自己の記録を調べたのですがいつ会長をお受けしたか判明いたしませんでした。初代会長打矢氏が国内外で事業を展開されておられ多忙だったので会長代行的な時期が続きましたことも理由の一つです。
会としての活動状況は総会と秋は秩父のハイキングと下山後は1960年卒故杉島氏等のお世話による飯能河原でバーベキュー親睦会、忘年会等でしたが後に秋の親睦会場は小諸の「日新寮」に移し同じく1960年卒の常盤氏中心に1泊で子豚の丸焼きバーベキュー大会、翌日は自由参加の山行が開催されるようになりましたことはご存知の方も多いと思います。そして1993年、私から第3代会長故植田氏にバトンタッチした次第です。
長期に渡りDWVの顧問を続けてくださった故高梨先生は秋の親睦会には欠かさずご出席くださいましたのも懐かしい思い出ですが、同時にこのOB会がこのような組織になったのは先生の顧問時代と初期顧問の北村先生、太田先生、奥貫先生時代のOBとの橋渡しをしてくださったことと私は思っております。
私が卒業した1957年から数年間の親しかったOBで山行や飲み会などで親睦を図っておりました。その頃は「OB会」という意識ではなく同じ釜の飯を食った仲間感覚でした。
1985年10月20日に第1回のOB会総会が霞ヶ関「天星苑」で開催される運びとなったのはあるとき高梨先生とお会いした際に「先輩たちは創立初期のメンバーだけで集まっているようだ」と下の代からの声があるから纏めてはくれないかとお話をいただきました。先生の口添えで後輩達とお会いすることが叶いOB会設立総会開催に至りこの時一本の線となりました。
しかしこの線も現在は途中で切れているといってもよいような状況にありますので是非繋がりますよう願っております。