私が会長に就きましたのは、平成22年6月でした。本来ならば坂井格氏が会長に就く予定で内諾を得ていたのですが、総会の直前に坂井氏が入院を余儀なくされ、急遽。代役として就任した訳です。しかし、その頃の私は会計と案内状発送事務を勤めていたので、「両方ともは嫌だな。」と思っていた所、常盤雪夫氏より「会計と庶務は俺が引き受ける。」と言って頂きましたので、安心して会長に就いた次第です。
それから、平成28年まで会長職にいましたが、運悪く親父の末期と重なってしまい、催しへの参加は減ってしまいました。飛び切り軽い神輿を自認していましたけど、いないのでは話になりません。不在の会は殆ど常盤氏にお任せしてしまい、本文を以って改めてお礼申し上げます。
OB会についてですが、15年ほど前に銀座に有った “ 獨協俱楽部 ” を会場にしていた時期がありました。その折に接待係の女性から「これほど、上下仲の良い会はありません。素晴らしい会です。」と褒められた事があります。しかしながら、この “ 仲が良い ” というより、むしろ “ 良すぎる ” といった関係が、逆に一種、閉鎖的な会を作ってしまったのではないかと思うところがあります。
現状のOB会は、若輩者だった私が60を超えてしまいました。若手の参加も度々ありましたが、常連となるには至っていません。世代の切れ目が大き過ぎたというのが勝手な分析ですが、それよりも、「OB会は、山歩いて酒飲んでワッハッハーで良いんだ」と言う私の姿勢が受け入れられなかったのかもしれません。愚痴な話になりまして、すみません。とくに現在、現役を含めた若い世代との交流を図って目白の校舎に足を運ばれている、富樫現会長をはじめとする方々に、ありがたく思っております。