高梨ノート 1962年 冬山合宿 八ヶ岳連峰

1962(昭和37)年12月22日〜26日 冬山合宿

目的地 八ヶ岳連峰

参加者 高梨(責任者) 中山記吉(教師)    H3  原吉夫 仮屋園茂  H2  岸田浩昭 中川真之介 中尾一成

コース 新宿23時45分 長野行き→汽車 茅野→バス 八ヶ岳農場→美濃戸→?川(南沢)→行者小屋(泊) テント設営 阿弥陀岳 赤岳 横岳 硫黄岳を2回に分けて登る。

汽車賃540円(片) 1080円(往復) バス60円 荷物代20円(160円)

ゴーグル ヤッケ オーバーシュウズ オーバーテブクロ マフラ シュラフカバー シュラフ ピッケル アイゼン ワカン ゾウリ ローソク 地図 磁石 懐電カイロ

23日

八ヶ岳農場 7:55 出発

8:10 中山氏突然腰が痛いと言い出す。ザックおろし様子をみる。8:15出発 8:30 休 8:35 出発 9:00 休 9:05 出発 9:10 沢にでる。 休 アメをたべる。 9:25 出発 9:45 休 10:00 出発 H2岸田、中川おくれる。10:40 美濃戸 現役相当に遅れる。昼食 11:45 出発 コース 南沢をとる。 12:10 休 12:15 出発 沢に入ってから雪が多くなる。 12:40 休 (くもり空) 12:55 出発 1:20 休 1:25 出発 1:45 休 1:50出発 2:20 休(ヨーカン みかんを食べる)  2:45 出発 3:15 清水岩 4:30 テント設営(行者小屋より約30分程手前の樹林帯の中にテントを設営)  6:00 テント完了 7:10〜40 夕食 スキヤキ 8:30 消灯

24日

6時に起床なれど天候の状態きわめて悪い 一応停滞とする。    7:40 中山氏腹痛をうったえる。クスリをのませる。8:00テント内の気温 3℃11:00 朝食兼昼食 雑煮 11:30 終了 H3 原がおくれてテントに到着 天候 風があるが晴れるようなので 12:50 テントを出発 アミダ岳に向かう 1:20 行者小屋(積雪の量は相当に多い) 1:25 出発 1:45 休 1:50 出 2:15 アミダ北稜 風が強く視界がきかない。 沢の入り方を間違えたらしく天候の状態をみて あきらめる。 2:40 行者小屋 2:50出発 3:30 テント着(テント内 0.3℃)  6:00 夕食 カレー まぐろフレーク ふくじんづけ 6:30 終了 7:00 クリスマスパーティー 10:15  10:30消灯

25日

7:00 起床 晴天    10:00 出発 10:30 行者小屋 10:40 出発 11:27 休(コル)  11:35 出発 12:05 アミダ岳頂上

①この間中山氏の状態をみて次の行動をきめようと考えた。中山氏の歩行状態には非常に危険があり、バランスが悪い。このままだと転落の危険がありと思ったのでアミダ岳にとどめたこと。

②25日の予定は仮屋園と原はアミダの北綾からとっつくH2と私と中山氏は正規のルートをとることになっていた。北稜にとっついた仮屋園と原は時間的におくれたためアミダ山頂であったのは12:50 コルにもどったのが1:45 午後の行動は冬山の場合危険と考えたこと。中山氏の疲労度が相当大きい様子なので中岳、赤岳とは中止し行者小屋に向かう。

12:50 昼食 1:20 出発 1:45 コル 2:00 行者小屋 2:30 テント 3:40 原と仮屋園、帰京

4:00 間食 カレーラーメン 4:30〜5:20 現役雪遊び H2のテント帰着が遅いので気になったが5:20 帰ってくる。 6:00 夕食 野菜イタメ ポタージュ イカの塩から ハム 8:30 消灯(風強し)

26日

6:30 起床 8:00 朝食 雑煮 8:40 冬山合宿解散式 8:55 中山氏と私は出発

岸田、中屋、中川は赤岳と中岳をやりたいと計画したが、これはあくまで個人の責任の問題とし、前夜相談した。私としては一緒に帰えってもらいたかったがどうしてもというので、冬山合宿の解散時ならということになり、団体装備を分散し下山することになった。

9:00 中山氏のザックのパッキングが悪いので直させる。 曇〜晴 雲あり

9:05 出 9:30 休 9:40 出 10:00 美濃戸 10:05 出 11:30 農場11:40 茅野 ソバを食べる。 13:14 急行 新宿行きにのる。(八王子で中山氏下車)  16:30 新宿着

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