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2005(平成16)年1月23日(日) OB会新年会

新年初顔合わせ  神田駿河台 kiri 「壺」

出席者:飯島義信(歴代顧問),金子雄一郎,金 有一(以上名誉会員),井上正巳(’57年卒,御夫妻)、千野一郎(’58年卒)、植田一朗(’59年卒)、佐藤八郎(御夫妻),清水敏雄,常盤雪夫(以上’60年卒),坂井 格(’66年卒),長瀬 治,本多 純(以上’68年卒)、中野 茂,柳澤孝嘉,柳原健司(以上’74年卒),鈴木義三郎(’60年卒),猿田浩美(以上特別参加)

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2003(平成14)年11月23日(日) OB会月例山行 丹沢表尾根

月例山行    丹沢山系 塔ノ岳

好天に恵まれた3連休の中日、ヤビツ峠行きのバスを待つ登山者の長い列。待つことしばし、臨時バスで着いたヤビツ峠も、その先の登山口も人、人、人。思い起こせば、約40年前の丹沢といえば、水無川の沢登り専門だった。夜の新宿駅を後にして、渋沢の旅館で素泊まり(料金は確か100円位!と記憶している)。朝、本谷に直行し滝のしぶきを浴びながら岩登りを楽しみ、塔ノ岳からの長い尾根(馬鹿尾根と呼んでいた)に出て、膝がガクガクになりながら渋沢に戻るコースがほとんどだった。であるからして、登山道を埋め尽くさんばかりの人の多さには、最近静かな山ばかりを楽しんでいるものにとっては、多少興ざめの感を覚える。打ち上げ会の時間を確保すべく、予定を変更して、三ノ塔での昼食後下山する。(常盤 記)


参加者:千野一郎(’58年卒),井上正巳(’57年卒,御夫妻),金 有一,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒)富樫克己、長瀬 治(以上’68年卒)、中野 茂(’74年),猿田浩美(特別参加)

 

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2003.11.23 案内文書

2004(平成15)年9月19日(日)〜20日(祝) OB会親睦会

秋の大親睦会    長野県小諸 獨協学園日新寮

獨協学園・小諸「日新寮」は浅間山の南西約8.5kmに位置しています(地図参照)。その浅間山は9月1日の中噴火以来数回の小噴火をしていますが、現在の立ち入り禁止区域は火口を中心とした半径4Kmの円内です。大噴火の場合に予想される火砕流(熱雲)あるいは溶岩流による危険がもっとも心配されるのは、火口形状および地形的要素から北および北北東の地域が想定されているようです。噴火による降灰あるいは種々の臭いは上空の風に影響されるため,特に降灰はこの時期では南および南東の地域で観測され,東京でも降灰があったのは実際に体験したりメディアを通じての報道でご存知のことと思います。前日宿泊した軽井沢・南原地区ではまさに灰色の世界となっていて、風が吹くたびに木々の葉に積もった灰が舞うという状況でした。

天変地異の異状があってもおかしくない中、大親睦会に参加したのは総勢22名。豪華なヒレステーキと女性陣が腕を振るった盛りだくさんの料理,加えて飲み放題のアルコールましてや柳原さんのお嬢さん手作りのデザートがテーブル狭しと並べられ、バーベキュー大会は日没後おそくまで続けられたのでした。小諸市の街明かりは望見出来ても,ひょっとしてと期待した噴火による火映現象は樹木と上空の雲に邪魔されて見ることがかないませんでした。屋内に移動しての2次会も深夜遅くまで盛り上がっていたようです。

翌日は有志14名によるハイキング。池の平に車を駐車しての歩行時間は約30分。疲れを感じる間もなく着いた東籠ノ登山(2215m)山頂は強風が吹き荒れ、体感温度は10~12℃で寒い。平地は見渡せてもあるはずの山々の頂は判らず。もちろん浅間山は厚い雲の中。簡単な昼食とコーヒーを飲んでの下山となりました。(常盤 記)

参加者:飯島義信(歴代顧問),金 有一(名誉会員),井上正巳(順子御夫妻),若井 永(以上’57年卒),千野一郎(’58年卒,光子御夫妻),門倉捷郎,清水敏雄,佐藤八郎(加代御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒),富樫克己、長瀬 治,彦坂震三(以上’68年卒),中野 茂,柳原健司(彩乃ご家族,以上’74年卒),園田尚正,鈴木義三郎(’60年卒),伊藤泰作,佐藤せつ子(以上特別参加)

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2004(平成15)年6月20日(日) 第19回総会

第19回OB会総会 飯島信義学園退職送別会 小石川後楽園 涵徳亭

台風が引き連れてきた熱風のため午後から急に蒸し暑くなった東京.緑生い茂る後楽園では、木立の陰で涼をとる多くの人々。
定刻に始まった会の冒頭では、今年3月末で学園を退職された飯島先生への記念品贈呈が行われ、引き続き先生からの獨協学園およびワンダーフォーゲル部との長い間(何と50年に及ぶ!)のかかわりについてのお話がありました。総会の議題である会長,幹事(会計)の人事は,佐藤八郎(’60年卒)、中野茂(’74年卒)の続投を満場一致で了承、続いて2003年度の会計報告も承認されました。
今回,はるばるメキシコから加藤先輩も参加されました.氏の関係する日本-メキシコ教育交流では、出席していた金先生ともコネクションが産まれ、今後獨協学園とも関係発展が期待されます。
テーブル狭しと並べられた多国籍料理(?)にふさわしく、金子氏の本場アルプス登山をはじめとする多くの国際的な話題で盛り上がった3時間でした。(常盤 記)

出席者:飯島義信(歴代顧問),金子雄一郎,金 有一(以上名誉会員),加藤直之(’56年卒),井上正巳(御夫妻),若井 永(以上’57年卒),千野一郎(’58年卒,御夫妻),植田一朗(’59年卒),佐藤八郎,常盤雪夫(以上’60年卒),坂井 格(’66年卒),長瀬 治,彦坂震三,本多 純(以上’68年卒),中野 茂(’74年卒),草深徹平,山口昇一(以上’91年卒)

   

2004(平成15)年5月2日(土)〜4日(月) OB会月例山行 博士山

月例山行  福島県 博士山1482m  福島県会津柳津町西山温泉 「新湯」

太刀を「佩(は)いて」峰伝いに通ったことに由来する博士山で、神々は会津盆地を発見したと伝えられています。古代のロマンを秘めた博士山周辺は、今紅葉(?)の真っ盛り。谷筋には雪が残り、淡い緑から濃い緑までの見事なグラデーションの中にちりばめられた赤、茶、黄色の木々の新芽、そして山桜が薄いピンクの色でソフトフォーカスを演出している様は、秋の紅葉にも劣らない見ごたえのあるものです。足元に目をやれば「こごみ」「フキノトウ」「山ウド」「タラの芽」「ぜんまい」「あわび」・・・と山菜の宝庫であることも納得。湯脈も豊富で、砂子原地区は全戸給湯とか、宿はむろん個別に湯泉を敷地内に持っています。そのせいか、湯温はかなり高く多量の水と「湯もみ」でやっと入れる状態に。近くには宇宙基地を彷彿させる地熱発電所があることを知れば、これまた納得。「道海泣尾根」は水場を過ぎてから急登になりますが,ほどほどに整備されていて変化もあるので時間さえ掛ければ「尾根上分岐点」に達します。そこからは細い尾根上、足元からえぐれているような大きなカールを左手に覗きながらそして時折の雪崩の音に下を見ればデブリ上を落下する雪塊といくつもの筋。多少の疲れを感じる頃「社峰」の小さな雪田に到達。さあここからは目の前に聳える「博士山」山頂目指しての雪田登行。雪がゆるんでいるので多少の歩きにくさはあるものの、見晴らしのよさに助けられ直登。丁度12時山頂着。近づく低気圧のせいか遠くは霞んで期待した眺望は得られず。那須の山並み、荒海山、尾瀬の燧ヶ岳を視認するのみ。下山は「尾根上分岐点」から「近洞寺尾根」コースをとる。傾斜は緩やかだが時間が掛かる。ひたすら歩くのみ。4時半過ぎ宿に戻る。冷えたビールを一気に飲む。美味い ! 神々に感謝 ! (常盤 記)

参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻)、千野一郎(’58年卒)、金 有一,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒),長瀬 治(’68年卒)、中野 茂(’74年卒

 

 

2004.5.2 案内文書

ワンダーフォーゲル部 顧問 新村三千夫

ワンダーフォーゲル部は総勢十数人の小さな運動部だ。「ザックを背負って校舎の階段を上り下りしている変な人たち」とか「獨協祭でアイスを売る部活」と一般生徒から誤解を受けている向きもあるが、規模こそ小さいものの登山技術と部員の士気は高く、月1回の山行と年に3回の合宿を中心に活発な活動を続けている。
中でも夏合宿は、一昨年の南アルプス塩見岳縦走、昨年の北アルプス剣岳-剣沢縦走と難易度の高いコースを中学生を含めたパーティーで踏破し、経験と実力を蓄えてきた。創部50周年にあたる今年の夏合宿は、日頃から後援をいただいているワンダーフォーゲル部OB会の協力のもとに北海道大雪連峰の縦走を計画し、成功させることができた。強風の吹く最高峰旭岳の山頂で,現役隊とOB隊が邂逅した瞬間の感動は忘れがたい。

活動の中でしばしば強烈に感じること、それは「自然こそが最高の教師」という一言に尽きる。自然は美しいけれども相手にするとなかなか手ごわい.自分のわがままは通用しないし、甘えたり馴れ合ったりもできない。雨が降れば濡れ雪が降れば凍える。
道は歩きやすい時もあれば最悪の時もある。衣食住の全てを自分たちで背負い、足りない分は我慢するしかない。判断行動の誤りは自分たちにはね返ってくる。道具を正しく扱うこと、五感使って情報を捉えることの大切さがわかる。
バーチャルな環境に囲まれて育ってきた今の子供達にとっては「キツイ」部活には違いない。家でゴロゴロしていたほうが楽だから。それでも時おり入部希望者はやってくる。今後も少数派でいいから充実した活動を続けていければと思う。

最後になりましたが理解し支えてくださる保護者の方々にはお礼の言葉もありません。安全面には気をつけてやっていますので、今後ともよろしくお願いいたします.

DWV顧問 新村三千夫


『獨協PTA会報 第59号平成16・3・10』獨協中学・高等学校P.T.A 発行「クラブ紹介」より転載

2004(平成16)年2月14日(土)〜15日(日) OB会スキー 湯沢

スキー      新潟県湯沢温泉  旅館「岸本」

現地で合流した植田一朗(’59年卒)、常盤雪夫(’60年卒),富樫克己(’68年卒)の3名は早速出掛ける。目指すは3山(ゲレンデ)制覇。先ずは湯沢高原へ。下って来たロープウェイには担架に横たわる負傷者1名。気を引き締めつつ、さらにロープウェイを乗り継ぎガーラ湯沢へ。長い登りには疲れる。そしてリフトを乗り継ぎ石打丸山へ。快晴と週末とが重なってスキーヤーおよびボーダーで賑う。気温が高く雪質は良くない。遅い昼食後、往路を逆行する形で、寄り道しながら宿へ向う。雪もやや締まってきて快適。5時本多純(’68年卒)君到着。夕食時より雨。かなり激しく、ナイタースキーを諦めそのまま宴会続行。翌朝はげしい吹雪。富樫、本多の両君は湯沢高原へ、植田氏は近くのファミリーゲレンデへ足慣らしに。常盤は沈殿。午後1時、杉嶋氏を偲んで皆で「うどんすき」を食した後、現地解散。(常盤 記)

2004(平成15)年1月25日(日) OB会新年会

新年初顔合わせ   目白駅前コマース4階  中華「ジャスミン」

佐藤会長および富樫氏からの今年度計画案およびスキー旅行についての説明の後は、「飲み放題」にまかせて談論風発。瞬く間と思えるほどの一夕となりました.(常盤 記)

参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻)、千野一郎(’58年卒)、植田一朗(’59年卒)、門倉捷郎,金 有一,佐藤八郎(御夫妻),常盤雪夫(以上’60年卒),坂井 格(’66年卒),富樫克己、長瀬 治,本多 純(以上’68年卒)、中野 茂,柳原健司(以上’74年卒),朱牟田恒雄(’60年卒 特別参加)

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