1071年のワンゲル部山行記録が見つかりました。一覧表にも抜けていた記録です。「しおり」も含めて掲載しました。
2017年5月16日
1071年のワンゲル部山行記録が見つかりました。一覧表にも抜けていた記録です。「しおり」も含めて掲載しました。
2017年5月16日
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2017年5月4日(祝日)
ゴールデンウイークなので比較的近場で電車だけでアクセスできる山を物色していて日光の鳴虫山に行き当たりました。日光宇都宮道路を走っていて鳴虫山トンネル、神ノ主山トンネルという名が印象的だったので、前からどんな山なんだろうかと思っていました。
東武日光線の特急は全席指定だったので特急券をネットで確認したところ満席で取れませんでした。ちょっとナメていました。しかたなく、急行を乗り継いで東武日光駅まで行きました。
自宅を5時半に出て、8時16分に東武日光駅到着。男体山、大真名子山、女峰山、赤薙山などの日光連山がよく見えました。駅を出て間違えてJR日光駅まで行ってしまったので、20分くらいロスをしてしまいました。
鳴虫山ハイキングmap (東武鉄道ハイキングマッブから)
再度東武日光駅を越えて東照宮方面に進んで行きました。消防署を過ぎて国道を反対側に横切ります。しばらく行くと休憩所の四阿があり、そこが鳴虫山登山口への分岐になります。大谷川の支流を渡り、突き当たりを右に行くとすぐに鳴虫山登山口になります。
登山口から唐突につづら折れの山道になります。鳥居のある祠を過ぎて杉林の斜面を登って行きます。尾根に出ると842mの神ノ主山(こうのすやま)の頂上になります。
急な登りが続き、いくつもの小さなピークを越えて気持ちのいい尾根道を進んで行きます。梢から日光連山も眺められます。
木の根が張り出した急登が続きます。カタクリやアカヤシオツツジの花も少し残っていました。
さすがにGWだからでしょう、たくさんのハイカーを追い抜いて行きました。1103.5mの鳴虫山の山頂にはすでに先行者がおにぎりなどを食べていました。休憩できるスペースはまだありましたが、この後どんどん人が上がって来るので場所探しも大変なことになりそうでした。10人くらいのグループが登って来たので、30分ぐらいで頂上を後にしました。
頂上直下から急下降がはじまります。長い急な階段もある尾根道を下りて行きます。1084mの合峰のピークを過ぎるとまた急登が連続します。下から上がって来る年配のパーティーがいくつかありましたが、ここを登って来るのはとても大変そうです。ここは絶対登りたくないなと思いました。
独標へ登り返し、過ぎるとまた急な下りが連続します。ロープが設置してあるほとんど崖のようなところが続きます。
道が広くなってくると林道に出ます。鉄塔を超えて行くと日光宇都宮道路の下をくぐって行きます。道路は渋滞でノロノロ状態でした。
発電所脇を通って憾満ケ淵へ向かいます。水がとても綺麗でした。右手には「並び地蔵」(化け地蔵)というお地蔵様が台座の上に並んで安置されていました。初めて来ましたが、とても雰囲気のある所です。
海外で紹介されているのか、大勢の白人の観光客が来ていました。「かんまん茶屋」は蕎麦が名物になっているようです。ソフトクリームも美味しそうでしたが、遅くなると電車が混んできそうだったので、やめて先を急ぎました。
大谷川に沿って東照宮方向に進んで行きます。神橋まで来ると、溢れんばかりにたくさんの人が歩道にありました。湯葉の食事処などにも行列が、いろは坂方面への車道は大渋滞で全然動く気配がなく、さすがGWです。
まだ早い時間だったので幸い上りの特急の切符が取れました。東京までゆったりと帰れました。空席も結構ありましたが、栃木あたりから乗車する人も多く結局乗車率は100%だったでしょうか。
コースDATA
東武日光駅 (8:18) 8:28 日光街道分岐 8:38 鳴虫山登山口 8:43 天王山神社 8:50 神ノ主山 9:17 鳴虫山 10:22 合峰 11:37 独標 11:45 高速下 12:20 並び地蔵 12:25 憾満ケ淵 12:28 神橋 13:00 東武日光駅 13:35 (休憩見学等を含む)
S47年卒 手島
2016年5月12日
伊東駅 (天城東急リゾートシャトルバス) 天城高原ゴルフ場登山口8:50 万二郎岳9:40 馬の背10:00 万三郎岳10:35 下分岐10:40 片瀬峠10:50 ヘビブナ11:10 戸塚峠11:25 自由峠11:45 八丁池12:15 (昼食) 展望台13:10 向峠14:10 天城峠14:30 旧天城トンネル14:39 天城峠バス停14:40 修善寺駅
天城山は万二郎岳や万三郎岳などの連山の総称で、百名山にも数えられている自然豊かな山です。ブナやヒメシャラの大木やアセビやシャクナゲなど花も楽しめる山でもあります。
シャクナゲを期待して5月に登りましたが、残念ながら見頃は過ぎて少しだけ残っていた程度でした。天城山は昭和天皇や皇太子も登っている山で、そのためかもあってかよく整備されていました。
谷をトラバースして行きますが、下から沢の音が次第に大きくなりわさび田が現れます。バスの時間に間にあわせるために駆け足で天城峠に向かいました。
バスの時間にぎりぎり間に合いました。天城峠から狩野川沿いの414号線下田街道をゆっくりバスに揺られ、うとうとしながら修善寺駅に向かいました。
S47年卒 手島
2017年4月27日
連続した梯子と鎖場が印象的な岩山と紹介されてる石裂山(おざくさん)に行ってきました。
東北自動車道を鹿沼ICで降り、121号線を経由して240号線の上久我の加蘇山神社を目指して車を進めます。石裂山の南西には賀蘇山神社という似た名前の神社が246号線沿いにあるので、間違えないよう気をつける必要があります。バスもありますが、1日2便程度なので、マイカーが便利でしょう。駐車場からの全行程は4時間程度になります。
弘宣寺というお寺を過ぎて少し行くと左手に石裂山バス停があり、その先に加蘇山神社社務所があります。手前にトイレがあります。山中にはトイレがないのでので、ここで済ませておくといいでしょう。車道は細くなり山道を5分ほど行くと広くなった路肩に15台程度とめられる無料駐車場があります。
駐車場を少し進んで行くと、右手に加蘇山神社鳥居があり石段を上ったところに神社があります。神社の左手に登山口があります。神社の石段を上がらずにそのまま車道を直進しても登山道と合流しますので、どちらでも大丈夫です。神社の鳥居脇と登山道入口脇の3本の杉の大木は栃木県指定の天然記念物になっいます。
登山道は沢沿いの山道を登っていきます。全行程に石裂山回遊登山コースという道標もあり、梯子や鎖などよく整備されているものの、谷筋などでは道の選択には気をつける必要があります。
橋を渡り、小瀧などを見ながらしばらく進んで行くと竜ケ滝休憩所があります。滝を越えて先を行くと右手に「千本かつら」という加蘇山神社のご神木になっているという”かつら”の大木があり、その先が石裂山と月山との分岐点になります。石裂山へは左に進んで行きますが、帰りは月山を経由して右の道から帰ってくることになります。
竜ケ滝は雨乞いの滝とも呼ばれているようです。
中ノ宮跡の東屋を過ぎるといよいよ鎖場と梯子の登り下りが続くようになります。
梯子と鎖場が現れます。
鎖場を過ぎると「行者帰シノ岩」という名が付いている岩が右手に現れます。金属製のがっちりした梯子が付けられおり、その先に山の名前にもなっている石裂石という大岩があり、その岩穴の中に鳥居があり奥ノ宮の祠になっています。
奥ノ宮は行き止まりなので登って来た梯子を今度は降りて谷の左側に上がって行きます。
急斜面を根っこを手かがりにしながら登っていきます。金属製の梯子と階段を登り、ヒゲスリ岩をトラバースして行きます。広い斜面を上がり切るとと痩せ尾根になり登りきったところが東ノ剣峰になります。
東ノ剣峰を過ぎるといよいよ梯子が5、6段ぐらい連続するこのコースのメインイベントが登場します。写真で見ると大変そうですが、あまり高度感はありませんので、踏み外さないようにさえすれば高所恐怖症の方でも大丈夫です。
コルからまた登り返して行くと道標の立つ西剣ノ峰に到着します。右に降りて行くと展望台に出られますが、進路は左に向かいます。降り立った所が御沢峠で、急斜面を左に行き分岐点を経由して左手に行くと三角点と木に石裂山と表示が貼ってある石裂山の頂上に出ます。あまり見通しは良くありませんが、日光連山も眺められます。ビンクのヤシオツツジもまだ咲いていました。
分岐点まで戻りこのコース最後のピークになる月山方向に向かいます。月山までは0.4Km。月山頂上には石の鳥居があり、その先には半ば朽ちてしまってはいますが月読命を祀っているという祠があります。まだ11時前だったのでお昼には早い感じで、昼食は下山してとることにしました。昼食を山中で食べるなら、スペース的にはこの月山頂上がいいのかも知れません。月山からの下りは鳥居下から急下降します。
行きほどではありませんがいくつかの梯子や鎖場を通りますが、それほど急な所はありません。涸沢から小さな流れになった沢筋を何回か越えながら沢に沿って下りて行くと行くと、行きに通った分岐を経て竜ケ滝休憩所に着きます。
加蘇山神社駐車場に戻り、車での帰路につきます。途中、上久我の小学校跡地にある蕎麦処「久我」によって昼食。平日でも営業しており、とてもボリュームがある美味しいお蕎麦が食べられます。まもなくゴールデンウイークで田植えが始まるのか、水のはった田んぼが光っていてきれいでした。
コースDATA
(石裂山バス停) 加蘇山神社社務所(トイレあり) 加蘇山神社無料駐車場 8:00 加蘇山神社 8:05 竜ケ滝休憩所 8:33 千本かつら 8:39 中ノ宮 9:04 奥ノ宮 9:14 東剣ノ峰 9:52 西剣ノ峰 10:04 石裂山 1o:18 月山 1o:43 竜ケ滝休憩所 11:31 加蘇山神社駐車場 11:56
S47年卒 手島
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4月13日(2017年)
4、5年振りにあきる野市にあるトーマス・ブレークモア養沢毛針専用釣り場に行って来ました。養沢川は大岳山の綾広の滝、七代の滝の流れや御岳山からの流れの下流にあたる川です。上養沢からは上高岩山を経由して大岳山へ至るコースもあります。
ふライフ一シングでの釣行になりますが、残念ながらドライフライには全然反応がありませんでした。釣果はニンフでレインボーが7匹、ヤマメ1匹が本日の全てでした。他の人もドライには出てこなかったそうです。出て来たのはウグイだけだったということでした。
タックルはシマノのFREESTONE SCL #3 8’3″ リールは同じくシマノの FREESTONE LA3-4 ラインはDT-3F
S47年卒 手島
2017年4月24日
この時期ならではの雪を抱いた穂高を見たいと思っていた。1週間前からねらっていた連休前4月23日日曜日の長野松本地方の晴天という予報は崩れなかった。8時までには家に帰って来こなければならない都合がって滞在時間は4時間ほどしかなかったが、ゴールデンウイーク前のこの日しかないと日帰りで行って来た。
車窓から見た北アルプスには少し雲がかかっていたが、トンネルを抜けて大正池から見えた穂高には雲ひとつなかった。青い空にまぶしいくらいの白い雪がとてもきれいだった。見るだけでもったいないが、行って来てよかった。
上高地は外国からの団体客が大勢だったが、電車バスはさすがにゴールデンウイーク前なのでゆったりと座って行ってこられた。なにしろそうそうない天気に恵まれての1日だった。
DATA
上野駅6:22発 新幹線「かがやき501号」長野駅7:38着 7:45発 「しなの4号」松本駅8:35着 8:41発 松本電鉄上高地線 新島々駅9:12着 バスターミナル9:30発 上高地バスターミナル10:35着
上高地バスターミナル14:05発 新島々バスターミナル15:10 着 松本電鉄上高地線新島々駅15:25発 松本駅15:55着 16:04発「しなの15号」長野駅16:55着 北陸新幹線「あさま626号」17:09発 上野駅18:46着
S47年卒 手島
今回の雪崩遭難事故は栃木県高校体育連盟主催の2泊3日のテント泊による「春山安全登山講習会」で起こった。講習会参加者は大田原高校をはじめ県内の高校8校で、生徒51名と教員11名の合計62名であった。教員の登山経験については委員長他20年以上のベテランもいたが、死亡した教員については冬山経験はゼロだったということもあり、引率教員の雪山経験値についてはばらつきがあったようだ。
事故当日は講習会の最終日にあたり、茶臼岳の登山が予定されていた。本来、県内高校の山岳部などが冬季に標高1,500メートル以上の山を登る場合は事前に計画書の提出を受けて県の山岳連盟や山岳遭難防止対策協議会、高校体育連盟、県警などで構成する県設置の「登山計画審査会」の事前審査を受けることになっていたが、春山安全登山講習会ということで審査は経ていなかった。
事故当日の朝、前日からの積雪は30センチ以上にもなっており視界も悪いことから、経験豊富な委員長、副委員長と他の教員1名の判断で茶臼岳の登山は中止になり、同時に那須温泉ファミリーゲレンデの上部斜面でのラッセル訓練に切り替えられることになった。生徒5名はゲーターを持参していなかったので、ラッセル訓練には参加せず、結局このラッセル訓練に参加したのは生徒46人と教師9人の計55人であった。
ラッセル訓練は那須温泉ファミリースキー場の上部樹林帯の斜面で学校ごとにまとまった形で5班に編成されて実施された。先頭の1班は登山大会等での実力校であった大田原高の生徒12名で教員が2名、2班は真岡高生徒8名と教員1名、3班は矢板東高生徒5名及び那須清峰高生徒4名と教員3名、4班は宇都宮高生徒8名及び矢板中央高生徒3名と教員2名、5班は真岡女子高生徒4名及び矢板東高生徒(女子)2名と教員1名で構成されていた。雪崩発生当時、先頭の1班はすでに樹林帯を抜けた尾根上にあり、下方に2班。3班と4班は1班の後方にあり、5班はゲレンデ近くで待機中であった。
雪崩は午前8時半ごろ、尾根上部の大岩がある「天狗の鼻」あたりで発生し、森林限界を超えた尾根で凍結した下部の弱層に前日からの降雪が30センチ以上あり、160mにわたり滑り落ちた表層雪崩だったことが分かっている。雪崩発生後、本部への報告は後方で待機していた5班の教員が2班の教員からの連絡を受け、9時過ぎに本部である旅館に直接駆け込んで事故を報告している。本部は9時20分に警察に通報することになる。通報を受けた警察が救助隊を編成して現場に到着したのは雪崩発生からすでに3時間半を過ぎていた。
救助隊が現場に到着した時にはまだ雪に埋まっていた被害者もいたようだが、事故発生から救助隊が到着するまでの詳しい状況は警察の捜査が入っていることからか生徒等の精神的な配慮からか報道を通しては伝わってきていない。
死傷者は1班の大田原高校の12名のうち7名が死亡、引率教員2名のうち1名が死亡、他班を含めて残りのほぼ全員が重軽傷を負っていた。うち、骨折など重症者は7人出ている。1班が雪崩本体に巻き込まれ、下方にいた2班が派生した雪崩に巻き込まれたようである。
この研修会への参加は5月にに行われる大会に参加できる必須条件になっており、春山安全登山を学ぶためのものだったこともあり、研修会責任担当が雪崩を予見できなかったかという業務上過失の容疑の捜査が続けられている。
ビーコンやゾンデ棒などの装備上の必要性はともかく、雪崩に対しての予知や巻き込まれた場合の対処の仕方を指導教員は理解し指導に当たれていたのか、また春山安全登山に必要な研修なされていたのかも問われる部分である。
責任者の記者会見では「絶対安全だと判断していた。」とは言うものの、登山経験も豊富な指導者であり生徒や保護者からも信頼されている教師でもあったことから、少なからずリスクや判断の不確かさは感じていたものの、組織としての責任を問われるということになればそのようにしか答えられなかったのかも知れない。いずれにしても、教員個人としては教え子を死なせてしまった責任は逃れられないことは自覚していたであろう。
後の捜査で、責任者は今回ラッセル訓練をしたエリアでの雪崩は起きないものと認識していたというが、今回雪崩が発生したエリアでもかつて雪崩が発生していたという地元の方の証言もあった。また今回の研修会にも参加している教員が7年前に同様の研修で怪我はなかったものの雪崩に巻き込まれている事故が発生していることも分かってきている。
「絶対安全だと判断していた」という指導者の言も、新たな事実によって本当に防げなかった事故なのかと遺族・保護者の心は揺れているのではないかと思われる。
ややもすると経験則に頼りがちなベテラン指導者と経験不足のまま生徒を指導しなくてはならない顧問教員、高校生の雪山登山の是非、安全登山に必要とされる装備品などの問題も考えて行かなければならないのだろう。
文部省はこの事故を受けて「冬山登山の事故防止に関する緊急通知」として高校生以下の冬山登山を原則禁止することを改めて都道府県知事と各都道府県教育委員会に所轄の私立高校並びに公立高等学校、関係山岳団体にその旨を周知させ徹底指導するよう通知を出した。ただし、冬山登山という漠然としたくくりで、時期、対象地区、活動範囲等については規定していないようだ。しかし、単に高校生の雪山を禁止して済ませるわけにはいかない。本当に安全登山に必要な技能と知識をどう伝え、実践させて行くか問われるところである。(HP管理人)
正確を期すべく得られた複数の一般的な情報を元に記述しましたが、不正確な部分も含んでいるかもしれないことをお断りしておきます。ぜひ、更に正確な情報をお調べいただけるようお願いします。
事故に巻き込まれて亡くなられた被害者のご冥福をお祈りするとともに遺族の方々にお悔やみ申し上げます。
2017年4月20日
菅平牧場登山口(管理事務所割脇)8時 根子岳10時10分 分岐12時5分 四阿山12時半 分岐12時45分 中四阿山 登山口15時
この時期ならではの風景を求めて群馬と長野の県境にある百名山に数えられる四阿山に行ってきました。根子岳からの縦走です。思ったより結構な積雪でした。夏道が現れていたのは30%程度で、ほとんど深い雪面が広がっていたのでコースの選択と不安定な足場に苦労させられました。踏み抜くと膝上まですっぽりはまって抜けなくなるほどでした。ピンクのリボン指標も一部にしかついていなかったので根子岳以降ではトレースとGPSが頼りの登山になり、思ったより時間もかかってしまいました。
根子岳から四阿山に向けて岩稜の痩せ尾根がしばらく続きますが、回り込む斜面にも雪がしっかりついていて足場がなかなか確保できず、かなり怖い思いをしました。
頂上直下のやせ尾根にはあやしい2種類の動物の足跡が続いていました。
四阿山登頂後、分岐点で昼食をとりました。ここで今日初めて登山者と会いました。四阿屋ホテルから上がってきたという2人の年配の男女のパーティーでした。
牧場近くになって薄暗くなった深い谷筋で一度沢を渡らなければならないのですが、橋もなく渡渉地点を探すのに行ったり来たりで時間を要してしまいました。
S47年卒 手島
この四阿山はOB会月例山行で2005年10月の記録があります。