1970(昭和45)年 6月21日
饗場(H1-1) 二ノ塔より状態悪化 空みで歩行させたが状況さらに悪化し、時間がかかるので本隊を下山。営林署の小屋に停滞(飯島氏 饗場 中村 碓井 野村等がつきそう。)
5月28日 9時35分頃 以上 現役から電話あり)
- 部長が丹沢遭難救助隊長 高橋啓一氏宅に連絡したため(最近過去2回に●●●高校生の死亡事故があったため救助を要請されたので28日22時40分頃救助を許可する)
- 本隊についての指導
H1部員は最寄りバスで帰宅 現地より各自宅に電話をさせた
H2部員 部長 念のため大倉山荘一泊
22:30 饗庭宅にtel 飯島 碓井宅にtel
24時頃 学校宿直者より電連絡あり 22:45●●● 電連絡
29日
5:00連絡 6:55連絡 8:00連絡 二村宛現地に急行する●●●連絡
8:30自宅出 渋沢駅 バスにあわず徒歩 10時35 現地到着 (饗庭以下全員元気)
大秦野署長 部長に挨拶する
経費●●●●の如し 54,950円
隊員8名 4,500円 警察官2名 花立山荘使用者 宿泊代 14名 550円 7,700円 20名 二食分 200円 4,000円 大倉山家使用者 宿泊料 5名 550円 2,750円 電話料 東京1.500円 計53,950円 駒止茶屋夜間休憩料及び茶代 10名 1.000円 合計 54,950円 丹沢遭難救助隊 隊長 高橋啓一