高梨ノート 1963年 冬山合宿 八ヶ岳

1963年12月14日午後8時頃 D.W.V.村山秀世(高2) 交通事故で死 従って1963年冬山合宿は村山の追悼山行となる。

1963年 冬山合宿 期間 12月21日〜26日

目的地 八ヶ岳連峰

引率者 高梨 飯島

現役 藤田昊二 H2-3  加藤正治H2-3  丸山正次H1-3  佐野俊一H1-3  大成哲H1-6  山中和雄H1-7  阿部武H1-7

新宿23時45分 長野行

コース 新宿(中央線)→茅野 バス(茅野—農場) –美濃戸—●川 南沢(or 北沢) →行者小屋(B.C.)  阿弥陀岳 赤岳 中岳

個人装備

上着(とジャンパー) 1  オープンシャツ2  長ズボン1  アンダーシャツ2  メリヤスシャツ(上下)  ズボン下2  パンツ2  セーター2  帽子1  目出帽1  手袋3  クツ下 厚物2  薄2  ナイロン2  ゴーグル1  ヤッケ1  オーバーシューズ1  オーバーテブクロ2  尻当1  シュラフ1  シュラフカバー1  ビッケル1  靴1  アイゼン1  アイゼンバンド1  キスリング1  サブ1  ローソク5  カイロ 非常食 タオル 保革油 新聞紙 マッチ 磁石 地図 ポリエチレン袋

記録

12月21日(晴)  見送り 中山 若井 常盤 刈谷 山田 中尾 岸田 新井の諸君

12月22日

5:50 茅野着 6:20 バス乗車 7:00 農場 7:10 朝食 7:20 体操 7:35 出発 8:10 休 8:15出 沢に入る 8:50休 アミダ頂上がよくみえる 9:00出 9:30美濃戸途中でトラックに乗車 9:45美濃戸手前 9:55 美濃戸(朝食の残りを食べる)  10:05 出 10:50休 11:10出 11:40三の岩 佐野バテはじめる 11:48 出 12:10休 12:15出 12:50休 1:00 出 全体にバテギミ

高梨とばし行者小屋手前で約40分間一行を待つ。阿部の姿をみとめたので先に行者小屋に向かう。雪この辺りから多くなる。 3:00行者小屋着 これより約30分程待っていたが、一行の姿をみとめぬので小屋に入りザックをあづけ引き返す。阿部、山中を認めさらにとばし飯島とあう。佐野がバテているとささやき、一行をはげまし佐野一人を残して小屋に向かわせる。佐野をたすけながら小屋に向かう。途中ライターを紛失する。直にテント設営。その間、佐野を小屋にあたらせ休養をとらせる。全体が行者小屋付近に着いたのは4時15分である。

7:30夕食 スキヤキ 10:00 消灯

12月23日

7:00起床 8:50朝食雑煮 10:30 出発 アミダに向かう(天候晴風なし)  10:55休 10:57出 11:15 コル(休) 11:30アミダ斜面にとりつく。12:00阿弥陀岳頂上 村山の遺品を雪中にうめ追悼式を行う。 12:50 コル着 コル付近で滑落停止訓練 全員すこぶる元気 富士がよくみえる。(その間昼食)  1:40コル出発 2:00 B.C.着 テント補強及び食事準備 5:30夕食 カレーライス 6:00終了 7:30就寝 風強くなる 12:00強風

12月24日 曇 吹雪 風強し

起床5時なれど強風と吹雪のため停滞とする。 7:00までねむる。9:00朝食 雑煮 テントの補強 12:00 昼食 イソベ巻 5:30夕食 フリカケ カンズメ スパゲティ 8:00消灯

12月25日

5時起床なれど吹雪、停滞となる。 9:00朝食 雑煮 天候回復の様子がみえたので赤岳に向う。10:30出 11:50 若場に到着 天候悪化と部員のなかで特にバランスの悪いものあり(佐野山中等) 赤岳は断念し帰途 11:55 雪上訓練にきりかえる。1:50行者小屋着 昼食 イソベ巻 その間ワカンのあるき方の訓練。 2:30自由行動を許可する。4:00  6:00夕食 汁 カンズメ 6:30  10:00 コンパ 10:00就寝

12月26日

5時起床 雪 風あり 6:30朝食 テント撤収 7:25B.C.出発 途中佐野のパッキング状態悪くやりなおす。 11:05休 11:10出 11:40美濃戸 昼食 パン 12:15出 12:55休 1:00出 1:40農場着 体操 3:20発のバス乗車 4:15茅野着 17:35新宿行準急とし駅前食堂 Bランチ(150円)をたべる。 (新宿 茅野540円 準急券100円) 9:40新宿に到着の予定であったが小金井踏切で事故があり新宿に着いたのは10:20 ホームで解散する。(尚、阿部、中山に二人は急行で別行動をとった)

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