元旦の高尾山頂は閉鎖
東京都は高尾山の山頂である「大見晴園地」を12月31日午後5時から来年1月1日午前7時まで閉鎖することを発表しました。
高尾山は元旦に初日の出を見ようとたくさんの人が訪れる名所にもなっていますが、新型コロナウイルス感染症拡大の予防のためのやむを得ない措置という事です。
1号路は高尾山薬王院まで登ることはできるようです。また、稲荷山コースからの入山は出来ず、6号路は琵琶滝分岐から上へは上がれないようです。
中高年登山のバテない体づくり
2018年11月のメールマガジンから転載した記事になります。
登山やトレッキングはゆっくり歩いている分には乳酸がたまることなく歩き続けることができるので、中高年のスポーツとしてはとても向いているそうです。
中高年登山の基本はスロースピード。1.5倍くらいの時間設定のもとに計画を立てることが必要なようです。
ただ、中高年でもトレーニング次第で1拍動で送ることのできる血量を増やしたり、心拍数を少なく調整出来ることによって疲れにくい体を作ることができるそうです。また、栄養の摂取や休憩の仕方などもバテない山行をする上で大事なポイントになるということです。
①筋トレによる最大酸素摂取量の向上とストレッチ
踏み台昇降や速歩を週3回程度、1日30分〜40分程度のオーバーロード(過負担)のトレーニングにより向上させることが出来るようです。また、山行の前と後にはストレッチに努めることが効果的なようです。
②効果的な栄養の摂取と休憩
日頃からタンパク質やビタミンなどをバランスよく摂取し、山行前には糖質を十分摂取して蓄積しておくとがバテないからだを作っていくことになるそうです。
また、登山中は糖質やナッツ類(マグネシウム)をこまめに摂取することがいいそうです。昼食としてまとまった食事は摂らず、行動食だけで済ませることも考慮できるということです。
小休止は立ったままで心拍数が平常値になるまで屈伸などをするなどしながら休むのがいいそうです。また、大休止は足を心臓より高くして座って休むようにし、疲れた場合は横になって休むと回復が早いそうです。昼寝も効果的なようです。
==出典は山歩きのサイエンス(中高年の健康と医学Q&A) 宮下充正著から=
2018年11月のメールマガジンから転載しました。
山岳遭難と伝書鳩
今でこそ山岳遭難事故でも携帯電話で救助要請をすることが一般的になっていますが、1960年代あたりまでは伝書鳩がその役割を担ってもいたようです。伝書鳩は明治時代になってから軍事目的の通信手段として導入されて以来、広く使われるようになっていました。
1960(昭和35)年9月19日に谷川岳一ノ倉沢の衝立岩で起きた登山者2人の宙吊り事故がありましたが、その時にも事故の写真をいち早く伝えようと新聞記者が土合小屋の遭難救助用の伝書鳩を借りてフィルムのパトロネーを鳩の体に結びつけて飛ばしたそうです。
山岳遭難の防止と救助を目的に伝書鳩を利用しようとしたのは、北アルプスの登山基地である大町で三田旭夫氏が伝書鳩を使うために昭和11年(1936)に中部山岳鳩協会を設立し、昭和16年まで大町駅前で登山者に伝書鳩を貸し出していたのが最初のようです。
上越線の開通とともに谷川岳は一ノ倉沢をはじめバリエーションルートでの遭難事故が多発しており、「魔の山」として名を馳せていました。谷筋のために無線もなかなか通じない所でもあったために、いち早く事故を伝える手段として昭和33年に土合駅近くに鳩小屋を作って500羽もの鳩を飼育し、登山者に無料で伝書鳩を貸し出していたそうです。登山者は鳩の入っている箱を担いで登ったそうです。鳩は麓の鳩小屋まで3分くらいで帰着出来たということです。鳩によって助けられた登山者も多かったのでしょう。
2020年1月のメールマガジンから転載しました。
冬山にヒートテックは禁物
冬山にヒートテックはタブーだそうです。都会では冬場の必須アイテムのようなヒートテックの下着ですが、山ではNGだそうです。理由はヒートテックは汗冷えするからだそうです。
暖かい下着なので冬山でも良さそうなものですが、そもそもヒートテックが暖かいのは適度の汗が特殊な繊維と擦れて発熱し、薄い素材にもかかわらず熱を溜め込むことができるからなのです。そのためレーヨン素材のヒートテックはポリウレタンやポリエステルに比べ速乾性に劣るため、一定以上の汗をかくとなかなか乾かないので、逆に冷えてしまうのだそうです。
ちなみにヒートテックには男性用と女性用がありますが、サイズやデザインの形状だけの違いではないそうです。男性用はより汗をかく作業に向くように設計され、女性用はより肌に優しい保湿性を高めた設計がされているそうです。
そういえば先日MRIの検査をした時に「ヒートテックは付けてませんか。」と尋ねられました。MRIは濡れた衣類を付けての検査は厳禁ということで、汗を吸収するシステムのヒートテックはNGなんだそうです。調べてみたら火傷をすることもあるそうです。
昔は冬山となるとラクダの下着を付けたりしていましたが、近頃はメリノウールを素材とした物が主流となっているようです。やはりお高いですが。
2020年3月のメールマガジンから転載しました。
魅力的な日本の山
日本は国土の7割が山地で2/3が森林に覆われており、多様性のある豊かな環境に恵まれています。山に対する土着の信仰もあって信仰登拝や近代登山、ハイキングやトレランなど山を愛好する人もとても多い国です。
2016年のレジャー白書によれば日本の登山参加人口は650万人 、ハイキングやビクニックなどを合わせるとと参加人数は2200万人を超えるそうです。
ヨーロッパではドイツ、イギリス、イタリア、フランスなども登山を愛好する人が多いようですが、アルプスの本場スイスでも登山者人口は270万人と言われています。
近頃は北アルプスなどにも韓国からもたくさんの人が登りに来ていますが、韓国では登山者数が急増しているそうです。
さて、世界で1年間に登られている登山者数のベストテンを調べてみると、多分ベストテンは全て日本の山になるのではないかと言われています。
そのトップがあるのが高尾山で260〜300万人、続いて金剛山が80万〜120万人、富士山は20万人、 金時山でも10万人と言われています。
高尾山はミシュランで三ッ星を獲得したことで外国人にも話題になっていてることが近年登山者数が増大していることに影響しているようです。
東の高尾山、西の金剛山はともに低山でよく整備されているので簡単に登れ、ラジオ体操の様に毎日登っている人も多いのもその理由のようです。
日本の山は低山から日本アルプスのように3,000mを超す山岳もあり、火山や堆積褶曲山地、深い森林や岩綾・岩峰、多種多様な動植物など極めて多様性に満ちていて、しかも手軽に自然の懐に入ることができることから日本人だけでなく海外の人にとっても魅力的なようです。
富士山には日本人ばかりでなく、毎年多くの外国人が登りに来ています。今年は天候不順もあって登山者数は20万人ほどだったようです。
平成27年のデーターでは台湾人が230(海外在住213)人、アメリカ人が207(海外在住106)人、中国人が203(海外在住58 香港53)人、フランス人が100(海外在住92)人、韓国人85(海外在住61)人、ドイツ人59(海外在住44)人が登りに来たということです。
外国人にとって富士山は観光の一つとして登りに来ているのでしょうが、インバウンドの登山客は富士山ばかりでなく、他のいろいろな山でもたくさん見かけるようになって来ました。中には外国人が小屋番をしている山小屋も現れて来ています。
2018年12月のメールマガジンから転載しました。
今年はコロナの影響でインバウンドがほぼ停止しているばかりではなく、富士山の登山禁止、南アルプスなどをはじめとして、登山道や山小屋の閉鎖のために国内での登山も困難な状況でした。自粛が明けてからは一転して低山に近郊の都市から人が集まる状況が続いており、遭難も増えてきています。
コロナ感染予防を契機に、より日本の山岳や自然を健全な状態で楽しめるようになってくれたらいいと思います。
「独協通信」第95号
令和2年12月1日発行の「独協通信」95号の0B会紹介コーナーに本OB会の記事が掲載されていますので、ご覧下さい。
奥多摩 倉戸山(1,169m)
2020年12月3日(木)
家を5時半に出て、奥多摩駅には8時03分に着きました。鴨沢西行きのバスは40分くらい待つことになっていましたが、奥多摩湖行きのバスはすぐ出るので、奥多摩湖から倉戸口までは湖畔に沿って行けばそれほど時間がかからなそうなので、それに乗って行くことにしました。
雲が低く山にかかって幻想的な奥多摩湖でした。予報だと奥多摩は晴れ時々曇りでしたが、回復が遅れているようでした。
倉戸口バス停には奥多摩駅発の鴨沢西行きバスの発車時間だったの8時42分に到着しました。
自動車道から石段を上がっていくと、温泉神社の鳥居が見えてきます。
この温泉神社は奥多摩湖の湖底に沈んだ小河内村の「鶴の湯」源泉近くにあった神社で、ダム工事の前に移築されたものだそうです。
ちなみに倉戸口バス停近くには「熱海」「女の湯(めのゆ)」「鶴の湯」など温泉に因んだ名称が残っています。かつての小河内村には鶴の湯(鶴が崖から流れ出る温泉で傷を治したという謂れがあるそうな)、鹿の湯、ムシの湯の湯源泉があったそうで、現在も湖底から温泉を汲み上げているそうです。
登山の無事を祈願して、お参りをしてきました。
ここからいよいよ山道になります。
しばらく行くと、直ぐに急登になりました。奥多摩の山は概して急登です。
ミズナラ、コナラ、ブナ、クヌギ、クリなどの落ち葉が山全体を覆い尽くしていました。稜線に出るまではキツい登りですが、稜線に出ると比較的緩やかな登りになりました。
急登が過ぎてからは一旦少し下りがあってなだらかな登になり、頂上になります。
頂上下にはモミジの落ち葉が積もっていたので、紅葉の時期は綺麗だったのだろうと思いました。
一瞬、日差しが見えたものの、ほぼ全日通してガスった曇りで、遠くの山々は全然見えませんでした。
頂上は林に囲まれて広く平らになっていましたが、周囲はガスっている状態なので、食事も取らずに下山にかかりました。
下山は女の湯(めのゆ)バス停に向かいました。
下り始めて暫く行くと、広い尾根で落葉が敷き詰められている斜面で、ほとんど崖状態。これってルートなの?と思いながら木を頼りに下りました。太ももの筋肉も張り詰めるくらい踏ん張りながらの下山で、写真を撮っている余裕もありませんでした。
奥多摩湖も見えてきてやっと緩やかな下りになり、ほっとしましたが・・・。
しばらく、痩尾根の上を行きます。
今度は左側が深く切れ込んだ斜面の極めて細いトラバスルートになりました。落ち葉の下に木の根や岩が潜んでいて、何回も滑ってバランスを崩しながら慎重に下りました。登りは特に難しいところもなく一気に登ることができましたが、下山のルートは厳しいものがありました。
登り口に「倉戸山は大変急峻で不明瞭な場所も多く事故が多発している」と表示がありましたが、道を見失いそうな積もった落ち葉と崖や切れ込んだ谷上の細いトラバースルートなど、正にその通りでした。
奥多摩湖が真下くらいに見えるくらいの斜面を下って行きました。
湖面に接したここのモミジだけ綺麗な紅葉が残っていました。「お疲れ様でした」と、最後のお楽しみをもらいました。
最後はぐるっと平らな道を回り込んでバス道に出ました。
バスの時間しか思いになかったので、女の湯(めのゆ)バス停の脇には湖底から引いている「鶴の湯温泉源」があったということを後で知りました。
2時間に1本ということもあるので、バスの時刻表がどうなっているか心配しながら下っていましたが、グッドタイミングで5分後に奥多摩駅行きのバスに乗り込むことが出来きました。
この山行では誰も登山者を見ることはありませんでした。行きのバスでは5名、帰りのバスでは3名の乗客でした。
S47年卒 手島達雄
コースDATA
奥多摩駅8:03 バス発車8:05 奥多摩湖8:20 倉戸口バス停8:42 温泉神社8:57 倉戸山山頂10:20 下山開始10:30 女の湯バス停11:48 バス発車11:53 奥多摩駅12:15
ゴアテックス製品のメンテナンス
今や雨具をはじめアウターや登山靴などにも透湿防水素材のゴアテックス(GORE-TEX)が使われています。しかし、メンテナンスが面倒そうだし、あまり洗わない方がいいんじゃないかと思って何となく洗濯をためらっていたので、調べてみました。
まず、ゴアテックス製品を洗濯機で洗う方法をご紹介します。
まず、洗う前にはファスナーやベルクロ、コード類などは全て閉じておきます。収納式のフードは開いて出しておきます。これは生地を痛めたり洗いむらが起こらないようにするためです。また、同様の理由でネットに入れて洗うといいそうです。
洗う水の温度は40ºC 以下のぬるま湯がいいようです。ただし、洗剤分が残っていると撥水性能の低下につながるため、少量の液体洗剤で洗い、すすぎは 2回しっかりと行います。柔軟剤は使用しません。脱水は生地を痛めてしまう恐れがあるのでNG。また、汚れがひどいものと一緒に洗うのも避けます。
洗った後は強く絞ったりせず、水分を軽く切ってから吊り干しします。紫外線は生地を劣化させる原因になりますので、風通しのいい日陰に干すといいそうです。
また乾燥後、熱を加えることで撥水性が回復するので、低温設定で乾燥機で加熱するか、当て布をしてアイロンがけをするか、ドライヤーで表面に熱を加えます。これは撥水効果を高める大事なポイントになります。生地に熱を加えることによって表面の産毛のような繊維が立ち上がり撥水力が向上するということです。
乾燥機が使用できないゴアテックスジャケットも稀にありますので、乾燥機を使用する際は洗濯タグをチェックすることが必要です。また、シームテープが剥がれているなど、劣化が進んでいる場合も乾燥機は使用できませんのでご注意が必要です。
洗濯後、加熱しても充分に撥水性が回復しない時は、溶剤につけ込むタイプやエアゾールタイプなどの市販の撥水剤を使います。溶剤につけ込むタイプの撥水剤はむらなく生地に撥水加工ができます。
ちなみに洗濯するとゴアテックスの透湿防水効果が落ちるのではないかとちょっと心配になりますが、ゴア社では使用の度に洗濯することを推奨しています。
2020年3月のメールマガジンから転載しました。
50年前の夏山合宿のメニュー
1970(昭和45)年の飯豊連峰夏山合宿時のメニューを日程とともにご紹介します。
24日 (上野 郡山 山都 一ノ木)
昼) ラーメン 日本茶 クラッカー
夜) すき焼き みそ汁 サラダ 日本茶 飯
25日 (一ノ木 川入 御沢)
朝) みそ汁 のり 丸干し 梅干し ふりかけ 日本茶 飯
昼) パン ジャム ジュース バター ピーナッツ
夜) カレー 福神漬け たくわん 日本茶 飯
26日 (御沢 地蔵山 種蒔山 切合小屋)
朝) みそ汁 のり 佃煮 ふりかけ たくわん 飯
昼) パン ジャム バター ポタージュ 紅茶 コーヒー
夜) 野菜炒め サラダ みそ汁 ふりかけ 日本茶 飯
27日 (切合小屋 飯豊本山 御西岳 文平ノ池 大日岳 文平ノ池)
朝) 雑煮 たくわん
昼) パン ジャム ジュース バター ピーナッツ
夜) カレーシチュー 福神漬け サラダ 日本茶 飯
28日 (文平ノ池 御西岳 烏帽子岳 与四太郎池)
朝) みそ汁 ふりかけ つけ物 飯
昼) パン ジャム ジュース バター ピーナッツ
夜) 豚汁 サラダ 日本茶 飯
29日 (与四太郎池 門内岳 扇ノ地紙 頼母木山 頼母木平)
朝) たくわん みそ汁 のり 飯
昼) パン ジャム ジュース バター ピーナッツ
夜) 野菜炒め みそ汁 日本茶 飯
30日 (頼母木平 杁差岳 大熊小屋)
朝) おじや たくわん つけ物
昼) パン ジャム ジュース バター ピーナッツ
夜) 焼きそば ラーメン コーヒー
31日 (大熊小屋 大石 越後下関 米沢 上野)
朝) 計画の記載なし(残り物)
昼は各回共通でパン、バター、ジャム、ジュース、バター、ピーナッツ、紅茶、コーヒーなどでした。
行動食はレモン、夏みかん、甘納豆、アメ、チョコレート、チーズなどでした。
(2016年12月号のメールマガジンから転載)