tejima のすべての投稿

2003(平成15)年1月25日(土)~26(日) OB会スキー 湯沢

スキー     南魚野馬郡湯沢町  民宿岸本 泊

初日午後は現地で集合した5人による「岩原ゲレンデ」での初滑り。いきなりの急斜面にとまどいながらも、それぞれで1年間の空白を取り戻すべくスキー操作のチェック。連続2本。天候は雪。寒い! 大 休止の後、広いゲレンデを縦横無尽に使って連続3本の滑降を楽しみ宿へ。早速宴会。食事後、本多君だけがナイターへ。その間も宴会は続き午前1時30分就 寝。翌日は「ガーラ湯沢」へ。ド・ピーカンの下、八海山(入道岳)・越後駒・巻機・大源太・朝日岳とこれに続く谷川連峰の圧倒的大展望と紺碧の空に向かう 樹氷の木々を堪能しつつ、『岬めぐり』を口づさみながの大滑降。現地で会合した猿田さん等女性3人グループとの昼食後は、これまた上級者コースでの滑りを 楽しむ。女性陣と別れた後、ロープウェイを乗り継ぎ「湯沢高原」を経て宿に戻る。(常盤 記)

参加者:千野一郎(’58年卒)、植田一朗(’59年卒)、常盤雪夫(’60年卒)、富樫克己、長瀬 治、本多 純(以上’68年卒)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003ski-4.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003ski-5.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003ski-1.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003ski-2.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2003ski-3.JPG

2002(平成14)年11月23日(祝) OB会月例山行 高山

月例山行   高山1668m      栃木県日光

前日からの霧降高原にてのキャンプ組と当日早朝発電車利用日帰り組とは、予定どうり石楠花橋駐車場にて合流。4月に続いて2度目の高 山登山です。積雪期の山歩きが目的の1つではあったのですが、10月に下界を唐突に訪れた冬の寒さも一段落したこの時期では、期待したほどの積雪ではあり ません。積もっているところで登山靴の踝がやっと隠れる程度。葉を落とした木々の間から望まれる男体山、大小の真名子山などは谷筋に白いものが見えるだ け。さすが上越国境に近い白根山だけは白く輝きその威容を誇っていました。風もなく、日差しに恵まれた頂上にも雪はなく、陽だまりでは早春の奥多摩にいる ような気分でもありました。下山ルートは、前回と変えて小田代原方向へ。途中、戦場ヶ原展望台に立ち寄りながら、唐松林の中の初冬の日光散策を楽しんだ1 日でした。(常盤 記)

参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻),佐藤八郎(’60年卒,御夫妻),常盤雪夫(’60年卒),長瀬 治、彦坂震三、富樫克己(以上’68年卒)、中野 茂(’74年卒),猿田浩美,園田尚正(以上特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002takayama-1.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002takayama-2.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002takayama-3.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002takayama-4.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002takayama-5.JPG

2002.11.23 案内文書

2002(平成14)年10月13日(祝)~14日(祝) 秋の親睦会

秋の大親睦会   長野県小諸  獨協学園日新寮

昨年9月のBSE(狂牛病)問題とそれに続く一連の偽装工作事件の余波をまともに受けて、業者から仔豚を入手することが出来ず、「仔豚の丸焼き」は親睦会開催以来初めて”頓挫”することになってしまいまし た。ワンゲルOB会にとっても”とん”だ迷惑をこうむった結果となりました。しかし、参集した30人余+犬2頭はそんなことにはめげません。急遽、メイン料理を牛とし「サイコロステーキ」を好天の下、野趣溢れる中で堪能することになりました。「仔豚」の姿はなかったものの、参加した女性陣や腕をふるう男性 陣の手作りによる「豚汁」、「やきそば」、「チャンチャン焼き」・・・などの定番料理がテーブルを飾り、そういえば「餃子」「りんごサラダ」もあって美味 しく楽しく味わうことが出来ました。日暮れとともに会場を室内に移つし、時間無制限の大放談会です。1年ぶりに会う仲間、新しい友との会話が夜遅くまで続 きました。翌14日は参加者揃っての朝食後、有志(といっても大半)で「烏帽子岳」(2066m)山頂を目指しました。高峰高原・車坂峠付近の紅葉の見ご ろはまだまだ先と言ったような風情も、高度を稼ぐにつれ一変し、いつもなら見事な朱色に染まっている「ドウダンツツジ」や「ナナカマド」はもはや落葉して いるという始末。最盛期の見ごろの時期を少しばかり外した印象です。それでも雲間からの太陽に照らされた「唐松」林の黄色は、秋の叙情たっぷりで、「アグ ファカラーの世界」(園田氏 特別参加)の言葉がぴったりとあてはまり、癒しのひとときを味わせてくれました。(常盤 記)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002shinboku-1.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002shinboku-3.JPG

 

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002shinboku-2.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002shinboku-4.JPG

2002(平成14)年9月14日(日) OB会月例山行 会津七が岳

月例山行   会津七が岳  福島県会津高原 満寿屋旅館泊

前夜宿泊した宿の車2台に分乗して羽塩登山口まで送ってもらう。きのこ取りの地元の人達と連れ立つように出発したのが8時近く。しばし、道路建設による自然破壊の現場のひどさの説明を聞きながら、『平滑沢』 入り口にて別れる。いよいよ遡行である。思い返せば、何十年ぶりの沢登りになるのだろうか。期待と緊張感に足元を引き締める。前夜来の雨のため多少水かさは増しているというものの、飛び石伝いに歩ける。ふと見上げると、ゆるやかな一枚のスラブ。水流は細いのが2~3本。慎重に足を運べば意外と滑らない。途中、急な滝登りの箇所もあるが、ロープが張ってあるし探せばステップらしきものもあるので危険はない。巻き道はない。谷筋が狭くなって、源流点と思われるところまでおよそ1時間。そこから上は岩場の連続。岩と岩の間を身をよじる様にすり抜けたり、見上げるような大岩へのチャレンジもある。石楠花の根に足場 を頼って、急登に疲れを感じる頃、森林限界を過ぎいきなり尾根筋に出る。頂上まで5分である。小雨は止んだものの、絶景は雲間にあって何も見えず。冷えた 身体に暖かいスープとコーヒーがうまい。下りでは尻餅をついて服を汚すものの、予定より早く無事下山。登山者も少なく、「会津百名山」の面目躍如といったところである。余談だが、餅といえば登山道に多数落ちていた『栃の実』で作る栃餅は、薬効もあって美味しいということを、その後の検索で知る。(常盤 記)


参加者:井上正巳(’57年卒、御夫妻)、金 有一(名誉会員)、佐藤八郎(御夫妻)、常盤雪夫(以上’60年卒)、長瀬 治、彦坂震三、富樫克己(以上’68年卒)、猿田浩美(特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002.9.15aizunanatsugatake.JPG

「大学進学」を考えるのなら, 将来,何をやりたいかくらいは“イメージ”しておこう!渡辺知也

私は20年間の滞独生活の後,バブルの最中に大学教員になった。そして今、最近の学生の変わり方に,ただ驚くばかりである。不況の氷河期にあって、遊んではいられないと、目標の見える方向に向かって一生懸命に勉強する学生の姿が目立つ。それも、かつては実学と呼ばれた商学,法学、理工の分野ばかりではない、文科系の学問にも大いに関心が集まり始めた。
難関大学の法学部出身で一流企業に入った自分の父親がリストラにあい、途方に暮れている姿に直面したのかもしれない。一方、実学とは無関係な抽象的なことを学んだ学生が、幅広く社会の隙間に入りこみ、実効性のある仕事をこなしている例はいくらでもある。大学に入る前にはもちろん,何を学びたいかを知らなくてはならない。ただ,その際に大学で勉強したことを、そのまま一生続けられることはむしろ例外である。例えば、法学部→司法試験→弁護士といった幸運な人間は非常に少ない。ほとんどの人間は、大学で学んだことの周辺で,あるいはまったく無関係な分野で仕事をしている。その際肝心なことは,新しい社会への適応性である。それはことに,わけのわからないことを学んだ学生に際立っている。理由は明らかである。現代社会は巨大な産業設備にではなく、今まで無視されてきた人間存在自身に社会の関心が向けられている。これは無限の広がりをもつ研究分野であり,仕事は無尽蔵にある。今やっと難関大学→一流企業という幻影から解放されて,自分のやりたいことに向かって進めば、可能性は後から追いかけてくると考えればよいのだ。
日本の社会も今やっと氷河期のど真ん中にあって,この点に気づき始めた。つまりはやっと一人前の大人になろうとしている。学生の態度が大きく変わったわけだ。大学とはその方法を自分で探るところなのだと考えれば,必ずしも難関大学である必要なぞない。ただ自分で何がやりたいかは,大学に入る前に知らなければならない。ただし、それも年を重ねるごとに変わるものだということも忘れてはいけない。

大阪女子大学人文社会学部教授  渡辺知也(’59年卒) 2003.5.13(1941年生まれ)

旺文社『螢雪時代』’02年「8月臨時増刊号」所収を改題・再構成
構成:長瀬治(エ・デュース)

2002(平成14)年6月23日(日) 第17回総会

第17回 OB会総会    東京銀座「獨協倶楽部」

折りしも日韓共催によるワールドカップの最中、高校時代にはワンゲル部とともにサッカー部にも在籍したことのある杉嶋佑一君(’60年卒,5月逝去)のご冥福を祈っての黙祷そして献杯で会は始まりました。早 速、会長および幹事の人事についての議題を討議しましたが、会長:佐藤八郎(’60年卒),幹事:中野 茂(’74年卒)両氏の続投を満場一致で決議し、その後会計報告を了承しました。今回の総会では、遠く愛知県から山田氏、一番若い関君そして千野氏、高島氏、富樫氏、高野氏という普段ではお目にかかれない先輩および中堅の方々の多数の出席者を得て、懇談の時間が足りないのではと思わせるほどの盛り上がりとなりました。最近山に登るよりも釣りに夢中の坂井氏の北海道土産を分けるときは、年も忘れてジャンケン勝負に皆が真剣に挑んでいました。大盛況でした。(常盤 記)


出席者:飯島義信(元顧問),金子雄一郎(名誉会員),井上正巳,若井 永(以上’57年卒),千野一郎(’58年卒),植田一朗(’59年卒),佐藤八郎,常盤雪夫(以上’60年卒),高島 徹(’62年卒),山田哲男(’64年卒),坂井 格(’66年卒),長瀬 治,彦坂震三,本多 純,富樫克己(以上’68年卒),高野義夫(’73年卒),柳澤孝嘉,中野 茂(以上’74年卒),関 宏朗(’00年卒)

2002(平成14)年5月12日(日) OB会加藤氏歓迎会

加藤先輩歓迎会    東京小石川後楽園「涵徳亭」

メキシコ国在住・造園業を営まれている加藤直之氏の日本への一時帰国を機会に、都内随一の野鳥の数を誇る小石川・後楽園「函徳亭」日本間で歓迎会が開かれました。加藤氏は獨協学園ワンダーフォーゲル部の創部者の一人ですが、同じく創部に参画した諸先輩も出席され、創部時の苦労話からそれに続く山行での秘話そしてメキシコのお国事情さらにはなんとパンダにまつわる話題にも発展し、普段は聞けない珍しくも面白い話に、緑濃き木立からの爽やかな風とともに美酒を楽しむ会となりました。(常盤 記)


出席者:赤瀬 暁(御夫妻),打矢之威(御夫妻),加藤直之,丸山 進,森本悌次.以上 ’56年卒, 井上正巳,植村俊則,若井 永.以上 ’57年卒 千野一朗(’58年卒),植田一朗,川口昇司.以上 ’59年卒, 門倉捷郎,佐藤八郎,常盤雪夫.以上 ’60年卒, 坂井 格(’66年卒),上原 啓(特別参加・在日メキシコ合衆国大使館)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/katou-kangeikai.JPG

 

2002(平成14)年5月3日(祝)~4日(休) OB会月例山行 鋸山

月例山行  鋸山764m  新潟県長岡  長岡市蓬平温泉 和泉屋旅館泊

◆JR長岡駅頭に待たせておいたワゴンタクシーにて、越後平野をひた走る。車窓左右に広がる田んぼでは、田植えの真っ最中・・・。総勢9名が目指すは、長岡市と栃尾市の境に位置する『鋸山』だ。吉 を経てまもなく登山道入り口(天狗の泉)で下車するも、すでに辺りは先人らの乗用車がずらりと並ぶ。その多くは、山菜取りだという。ストレッチ後、登山開 始。小川の脇の湿地には水芭蕉が大きな蕾をつけ、木々の間ではウグイスが鳴き声を競う。高度差は少ないもののだらりだらりとひたすら上りが続く。そして、 暑い!(今年初めての夏日だつた)。小道の両側に咲く可憐な「カタクリ」の薄紫色の花に、「これは珍しい・・・。感動した!?」と金有一が歓声をあげ、早速、撮影である。これをチャンス?とばかりに小休止。そんなこんなを繰り返しながら、およそ2時間で山頂へ。雪を頭にのっけた越後三山-八海山、中ノ岳、 駒ケ岳を指呼の間に望むが、あいにく日本海、佐渡島はかすみに隠れて見えない。下山は往路を戻る。全行程約5時間。


◆宿泊地は、小千谷市との境界に位置する長岡市蓬平(よもぎひら)温泉の『和泉屋』。いわゆる温泉街はなく、近隣に3、4軒の宿泊施設が点在する閑静な温 泉地だが、決して山深い温泉郷ではない。造りは゛和風ホテル゛といった感じで、鉄筋6階建て。「いままでの山行で、一番豪華じゃないか・・・」という佐藤 八郎に、宿探しに奔走した中野茂がすかさず「値段が値段ですからネ」と言い切る。して、その値段の゛一泊一万五千円゛に「たまにはイインじゃない の・・・」とは井上正巳。さらに、「戸隠の『柏屋』なら3泊できるナ」と、自分の定宿『柏屋』にかつてみんなを案内した長瀬治がちゃちゃを入れ、「中野は ホントによくまとめてくれる・・・」と彦坂震三が静かにつぶやく。で、食事、施設、サービスなどいろいろ含めて、極甘で「★二つ」が妥当。「特色がない」 がその一番の理由。


◆翌日は、女性たちの声に応えて?の゛観光旅行゛だ。ワゴンタクシーを借り切り、小雨が降ったり止んだりの曇天のなか、小林一茶ゆかりの柏原一帯を巡り、 寺泊を抜けて日本海を北上。゛信仰゛と゛博打゛がフシギに共存?の弥彦神社を詣で、食器作りを地場産業とする燕市の「食器展示センター」を見学。そして JR燕駅から全員が新幹線に゛飛び乗り゛帰京した。(長瀬 記)


参加者:
金 有一(’60年卒 名誉会員・獨協学園)、井上正巳(’57年卒,順子、御夫妻)、佐藤八郎(’60年卒,加代、御夫妻)、長瀬 治(’68年卒)、彦坂震三(’68年卒)、中野 茂(’74年卒)、猿田浩美(特別参加)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002.5nokogiri-2.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002nokogiri-1.JPG

2002(平成14)年4月13日(土) OB会月例山行 高山

月例山行   高山 1668m        栃木県日光

「お気に入り」に追加する静かな山です。途中出合ったのは頂上での二人組みのワンパーティーだけ。それも、互いのコースが逆とあらば、我々だけの独占に近いものです。生息する(糞はいたるところに多量!)という日本鹿の乱舞もさもありなんと感じました。下調べでの「眺望は良くない」のは確かですが、その印象は登山時期と天候で大きく異なります。葉を落とした雑木の間からは、戦場ヶ原を取り囲むように聳える男体山、大小の真名子山そして日光白根山の威容をまのあたりにすることが出来ます。特に上越国境の山々は いまだ完全な冬化粧。それを登山コース上に残る堅い残雪と木立の新芽に春を感じながら眺められるのは、中禅寺湖を従えた『高山』のこの時期の最大の魅力でしょう。それにしても最後に寄った『竜頭の滝』は,個人に所有権があったとは・・・。(常盤 記)


参加者:井上正巳(’57年卒,御夫妻),佐藤八郎(’60年卒,御夫妻),常盤雪夫(’60年卒),長瀬 治(’68年卒), 中野 茂(’74年卒)

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002nikkou.takayama-1.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002nikkou.takayama-2.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002nikkou.takayama-3.JPG

http://www.dokkyowv-ob.com/images/2002nikkou.takayama-4.JPG

2002.4.13 案内文書

2002(平成14)年3月17日(日) OB会月例山行 大霧山

月例山行   大霧山766m  埼玉県 東武東上線小川町駅下車

’02年度の初 山行である外秩父『大霧山』(埼玉県小川町,766m)には、ゲスト会員も含めて総勢10名が参加。’57年卒から’74年卒と、その年代差に17年の開きもあるわが一団は、近年はやりの中高年登山ご一行様から、「どんな関係のお仲間ですか?」(裏を返せば「なんなんだコイツラ」)と、羨望ともやっかみともとれるお決まりの質問を、ここでもやはり受けるのだった。よほど異色の集団に映るのだろう、まわりの人たちにとっては・・・・。そんな視線もものかは、われわれは団子状態で、あるいはひとり取り残されたりと、騒々しくも、また静かに山鳥の囁きに耳傾けながら、それぞれ好き勝手に新春の山に遊ぶのだった。で、頂きに立ち、春霞に浮かぶ連山を肴にワイン、ウィスキーをきれいに胃袋に収めた後、次なる目的地である反省会に名を借りた、お約束の¨大宴会¨をめざして、早々に下山するのだった。¨歩数¨よりも¨ダベリ?での口の開閉回数¨が常に大幅に上回り、かつ¨歩いている時間¨より、¨酒を呑んでる時間¨が圧倒的に長いというOB会は、こうして今年もぶらりブラリと歩いていくのだー(長瀬 記)。


参加者:名誉会員/金 有一(’60年卒 獨協学園). OB会員/井上正巳(’57年卒),佐藤八郎(’60年卒),常盤雪夫(’60年卒) ,彦坂震三(’68年卒),長瀬 治(’68年卒),
中野 茂(’74年卒). ゲスト会員/川成洋,佐藤加代,猿田浩美.