OBとしてDWV冬山合宿に参加した時の思い出

打矢 之威(ゆきとし)

私は1954年 (昭和29年)独協高校1年生の時、同級生の森本(故人)加藤(故人)、丸山、赤瀬の4人と独協高校ワンダーフォーグル部創設に関わりました。その1年後(1955年)、 井上、植村 (故人)、滝川、若井、牧田の諸氏が入部し、さらに1956年に南(故人)、千野(故人)が加わりDWVの基礎ができました。当時英語の講師として早稲田大学の渡辺英太郎先生(W大WV部監督)、日本史の皆川完―先生(日本山岳会会員)等、そうそうたる山の専門家が独協で教鞭をとられており、また大田 資、奥貫 晴弘、高梨 三郎等の諸先生もWV活動に関心を待たれていたので創部初期から指導者に恵まれていたと思います。さらには理科授業の助手であつた東京理科大山岳部在席の金子雄一郎氏も幾多の山行に同行されたと思います。

私は浪人後早稲田大学商学部に入学し我慢していた山登りを再開、早速早稲田大学山の会に入部して本格的に山登りを楽しんでいました。確か大学3年の冬、最も山登りが充実し経験も技量も積んだころ、奥貫先生からお誘いを受けDWVの冬合宿にコーチとして参加することになりました。

目的の冬山は豪雪地帯として有名な戸隠連峰の奥にそびえる高妻山、前年の冬合宿でもチャレンジしたが悪天候と深雪で失敗したので、その年は何としても登頂を果たすと皆リベンジに燃えていたと思います。期間は12月22日から1週間ぐらいの予定。参加者は総勢10名ぐらい、奥貫先生以外私は会うまで顔も知らない若者(高校生)達でした。確かCLは高島(?)、 SLは斎藤君(?) 何しろ50年以上前の出来事なのですべてに朧気で参加者の名前や日時やコース等も思違いや錯誤があると思いますが、今でも鮮明に脳裏に残つている出来事は遭難寸前まで追い込まれた一連の状況です。

戸隠連峰は屏風のようにそびえる鋭鋒が前面に立ちはだかり、その間隙を縫って谷川沿いに高妻山の登山路に近づくコース、途中30-50Mぐらいの滝場があり積雪と氷着いた岩場が交互に連続して冬場は難コースでした。滝場の上に避難小屋があり、そこに大量の登山具、食料などデポして頂上アッタクに備える段取りになっていました。

その年は未曽有の大雪で下山後知ったことですが上信越は1週間ぐらい連続して猛吹雪が荒れて、道路、鉄道すべてのインフラがマヒしていたとのこと。我々も全く動けず、毎日避難小屋でゴー ゴーという荒れた天候に堪え、ひたすら天気の回復を祈るのみ。12月22日に入山後全く動けず、年末まで沈滞を余儀なくされた。今年もダメかとあきらめムードが出は始めたが、多分晦日の30日。 その日は朝から快晴になり、高妻の大斜面は真っ白な新雪に覆われ正に天祐の瞬間と感じられた。このチャンスを逃してなるものかと全員張り切って出発。ところが体がすっぽり埋まるほどのフカフカの新雪は全くはかどらない。そこで先頭隊員を空身にして5メートル、10メートルとラッセルさせる。ばてると次々と先頭を交代させ、スタカットラッセル(*注)。高度差2-300メートルの急斜面を雪のトンネ ルを作るがごとく牛歩戦術で高度を稼いだ。予定より大幅に遅れ頂上に着いたのは午後1時頃、全員で万歳して冬季初登頂の喜びに浸る間もなく、私は帰りの危険を考えると気持ちが重かった。頂上直下の大斜面は新雪に覆われ、白一色のっぺら坊の雪崩の巣みたいな場所に見えた。 標高2,353Mのおむすび形の優美な山容だが積雪した冬季になると真に危険な山に豹変する。予定より大幅に遅れているのですぐにでも全員下山させたいが、新雪の大斜面は大勢で一気に下ると雪崩に巻き込まれる。そこで奥貫先生と相談して一年生から順番に一人一人安全な灌木地帯まで間をおいて下らせたので時間がかかる。先生にお先に降りてくださいとお願いしたが”いや私は最後で良い、君が先に降りろ”と全員安全を確かめてから自分は最後に行動する。まさに沈没しかかった駆逐艦の艦長のような責任感のある先生であった。最大の難所は切り抜けたが、まだまだ滝場岩場、急斜面の連続で全員くたくた汗まみれ雪まみれ。日は暮れてくる。早朝から10時間以上行動している。

やっと谷間の渓流地帯にたどり着いたが、高校生たちはふらふら夢遊病者のように足元が定まらない。そのうち何人かは凍りついた渓流に倒れ込んでしまう。このままでは凍死の危険がある。そこで叱咤激励しながら全員上半身を裸にさせ、乾布摩擦と乾いた下着に取り替えさせ、大型の凍てついた重たいキスリングはその場に放置させ、空身になって隊列を組ませ大声で校歌などを歌いながらひたすら前進した。真っ暗な中たぶん夜8時か9時ごろ、前方遥か遠くにポツンと裸電球の明かりがぼーっと見えたとき、正直言ってこれで助かったとほっとした。着くとそこは戸隠奥社の小さな社坊であった。ドアーをドンドン叩くと神官が顔を出しびっくりした様子で”あんた達一体どこから来たんだ!”と叫んだ。一部始終を説明し、このままでは子供たちが凍死しかねない、何とか今晩だけで泊めて欲しいと懇願した。そして親切な神社に命を助けてもらった次第です。あの時の光景と切迫した気持ちは生涯忘れられない。奥貫先生も同じお気持ちであったでしょう。

平成28年12月1日  昭和31年度卒業  打矢 之威 記


注 スタカットラッセルとは

冬山歩行の安全確保のため、前者がラッセルしている間後者は停止して前者の安全話確保し、一定まで進んだら前者は停止し後者前進の安全を確保するという尺取り虫が進むような登攀技術のことをいう。スタカットに対して両者が同時に登攀をすることをコンティニュアスという。


✳︎1960年12月の高妻山の記録写真はこちらから

1960年 冬合宿 戸隠 高妻山

天空のマンウテンビーチ(日向山)

2016年11月4日(金)

天空のマンウテンビーチから眺める紅葉と周囲の山々の景色を堪能することを目的に、南アルプス前衛の日向山に行ってきました。

中央高速道を長坂ICで降り、道の駅「はくしゅう」を目印に車を走らせます。ここで南アルプス天然水と同じ水をボトルに汲み、日向山に向かう細い林道に入って行きます。この林道は約4.5kmの区間、道幅が狭くすれ違いが難しい道ですが、早い時間であれば降りてくる車はないでしょう。また、登山口(矢立石)の駐車場と言われている場所は、せいぜい15台程度しか停められません。登ってくる途中の避難場所にも所々に駐車している車があり、既に駐車場は満車の状態でした。登山口から少し先に進むと、道幅もやや広くなり縦列駐車が可能な場所があります。どうにか車を停め、身支度を整え8時50分スタートです。

さて、今回のルートは錦滝から日向山に登り、矢立石に下ってくるコースを歩きます。歩き始めてすぐのゲートには、北杜市による通行制限の看板があり、日向山から錦滝に下る道は通行禁止。これから歩くルートは通行注意と書かれています。あくまでも自己責任の山のようです。

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ゲートを過ぎ林道に入ると、荒れた部分もありますが左側の尾白川渓谷を隔てて頭上には少し雪を被った甲斐駒ケ岳が見えます。周りの木々も秋の気配を漂わせ、紅葉をめでながら歩くので、平凡な林道もさほど苦になりません。約45分で東屋が見えると錦滝に到着です。

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dsc03288錦滝からいよいよ急登の連続が始まります。ロープ、クサリ場、階段があり変化に富んだ道です。最初からいきなり急な登りで、木の根を掴みて手、足をフルに使わなくては体が持ち上げりません。

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ハイキングコースの標識がありますが、ハイキングのレベルではなく登山そのもです。ロープのある急斜面を行くと、今度はクサリ場のトラバースが待っていました。谷側に振られないよう慎重に歩きます。

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クサリ場の次は垂直に近い階段を登ります。まだ急登が続きますが、振り返ると木々の間から鳳凰三山や富士山が見え、このあたりの紅葉が見事な色づきを見せてくれます。

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dsc03314富士山

急登も終え少し平坦な場所で小休止です。この場所には小さな道標が木に打ち付けられています。本来は右に登って行くのが通常のルートです。我が隊は鞍掛山に続く直登の急な道を進みます。

雁ヶ原の岩峰群

しばらくすると左右が切れ落ちたやせ尾根に変わり、ここから右に曲がり下って行くと、目の前に雁ヶ原の白砂の風景が突如として目の前に飛び込んできました。

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これまで森林帯の中にいたので、いっきに視界が開け白砂の白さと空の青さと山頂付近で滅多にお目にかからない景色が重なり、感動の瞬間です。このルートを登っていた他のパーティーも、歓声を上げていました。

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雁ヶ原の白砂の斜面を登り左の道に入ると、大明神の石碑が建つ岩の上から、新たに八ヶ岳や蓼科山を望み、雨乞山から甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、富士山が抜けるような青空をバックに凛々しい姿を展開してくれます。

dsc03365蓼科山と八ヶ岳

dsc03333雨乞山

dsc03329甲斐駒ケ岳と鞍掛山

dsc03330鳳凰三山と黒戸尾根

dsc_0004富士山と鳳凰三山

紅葉と落葉松の黄葉と岩と白砂の白さと空の青のコントラストは、言葉では言い表せないほど素晴らしい景色になっていました。この白砂の山は、花崗岩が風化して砂になったもので、まるで山の上の海岸にいるような錯覚を起こします。正にマンテンビーチと言っても過言ではありません。

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風もなく雲もなく暑くも寒くもない小春日和。あまりの気持ちよさに昼食を1時間以上も摂ってしまいました。さて、重い腰を上げて山頂に向かいます。山頂からの眺めは、奥秩父方面の山々や角度の違った八ヶ岳が見えます。八ヶ岳山麓の紅葉が見事なようです。

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dsc03377八ヶ岳

山頂から矢立石までは、林間の道で景観は得られませんが、傾斜も緩いため子供でも登ってくることができます。ゆっくり歩いて1時間半で矢立石の登山口に14時20分に戻ってきました。

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お天気にも恵まれ、秋の山を思う存分に楽しむことができ、目的を達成した山行でした。

(46年卒:碓井)

メールマガジン11月号 / 2016

獨協中・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2016/11/15/
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▲△ も くじ △▲

【1】ワンゲル部創部当時のこと
【2】平成25年〜26年山行記録
【3】行ってきました 山行Now
【4】トピックス 田部井淳子さん逝去
【5】獨協学園同窓会HPのリンク
【6】記事の募集
【7】メールマガジンについて
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【1】 ワンゲル部創部当時のこと

ワンゲル部創部当時の経緯や活動が記されている獨協中・高等学校ワ ンダーフォーゲル部OB会のホームページ「Memorys・草創期のワンゲル部」の森本悌次、打矢之威両氏の著作「ワンダーフォーゲル」ですが、前HPから文字化けのために不明だった部分を残したまま掲載してありました。このたび独協中・高等学校の図書館からこの文章が掲載されていた学園文芸誌「めじろ」72号を入手し、完成された全文を更新掲載しましたのでぜひご覧ください。

なお、この72号には本校中学校を同級生より2歳若く卒業した森鴎外の長男であり、本校OBの森於兔(もりおと)氏が在学中のことを「あの頃のこと」と題した寄稿文が掲載されていました。
また、「小蓑毛の煙草作農業」について高梨富士三郎、新宮譲治両先生の社会科実態調査報告が載っており、当時調査参加生徒には高校1年生だった飯島義信先生の名も記されていました。

以下、「ワンダーフォーゲル」森本悌次 打矢之威の「ワンダーフォーゲル」の記事は「Memorys・草創期のワンゲル部」の3本目の記事になります。

草創期のワンゲル部


【2】平成25年〜26年のワルゲル部山行記録

当時部長だった黒川君から2014年の学園祭の折に発行された部誌「わたりどり」のデータを提供していただき、当時の山行記録を追加掲載しました。今まで20年以上も途切れていた獨協中・高等学校ワンゲル部の歴史がHPを通して相互に繋がったことは大変喜ばしいことと思います。是非、それぞれの世代で同じワンゲル部のOBとして交流され、繋がりを持っていけたらと思います。ホームページでも新しい世代のワンゲル部の活動を是非見て欲しいと思います。なお、今年卒業したOBのうち3名は会員登録していただいています。

ワンゲル部 年次山行記録


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【2】行ってきました 山行Nowから

今年は9月に入って雨の日も多く、日照もあまりなかったので朝夕の気温があまり下がらず、各地とも紅葉が遅れていたようです。例年なら1,500mから2,000m級の山は10月15日ごろ紅葉のピークを迎えるのでしょうが、今年は1週間から10日ぐらいは遅れていたようです。また、寒暖の差があまりなかったせいかコントラストも今一のようです。

晴れの特異日である10月10日の各地の山は天気と紅葉を期待した 山ガール(山姥?)と 山じじーで大渋滞になったということです。特に頂上での記念撮影とトイレは順番待ちの行列が続いていたそうです。

今月はHPから秋の日帰り山行記録を少しご紹介します。

昭和46年卒の碓井さんには初めて山行記録を投稿していただきました。手島(昭和47卒)の山行記録と併せてご覧いただければと思います。

◆ 秋の安達太良山(1699m)

智恵子は東京には空がないという・・・
智恵子は遠くを見ながらいう 阿多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が 智恵子のほんとうの空だという

秋の安達太良山

◆ 明神ヶ岳(1169m)明星ヶ岳(923m)

箱根の外輪山を形成する山で、箱根山や金時山、富士山、相模湾など展望も良好な明るい山稜です。

明神ヶ岳(1,169m) 明星ヶ岳(923m)


◆平標山(1984m)

すでに1500mより上は冬の世界が広がっていました。三国山脈谷川連峰の西端のとても雰囲気のある山です。

平標山(1,984m)

◆苗場山(2228m)

秋の紅葉シーズン限定の田代ロープウェイを利用したコースで頂上台地に高層湿原が広がっています。

苗場山(2,145m)

 

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【4】田部井淳子さんが亡くなりました

日本を代表する女性登山家の田部井淳子さんが10月20日腹膜ガンで亡くなりました。2007年には乳ガンが見つかり、2012年には腹膜ガンで余命3ヶ月と宣告されたそうです。それでも「山の遭難に比べたら恵まれている」と治療を続けながら山に登り続け、山の楽しさを伝え、震災後の福島の子供達を励ましながらの77歳の生涯でした。ご冥福をお祈りします。詳しくは下記HPのトピックスを参照ください。

田部井淳子さんのこと


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【5】同窓会HPのリンク

獨協中・高等学校同窓会HPには当ワンダーフォーゲル部OB会のバナーがあったもののリンクがすでに切れていました。この度金先生から事務局に連絡していただき、新しいワンゲル部OB会HPのリンクを貼り直していただきました。同窓会のホームページからも本ホームページにアクセスできるようになりましたのでお知らせします。

http://www.dokkyo-mejiro.com/index.html

【6】記事の募集

本ホームページでは記事を募集しています。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でもいいので、ぜひ投稿ください。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告なども募集しています。投稿をお待ちしています。

投稿の仕方は上記にありますが、ちょっとハードルが高そうな場合は、メールでお寄せいただいてもOKです。

dokkyo.wvob@gmail.com
【7】メールマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員登録メンバーで 「メールマガジン配信希望」されている方にお送りするものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページと もリンクしていますので今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡いただければと思います。
※このメールについてのお問いあわせは dokkyo.wvob@gmail.comまでお願いし ます。このメールは一斉送信になるので、直接返信されると一斉に送信されてしまうのでご注意下 さい。

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獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン

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山で歌った歌 「もずが枯れ木で」

【作詞】サトウ ハチロー(1935<昭和10年>作)
【作曲】徳富 繁

1.もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる

2.みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

3.兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

 


合宿最後の晩。
全員車座のなか❝梨さん(高梨先生)❞からみなにウィスキーがふるまわられる。
「角瓶」(サントリー)だ。
で,歌が………。口火を切るのはもちろん梨さん。
♪モ~ズが枯れ木でないている/あんさは……。
*
帰りの夜汽車。
あの歌ってなんですか?とオレは梨さんに聞いた。 長瀬オサム

 

 

秋の安達太良山

2016年10月12日(水)

ご無沙汰しております。1971年(昭和46年)卒の碓井です。OB会のホームページがリニューアルしたとの連絡を一年後輩の手島君からいただき、数十年ぶりに再会し、青春時代が戻ったようなひと時でした。

今でも月1回のペースで山に登っています。今回は、10月に登った安達太良山をご紹介します。

東京から福島県までの道のりは遠く、安達太良山の登山口までは約250Kmあります。東北道に入り栃木県内の日光連山や那須岳あたりは、雲もなく山頂付近が見えましたが、福島県に近づくにつれ雲行きが怪しくなり始め二本松ICを降りるころには安達太良山は雲に隠れ、その姿が見えません。「ほんとうの空」に会えるでしょうか。

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平日で天気もイマイチですが、駐車場には続々と車が埋まっていきます。身支度を整え、ロープウェイへ乗り場に急ぎます。ロープウェイ(ゴンドラ)は待つこともなく乗車でき、高度が上がるにつれ、窓に水滴があたりガスの中に入って行きます。山頂駅に着くとガスが濃く身体に水滴が付くほどだったので、早速、雨合羽を着込み多くの登山者と一緒に9時40分に歩き始めました。

薬師岳山頂の「みはらし台」から眺める紅葉の絨毯はこの天気では望めないので、「みはらし台」には寄らずに先を急ぎます。霧の中を黙々と歩くしかありませんが、登山道脇の木々が紅葉しているのが、唯一の慰めです。

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仙女平からは岩が多くなってくる道に変わり、峰の辻への分岐を過ぎる付近から、最後の一登りがあり、多くの登山者が登って行きます。安達太良山の山頂の標識では、登山者が記念写真の順番待ちをしていました。

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乳首の上に登ります。山頂の標識から、乳首へはクサリ場を一か所通過し、1700mの頂上に出ます。ここは行き違いが難しいので、登り優先が基本ですが、団体グループが下山優先でどんどん下りて来ました。山のルールは守っていただきたいものです。 クサリ場を抜けると強風の洗礼が待っていました。まるで冬山に登っているようで、耐風姿勢をとらないと飛ばされてしまいそうです。早々と山頂を後にします。

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天気の回復の兆しが見えないので、ロープウェイで降りるか、はたまた計画どおり先に進むか、思案のしどころです。まだ11時20分なので、雨が降らないことを願って先に進みます。

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峰の辻についてもガスが濃く景色も見えないので直接、勢至平に下る道を探したが視界が悪いため、どこが正規ルートなのかよくわからないので、計画どおりくろがね小屋を目指すことにしました。こちらのルートは登山者が前後を歩いているし、道もよく踏まれているので迷うことはありません。山腹をトラバースぎみに小屋へと降りて行く途中、ガスが切れ始め一面の紅葉が目に飛び込んできました。ここぞとばかり、シャッターチャンスです。

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下るに従い徐々にガスが上がり、安達太良山の紅葉の幕開けです。くろがね小屋が見え始めたころは、山稜部分はいまだにガスっていましたが、目の前に錦の絨毯が広がってきました。

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小屋の周辺では紅葉の最盛期と思わせるような景色が広がり、思わず歩くペースが落ちてしまいます。青空だったら、どんなにきれいでしょうか。

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遅い昼食の後、ジープの通れる林道を下って行きます。この林道は途中から旧道に入れますが、この旧道はぬかるみの細い道であまりおすすめできません。

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歩くこと1時間半で「あだたら自然遊歩道」の入口に到着。

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遊歩道を散策して、駐車場に15時50分に戻ってきました。

今日は安達太良山の「ほんとうの空」を見ることができませんでしたが、紅葉もそこそこ見ることができ、満足な山行でした。

明神ヶ岳(1,169m) 明星ヶ岳(923m)

2016(平成28)年11月10日(木)

東京駅八重洲口から登山口まで直行で行ける6時50分発箱根桃源台行きの高速バスを利用しての山行。バスは霞が関から高速に入り、御殿場で降りた。トイレ付きの4列のバスである。東名御殿場駅とJR御殿場駅でほとんどの人が降車した。山の格好をした人は4人だけだった。車窓からは雪をかぶった富士山が綺麗に見えた。明神ヶ岳は金時山と同じ金時登山口のバス停で降りることになる。金時山には昨年12月に冨樫、木村両先輩と、後輩になる中野君と4人で雨で景色もまるで見えない中を登った。私にとってはその山行が45年ぶりの再ブレークの発端となった。それ以来、当時70キロを越えていた体重と高い血圧を下げるべく始めたつもりの山行だったが、今回で27回目の山行になってしまった。体重も6キロ以上も痩せ、最高血圧も20以上は下がってきているが、すでに山行の目的は健康増進ではなくなってきている。今年は日帰り中心に体を慣らしている段階だが、来年からは小屋かテント泊で高度も上げていきたいと考えている。

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さて、バスは途中渋滞があったので予定時間より少し遅れて、登山口到着は8時50分近くになっていた。

バス停近くのローソンでトイレを済ませ、昼食のおにぎりと飲み物を仕入れる。ローソン脇の道が金時山矢倉沢コースと明神ヶ岳共通の登山口になる。しばらく舗装道路を上がって行き、途中から本格的な登山道になる。チョット暗い感じの山道である。

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途中、すきを担いだ人に「上は紅葉が綺麗ですよ。」と声をかけられた。筍でも掘ってきたのかと思っていたが道をよく見ると土を鋤き取った跡が見られたので、どうやら水切りを掘ってくれていたようだ。しばらく行くと茶店のある金時山がよく見える広場に至る。ここが金時山との分岐になる。茶屋は営業していなかったが、外には50円と書かれた簡易トイレもあった。金時山の山肌は紅葉がまだまだ綺麗だった。

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明神ヶ岳方向に登って行く。振り返ると金時山がよく見えた。コルの奥にちゃっかり雪をかぶった富士山が少し顔を出していた。笹原のなだらかな稜線を行く。

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進行方向右手には箱根山方向や裾野に広がる箱根の温泉街方向がよく見通せる。

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山道の脇にはまだリンドウやアザミが結構咲いていた。

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比較的なだらかな尾根道を登り下りしながら明神ヶ岳山頂に到着。

植生保護のために周囲はロープで囲われており、中央にベンチが一つある比較的広々とした芝生の頂上である。木曜日とあって今まで登っている人には合わなかったが、ここにきて何組ものパーティーが昼食の準備にかかっていた。30代前後の女性だけのパーティーが3組くらい、男女のパーティーが2組くらい。どのパーティーもストーブを使って鍋やラーメンなど賑やかに調理をしている様子だった。

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朝のうちは結構晴れていたが、登っているうちに雲が重なってきて金時山も富士山も見えなくなっていた。「わー富士山が見える。」と声が聞こえ、その方向を見るとうっすら金時山のぽっくりした頂上の上に富士山が姿を見せていた。

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ひとりの私は、フリーズドライの四角い固形スープに魔法瓶からお湯を注いであっという間に調理終了。おにぎり2つの昼食はこれもあっという間に終了。デザート用に持ってきたフリーズドライのお汁粉にお湯を注いで、これもあっという間。

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昼食を終え、少し休んでから他のパーティーをよそに、一番早く頂上を後にする。

少し下がったところから左手を見ると雲の下に相模湾が見渡せた。

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明神ヶ岳からは基本下りながら明星ヶ岳に至る。途中「強羅の大文字焼き」が行われる山腹の上を通り抜けて行く。山頂手前のコルに宮城野へ下る分岐点があり、展望のない明星ヶ岳頂上ははこの先になる。

分岐点からは頂上までは10分くらい。ここからも宮城野へ下るルートがあるので、こちらから下山することにする。

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この周囲には「マユミ」の木があり、赤い実が梅の花のように一面に実っていて美しかった。

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舗装道路に出てから国道(東海道1号線)までしばらく行くことになる。国道には箱根湯本経由小田原駅行きの箱根登山バスが通っている。国道に出るとバス停の表示が左右どちらにもあったので、とりあえず右手のトイレもあるという方に行くことにした。後で分かったが、左方向のバス停が宮城野橋バス停で右手方向のバス停が宮城野支所前バス停である。

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さすが箱根、1時間に何本ものバスが通っているようだ。

少し雨が降ってきた中を1月にはたくさんの沿道の観客に囲まれて大学生のアスリートが走り抜けて行く箱根駅伝のルートをバスは小田原まで下りて行った。

(手島達雄 S47年卒)


コースデータ  5時間(休憩30分)

金時登山口バス停発9:00 登り口9:08   金時山下分岐9:30 頂上着11:40     発12:20      明星ヶ岳下分岐12:45   明星ヶ岳頂上着13:25  舗装道路14:10   宮城野支所前バス停14:30

新OBのご紹介

OB会員の皆様へ


今年卒業した獨協高校ワンゲルOBの新規会員登録がありました。黒川樹さん、久保田凌弥さん、大澤隆世さんの3名です。新しい仲間としてDWVの発展を担う人材として期待しています。OBの皆様も宜しくお願いします。

OB会    会長     冨樫克己           2016年11月11日

平標山(1,984m)

2016(平成28)年11月3日(祝)

文化の日で、紅葉終わりの山を楽しむ人も多いのかと思ったが、今年一番の寒さと、新潟などの日本海側は雨の予報も出ていたせいもあったのか、新幹線もバスも空いていた。上野をMaxとき303号に乗り込む。越後湯沢に8:10着。8:20発の苗場スキー場行きのバスに乗り、平標山登山口には8:50に着。前回行った苗場山の登山口となる二居田代スキー場のバス停よりいくつか先のバス停になる。越後湯沢駅からはちょうど600円。バスを降りて、少し戻ったところに登山口の表示があり、少し進んでいくと道標のある登山口。この間、登山者は見当たらなかった。結局、山中では下山中の2つのパーティーしか目にすることはなく、それはそれで頼りなさもあって寂しい思いがした。

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ちょうど登山口を9時に出発。「熊注意!」の看板もあり、熊と合わないですむように熊除けの鈴を鳴らしながら登って行くことにする。登山口からはいきなり急登。しばらく行くと石混じりの道になり3早くも0分くらいで展望が開けた。バスに乗っている時には時折小雨が降っていたが、バス停に着く頃には結構明るくなっていた。地元の人が新潟側の天気より群馬の天気に近いと言っていたのを思い出す。そういうことかと思って安心していたが、しばらく登っている途中で薄暗くなってきて細かな雪もちらつき出した。

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やはり、小雨が雪に変わる気温なのだ。その後、また明るくなり、気づくと下から上にかけて綺麗な虹が出ていた。

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10:00 ごろ、何か遠くで音楽ような音が聞こえ出し、何だろうと思っていたが、しばらくして前方に鉄塔が見え出したので、鉄塔の風切り音だったと思った。振り返ると苗場プリンスの白い建物のスキー場がよく見えた。鉄塔を越え、しばらくすると尾根に沿ってなだらかで綺麗な山が見えてきた。10:30 松手山山頂に到着。小休止を入れる。

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松手山を越えると道の端に雪が見られるようになった。尾根の側面には霧が凍りついたのか白く花が咲いてるような灌木が広がっていた。ガレ場帯を進んで行くに従って風が強くなり、吹きっさらしの稜線上は強い風とともに再び降り出していた細かな雪が顔にあたり、冷たく痛かった。フードを被り手袋も付けて凍えながら登る。

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12時10分山頂到着。あたりは霧に包まれ、何の展望もなく凍えていた。3人のパーティーが丁度下山するところだったようで、「風の具合はどうでしたか?」と尋ねられ、「じゃあ、最短コースで下りよう。」と慌しく下りて行った。「小屋は今日もう閉めてしまいましたから。」と言っていたので、小屋の方だったのだろう。こちらも仙ノ倉はあきらめ下山にかかる。

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木の階段が敷かれた道を下りかかると、ガスが突然飛ばされて景色が開けていった。下に平標山乃家がよく見えるようになった。遠くに山小屋が見える景色はとても心を暖かくする。

 

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12:40小屋に到着する。やはり、小屋は閉じられていて誰もいない様子だった。小屋の前のデッキで平標や大源太などを眺めながら昼食をとる。

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13:00 に登山口への下山にかかる。道は結構勾配がきつい。しばらくして植生が落葉広葉樹からカラ松に代わり、落葉した葉が敷き詰められた林を進む。この落ち葉の上にもう少したつと雪が積もって行くのだろう。14:00に登山口に到着し、林道を進んで行く。

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ゲートには14:25着。その先に登山口駐車場と表示さた山道を行くことにした。林道と沢に沿った道のようだが、石がゴロゴロとして歩きづらいし、小川を越えたりと道が分かりづらかったので、そのまま林道を行った方が正解だったかもしれない。国道には14:50帰着。

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時刻表を見ると15:55までバスはなく、1時間近くも吹きっさらしのバス停で待たされることになる。今日一番の寒さだった。持ってきたありったけの物を着込んでバスを待った。幸い、バスは遅れることなく到着し、ほっと一息つけた。駅のコンビニでウイスキーとおつまみを買い込んで、越後湯沢駅から新幹線に乗り込んだ。(手島 s47年卒)

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