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エベレストの渋滞

エベレストの登山シーズンは4月から5月の「プレモンスーン」と9月から10月の「ポストモンスーン」というモンスーンをはさんだ2期になります。約4ヶ月のシーズン中でルート開通時期と気象状況を考慮すると登山可能の日数は1年に2ヶ月程度になってしまいます。

ルートはネパール側とチベット側にありますが、ネパール政府だけで今年は5月19日現在で381通の登山許可を発行しているそうです。

昨年のプレシーズンは天候が安定していたので、5月の登頂者数は過去最高の807人でした。ルートの内訳としてはネパール側から563人、チベット側から244人ということでした。

例年5月中の登頂可能日は10〜15日ほどのようでしたが、今年はサイクロンの影響でシェルパがロープをフィックスしての開通が遅れていて、さらに天候もよくなかったので登頂を目指すたくさんのパーティーが待機させられていたようです。

5月15日に8人のシェルパが頂上までのルートを開いたと同時に、30人以上が登頂したもようです。しかし、5月24日には天候が悪化するとの予報になったため、22日には250人以上が登頂し、サウスコルには同じかそれ以上の人が待機していたようです。

2時間待ちの渋滞状態で後ろにも50人が控えていたとの話も伝わっており、登ることも降ることもできずに身動きできない状態が何時間も続いていたようです。

8,000mを超える雪の山中で待機する時間が多いということは酸素ボンベの調整などもあり、高山病や体調悪化のリスクも高まるとことなります。以前にも大渋滞が発生していたことがあったようですが、今シーズンのエベレストでの死亡者数は11 人に及んでおり、まさに生死に直結した問題になります。

近年は公募登山(ツアー登山)が主流になっているので経験が浅く実力のない人も金を払えば行かせてしまう主催者やガイドのリーダーシップの問題、チベット政府の問題、気候の変動などもあり、エベレスト登山のあり方が問われています。

今回のエベレスト大渋滞については衝撃的な画像が配信されています。著作権の問題もあるので画像を添付することは避けますが、Face Bookの記事をシェアしましたのでご覧ください。

動画への外部リンク

第34回総会での協議承認事項

2019年6月30日、今まで会場としてきた小石川後楽園の涵徳亭がリニューアルのために今回は北千住の味問屋「明日香」で12時半から開催されました。出席者は0Bが12人、家族会員が1名の計13名になりました。

○協議および承認された事項

1.   前年度からの繰越し金

6月30日の総会前現在で繰越し金は6,000円になりました。繰越し金が底をついてきたので、総会会費の残金等を収入に組み入れさせてもらいました。

2.  新年度役員について

会長 冨樫克己、会計 中野 茂、広報 手島達雄とも留任になりました。

3. 秋の親睦会の場所と日程

期日    9月15日(日)〜16日(敬老の日)     、場所は小諸「日新寮」に決まりました。

その他

・広報役員からHPに掲載する記事のタネが少なくなっているので、是非記事を送ってほしいとの発言がありました。

・誰でも参加できるような山行や集まれるような機会を作ってほしいとの要望がありました。

DWV OB会 第34回総会

2019年6月30日  於 北千住 味問屋「明日香」 12:30〜


参加者

打矢之威S31卒 井上正巳S32卒 井上順子 佐藤八郎S35卒 冨樫克己S43卒 本多 純S43卒 木村泰樹S44卒 佐久間俊一S44卒 手島達雄S47卒 二村謙次S47卒 柳澤孝嘉S49卒 中野 茂S49卒 生田 哲S50卒       以上13名

S44年卒の中野さんの司会で総会は進行。母親の介護もあって大変そうです。
S43年卒の冨樫会長の短い!挨拶で今年度の総会も始まりました。

○協議事項

1.   前年度からの繰越し金  6,000円      6月30日総会前現在

2.  新年度役員は会長 冨樫克己、会計 中野 茂、広報 手島達雄とも留任

3. 秋の親睦会の場所と日程

期日    9月15日(日)〜16日(敬老の日)      場所  小諸「日新寮」

○承認後 懇談及び会員の近況報告


S44年卒の木村さんは同期の佐久間さんを誘っての参加です。木村さんは去年S3年卒の田中さんと一緒に火打山を登っています。

S35年卒の佐藤さんは昨年会社を廃業させたということでした。会社を創るよりたたむ方が大変だったと。

相変わらず着物姿が粋なS32年卒の井上さんは奥様同伴で参加いただきました。昨日も遅くまでの夜遊びで、ちょっとお疲れと。

S63年卒のDWV創設者の一人である打矢さんは、「同期の多くが亡くなってしまって」と言うも、とても元気なご様子。

S47年の二村さんは新しい愛犬の写真を見せて回る親バカぶりを発揮。相変わらずエネルギッシュです。

S43卒の本多さんは総会には久しぶりの参加でした。仕事仲間と山へは行ってるとのことでした。

S44年卒の佐久間さんとは連絡がつかない状態でしたが、昨年同期と連絡がついたのをきっかけにOB会の会合にも参加していただけるようになりました。

最年少の生田さんもすでに還暦を過ぎているものの、スポーツカーに乗っていたりトライアスロンをやっていたりと、さずがに若々しい。

近頃疲れてしまって、気力が・・とボヤいていたS49年卒の柳澤さんでした。本会場もセッティングしてもらいました。

秋の親睦会での再開を祈念して、総会は2時半で終了。

(本多さんはチョットに帰られたので集合写真に載せられませんでした。)

その後、二次会へ。

動画での様子はこちらからご覧いただけます。

❇︎写真及び記事はS47年卒の手島によるものです。

メールマガジン6月号 / 2019

6/ 30 /2019 DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン6月号の配信です。

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△▲△▲△ も くじ  △▲△▲△

【1】シカ問題が深刻になっています

【2】エベレストは大混雑

【3】御嶽山の頂上ルート制限解除

【4】中央アルプスのライチョウ

【5】平成30年の遭難統計

【6】行ってきました 山行Now

【7】編集後記

【8】記事の募集とマガジンについて

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【1】シカ問題が深刻になっています

近年、里山では農家がイノシシ、サル、シカなどによる被害から守るために電気柵などを設けているのを目にしますが、里山だけでなく奥山を歩いていても当たり前のように樹木に巻かれたネットや動物柵などを目にします。これは主にシカの増加による生態系等被害を防ぐものです。

反芻機能を持つシカはササやドングリ、木の葉、樹皮などを完全消化することができ、しかも1日に5kg以上の植物を食べ、特に毎年角の生え変わる必要のあるオスはそれ以上を食べる大食漢のようです。

また、繁殖能力が高く、1歳の秋から妊娠できるようになり、その後毎年出産するので条件が良ければ加速度的に増えてしまうという特性を持っています。基本的には雌雄別の群れで行動しますが、用心深く、夜行性もあり運動能力も高いので簡単には防衛や捕獲することができないようです。

捕獲頭数は年々増えているものの、それをはるかに上回る勢いででシカが増加しているのが現状です。

シカの被害の現状や増加原因などこの記事の続きはHPでご覧ください。

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【2】エベレストは大混雑

エベレストの登山シーズンは4月から5月の「プレモンスーン」と9月から10月の「ポストモンスーン」というモンスーンをはさんだ2期になります。約4ヶ月のシーズン中でルート開通時期と気象状況を考慮すると登山可能の日数は1年に2ヶ月程度になってしまいます。

ルートはネパール側とチベット側にありますが、ネパール政府だけで今年は5月19日現在で381通の登山許可を発行しているそうです。

昨年のプレシーズンは天候が安定していたので、5月の登頂者数は過去最高の807人でした。ルートの内訳としてはネパール側から563人、チベット側から244人ということでした。

例年5月中の登頂可能日は10〜15日ほどのようでしたが、今年はサイクロンの影響でシェルパがロープをフィックスしての開通が遅れていて、さらに天候もよくなかったので登頂を目指すたくさんのパーティーが待機させられていたようです。

5月15日に8人のシェルパが頂上までのルートを開いたと同時に、30人以上が登頂したもようです。しかし、5月24日には天候が悪化するとの予報になったため、22日には250人以上が登頂し、サウスコルには同じかそれ以上の人が待機していたようです。

2時間待ちの渋滞状態で後ろにも50人が控えていたとの話も伝わっており、登ることも降ることもできずに身動きできない状態が何時間も続いていたようです。

8,000mを超える雪の山中で待機する時間が多いということは酸素ボンベの調整などもあり、高山病や体調悪化のリスクも高まるとことなります。以前にも大渋滞が発生していたことがあったようですが、今シーズンのエベレストでの死亡者数は11 人に及んでおり、まさに生死に直結した問題になります。

近年は公募登山(ツアー登山)が主流になっているので経験が浅く実力のない人も金を払えば行かせてしまう主催者やガイドのリーダーシップの問題、チベット政府の問題、気候の変動などもあり、エベレスト登山のあり方が問われています。

今回のエベレスト大渋滞については衝撃的な画像が配信されています。著作権の問題もあるので画像を添付することは避けますが、Face Bookの記事をシェアしましたのでご覧ください。

動画への外部リンク

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【3】御嶽山の頂上ルート制限一部解除

昨年は剣が峰の頂上山荘の跡地に避難用シェルターが完成したことで9月に13日だけ通行が解除になりましたが、今年は建て替えが終わった町所有の二ノ池山荘が営業を開始される7月1日から10月上旬までの期間、二ノ池分岐から剣が峰まで通行が解除されるので頂上までのルートが開通することになりました。

黒沢口は六合目の鹿ノ瀬までローブウェイで行かれる人気コースで、昨年期間限定解除の折にも2014年以来の登山ということもあってたくさんの登山客が押し寄せました。去年は山小屋でヘルメットの貸し出しもありましたが、今年は各自持参になるようです。

なお、王滝村の王滝口ルートは安全対策が完了していないので規制が継続されていますが、今年の秋には解除される見込みのようです。

昨年の御嶽山登山の記録はこちらから

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【4】中央アルプスのライチョウ

先のメールマガジンやHPでもご案内しましたが、50年以上もライチョウの生息がなかった中央アルプスの木曽駒ケ岳で昨年メスのライチョウが1羽見つかりました。

環境省ではライチョウの絶滅のリスクを減らすべく乗鞍岳で採卵した有精卵と入れ替えて托卵させ中央アルプスでのライチョウの生息につなげようと計画が進んでいました。

この度、木曽駒ケ岳のライチョウの無精卵10個が確認され、6月8日に乗鞍岳で採卵された有精卵との差し替えが実施されました。

うまくいけば木曽駒ケ岳生まれのライチョウが誕生するということです。

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【5】平成30年の遭難統計

昨年2018年に全国で起きた山岳遭難は2661件で、遭難者数は3129人に上り、いずれも統計が残る1961年以降で最多だったことが13日、警察庁により発表されました。

死者・行方不明者は計342人で、354人だった2017年に次いで2番目に多かったようです。遭難者の約7割がハイキングや沢登りなどの登山者だったほか、山菜・キノコ採りが約1割を占めています。

遭難者の年齢層別では60歳以上が全体の半数を超え、中でも70代と60代がそれぞれ698人、692人と多かったようです。

都道府県別の発生件数では長野県が297件と最も多く、北海道201件、東京都147件がそれに続きます。

外国人の遭難者は169人に上り、過去5年間で約5倍に増加しました。このうち、111人が訪日観光客で、半数を超える61人はスキー場が管理していない雪山でのスキーやスノーボード目的だったようです。

警察庁の担当者は「安全な計画や十分な装備品の準備を心掛けるとともに、道に迷ったと思ったらすぐに引き返すなど的確な状況判断に努めてほしい」と話しています。

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【6】行ってきました 山行Now

この時期、梅雨の晴れ間を狙っての登山となりますが、今年は雨が降る日数が多いようです。今月は日光周辺の6月中の記録を集めてみました。

尾瀬ヶ原 2019年6月13日

日光 男体山2,432m 2019年6月27日

至仏山(2,228m) 2016年6月26日

日光白根山(2,578m) 2016年6月19日

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【7】編集後記

東武日光線の特急に乗っていて、ゴミをデッキのゴミ箱に捨てようとしたらG20のセキュリティーのために閉鎖されていて、捨てられなくなっていました。ホームの自動販売機もシールが貼られていました。大阪で高速やコインロッカーが閉鎖されているのは知っていましたが、日光行きの列車までかと驚きました。

来年の2020オリンピック・パラリンピックまであと1年。来年の7月はどんなことになっているのでしょうか。ちなみにクライミングやカヤックなどオリンピックのチケットを申し込みましたが他のも含めて全て落選でした。

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【8】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 メールマガジン

DWV.OB会HPアドレスは http://www.dwvob.sakura.ne.jp/wp

Face Bookは@dwvob.jpでフォローしてみて下さい。

掲載記事や画像などを許可なく転載することはご遠慮ください。 ⌘

シカ問題が深刻に

近年、里山で農家がイノシシ、サル、シカなどによる被害から守るために電気柵などを設けているのを目にしますが、里山だけでなく奥山を歩いていても当たり前のように樹木に巻かれたネットや動物柵やネットを目にします。

男体山山麓のシカ除けネット

これは主にシカによる植物の食害から環境を守るための対策になります。近頃は尾瀬にもシカが侵入して多大なる被害を与えていることが伝えられています。

尾瀬ヶ原に設置されたニホンジカの食害調査用柵

イノシシやサルは農村で農産物に被害を与えたり、都会にも出没したりと話題になっています。しかし、シカによる被害は農業被害だけにとどまらず、自然環境全体への影響が問題視されています。林野庁の報告書によれば2000年以降、サル、ノネズミ、ノウサギ、イノシシ、クマ、カモシカ、シカの害獣別森林被害統計を見ると、シカによる被害面積は被害全体の過半数を超えており、シカが森林環境に及ぼす影響が圧倒的に多いことが分かります。

シカによる植物の食害はすでに下草や樹木などが復活できる限度を超えて、各地で環境自体を大きく変えてしまっている事態になっています。

⚪︎シカの特性

反芻機能を持つシカはササやドングリ、木の葉、樹皮などを完全消化することができ、しかも1日に5kg以上の植物を食べ、特に毎年角の生え変わる必要のあるオスはそれ以上を食べる大食漢のようです。また、繁殖能力が高く、1歳の秋から妊娠できるようになり、その後毎年出産するので条件が良ければ加速度的に増えてしまうという特性を持っています。基本的には雌雄別に群れで行動しますが、用心深く、夜行性もあり運動能力も高いので簡単には防衛や捕獲することができないようです。捕獲頭数は年々確実に増えているものの、それをはるかに上回る勢いででシカが増加しているのが現状です。

入笠山の頑丈な害獣柵

⚪︎農業被害だけでなくシカが増えて困っていること

・樹皮(形成層)をぐるっと一回り食べられたり、角研ぎにより剥がされてしまうと大量の樹木が枯れてしまっている。

・シカが食べることができない植物だけが増えてしまったり、多雪で従来だと入れなかった所にまでシカが侵入して、湿原の植物や高山植物など貴重な植物が食い荒らされている。自然環境の多様性が低下してしまっている。

・一定の樹木や下草が食べられてしまうことによって関連した鳥や昆虫が減ってしまったり、逆にシカの死体や生体、糞に取り付くシデムシ、センチコガネ、ダニ、ヒルなどが増えてしまっている。

・下草や落ち葉まで食べ尽くしてしまうと、表土が流出したり乾燥が進んで土砂崩れなど斜面の崩壊やダムや道路への損傷など防災、資源確保の面でも問題が出てきている。

シカのバランスを崩した増加は動植物の多様性の低下や自然環境の破壊などを進ませる原因となっている。

⚪︎シカが増えてしまった原因・天敵となる狼がいなくなった。

・天敵となる狼がいなくなった。

・高度成長化での人工林の植樹が進み、シカの食生にあった明かるい林床の面積が増え格好の生息環境が形成された。

・明治から戦中にかけて毛皮や肉の利用による狩猟による捕獲圧が農村や社会のありようが変化したことやシカの保護政策により狩猟が制限されるなど狩猟圧が低下した。

・農村の過疎化や都市化など生活の変化にともなう農村文化自体の変化とハンターの高齢化と減少が進んだ。

・温暖化により子鹿の死亡率が減少したり、シカの活動範囲が広がった。


シカの特性や環境の変化、いろいろな社会的原因が複合的に影響して頭数抑制のバランスが崩れてしまったのがシカが急激に増えてしまった原因のようです。

近年、女性ハンターやジビエなどが話題になっていますが、バランスのとれた自然環境を保護していくためには短絡的に”シカを殺せばいい”というものではなく、適正な管理下における頭数制限にしても簡単に出来ることではなく、農村や都市の生活や構造のあり方やなども含めて継続的に考えていかなければならないことなのかもしれません。

日光 男体山(2,486m)

2019627


関西では台風が発生ということでしたが、日光は15時くらいまでは曇りの予報だったので、百名山でもある日光の男体山に登ってきました。今年はたいした所へは登っていなかったのですが、何とかなるだろうと思って行きましたが、2016年の会津駒ケ岳以来の頂上目前での敗退になってしまいました。ちょっとなめていました。

東武日光線リバティーけごん1号に乗って北千住を出発し、東武日光駅には8時22分着。おにぎりのお弁当を買い込んで、22分発の中禅寺温泉行きバスに乗り込みました。中禅寺湖ハスターミナルには9時20分着で、日光二荒山神社中宮祠まで35分に到着しました。

登拝受付があり500円出して名前や住所など記帳するとお札と案内の紙をいただき巫女さんから簡単な説明を受けました。

登拝門をくぐって出発です。

ブナ林の笹原が広がり、鹿よけのネットが巻かれている林には石段と木道が続きます。シカの足跡もしっかり付いていました。

途中、林道を歩いて行きます。この林道は工事用のものだということです。

四合目に登山道入口があります。ここからが本格的に山道になります。

外人さんのご夫婦が先を登っていて、記念写真を撮ってくれと頼まれしばらく前後しながら登って行きました。

途中、何箇所か簡単な避難小屋が設置されていました。小さいながら急な雨や雷雨避けなどなどにはありがたいと思いました。

登山道は結構ハードで段々大石が現れ、険しくなって行きました。この日は湿気が高く、はじめから大汗をかいていました。まずいと思って塩分を補給し、水も適当にとっていたつもりでしたが7合目あたりから標準タイムからしだいに遅れ出しました。

7合目が過ぎてもなかなか8合目にならず、足が悲鳴を上げてきました。ふとももが攣りはじめてしまいました。

あわてて、芍薬甘草湯を取り出して飲みましたが、限界を超えてしまったのか効いてくれません。

仕方なく、だましだまし、休み休み登りました。

八合目を過ぎて、斜度が緩やかになって頂上まで高度であと100mあたりの地点でつった足がついに戻らなくなってしまいました。

帰りのバスの時刻を調べていなかったので、下山の時間も考え頂上目前ではありましたが下山することにしました。

時々倒れるくらい攣ことがありましたが、それでもなんとか予定通りの時間に下山することができました。

途中、何人かの外人の登山者に会いしました。この登山中すれ違った登山客は7人で、そのうち日本人は1名だけでした。

午後2時を過ぎても下から上がってくる外人さんは頂上まで行くつもりなのだろうかと思いました。上に水場ありますかと聞く人もいて、どの程度理解して登っているのだろうかと心配になりました。

15時55分発のバスに乗ることができました。また、挑戦しなければならない山ができました。


コースDATA

中禅寺温泉BT8:35 日光二荒山中宮祠9:35 一合目9:55   四合目登山口10:45   六合目11:30   7.5合目12:21   八合目12:35  13:10最高地点2312m   五合目14:20   四合目14:35   二荒山中宮祠15:20   中禅寺温泉BT15:30

登拝期間 5月5日〜10月25日(閉山祭)

登拝大祭 7月31日〜8月7日まで

S47年 手島達雄

平成30年の山岳遭難統計

警察庁から昨年全国で発生した山岳遭難についての統計「平成30年における山岳遭難の概況」が6月13日発表されました。

それによりますと全遭難件数は2,661件、遭難者数は3,129人で、ともに統計史上(1961年以降)最多であったことが分かりました。死者・行方不明者は計342人、無事救出されたのは1,586人でした。

発生件数が一番多かったのは長野県の297件で330(死者・行方不明は57)人、続いて北海道201件で243件(死者・行方不明は19)人、東京都147件で158人(死者・行方不明は7)人でした。新潟県、群馬県、神奈川県、富山県がそれに続いています。

遭難事例のうち入山目的で一番多かったのがやはり登山、ハイキングですが、山菜や茸採りなども1割を占めています。遭難の原因としては道迷いが40%程度で、滑落・転倒が30%程度、病気・疲労が15%程度でありました。年齢別では60歳維以上が50%を占め、60代、70代がそれぞれ20%程度を占めています。単独登山者が遭難したケースは全遭難数の4割近くでした。

外国人の遭難者は169人に上り、過去5年間で約5倍に増加した。このうち、111人が訪日観光客で、半数を超える61人はスキー場が管理していない雪山でのスキーやスノーボード目的だったということです。

発生件数の80%近くが遭難現場から携帯電話等によって救助を要請していたようです。携帯電話などの通信手段が有効であるものの、通信可能エリアに制限があることと、バッテリー切れに留意することが大切であると伝えています。報告書では万全な装備品の用意や登山計画書の提出などについても注意を促しています。

尾瀬ヶ原周遊 6月 / 2019

2019年6月13日


鳩待峠〜山の鼻〜竜宮小屋 ピストン

今年の尾瀬のミズバショウも最終を迎えていました。山の鼻の見本園にはまだミズバショウがたくさん残っていましたが尾瀬ヶ原のミズバショウはほぼ終わっていました。黄色いリュウキンカや白いミツガシワ、青いタテヤマリンドウが咲いていました。赤いヒメシャクナゲや白いワタスゲもちらほら咲いていました。

リュウキンカの花

タテヤマリンドウ

ミツガシワの花
竜宮の口

シカの調査用柵


GOPROで撮影した動画は下のURLからご覧いただけます。
gopro.com/v/DbJvLrro1D2op

47年卒 手島

ライチョウの卵を移し替え

メールマガジンやHPでもお知らせしましたが、50年以上もライチョウの生息がなかった中央アルプスの木曽駒ケ岳で昨年メスのライチョウが1羽見つかりました。

環境省ではライチョウの絶滅のリスクを減らすべく乗鞍岳で採卵した有精卵と入れ替えて托卵させ中央アルプスでのライチョウの生息につなげようと計画が進んでいましたが、この度、木曽駒ケ岳のライチョウの無精卵10個が確認され、6月8日に乗鞍岳で採卵された有精卵との差し替えが実施されました。

うまくいけば木曽駒ケ岳生まれのライチョウが誕生するということです。

メールマガジン5月号/2019

△▲△▲△ も くじ  △▲△▲△
 
【1】ラジウスはどこの国のメーカー?
【2辰野勇の「モンベルの7つの決断」
【3「コロンビア」のゴッドマザー
【4】シュイナードの作った2つのブランド
【5】「ザ・ノースフェース」の創業者
【6】行ってきました 山行Now
【7】編集後記
【8】記事の募集とマガジンについて
 
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【1】ラジウスはどこの国のメーカー?
 

「さかいや」の72㎝のキスリングのタッシュに入れた凹んだ灯油臭いラジウスの四角い缶とゴーと唸る青い光を懐かしく思う方も多いのではないでしょうか。

灯油やホワイトガソリンを用いたポータブルストーブはプリムス、スベア、オプティマス、ラジウス、ホエーブスと、いろいろなメーカから作られています。特に当時の日本ではラジウスがかなり普及していたようです。さて、このアウトドア用のポータブルストーブですが、オーストリア製のホエーブスを除きどれもスエーデン製なのをご存知だったでしょうか。

スエーデンではプリムス社が初めて灯油(ケロシン)を用いたコンパクトストーブを生産しました。フラン・ヴィルヘルム・リンドクヴィストが1862年に圧縮空気を利用した無煤煙のケロシン(灯油)ストーブを発明しました。そして、1892年、プリムス株式会社を設立し、プリムスストーブの量産を開始しました。ナンセンやアムンゼンが北極や南極に携帯していったのがプリムスストーブであり、ヒラリーとテンジンがエベレストで使っていたのもプリムスストーブでした。
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【2】辰野勇の「モンベルの7つの決断」

第一の決断 28歳で起業を決断

高校卒業後スポーツ用品店に住み込みで働き始めますが、店主からロッククライミングは危険だからやめるように言われ、父親が亡くなったことを理由にして会社を辞めます。その後、山好きの恩師の紹介で登山用品専門店の白馬堂に就職します。営業成績も良く本店の店長を任せられたそうです。仕事の傍クライミングを続け、4ヶ月の休暇をもらって21歳にしてアイガー北壁の第2登を果たします。白馬堂主催での登山学校を開設し、日本で初めてのロッククライミングスクールを運営することになります。

23歳で結婚しますが、会社の先輩と喧嘩をして店を辞めることになります。その後、白馬堂の顧客で山岳部のOBでもあった方の紹介で総合商社に就職し繊維部門の仕事に就くことになります。商社で仕事をしていく中で、自分でものづくりをしたいという気持ちが強くなり28歳で退社、起業を決断します。母親から200万円を借りて会社を登記し、銀行から引き出して母親に返し実質資本金ゼロからのスタートを切ります。アウトドア関係の会社モンベルの設立です。その後山仲間二人が加わりますが、はじめはスーパーの買い物袋の企画製造納品という仕事だったようです。その後、デュポンの素材で寝袋の製作に仕事がシフトされていきます。

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【3】「コロンビア」のゴッドマザー
 

ウエアからシューズ、バック、アクセサリーまで製作販売するアウトドア用品のメーカーであるコロンビアスポーツカンパニーの創業者はポール・ラムフロム。

彼はドイツでシャツの縫製工場を営んでいましたが、1938年にアメリカのオレゴン州ポートランドへ移住します。はじめは帽子問屋の権利を買い取り、近くを流れる川の名前からコロンビアハットカンパニーという名称の会社を立ち上げます。

ラムフロムの次女ガー・ラムフロムは10代だった頃から家業を手伝うことになります。
 
後に社長を引き継ぐことになるニール・ボイルは1950年からコロンビアの事業に参加し、ガートと結婚します。

ガートは夫ニールとその友人のためにポケットのたくさんついた釣り用ベストを考案しミシンを使って仕上げます。この釣り用ベストがとても好評だったので、1960年にはそれを社の製品とし生産してヒット商品になります。

この続きはこちらからご覧ください。


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【4】シュイナードの作った2つのブランド
 

「エルキャピタン」での”クリーンクライミング”など、ヨーロッパのクライミングからアメリカへ流れを変えた立役者でもあるクライマーのイブォン・シュイナードは同時に現「ブラックダイヤモンド」や「パタゴニア」の創業者でもあります。

イヴォンは少年の頃、狩猟のために鷹やハヤブサを調教する南カリフォルニア鷹狩団体に所属しており、岩壁の鷹の巣を取るための懸垂下降を教わったりしたことからクライミングに目覚めていきます。

1年中、週末にはどこかの岩を登るような日が続きますが、やがて舞台をヨセミテに移します。ヨセミテ国立公園は「エルキャピタン」をはじめ渓谷にそそり立つ白い花崗岩の岩壁が特徴でクライマーのメッカにもなっている所でした。
「エルキャピタン」は谷床から千メートルもある一枚岩で必要とされるピトン(ハーケン)の量も半端ではなかったので、自作でビトンを作り始め、繰り返し使うことができるクロムモリブデン鋼を使ったピトンを開発します。イヴォンの作ったピトンは評判がよく、山仲間にどんどん広がり、1個1ドル50セントのピトンに注文が殺到するようになります。ピトンを作りながらクライミングする日々が続いていきます。やがて手作りでは製造が追い付かなくなり、道具や金型、機械を整えての量産の必要に迫られます。
 
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【5】「ザ・ノースフェース」の創業者

ダグラス・トンプキンスは1943年3月20日にオハイオ州で生まれました。12歳でロッククライミングを始めた彼は、スキーや登山にのめり込んでいきます。17歳になると、高校を卒業しないままコロラドへ渡ります。ヨーロッパや南米で働いて資金を貯め、スキーに明け暮れていきました。

1964年にサンフランシスコで結婚し、1966年にはスージー・トンプキンスとともにスキーやバックパック用品を取り揃えた小さなお店を開きました。これが「ザ・ノースフェース」のスタートになります。当初から人気のお店で、顧客であったハップ・クロップが経営に参画し、当時としては画期的だったダウンジャケットやバックパック、新型のテントなどの商品を開発するなど爆発的なヒットとなりました。

しかし、トンプキンス夫妻は2年後にはお店をハップ・クロップに売却して、親友のイヴォン・シュイナード(後のブラックダイヤモンドやパタゴニアの創業者)とともに南米パタゴニア目指してサーフボードや登山道具と旅を記録するための16ミリのカメラをバンに乗せ旅に出ます。

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【6】行ってきました 山行Now
 
過去ログからこの時期の山行記録を集めて見ました。
 
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【7】編集後記
 
屋久島では大雨によりハイカーが孤立して自衛隊の出動が要請されたり、箱根山の火山噴火レベルが2に引き上げられたりしています。高山でも雪解けが進んできていますが、極端な気象変化や地殻地形の変動が続いていることに伴って大きな事故が怒らないことを祈るばかりです。
さて、今年度のOB会総会のご案内は届いていますか。今年はいつも総会で使っていた涵徳亭の大広間がリニューアルのため使えないので、都心から少し離れますが6月30日に北千住の「明日香」で行うことになりました。あらかじめ人数確認が必要なので、5月中に出欠席の確認の返信をよろしくお願いします。
34回総会の会場MAPを含めたご案内はこちらからもご覧いただけます。
 
 
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【8】記事の募集とマガジンについて
 
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本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

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