」とか盛んに煽っています。これから東京発着の観光も一気に増えるでしょう。

「GO TO EAT」も始まると外食などにも人が押し寄せるようになりそうです。コロナのせいで落ち込んでいた気分や経済が一気に動いて来ているようですが、コロナ予防に対して油断なく意識をしていくことが必要でしょう。新型コロナの感染症は症状が出ないことも多いようなので、感染を拡大させないように各自予防に心がけながら、楽しみを広げられたらいいと思います。

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【9】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

メールマガジン8月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/8/29

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン8月号の配信です。

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△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△

【1】 熊との遭遇が増えています

【2】山小屋エイド基金

【3】米カリフォルニア州の山火事

【4】下山中の遭難事故が多発

【5】「石丸謙二郎の山カフェ」

【6】剱岳チンネの白骨死体

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】熊との遭遇が増えています

この夏、温暖化や長雨で熊の食料となる動植物が少なかったことに加えて、コロナ禍により野良や里山と奥山の境界が判然としなくなっことも合間ってか、今まで来なかったところまで熊が下りて来ているようで、各地で目撃情報や遭遇により怪我を負うような事故が多くなっています。今年は日高山系で起きた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のヒグマによる執拗な襲撃により3人が殺された衝撃的な事件から50年になるそうです。(事件の様子はこちらか)

8月9日午前0時ごろ、上高地の小梨平キャンプ場では、テント泊をしていた50代女性が、食料をあさりに来たとみられるツキノワグマ1頭に襲われ、右脚を10針ほど縫う怪我を負いました。

周辺では7月下旬から熊が目撃されており、環境省中部山岳国立公園管理事務所がわなを設置し、8月4日に1頭が捕獲され、奥山放獣するなどして警戒を強めていたところだったそうです。前日にも複数のテントが荒らされていたということです。

熊は体重80キロ程度の雄の成獣とみられ、1人用テントを20メートルも引きずり、内にいた女性は外から貫いた熊の爪で脚に怪我を負い、トイレに逃げ込んだということです。テントの中にあったレトルトカレーは完食されていたとのことです。襲った熊は13日に捕獲されましたが、キャンプ場は引き続き閉鎖されているようです。

熊はこれから冬眠に備えて食料確保のために活動が活発になることから、人間と遭遇する機会も増えてくることが予想されます。テント泊や行動中の熊除けに気をつけなくてはならないようです。

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【2】山小屋エイド基金

山小屋エイド基金は登山の自粛が続く中、宿泊場所、登山道の保守、避難場所としてお世話になっている山小屋を応援するため「山と溪谷社」が立ち上げた募金のプロジェクトです。

募金は8月13日に締め切られましたが、活動には9,442人が応募し、96,871,982円の支援金が集まったということです。寄せられた支援金は、リターン制作費、手数料など(約10%)を差し引いた金額を分配先となっている山小屋に均等に分配するということで、参加登録されている100軒の山小屋に約80万円ほどが分配されるということです。

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【3】米カリフォルニア州の山火事

アメリカやオーストラリアなどの乾燥地帯では毎年のように大規模な山火事が発生していますが、現在アメリカ西部カリフォルニア州で起きている山火事は、焼失面積が記録的な規模に拡大し、死者も7人に上っているようです。(現況は少し違っているかも知れません。)

落雷が原因と見られますが、現在も600を超える山火事が発生していて、これまでに東京都の2.5倍にあたる5,600平方キロメートルが燃えたということで、州全域に非常事態が宣言され対応にあたっているということです。

S46年卒の笠原氏はカリフォルニア州のアーバイン(デズニーランドや大谷の所属するエンジェルスの本拠地のアナハイムの近く)に居住しているのでメールで聞いたところ、山火事の影響はないものの、コロナの影響が残っているとのことでした。

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【4】下山中の遭難事故が多発

長野県警ではこの夏の登山におては比較的危険性の少ない場所で起きた転倒・滑落事故が多いことを指摘し、集中力を高めて油断のない行動をするよう促しています。

事故の多くは、疲労がたまりやすい下山中に発生しており、転倒・滑落の多くが、ハシゴや鎖が設置されている「危険箇所」よりも、比較的危険性の少ない登山道上で発生しているとのことです。これは視覚的に危険性が明らかな場所では、自然と緊張感が増して、慎重な行動を心掛ける一方、一見すると危険性が見えない登山道では、つい油断をしてしまうことからのようです。また、この季節は厳しい暑さによる脱水や疲労により、注意力が散漫になってしまったりすることなども挙げています。

8月の第3週だけでも、槍ヶ岳の槍沢、蝶ヶ岳の槍見台、白馬岳の大雪渓、八ヶ岳の夏沢峠、奥穂高岳のザイテングラート、上田市太郎山の裏参道、雨飾山の笹平付近、中央アルプス将棊頭山の桂小場、甲斐駒ヶ岳から北沢峠への登山道、南アルプス鋸岳の山頂付近、後立山唐松岳の扇雪渓で、それぞれ下山中の転倒、滑落、疲労事故が発生しています。

疲れやちょっとした気の緩み、油断がレスキューを呼ぶ事故に直結するので気を引き締めて望まなければならないようです。

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【5】「石丸謙二郎の山カフェ」

NHKラジオ第1では毎週土曜日の8時05分から9時55分まで、山好きの石丸謙二郎さんと局アナの山本志保さんがMCを務めるの「石丸謙二郎山カフェ」という番組を放送しています。

“ 朝日に輝く山々を眺めながら、COFFEEを片手にほっとひと息…。すがすがしい空気とともに、山のトピックや山を愛する人たちとの語らいをお届けする「カフェ」” が番組のコンセプトになっています。

8月29日は「山の滝を探して」をテーマに放送されました。1週間は「聴き逃し」番組としてネットで聴くことができるので、一度聞いてみて下さい。

「山の滝を探して」前半

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=4750_01_1523168

「山の滝を探して」後半

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=4750_01_1523171

NHKラジオインターネットアプリ 「らじる⭐︎らじる」のダウンロードはこちらから

https://ja.popsilla.com/app/nhk-radio/download/?gclid=Cj0KCQjw1qL6BRCmARIsADV9JtaYNX7FQHu1lpap1CprMKaSeWOUgdRnA42S6qonUd79ToHbTYqgIQEaAnq1EALw_wcB

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【6】剱岳チンネの白骨死体

8月27日、剱岳を登山中に行方不明になっていた単独行の男性を捜索していましたが、チンネ付近で富山県消防防災ヘリが岩場で横になっている男性を発見し、収容されjましたが、残念ながら死亡が確認されました。外傷があ流ことから、滑落したものと判断されました。

また、この収容中、現場から50mほど下で、ほぼ全身分の白骨化した遺体が発見されました。警察が身元や死因など捜査しているということです。剱岳では2016年にも富山県警山岳救助隊が訓練中、偶然に一部白骨化した死体が発見され、1年前に行方不明になっていた人であることが確認されています。

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【7】行ってきました Now

高尾山  いろはの森(8月3日)

燕岳(8月6日〜7日)

8月の過去ログから

会津駒ケ岳   唐松岳   岩木山   八甲田山   白馬岳   立山

9月の過去ログから

雨飾山  御嶽山  雁ヶ腹摺山

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【8】編集後記

コロナ禍の中、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。感染のピークは過ぎたということですが、タレントやアスリートなど広い範囲で感染が広がって来ているようで心配しています。

8月も終わりですが、まだまだ暑い日が続いており、熱中症にも気をつけなくてはなりません。

熱中症と新型コロナの症状とは共通するものが多いということです。全身倦怠感、頭痛、吐き気や食欲がないといった消化器症状、筋肉痛、関節痛、発熱などは新型コロナの中等症の症状でもあり、熱中症の症状でもあるということです。

新型コロナに特徴的だと話題の味覚異常も、熱中症でも起こるそうです。また、街中や登山中などで倒れるなどした人と遭遇した場合、一般の人でも熱中症なのか脳梗塞なのかを判断しなければならない状況に立たされることもあるかも知れません。2018年にHPに掲載した「熱中症と脳梗塞の見分け方と対処の仕方」の記事はこちらから。

皆さん、コロナが潜む日常に負けないでいきましょう。 打矢さんからの「残暑お見舞い」

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【9】記事の募集とマガジンについて

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メールマガジン7月号 /2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/7/25

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン7月号の配信です。

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△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△

【1】 全国主要山岳の山小屋の4割が休業

【2】山小屋の存続危機

【3】中央アルプスのライチョウのその後

【4】富士山や八ヶ岳で山小屋荒らし

【5】御嶽山王滝ルートが規制解除

【6】「生き物の死ざま」稲垣栄洋 著

【7】行ってきました Now

【8】編集後記

【9】記事の募集とマガジンについて

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【1】全国主要山岳の山小屋の4割が休業

京都新聞の調査によると、この夏の全国の主要山小屋240軒のうち約4割に当たる95軒が休業することが分かったそうです。営業の判断をした山小屋も、ほぼ全てが「完全予約制」で宿泊者の定員を大幅に減らす予定ということです。

また、ルート上の山小屋が休業してしまったことにより、ルート上の整備や状況確認、トイレの整備、救助態勢が取れないことなどから登山道自体を閉鎖する措置が取られている所も出てきています。

京都新聞による 【一覧表】全国の山小屋の営業状況はこちらからご覧いただけます。

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【2】山小屋の存続危機

新型コロナウイルスの感染拡大により、どの業界でも経済的にも精神的にも危機的状況に陥っていますが、山小屋や山岳ガイドも危機的状況になっているようです。

夏山では今まで布団1組に数人が寝るという極めて密集状態にもなることから、宿泊定員を従来の半分から1/3程度にすることが必要とされています。そうなると経費との関係で今年は山小屋を閉めざるを得ないということも理解できる状況になっています。山小屋は休業補償もないのでしょうから、収入はほぼゼロ。人数を制限して開けている小屋にしても収入が激減することが予想されます。

白馬山荘では定員を800人から300人に減らすということですし、槍ケ岳山荘は定員を半数程度にするそうです。「もし来年以降も宿泊人数を絞るような状況が続けば、多くの山小屋が存続できなくなるかもしれない」ということです。

また、山岳ガイドは夏場のガイドが収入の年間収入の大半を占めているそうで、このような状況では仕事の依頼もなく、9割余りのガイドが経済的に逼迫しているということです。このままの状況が続くようならば、転職も余儀なくされることが予想されます。状況は逼迫しており、登山の有り様自体が問われて来ているようです。

山小屋エイド基金」のプロジェクトはこちらから

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【3】中央アルプスのライチョウ、その後

ニホンライチョウの復活計画が進む中央アルプスで、生息が確認されているメス1羽の巣に別の場所から有精卵を移し替えてひなをふ化させる取り組みが行われていますが、昨年はふ化したものの全滅してしまいました。今年も同じ取り組みをしたものの、残念ながらまたも、ひなは全滅してしまったそうです。

巣の近くに設置していたセンサーカメラの画像には複数のニホンザルが写っていたそうで、ひなが巣を飛び出し、寒さのために死んだのではないかと分析されています。

信越自然環境事務所(長野市)は、有精卵の移し替えだけではなく、ライチョウ家族を乗鞍岳から木曽駒ヶ岳に引越しさせる作戦を実施しているということです。乗鞍岳でライチョウ家族を丸ごとを保護して、木曽駒ヶ岳に引っ越しせる計画です。すでに、乗鞍岳で雌の親3羽とそれぞれのひな計15羽(うち3羽は衰弱死)を保護し、ゲージを設置して保護し、昼間は2回外に出して採餌させているということです。大雨被害が出た今月は乗鞍岳も悪天候の日が多く、ケージで保護していない雌7羽のうち、ひなを連れていたのは1羽のみだったということです。

保護しているライチョウの3家族の引っ越しは今月下旬に行われるということです。

長野県の「ライチョウ保護スクラムプロジェクト」はこちらから

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【4】富士山や八ヶ岳で山小屋荒らし

コロナの影響から休業中だった富士山五合目にある佐藤小屋では食堂のシャッターと窓ガラスが壊され、現金が盗まれるという小屋荒らしが5月に発生しました。盗まれた現金自体は2万円だったそうですが、修繕費など80万円以上の被害だそうです。

また八ヶ岳の行者小屋でも4月下旬に小屋が荒らされていたそうです。

以前には張っておいたテントと置いてあった荷物が盗まれるという事件が発生したことがありましたが、今回は休業中をいいことに小屋荒らしとは、世知辛い世の中になってしまいました。

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【5】御嶽山王滝ルートが規制解除

御嶽山(3,067m)の岐阜県木曽側の登山道は一昨年(2018年9月)から規制解除されていましたが、長野県の王滝登山道は整備が十分できていないということで登山道が規制されていました。しかし、整備が完了したということで、今月21日から山頂南側にある王滝頂上までの登山道の立ち入り規制が解除され、噴火後初めて王滝頂上まで登れることになりました。

当初7月11日の解除が予定されていましたが、大雨の影響で延期されていました。2014年の噴火では死者58人、行方不明者5人の被害を出しています。

 

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【6】「生き物の死ざま」稲垣栄洋 著

先日、筑波大付属小近くの公園を歩いていたら、今年初めてセミが鳴いていているのを聞きました。

夏も終わりになると、よくひっくり返ってジージー鳴いているセミを目にすることがあります。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がるそうで、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうそうです。

“死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。”と・・・。

農学博士の稲垣栄洋著の「生き物の死にざま」はセミ、ハサミムシ、カマキリなどの昆虫からチョウチンアンコウやマンボウなどの魚、ニホンオオカミやゾウなどの哺乳類など色々な生き物の限られた命を懸命に生き、命のバトンをいかに繋げ、愛おしいほどに死んでいく様に胸を打たれます。

「STAY HOME」の一日、そんな1冊を読んでみてはいかがでしょうか。 草思社 2019年 定価1,400円

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【7】行ってきました Now

8月の過去ログから

会津駒ケ岳(2016年8月19日)

唐松岳(2017年8月9日)

岩木山(2017年8月20日)

八甲田山(2017年8月21日)

白馬岳(2017年8月27日)

立山(2018年8月29日)

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【8】編集後記

連休に針ノ木岳の雪渓を登りに行こうかという計画があったのですが、コース上の山小屋が休業になってしまったため、登山道が閉鎖してしまったので計画が流れてしまいました。それで、今度は立山へでも行こうかと思っていましたが、雨ばかりが続き、家で停滞となってしまいました。結果的には良かったのかと思いましたが。

“GO TO TRAVEL”は東京を除外して始まりましたが、もはや感染拡大は東京だけではなく各地で再び感染の大きな波が迫って来ています。

“新型コロナが潜む日常”の中で、どう対処したらいいのか、一人ひとりが”自分の命を守る”行動をしていかなければならないようです。

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【9】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

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メールマガジン6月号 /2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/6/25

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DWVOBを山の話題で結ぶメールマガジン6月号の配信です。

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        くじ  △

1今年度のOB会総会は中止
2COVID-19の「接触確認アプリ」
3ウィズコロナの登山スタイル
① 事前準備・・・
② 小屋やテント場で・・・
③ 登山中・・・
【4】ライブカメラでオンライン登山
【5】ライチョウの卵を中央アルプスへ
【6】秦野駅前に大量のヒルが出現
【7】行ってきました Now
【8】編集後記
【9】記事の募集とマガジンについて
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都府県を跨ぐ移動や商業活動の規制が解除され、COVID-19の感染防止に配慮しつつ経済活動を進める”WITH CORONA”の新生活様式が始まろうとしています。
緊急事態宣言が解除された折には、NHKのテレビニュースでは高尾山で早速アベノマスクをつけた登山者がインタビューを受けている様子が流れていました。ウィズコロナでの新登山スタイルなど、これからの登山のありようも変わらなければならないようです。今月のメールマガジンはそんな話題も集めてみました。
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1】今年度のOB会の総会は中止
毎年小石川後楽園内の涵徳亭などで行なっていたOB会の総会ですが、ご案内の通り新型コロナウイルスの感染防止のため中止となりました。東京アラートなどの制限が解除されたとはいえ、大人数での会食は感染のリスクが高いので致し方ないと思われます。
今回の総会が無しになったのでOB会に対してのご要望やご意見などありましたら下記メールアドレス宛にお願いします。またお会いできる機会がなくなってしまったので、近況報告などもお聞かせいただけるとありがたいです。是非、この機会にメールで一言お寄せください。
なお、秋の親睦会を総会に変えて実施する事も考慮していますが、小諸の日新寮が現在のところ利用不可となっているので、目処がついていない状況です。コロナの状況と合わせて実施が見込められるようになりましたら、改めて連絡します。

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2COVID-19の「接触確認アプリ」COCOA
厚生労働省からCOVID-19に感染した場合に陽性情報を登録すると陽性者との接触を知らせてくれる「接触確認アプリ」がアップロードされています。19日から運用開始し、ダウンロード数(DL)8間で85DL24時間で179DL3日間で270DL21日には326DLになったということです。日本の人口は約12500万人ですから、およそ25%になります。6割が利用しなければ効果が出ないということですので、まだの方はダウンロードしてみたらいかがでしょうか。
なおこのアプリは人材サービス会社パーソルホールディングスの子会社であるパーソルプロセス&テクノロジーが厚生労働省から受注し工程管理を行うというものですが、アプリの基盤は有志で集まったエンジニア集団「COVID-19 Radar Japan」がプライバシーと透明性を担保しながら無償で開発したということです。政府や厚生労働省が本当に信頼できるのかという向きもあるかと思いますが、一部バグがあったもののGoogleAppleのセキュリティー保護技術を活用し両社とも日本政府を支援しているとコメントを寄せているので一定の信頼性は担保できているものと思われます。
アンドロイド携帯の場合は下記のGoogle Playから
iPhoneの場合は下記のアップルストアからダウンロードできます。
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3】ウィズコロナ禍の新登山スタイル?
① 事前準備・・・
感染防止の規制や制限が残っているので、交通機関や登山コースの状況、宿泊予定地や経由地の状況をしっかり確認することが必要となります。富士山や南アルプスなどの山小屋はすでに今夏の閉鎖を決定しているようですし、7月1日や17日から営業予定のところも多く、また多くの小屋では完全予約で人数制限をしているようなので、よく確認しておくことが必要です。
体調管理についても登山1週間前から発熱・喉の痛み・咳が長引く・強いだるさ・味覚/嗅覚異常などの健康状態のチェックも念入りに行うことも必要でしょう。できたら検温して登山届けなどにも明記するなどの配慮が必要となるかもしれません。
小屋やテント場で・・・
夏山の山小屋やテント場は極めて蜜になりやすい状況です。そのため、今年は多くの山小屋が人数制限や感染予防の対策をとっていると思われます。小屋内ではマスクの着用が義務付けられるでしょうし、シュラフや携帯トイレなどを持参するよう呼びかけている山小屋も多いようです。無症状のCOVID-19のキャリアが多いということから、感染者がいるものと考えて食事や給水、排便時などは特に注意しなければならないでしょう。
③ 登山中・・・
登山中は基本的にはマスク着用は要らないようですが、頂上や渋滞が予想される場面では必要に応じてマスクの着用を考慮しなければならないようです。徐にマスクを取り出すのも気が引けるので。近頃ランナーなどが着用している日焼け防止も兼ねたバフ(フェースガード)を着用するのがいいかもしれません。また、鎖場やロープ場、梯子などの使用後は手をアルコール消毒するなどの措置も必要なようです。登山中や休憩中もソーシャルディスタンス(2m)を堅持するとなると、通常より時間がかかることも予想されます。集団を追い抜いたりすると白い目にさらされるかもしれません。また、人とすれ違う時には挨拶やぺちゃくちゃおしゃべりにも注意が必要です。使用済みのティッシュはジッバー付きの袋に入れて持ち帰るようにしたり、マスクやバフなどの置き忘れなどにも気をつける必要があるようです。面倒臭い感じですが、こんなことがハイキングや登山の新常識になってしまうのかも知れません。
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【4】ライブカメラでオンライン登山
リモートワークやオンライン飲み会などが話題になっていますが、ライブカメラで行った気分になるのはいかがですか。この時期、残雪の状況確認など山行の事前チェックにも便利です。
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【5】ライチョウの卵を中央アルプスへ
今年もライチョウの卵を中央アルプスへ移す作業が実施されました。国の特別天然記念物で絶滅のおそれがあるニホンライチョウの復活計画が進められている中央アルプスで、今年も環境省は生息が確認されている1羽のメスの巣に乗鞍岳で営巣しているライチョウの有精卵と移し替える作業を行ったそうです。環境省によりますと、7日までにこのメスが木曽駒ヶ岳の山頂付近に巣を作り7つの無精卵を温めていることを確認したことから、メスが餌を採りに巣を離れた隙に有精卵8つと交換したということです。昨年は無事孵化したものの5羽とも全滅してしまったので、今年は孵化した場合は人の手による保護も検討されているということです。中央アルプスに雷鳥が定着してくれることが期待されます。
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【6】秦野駅前に大量のヒルが出現
6月16日、小田急線秦野駅のロータリーに50匹以上のヤマビルがいるのが発見されました。丹沢ではシカが増えてきたことが原因とも言われていますが、毎年ヤマビルによる吸血被害が発生しており、駆除薬の持参が推奨されています。このヒルも登山客が連れてきてしまったと思われますが、そくなたくさんというのも不思議な感じがします。塩では対処しきれないので、ガスバーナーで駆除したということです。
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【7】行ってきました Now
緊急事態宣言解除後の「行ってきました」はS43年卒の田中さんの高尾山那須・茶臼岳八方尾根の3本になります。(写真だけですが)
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【8】編集後記
冒頭の解除後に一早く高尾山登山を楽しんでいたアベノマスクを付けた登山者ですが、実はS43年卒の田中廣明さんでした。NHKの夕方のニュースから流されていて、後輩にあたる木村泰樹さんに見つけられていました。
COVID-19の完全収束は困難な状況ですから、対応を”緩めたところに感染が発生する”ということが繰り返していくのでしょうから、「感染しない、感染させない」ように油断なく活動を広げていきたいところです。
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