2004(平成15)年6月20日(日) 第19回総会

第19回OB会総会 飯島信義学園退職送別会 小石川後楽園 涵徳亭

台風が引き連れてきた熱風のため午後から急に蒸し暑くなった東京.緑生い茂る後楽園では、木立の陰で涼をとる多くの人々。
定刻に始まった会の冒頭では、今年3月末で学園を退職された飯島先生への記念品贈呈が行われ、引き続き先生からの獨協学園およびワンダーフォーゲル部との長い間(何と50年に及ぶ!)のかかわりについてのお話がありました。総会の議題である会長,幹事(会計)の人事は,佐藤八郎(’60年卒)、中野茂(’74年卒)の続投を満場一致で了承、続いて2003年度の会計報告も承認されました。
今回,はるばるメキシコから加藤先輩も参加されました.氏の関係する日本-メキシコ教育交流では、出席していた金先生ともコネクションが産まれ、今後獨協学園とも関係発展が期待されます。
テーブル狭しと並べられた多国籍料理(?)にふさわしく、金子氏の本場アルプス登山をはじめとする多くの国際的な話題で盛り上がった3時間でした。(常盤 記)

出席者:飯島義信(歴代顧問),金子雄一郎,金 有一(以上名誉会員),加藤直之(’56年卒),井上正巳(御夫妻),若井 永(以上’57年卒),千野一郎(’58年卒,御夫妻),植田一朗(’59年卒),佐藤八郎,常盤雪夫(以上’60年卒),坂井 格(’66年卒),長瀬 治,彦坂震三,本多 純(以上’68年卒),中野 茂(’74年卒),草深徹平,山口昇一(以上’91年卒)

   

2004(平成15)年5月2日(土)〜4日(月) OB会月例山行 博士山

月例山行  福島県 博士山1482m  福島県会津柳津町西山温泉 「新湯」

太刀を「佩(は)いて」峰伝いに通ったことに由来する博士山で、神々は会津盆地を発見したと伝えられています。古代のロマンを秘めた博士山周辺は、今紅葉(?)の真っ盛り。谷筋には雪が残り、淡い緑から濃い緑までの見事なグラデーションの中にちりばめられた赤、茶、黄色の木々の新芽、そして山桜が薄いピンクの色でソフトフォーカスを演出している様は、秋の紅葉にも劣らない見ごたえのあるものです。足元に目をやれば「こごみ」「フキノトウ」「山ウド」「タラの芽」「ぜんまい」「あわび」・・・と山菜の宝庫であることも納得。湯脈も豊富で、砂子原地区は全戸給湯とか、宿はむろん個別に湯泉を敷地内に持っています。そのせいか、湯温はかなり高く多量の水と「湯もみ」でやっと入れる状態に。近くには宇宙基地を彷彿させる地熱発電所があることを知れば、これまた納得。「道海泣尾根」は水場を過ぎてから急登になりますが,ほどほどに整備されていて変化もあるので時間さえ掛ければ「尾根上分岐点」に達します。そこからは細い尾根上、足元からえぐれているような大きなカールを左手に覗きながらそして時折の雪崩の音に下を見ればデブリ上を落下する雪塊といくつもの筋。多少の疲れを感じる頃「社峰」の小さな雪田に到達。さあここからは目の前に聳える「博士山」山頂目指しての雪田登行。雪がゆるんでいるので多少の歩きにくさはあるものの、見晴らしのよさに助けられ直登。丁度12時山頂着。近づく低気圧のせいか遠くは霞んで期待した眺望は得られず。那須の山並み、荒海山、尾瀬の燧ヶ岳を視認するのみ。下山は「尾根上分岐点」から「近洞寺尾根」コースをとる。傾斜は緩やかだが時間が掛かる。ひたすら歩くのみ。4時半過ぎ宿に戻る。冷えたビールを一気に飲む。美味い ! 神々に感謝 ! (常盤 記)

参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻)、千野一郎(’58年卒)、金 有一,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒),長瀬 治(’68年卒)、中野 茂(’74年卒

 

 

2004.5.2 案内文書

ワンダーフォーゲル部 顧問 新村三千夫

ワンダーフォーゲル部は総勢十数人の小さな運動部だ。「ザックを背負って校舎の階段を上り下りしている変な人たち」とか「獨協祭でアイスを売る部活」と一般生徒から誤解を受けている向きもあるが、規模こそ小さいものの登山技術と部員の士気は高く、月1回の山行と年に3回の合宿を中心に活発な活動を続けている。
中でも夏合宿は、一昨年の南アルプス塩見岳縦走、昨年の北アルプス剣岳-剣沢縦走と難易度の高いコースを中学生を含めたパーティーで踏破し、経験と実力を蓄えてきた。創部50周年にあたる今年の夏合宿は、日頃から後援をいただいているワンダーフォーゲル部OB会の協力のもとに北海道大雪連峰の縦走を計画し、成功させることができた。強風の吹く最高峰旭岳の山頂で,現役隊とOB隊が邂逅した瞬間の感動は忘れがたい。

活動の中でしばしば強烈に感じること、それは「自然こそが最高の教師」という一言に尽きる。自然は美しいけれども相手にするとなかなか手ごわい.自分のわがままは通用しないし、甘えたり馴れ合ったりもできない。雨が降れば濡れ雪が降れば凍える。
道は歩きやすい時もあれば最悪の時もある。衣食住の全てを自分たちで背負い、足りない分は我慢するしかない。判断行動の誤りは自分たちにはね返ってくる。道具を正しく扱うこと、五感使って情報を捉えることの大切さがわかる。
バーチャルな環境に囲まれて育ってきた今の子供達にとっては「キツイ」部活には違いない。家でゴロゴロしていたほうが楽だから。それでも時おり入部希望者はやってくる。今後も少数派でいいから充実した活動を続けていければと思う。

最後になりましたが理解し支えてくださる保護者の方々にはお礼の言葉もありません。安全面には気をつけてやっていますので、今後ともよろしくお願いいたします.

DWV顧問 新村三千夫


『獨協PTA会報 第59号平成16・3・10』獨協中学・高等学校P.T.A 発行「クラブ紹介」より転載

2004(平成16)年2月14日(土)〜15日(日) OB会スキー 湯沢

スキー      新潟県湯沢温泉  旅館「岸本」

現地で合流した植田一朗(’59年卒)、常盤雪夫(’60年卒),富樫克己(’68年卒)の3名は早速出掛ける。目指すは3山(ゲレンデ)制覇。先ずは湯沢高原へ。下って来たロープウェイには担架に横たわる負傷者1名。気を引き締めつつ、さらにロープウェイを乗り継ぎガーラ湯沢へ。長い登りには疲れる。そしてリフトを乗り継ぎ石打丸山へ。快晴と週末とが重なってスキーヤーおよびボーダーで賑う。気温が高く雪質は良くない。遅い昼食後、往路を逆行する形で、寄り道しながら宿へ向う。雪もやや締まってきて快適。5時本多純(’68年卒)君到着。夕食時より雨。かなり激しく、ナイタースキーを諦めそのまま宴会続行。翌朝はげしい吹雪。富樫、本多の両君は湯沢高原へ、植田氏は近くのファミリーゲレンデへ足慣らしに。常盤は沈殿。午後1時、杉嶋氏を偲んで皆で「うどんすき」を食した後、現地解散。(常盤 記)

2004(平成15)年1月25日(日) OB会新年会

新年初顔合わせ   目白駅前コマース4階  中華「ジャスミン」

佐藤会長および富樫氏からの今年度計画案およびスキー旅行についての説明の後は、「飲み放題」にまかせて談論風発。瞬く間と思えるほどの一夕となりました.(常盤 記)

参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻)、千野一郎(’58年卒)、植田一朗(’59年卒)、門倉捷郎,金 有一,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒),坂井 格(’66年卒),富樫克己、長瀬 治,本多 純(以上’68年卒)、中野 茂,柳原健司(以上’74年卒),朱牟田恒雄(’60年卒 特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2004shinnenkai.JPG

創部50周年記念現役OB合同登山  金 有一

年配の同窓生には「馬城」「目城」「めじろ」という名で親しまれた懐かしい年刊誌をご記憶の方も多いことと思います.ふとしたことから,図書館の学園資料室に大切に保存されている「めじろ72号」(1955年発行・発行人村松定孝)を手にする機会がありました.何気なく頁をめくっていると「ワンダーフォーゲル」と題された森本悌次,打矢之威 (昭31卒)両氏が寄稿された一文に目がとまりました.「今年から獨協にワンダーフォーゲル部が創立されましたが・・・」で始まる文章には,ドイツで誕生 したワンダーフォーゲルという国民的自然生活運動を天野貞祐先生のお話と重ね合わせ,「正直,勤勉,清潔,規則正しく」という四つのことを実行することに 他ならないと記されてあり,併せて創部時の諸先輩の方々の自然に対する熱意も語られていました.数えてみるとワンダーフォーゲル部が創られてかれこれ50 年になることも分かりました.偶然にも,私が現在クラブ顧問としてかかわっているワンダーフォーゲル部創部当時の状況を知り,先達の方々の苦労と熱き思い を垣間見て少なからず感動を覚えました。クラブ活動はその時代を反映し,栄枯盛衰を繰り返し受け継がれていますが,どのような経緯を経て今日に至っているか,現役部員には明らかでない場合が多いようです.そこで,創部50年を記念して,OBと現役の交流を 合同登山を通して実現させたいとの考えが抑えがたくなり,OB会に打診したところ,多くのOBの方々から賛同を得,実現の運びとなりました.登る山も記念 登山に相応しい北海道の大雪山・旭岳と決まりました.遠隔地でもあり合宿地の制限や現役部員の負担など解決しなければならない問題もありましたが,幸いに もOB会から団体装備と遠征費用にと,多額のご寄付をいただき難問も解決し,先輩方の激励もあり準備も整いました。

全コースをOBと現役が一緒に歩くことには制約もあり,第一日目の旭岳だけの合同登山となりました.参加メンバーは,創部当時を熟知し,還暦を過ぎた今でも元気に山登りを続けられている若井永(昭32卒),井上正巳(昭32卒)夫妻,千野一郎(昭33卒),常盤雪夫(昭35卒)と,若い世代のOBからは大橋友徳(平10卒),半田諭志(平12卒),石鍋健太(平13卒)が参加し,現役部員である中高生10人及び顧問2人の大所帯となりました.盛んに白い噴煙を上げる爆裂火口の地獄谷を左に見ながら、火山礫のガラガラしたきつい登りに果敢に挑み頂上をめざしました。北海道の最高峰からの眺めは正に雄大で、一同、征服感に浸りながらOBと現役の心が一つになったのを感じたひと時でした。

現役の諸君らは、これから50年、同行の先輩方と同じ年齢になる頃、ワンダーフォーゲル部は創部100年を迎えることも感じていたようでした。(獨協中・高ワンダーフォーゲル部顧問)

 「獨協通信」第61号(平成15年12月10日発行)ひろばより転
  

2003(平成14)年10月12日(日)~13日(祝) 秋の親睦会

秋の大親睦会    長野県小諸  獨協学園日新寮

散会時、佐藤会長挨拶
・・・本日は、こんなあいにくの天気のため「籠の登山」に登ることが出来なくて残念でした。でも、紅葉の素晴らしさを垣間見ることは出来ましたし、何より もまして昨日、生まれて初めて見るような美しい夕焼けの中でバーベキューと美味しい料理を楽しむことが出来ましたことは、参加された皆様のお蔭だと思いま す.帰りには渋滞が予想されています。十分気をつけてお帰り下さい。・・・

参加者:飯島義信(歴代顧問),金 有一(現顧問,’60年卒),井上正巳,若井 永(以上’57年卒),千野一郎(’58年卒,御夫妻),門倉捷郎,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒)富樫克己、長瀬 治(以上’68年卒),中野 茂,柳原健司(以上’74年卒),木村隆平,関 宏朗(以上’00年卒),園田尚正,鈴木義三郎(’60年卒),猿田浩美,風巻茂男(’70年卒),伊藤泰作,鈴木信高(お子様,以上特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003shinboku.JPG

2003(平成14)年9月13日(土)~14日(日) OB会月例山行 荒海岳

月例山行   福島県 荒海山1581m  会津高原「夢の湯」

戦後の一時期、そこでの生活者のために小学校まで持つに到った程に栄えたという今は無き鉱山跡に車を止め,登り始めたのは午 前8時半近く。台風一過のせいか空はどこまでも青い。尾根に出るまでの谷筋は風が通らないせいか蒸し風呂状態。尾根に出てあまりの風の強さに驚く。枯葉 の積もる尾根道は、適度なクッションがあつて歩き易い。まるで絨毯を敷いて客人を迎えて呉れているよう。そのもてなしも一山越えると一変する。倒木、岩.。おまけに見上げるような高さ10m程の急登(ロープ付き)が繰り返される。樹林帯の中なので展望はほとんど利かない。いやはや、何と手荒な歓迎なのか。すっかり体力を消耗する。少しでも平らな場所を求めて進むうち、いつの間にか石楠花それに続く笹藪の中にいて山頂が近いことを知る。狭い頂上だが、苦労を強いたのを詫びるように、山は360度の大展望というご馳走を用意していた。日光連山、那須の山々、昨年登った七ヶ岳・・・.筑波山まで遠望出来た。苦労のし甲斐のある山です。(常盤 記)

参加者:千野一郎(’58年卒)、井上正巳(’57年卒,御夫妻)、金 有一(’60年卒),佐藤八郎(’60年卒,御夫妻),常盤雪夫(’60年卒),富樫克己、長瀬 治(以上’68年卒)、中野 茂(’74年卒)園田尚正,猿田浩美(以上特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003arakaisan.JPG

2003.9.13 案内文書

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