1970年 丹沢表尾根縦走事故記録
6月21日当日、現地では死亡事故が発生して救助隊は神経過敏になっていた。
事件のあらましは、部員が体調をくずし歩行困難となり、これが全員に影響し山行時間が著しく遅れ、日没がせまってきたので「花立」で2グループに分け、本隊は花立小屋に宿泊することとして、他は連絡のため下山させる。
花立小屋経営者の高橋さんに小屋の使用を申し出たが、丹沢
遭難救助隊長をかねる高橋さんにとがめられる。
連絡不十分で事情不詳のまま21時30分現地より東京に連絡が
あって、救助要請がなされたので、22時40分、在東京の高梨よ
り救助を許可した。
翌日22日、高梨が現地に向かい、本隊と合流。同時に大湊野
警察、地元などに挨拶し救助諸経費を支払い、学校に引率する。
なお、本隊は花立小屋に戻ったところ閉鎖されていたので、
花立の営林署の小屋で宿泊中、真夜中に起こされ遭難を告げら
れ、花立小屋に収容。翌朝、救助隊に付き添われて下山、大倉
に止められていた下山隊と、駆けつけた高梨と合流した。
当時の救助諸経費は右のとうりである。
★隊員8人×4,500円=36,000円
★宿泊料(花立小屋利用者) 14人×550円= 7,700円
★食事代 20人×200円= 4,000円
★宿泊料 5人×550円= 2,750円
★電話料 1,500円
★駒止茶屋夜間休憩料・茶代 10人×100円= 1,000円
総計 52,950円 高梨先生のメモより