高梨ノート 1966年 夏山合宿 飯豊連峰

昭和41年 7月20日〜26日 夏山合宿 飯豊連峰

高梨 飯島

H2  長谷川 冨樫 本多 田中(広)   長瀬

H1  高橋 木村 志村 鷦鷯 佐久間


(20日) 

22時35分 新潟行き(越後号)   新津経由 新津着 5:14

見送り 阿部 佐野 菅野 平川 山田(史)

(21日)

6:03     一番線ホーム郡山行き 7:44 徳沢着 駅長に挨拶の手みやげを持参

7:50   バス→(中町 8:15) トラック乗車  弥平四郎部落の橋梁豪雨のため破壊され、通過困難なため別なトラックとのりかえる。

9:40 森林道終点出発 10:00 山道破壊され通過困難、時間かかる。 10:20 通過 11:00 渡河(丸木橋流失) 11:00 (仙台屋) 昼食 12分 11:30  出 11:50  休 11:55  出 12:05  祓川 沢の水増加、渡河困難。 石を投げ入れ足場をつくる。 12:45 渡河終了 12:50 テント設営 1:30 夕食 カンズメ スープ etc

時々俄雨、全体に雲多し。 明22日の起床は3:00とし、5:30  出発とする。

第1日目 鷦鷯(ササキ)がバテタので団体装備のうち、食料を減らすことを指示する。

(22日)

4:00 起床、(食事当番 3:00起床)   4:10 朝食 みそ汁 カンズメ 干鱈  4:35 終了

雨の為の停滞となる。沢の水増加 コースの一部変更を相談する。

第1案

祓川―三国峠―切合―文平の池→大日嶽

第2案

祓川―三国峠―切合―飯豊本山

第1案、第2案とも往路は新長坂経由

12:20 昼食 パン チーズ スープ   午後は3時頃雨あがる。

午後3時15分頃 長谷川、長瀬、本多、冨樫の4人が松平峠まで無断で出かけたことを知る。

冨樫と長瀬は途中でひきかえしてきたとのこと。 4時までに祓川に帰着しない場合は捜索することとし、4時となる。 高梨、冨樫、飯島が出発。4:00 出 4:20の地点で2人を発見、注意する。

4:30 祓川 5:00 夕食 マゼ飯 汁 カンズメ 5:20 終了 7:00 消灯

<23日>

3:45 起床(曇り)    5:20 朝食 カンズメ みそ汁 けずりぶし 梅干し 晴間みゆ 5:40 終了 6:20 出発 7:05 休 7:10 出 7:35 休 7:40 出 8:00休 高橋バテル 8:35 休 8:40 出 9:05 休 9:10 出   9:18 水場 水筒に水を入れさせる。

高橋が遅れるので飯島氏が本隊をつれ、長谷川と私が高橋をつれていくことにする。

10:10 松平峠 昼食1回分 10:35 出 10:55 疣岩沢 11:00 出 11:35 休 11:45 出 12:10 お花畑 いつもより雪渓多し ガス発生 12:35 出 12:50 三国岳 昼食2回分 1:25 出 1:55 出 2:25 休 2:30 出 2:50 種蒔山通過 3:00 切合小屋 切合手前より雨が多くなる。テント設営中豪雨となったため中止。小屋一泊 素泊400円 6:15 夕食 カレー スープ 6:35 終了 7:00 消灯

<24日>

4:30 起床 大日嶽の上部を除いて下部のみみえる。 天候悪し

5:40 朝食 6:00 終了 7:00 出 7:15 休 7:20 出 雪渓で水をくませる。 7:40 草履塚 7:45 休 7:50 出 8:10 休 8:14 出 8:45 休 風強し 8:50 出 9:10 飯豊本山 9:15 昼食1回分 10:00 相談の結果 飯豊本山テント設営 天候 風強く視界ますます悪し テント強風のため無理 避難小屋に移動(1人100円) 4:00 夕食 スープ マゼメシ 4:20 終了 雲の切間から太陽がさしこむ。 6:30 消灯

<25日>

4:30 朝食 5:20 終了 6:40 出 曇 風強し   6:55 出 7:02 出 7:20 休 7:23 出

7:30 草履塚通過 7:40 切合手前・雪渓テント設営 12:00 昼食 (雪渓で遊ばせる) 6:00 夕食 6:30 コンパ 8:30 消灯

<26日>

4:10 朝食 5:40 出 6:00 休 6:05 出 6:12 種蒔山通過 6:37 休 6:40 出 7:35 コースを誤った気となり先に行って状況をみる。間違いなし。 7:50 休 カルピス 8:05 出 8:15 新長坂の途中で佐久間が転落。頭に傷をおう 佐久間の両側は飯島、長谷川、田中らにまかせ、長瀬、本多をつれ疣岩沢へむかう 8:30 疣岩沢 長瀬、本多のザックをおろさせ、サポートさせる。

9:10 佐久間の傷は大事なく、空身のまま歩かせる。 9:15 サポートし飯島、冨樫、長谷川、佐久間らを出発させ、高梨が残る。

9:40 松平峠 昼食 10:00 出発 10:22 出 11:00 祓川 11:35 出 12:00 丸木橋 12:20 トラックを待つ 1:50 トラック乗車徳沢へ 16:48 新津行乗車   新津着 18:32 19:4   よねやま号(急行)   長野 22:59   23:35 (戸隠号急行)     小諸 0:55

「高梨ノート 1966年 夏山合宿 飯豊連峰」への1件のフィードバック

  1. 何か後半、早く帰京したい高梨さんの思いが感じられる..当時は高校生の気楽さで行動してたのか?日誌は大袈裟な気もするが高梨さんの責任感があった。あの時代を思い返し、素朴?ナイーブ?だった?まあ、リスクを取るから達成感があるのでそう言う意味では高梨さんは危険を犯す快楽を教えてくれた..。

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