東浦奈良男をご存知ですか。週末登山からはじめ、定年退職後は勤務先を山に変えて、近隣の低山や富士山を中心として雨の日も風の日も毎日1日も欠かさず27年間山を登り通した信念[*執念]の人です。
富士登山368回、連続登山1万日達成の目前の9.728日目で体調不全のため本人の意思に反して緊急搬送されて入院することになり、記録は途切れました。26年と248日、86歳でした。その後、再び山に登ることは叶わず亡くなられたました。
山と渓谷社発行 吉田智彦著 信念 東浦奈良男 “一万日連続登山への挑戦”から抜粋しましたので、ご覧いただければと思います。
「袖をまくった灰色の大きな上着を羽織り、それよりも少し色の薄い作業ズボンに長靴を履いている。右手には傷だらけの隙をストック左手には使い古された黄緑色の傘を持ち金属製のフレームに農協の薄い布袋ぶら下げた手製のザックを背負っている。布袋の下にはもう一つの蒼い袋が吊るされているが、いったいどうやって留められているの分からない。身に付けた装備のほとんどが長年日にさらされたために色あせ薄い汚れていた。正直に言って服装だけ見ればホームレスと言われても名付けてしまう。しかしよく見ると決して下見ではなく洗濯もきちんとされていることがわかる。汗を脱ぐために首にかけた青いチェックの入った間新しいタオルだけが白く際立って見えた。2006年10月4日。それが、8,014日間1日も欠かすことなく山に登り続けてきた81歳の東浦奈良男さんと初めて会った時の印象だ。」
「日数ではなかなかピンとこないが年数で記せばその長さが実感できるだろう。およそ22年間。それは僕の人生の半分を超えていた。そんなエネルギーがその小さな体のどこから生まれてくるのか想像もつかなかった。」
「150回への一歩の日。いよいよ時間の束縛から完全に解放された完全な自由の第一日目である。あー毎日山行できるのだ。待ちに待った日、さぁあの山この山駆け回ろう。血わき肉おどる足うなる。ゆくぞおかげで45年間働かせて頂いた。その結果である。ありがたし。ありがたし。墓参りしてからアサマ山へ。以後の出勤先は山となる。」
「山登りに精進するその報いは体ひとつで充分と言い切れる奈良男さんは、親類の冠婚葬祭があっても山を休みはしない。愛知県に住む素光さん[*娘さん]が結婚した日も朝6時に朝熊山へ登り、待ち構えている車に乗って約150キロ離れた式場に向かい、11時からの式に出席している。また結納の時は早朝に家を出て墓参りを済ませてから素光さんが運転する自動車で名古屋へ出発。午前中に結納が終わると会食には出席せず、とんぼ返りして直接朝熊山の登山へ行き、午後2時半から登っている。結婚式や結納は1日だが葬儀の時は通夜があるので二日間必要になる。あるときは出発前に地元の山に登り移動して通夜に出席。翌朝、葬式が始まる前に現地にある山に登ってからタクシーで会場へ駆けつけたりしている。連続登山4,800日目、奈良男さんは親類の通夜に出て素光さんに「5000日日でやめとけ」と言われるが「1万日や。男として目標立てる」と答え「男として」と言う言葉を初めて使ったが、これも連続14年目の自信かもしれないと書いている。」
因みに奈良男さんは低山や富士山ばかりではなく初期の頃は前・奥・西穂高、槍ヶ岳、燕岳、餓鬼岳、常念岳、立山、劔岳、八ヶ岳、御岳山、木曽駒ヶ岳、北岳、仙丈ヶ岳、石鎚山、大山、大峰山、八経ヶ岳、伊吹山なども登っています。
*編集者注釈
毎日、富士登山してエベレストまで行き雪崩で登れなかったヒトがいた。かって、寺は山の中にあり修行はさらに山奥であった。それが今は町屋に寺がある。西欧アルピニズムに対して信仰登山が日本に残っている?彼は修行してた?涅槃を見たか?