ジャン・フランコという登山家は「山は根気強い勤勉さと、沈着と、頑張りの学校だ」と言っている。数年前の山日記に載っていたものを手帳に書き写しておいて覚えていたのだが、この人物のことも、この言葉のいわれも詳しいことは知らない。ただ、自分なりに解釈して、好きな言葉のひとつに数えているに過ぎない。そして時々、山に向かう姿勢を省みるよすがとしているのである。最近やや下火になったとはいえ、相変わらず大勢の人々が山に行くという。その一人ひとりの登山の目的はまた多種多様であろうが、共通して言えることは当人が意識するしないに関係なく、山は学校だということだ。
山は高きに登ることのためにのみあるのではない。登頂のみが目的であるならば、なにも重い荷物を背負って遠くまで出かけることはない。この過程と不可分に山には山の植物や動物、風や雲、雪や岩、またそういった自然全てを含めての美しくも厳しい山のただずまいといった魅力があって、われわれを強くひきつけるのである。そして、われわれがその山の自然を享受するには、それ相当の労をつまねばならない。山行にあたっては、それこそ根気強く勤勉に、また沈着に行動し、最後まであきらめずに、投げ出さずに頑張らねばならない。そして、山行を重ねていけば、われわれはいつの間にかこういった努力を惜しまぬ態度を身につけることができる。
初めて山らしい山に登ったのは、高校2年生の夏で、八ヶ岳を稲子湯から中山峠に登り。南に天狗岳、夏沢峠、硫黄岳、横岳、赤岳と縦走し、力尽きて県境尾根を清里に下りた。力尽きたのは、単独行だったので用心し過ぎて装備が重くなったこと、ペースの配分がよくわからず炎天下を力にまかせて、ほとんど休まずに歩き続けたことによるものと思われる。中山峠に泊まった翌日,赤岳まで行き,荷を置いて阿弥陀岳を往復する途中で,軽い日射病にかかり鼻血を出してフラフラになってしまったのである。幸い岩陰で小1時間ほど休んでいる間に元気を取り戻したからよかったもの,心細い限りだった。それで,編笠岳への縦走を取りやめたわけだが,後は病みつきになって山行を繰り返している。
しかし今頃になって,同年代の仲間も山に行かなくなると,ふと何故山へ行くのかと自問することがある。すると思い出すのがはじめの言葉で,山に向かう人間の真摯な心が読み取れ,励みを覚えるのである。 1967年
DWV顧問 飯島義信