私は20年間の滞独生活の後,バブルの最中に大学教員になった。そして今、最近の学生の変わり方に,ただ驚くばかりである。不況の氷河期にあって、遊んではいられないと、目標の見える方向に向かって一生懸命に勉強する学生の姿が目立つ。それも、かつては実学と呼ばれた商学,法学、理工の分野ばかりではない、文科系の学問にも大いに関心が集まり始めた。
難関大学の法学部出身で一流企業に入った自分の父親がリストラにあい、途方に暮れている姿に直面したのかもしれない。一方、実学とは無関係な抽象的なことを学んだ学生が、幅広く社会の隙間に入りこみ、実効性のある仕事をこなしている例はいくらでもある。大学に入る前にはもちろん,何を学びたいかを知らなくてはならない。ただ,その際に大学で勉強したことを、そのまま一生続けられることはむしろ例外である。例えば、法学部→司法試験→弁護士といった幸運な人間は非常に少ない。ほとんどの人間は、大学で学んだことの周辺で,あるいはまったく無関係な分野で仕事をしている。その際肝心なことは,新しい社会への適応性である。それはことに,わけのわからないことを学んだ学生に際立っている。理由は明らかである。現代社会は巨大な産業設備にではなく、今まで無視されてきた人間存在自身に社会の関心が向けられている。これは無限の広がりをもつ研究分野であり,仕事は無尽蔵にある。今やっと難関大学→一流企業という幻影から解放されて,自分のやりたいことに向かって進めば、可能性は後から追いかけてくると考えればよいのだ。
日本の社会も今やっと氷河期のど真ん中にあって,この点に気づき始めた。つまりはやっと一人前の大人になろうとしている。学生の態度が大きく変わったわけだ。大学とはその方法を自分で探るところなのだと考えれば,必ずしも難関大学である必要なぞない。ただ自分で何がやりたいかは,大学に入る前に知らなければならない。ただし、それも年を重ねるごとに変わるものだということも忘れてはいけない。
大阪女子大学人文社会学部教授 渡辺知也(’59年卒) 2003.5.13(1941年生まれ)
旺文社『螢雪時代』’02年「8月臨時増刊号」所収を改題・再構成
構成:長瀬治(エ・デュース)