富樫さんが突っ込み重視の荒削りの滑りで雪煙巻き上げゲレンデを先頭切って滑って行く。その後を常盤さんの友人の園田さんが綺麗な弧を描きながら後に続く。次に私が右方向は良いが左方向は外足に加重がかかり過ぎる歪な滑りで続き、私の後を千野さん、植田さんの順に繋がり、ツークで滑って行く。平成18年3月の神楽三俣スキー場の最上部での光景である。
その後、カッサ湖周囲の田代スキー場へ連絡路を滑るが、千野さんがボーゲンとは逆のVの字をスキーで作り、連絡路をクルクル回りながら下るアクロバティックな滑りを見せる。スキーウエアと同様に派手である。カッサ湖傍のレストハウスで休憩後、田代スキー場の主だったゲレンデを皆でツークで滑り、神楽三俣のゲレンデで一人で練習しているビギナーの中野君のもとに戻り、正午前ロープウェイに乗りその日のスキー合宿を終えた。充実した午前であった。
この合宿はスキー合宿が丸沼高原で行うことが数年前より続ていたため植田さんの提案で旧知の三俣のスキー宿のオーナー、通称ゴリの宿で開くこととなった。前夜、ゴリの部屋にある山や川で拾った石を見せられ、数百万するという怪しげな話の数々を聞かされる異色の合宿であったが、スキー場、宿の雰囲気とも印象に残るスキー合宿でした。私はそれまで学生ならびに社会人時代を通してなかなか継続的にスキーに行く機会がありませんでした。そのためOB会のスキー合宿が開催されてからはそれが楽しみでした。スキー後の食事や呑みながらの学生時代の武勇伝、独軍の仏軍への進行や台湾での紹興酒の飲み方等のくだらいことから事業の転機になった出来事等の人生の滋養になる話までと多方面な話題があり飽きることがありません。
時に一緒にいらっしゃった奥方の前で春歌を歌ったり、ちょっとした言動で諍いとなったことも今となっては楽しい思い出です。しかし、その頃、中心となってスキー合宿を主催して頂いた先輩方も一人、二人、三人と鬼籍に入られ、スキー合宿も立ち消え寂しい限りです。
そこで、一年発起して山スキーでもやろうかと山道具店に行ってみましたが、板、靴、シール等を一式で15万!とのこと。靴も足首が太いため合わず、断念。山スキーよりはるかに安い、西洋ワカンのスノーシューでも買って雪山ハイクにでも出かけようか。
昭和49年卒 柳澤孝嘉