2023年7月12日〜19日
阪急交通社主催の「美しき北イタリア湖水地方とドロミテ街道」ツアーに参加し、ドロミテ山群やモンブランやマッターホルンなどのヨーロッパアルブスを堪能してきました。
ルフトハンザ航空で羽田からドイツ南部のミュンヘンに向けて出発しました。
ミュンヘンに到着し、まずはビールで・・・。
ミュンヘンからはベネチア行きの乗り継ぎ便が荒天で欠航したためにミュンヘンの空港での野宿を強いられました。ブランケットはルフトハンザから提供されました。
翌日は料金は阪急交通社持ちのタクシーで市内観光。
ミュンヘンからは空路でアルプスを越えて、イタリア北部のベネチアへ向かいました。予定ではベネチアから古都シルミオーネ見学が組まれていましたが、潰れてしまったのでベネチアからそのままトレヴイーソへ移動しました。
いよいよドロミティー山岳地帯へ突入。
トレヴィーソではドロミテ山群を代表するトレ・チーメを望むミズリーナ湖を見学し、冬季オリンピックでも有名なリゾート地のコルチナダンペッツォへ。
ミズリーナ湖は冬季オリンピックではスピードスケートの会場にもなった湖です。
途中、ジャウ峠にて迫力あるドロミテの山々を堪能しました。
ドロミテ観光の中心になっているのがコルチナダンペッツォです。コルチナダンペッツォでは1953年に冬季オリンピックが開かれています。当時トニーザイラーが回転と大回転、そして滑降の全てで金メダルを取り、その後数々の映画にも出演するなど名を馳せた地でもあります。
コルチナダンペッツォからボルツァーノの区間がドロミテ街道と呼ばれています。
カレッツァ湖はエメラルドグリーンの湖面の美しい湖で、ドロミテの宝石とも呼ばれています。
ドロミテの最奥フネス谷にあるサンマッダレーナ村はヨーロッパの美しい村30選に選ばれている美しい村です。エベレストの無酸素単独登頂を果たした登山家メスナーの出身地でもあります。
ティラーノからベルニナ急行でスイスのポスキアーヴォまで。ティラーノはスイスのサンモリッツへ抜けるレーテッシュ鉄道ベルニナ線の終着地になります。
ポスキアーヴォからルガノ、そしてリゾート地のコモへ。コモではコモ湖を遊覧しました。
コモからはミラノへ向かい、ヨーロッバアルプス山麓のクールマイヨールへ。
モンテ・ビアンコ(モンブラン)や針峰群をスカイウェイ(ロープウェイ)でエルブロンネ展望台から見学しました。
「スカイウェイ・モンテ・ビアンコ」
丸いスカイウェイのゴンドラはぐるっと回転しながら動いていきます。
エルブロンネ展望台駅
雪を頂くモンブラン山頂(4,810m)はわずかにガスがかかって残念。
中間駅には高山植物を集めたボタニカルガーデンがありす。
左端に角のように突き出ているのが「巨人の歯」と呼ばれるデンテ・デル・ジガンテ(4014m)、右に続くのがエギュイユ・デュ・ロシュフォール(標高4001m)、奥の雪がかかった山が4,206mのグランド・ジョラス(標高4206m)になります。
クールマイヨールからはチェルビニアへ向かい、モンテ・チェルピーノ(マッターホルンを)見学します。
マッターホルンの初登頂を狙うクライマーの多くは斜度が緩いイタリア側からの登頂を目指していました。しかし、なかなか登頂することができなかった中、イギリスの登山家のウインパーらが1865年7月14日、スイス側からの登頂に成功させました。このウインパー隊の初登頂は7人のうち4人が下山中に滑落死するなどの事故を起こしています。イタリア側からはこの初登頂から遅れること3日、登山ガイドのカレルが登頂に成功しています。
丁度見学したこの日は7月17日なので、イタリア側からの初登頂は158年前のこの日だったということになります。
初登頂後のウインパーの事故についての記事を過去にHPでアップしていますので、参照ください。
ドロミテやアルプス山群、そして湖水地方の見学をすべて終え、ミラノへ。
ミラのからはフランクフルトを経由して帰国の途へ。
羽田に無事到着し、旅行を終えました。
S44年卒 田中廣明
コースDAT
行 程
羽田空港 ミュンヘン空港泊 ミュンヘン市内観光 ベネチア空港 トレヴィーソ泊 ミズリーナ湖 トレ・チーメ見学 コルチナダンペッツォ泊 ドロミテ街道 カレッツァ湖 ジアウ峠 ボルドイ峠 サンタ・マッダレーナ村 ガイスラー山群見学 トレント泊 ディラノ ベルニナ急行 ポスキアーポ ポスキアーポ湖 コモ コモ湖 ミラノ泊 クールマイヨール エルブロンネ展望台 モンテ・ブランコ(モン・ブラン見学) ボタニカルガーデン チェルビニア ブルー湖 モンテ・チェルビーノ(マッターホルン)見学 ミラノ泊 フランクフルト 機内泊 羽田空港