OB会山行 御神楽岳 金 有一

私はワンゲル部OBではないがOB会との結び付きは佐藤八郎、常盤雪夫、杉島祐一さんらとクラスメートであったことから飯能河原のバーベキューに誘われたことが発端だった。以来、小諸の親睦会や休日の山行に居心地の良さもあり参加するようになり、OB会の仲間に加えていただいている。

嘗てOB会の山行は八郎さんが中心となって企画をし、届く加代夫人によるイラスト入り手書きの山行案内はほのぼのとしていた。最近は小諸の親睦会がOB会主催の山行に取って代わっているが、以前の四季折々の山行(山旅)は丹沢山塊、箱根、高尾・道志、奥多摩、奥武蔵、奥秩父、西上州、筑波、浅間周辺、草津、戸隠・黒姫、上高地、越後、鹿沼、日光・奥鬼怒、尾瀬、南会津などの玄人好みの山々を発掘し登るのが八郎流だった。10年から20年以上も前になるので詳細な記憶は定かでないが、写真を見ると旧遊した山々の光景が思い出される。特に、5月や秋の連休に野岩鉄道や会津鉄道を利用して足繁く通った南会津の山々は懐かしい。会津駒ケ岳、荒海山、七ヶ岳、小野岳、博士山、二岐山、御神楽岳である。

御神楽岳(1386m)は磐越西線津川駅の南20kmほどのところにある越後山脈北部の一峰である。それほど高くないし知名度の低い山だが、急峻な岩壁を周囲にめぐらせ荒々しい山容を誇っている。OB会では5月の連休に2年連続で挑戦したことがある。室谷登山コースを登るが稜線に取り付く辺りは膝まで達する程の雪積。対峙する尾根筋は中腹から稜線にかけては至るところ岩が露出して急な斜面をつくっておりU字型に浅くへこんでいる。アバランチ・シュートと呼ばれる雪崩のすべり台である。谷底には黒く汚れた雪渓が残る恐ろしい程の眺めだった。片側が切れ落ちる稜線を雪庇に注意しながら灌木やネマガリダケの生えている側を登るが山頂は未だ先、我々の実力はここまでと撤退を決断する。今も我々にとっては未踏の山である。「みかぐら」という響きの良い名は何に由来したのだろうか。調べてみると、越後野誌に「古ヘ覚道ト云フ人、峰ニ登テ神楽ヲ奏セシ、故ニ山名トス」と記されているとあった。神秘的な一面を持ったこの山に魅かれるのは、私が追っかけをしているギフチョウの棲息地として知られていることも理由の一つになっている。

この山行で忘れてならないのは登山前日の夜、みかぐら温泉の送迎バスによる祭り見物である。普段「狐の嫁入り」と云えば、「天気雨」を思い出す人が多いだろう。だが、津川では毎年5月3日の夜に開催される奇祭「狐の嫁入り行列」がある。町に口伝されてきた狐火伝説を元にしていて、毎年5万人もの人が訪れる祭りである。白無垢姿の花嫁が108人のお供を引き連れて行列を作り、松明や提灯で幻想的な雰囲気に包まれた町内をゆっくりと進む。花嫁の鼻筋を白く化粧し頬に描かれた狐独特の三本のひげと尖った口先のメークは狐顔そのもので神秘的な様相を醸し出している。お巡りさん、駅員さん、高速道路出口のオジサン、参加する町民までも狐のメーク、そして見物客も。やがて行列は常浪川に架かる城山橋上で花婿と花嫁の対面で最高潮に。暗闇に包まれた河原から燃えさかる篝火に見送られ、渡し船で常浪川を隔てた麒麟山へ。篝火と狐の鳴き声が山々にこだまする様は幻想的で「狐に化かされたような」感動を与えてくれたことも、

OB会山行の懐かしい思い出でとなっている。

(山行:2007年5月)    元DWV顧問    金  有一

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