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尾瀬ヶ原周遊

2017年7月6日  尾瀬ヶ原周遊


関越道を沼田ICで降りて国道120号線を日光尾瀬方面に進む。鎌田の交差点 で日光への道と分かれ左折し、街道を尾瀬大橋を渡って行く。尾瀬戸倉温泉を進んで行くと右手に尾瀬第一駐車場のゲートがある。鳩待峠は乗用車の乗り入れが規制されているので、ここでバスか乗合タクシーに乗り換えて行くことになる。待合所にはバスと乗合タクシー共通の乗車券の自動販売機があるので、こちらで切符を求める。係員がいて、マイクロバスは一定の人数がたまった時点でマイクロバスへ誘導してくれるので、バスの時刻表などを気にすることははない。

マイクロバスもバスも鳩待峠の100mくらい手前の駐車場で降りることになる。帰りも切符を鳩待峠で買ったらこの駐車場まで下がってきてバスやマイクロバスを待つことになる。

靴底についた種子の持ち込みを防ぐための種子落としマットと入山者カウンターのついたゲートを通って行く。鳩待峠から尾瀬ヶ原への道は基本下りの道である。

すでに水芭蕉の花は2週間ほど前に終わっていて、葉が巨大化しつつあった。

クマ避けのベルが何箇所か設置されている。鳩待峠から40分ほどでビジターセンターや山小屋のある山の鼻に到着する。

昨年からの積雪量は例年とさほど多いというわけではなかったものの3月の気温が低かったために例年より雪解けが遅いということであった。下から見るとそれほど残っているようには見えなかったが、まだ登山道の一部には2mほどの残雪があるということだった。

いつからからは聞き忘れたが群馬県内の小・中学校では「尾瀬学校」と称して環境教育や郷土教育として尾瀬での校外学習を推進しているということであった。ガイド料や交通費などの補助金が県から下りるということで、たくさんの小・中学生が8人程度を1グループとしてガイドを伴って歩く姿が見られる。尾瀬のガイド資格もかなり高いものがあり、養成も図られているようである。

水芭蕉は既に終わり、日光キスゲはまだ咲き出していないものの、原の一段高い比較的乾燥している場所ではワタスゲの綿毛が白く輝いていた。

竜宮現象の吸い込み口

「竜宮」近くでは100㎡くらいがネットで囲まれて降り、鹿による食害の調査が行われていた。近年、尾瀬ヶ原にはかなりの鹿が入ってきていて、ミズバショウやミツガシワ、ニッコウキスゲなどの食害が進んできているようだ。ネト柵を設置したり捕殺による駆除や監視カメラによる動態調査や食害実態調査が進められている。このネットもその一環で、柵内と柵外の植物の分布や種子量などの調査を行なっているということであった。県内でもかなり捕殺はしてはいるようであるが、増える量には到底及ばない状態であるらしい。説明をしてくれた調査員の方は「余計な仕事ではあるんですが・・・。」とポツンと言って、サンプルを採取した袋を持ってアヤメ平の方に上がって行かれた。

咲き始めのニッコウキスゲ

竜宮小屋のおいしい水を飲んでから十字路まで戻り、ヨッピ橋方向に道を分ける。こちらのルートは人通りがほとんどなくなった。ヤマドリゼンマイの葉が新緑の川のように続いている。

ヘリコプターで運んできたと思われる木道とその資材が木道脇にデポされていて、その先で新しい木道の設置工事を行なっていた。

ヨッピ橋

燧ヶ岳から黒い雲がだんだん近づいてきていた。

ここにもクマよけベルが

牛首分岐まで戻って来た。雷注意報が発令されたということで、「尾瀬学校」の児童・生徒たちは竜宮小屋まで行かずに元来た道を引き返したてきたようで、たくさんの子供達が集まっていた。

木道脇のベンチで魔法瓶に入れて来たお湯でカップ麺での昼食。「尾瀬学校」の子どもたちの間を縫って下山にかかる。

雨が降る前に鳩待峠に到着することができた。


DATA

尾瀬第一駐車場  8:35 鳩待峠  9:10 山の鼻  9:50 牛首分岐10:30 竜宮  11:00 竜宮小屋  11:20 ヨッピ橋  11:40 牛首分岐12:15 (昼食) 山の鼻  13:05 鳩待峠  14:00 尾瀬第一駐車場14:40

昭和47年卒 手島

早池峰山(1,914m) 小田越ルートピストン

2017年6月31日(金)〜7月1日(土)


ハヤチネウスユキソウを代表とする高山植物で人気の百名山の早池峰山に行ってきた。盛岡駅から登山口の小田越までの岩手交通のバスは土日限定で1日1本で7時10分発だけしかない。始発の新幹線に乗っても間に合わないので、仕事を早めに切り上げて前夜に盛岡駅のビジネスホテルに宿をとった。

バス停から5分くらいにあるR&B盛岡駅前ホテル

8番のバス停から出発

河原ルートは崩落のため通行禁止になっています。

バスは小田越に到着 途中から小雨が降り出していた

朝食もそこそこにして早めにバス停には着いたものの、すでに長い行列ができていた。1台では捌けないので、座れない人は大船渡行きのバスに乗って、途中で臨時バスに乗り換えで小田越まで行くようにとのことだった。1人だけだったのでかろうじて1台目に滑り込んで座ることができた。バスは途中、大迫営業所でトイレ休憩を取り、小田越までは2時間ほどの行程だ。途中からバスの窓ガラスには雨が当たり出し、小雨の中を小田越に到着した。料金は1,700円だった。

遠野や安比の天気予報では1日曇りだったのに、結構雨が降ってきて、雨具をつけた。

携帯トイレ用トイレ

ビジターセンターのある河原坊からのルートが通行止になってしまったので小田越バス停には臨時トイレが多数設置されていた。避難小屋のトイレもそうだが途中にあったトイレも携帯トイレ用のシェルターであった。バス停や小屋前にも携帯トイレが売られており、バス停には回収ボックスも設置されていた。

熊よけ用の一斗缶。付属している木の棒で叩く。

森林帯は30分ほどで抜け、ゴツゴツした岩が積み重なった尾根道を行くことになる。晴れていれば、この時点で頂上付近まで見渡せるのだろうと思われる。途中で風雨が激しくなってきたので、ザックカバーと下雨具も装着した。

ミヤマオダマキ
ミヤマヤマブキショウマ  ?
ハヤチネウスユキソウやミヤマシオガマ

五合目直下の一枚岩にかかった梯子を登る。(天狗の滑り岩)上下二段のはしご帯である。風が抜ける所のようで、横殴りの風雨が強く打ち付ける。あたりはホワイトアウトに近くなってきていた。

5合目を過ぎるとハイマツ帯の平坦な木道が続く。

ミネザクラ

幸い、頂上近くになって雨や風はおさまってきた。

頂上直下には結構まとまった雪が残っていた。

頂上の避難小屋に到着。中はすでに休息をしている人でいっぱいだった。

早池峰山 頂上の祠
ミヤマキンバイ

ミヤマアズマギク

濡れた体で冷えるといけないので、大岩の陰で風を避けながら上着を脱いでタオルで体を拭き、どうせまた濡れるので着替えは温存し昨日着ていた下着と上着に着替える。その後、携帯用の非常食だけを摂って下山にかかる。

頂上近くになって風雨がおさまってきたので天気は回復傾向にあると思っていたが、頂上台地を過ぎると再び雨風が強くなってきた。

13:10雨の小田越登山口に到着。バス停に設置されているテントの中は雨宿りの登山客で溢れていた。傘を出して、テントからはずれたベンチで一休み。バス停には係りの人が常駐しており、まだどれくらいの人が降りてくるのか聞かれた。バス配車等について検討しているようだ。まだ山中にかなりの人がいることもあって盛岡駅までのバスの時刻は早められないもの、ビジターセンターのある河原坊までバスに乗って行き、そこで暖を取って休憩し、そこから定時の盛岡行きのバスに乗って下さいということであった。

今日、頂上まで行ったのは20〜30人程度だったようで、すでに多くの人はリタイヤして河原坊のビジターセンターで休憩をしていたようで、登山客であふれていた。用意してあった半ズボンと上着を廊下で着替えた。

休憩しているうちに雨は止み、また2時間ほど帰りのバスに揺られ盛岡駅に着く頃には日差しが戻ってきていた。雨風に苦労はさせられたものの頂上に立ち、高山植物なども鑑賞できた。新幹線の中から沈む夕日がまぶしく美しかった。


DATA            S47年卒 手島達雄

盛岡駅  7:10発 大迫バスターミナルにてトイレ休憩  8:05〜8:10 小田越着  8時55分    小田越登山口  9:00 5合目 ご金蔵   8合目下天狗の滑り岩  10:45 門馬  11:05 頂上避難小屋  11:15 早池峰山頂上  11:17 8合目  12:00  森林帯  12:45 小田越登山口着  13:10 河原坊着  14:20 (河原坊ビジターセンターにて休憩) バス停発  15:30    盛岡駅着  16:55

メールマガジン7月号 / 2017

獨協中学・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2017/  7 / 4

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【1】山での捜索にドローンを活用
【2】コラム「私とスポーツ」 生田 哲
【3】登山計画書(山行のしおり)
【4】行ってきました 山行Now
【5】編集後記
【6】記事の募集とメールマガジンについて
 
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【1】山での捜索にドローンを活用
 
先日NHKのニュース番組でドローンを山での捜索に活用する取り組みについて取り上げられていました。番組では家族からの捜索依頼で民間の捜索隊とドローン運営会社が連携して捜索に当たったことを中心にまとめられていました。あらかじめ大型ドローンで木々の上から偵察した後、小型のドローンでモニターを見ながら沢筋を低空飛行で捜索していきます。夜になってビデオで細部を検討して手がかりを探して捜索範囲をどんどん絞って行きます。最終的に残った箇所をいよいよ地上部隊が捜索にあたり、結果、遺体の発見に繋げることが出来たという事例でした。コントローラーとドローン間の電波の問題や風雨など問題は多いのでしょうが、捜索範囲が広範囲に渡っている状況や地上部隊が容易に行けない部分などを上から見るだけにしても捜索範囲を絞ることができるでしょうから有効な手立てになるのではないかと思われます。ヘリコプターが遭難者の救助に効果を発揮しているようにドローンも捜索に一役買うようになるのではないかと思われます。 
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【2】「私とスポーツ」 生田 哲
 
僕のモットーは「よく学べ、よく遊べ」なのでどちらも一生懸命。毎月必ず勉強会へ参加し、趣味でトライアスロンやアクアスロン、ハーフマラソンのレースにも出場しています。トレーニングは毎日。診察日は昼休みにジムで800m泳いで、帰宅後に5Kmランニング、休診日は午前中からジムへ行きます。患者さんに誘われて一緒にランニングすることもあるんですよ。始めたきっかけはダイエットでした。以前、僕はかなり太っていたんです。息子たちと一緒にまずはトライアスロンから始めて、結果4人の息子たち全員がトライアスロンで優勝やメダルを獲れるまでになりました。僕も年代別で連覇している大会があるんですよ。・・・Doctors Fileから抜粋 https://doctorsfile.jp/h/30810/df/1/
S50年卒の生田 哲 氏は現在練馬で歯科医をされています。現在山の方には行かれていないものの、トライアスロンをはじめ熱心にスポーツをされています。生田氏が以前に書かれたコラム「私とスポーツ」を投稿いただきましたので一読ください。 HP記事へのリンクはこちらから
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【3】登山計画書(山行のしおり) 
 
飯島先生から譲られた登山計画書のうち1664年から1969年までの登山計画書(山行のしおり)をデジタル化してHPに掲載しました。
1967年7月21日〜26日に行われた夏山「飯豊連峰」の登山計画書(山行のしおり)に載っていた団体装備をご紹介しましょう。昭和のニオイがプンプンしている装備です。
テント2 ポール2    グランドシート1 ペグ60    木槌5    スコップ2    ランタン2    ラジウス5    ポリタン5    そうじ針6    固形燃料2    大ナベ2    文化ナベ2    包丁3    まな板2    ヤカン1    食器45    しゃもじ2    さいばし2    たわし3    クレンザー2    ほうき2    予備張りづな4    救急箱1    蚊取り線香3    キンカン3    針金多 シナナベ1    ザイル2
ちなみに”メンツ”、”キジ紙”、”武器”などの名称は山をやっている若い人にも何のことだら分らないでことでしょうね。  1967年 夏山合宿 飯豊連峰 登山計画書
 
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【4】行ってきました 山行Now
昭和46年卒の碓井達夫氏も月に何回か山行を続けているようです。ホームページにも山行記録を投稿してもらっています。投稿がうまくできなかったこともあって前回の投稿から時間が空いていましたが、今回まとめて投稿いただきました。アカヤシオ咲く西上州の仙人ヶ岳、頂上付近の桜でも有名な奥多摩の浅間嶺(せんげんれい)、毛無山から一ヶ岳、二ヶ岳・・・と十二ヶ岳までのスリリングな岩尾根の登り下りが続く十二ヶ岳の3本です。手島の白駒池から北横岳までの北八ヶ岳縦走もアップしましたのでご覧いただければと思います。
仙人ヶ岳  碓井達夫  例年、この時期は西上州に「アカヤシオ」(別名:ヒトツバナ)を見に行っていましたが、今回は足利にある仙人ヶ岳のアカヤシオ情報を得たので行ってきました。関越道から北関東道の太田桐生ICで降車します。駐車場のある場所は、「岩切」という所ですが、ナビを入れてもヒットしないので・・・ 仙人ヶ岳(4/23)
浅間嶺   碓井達夫  山の桜は咲いたでしょうか。かなり以前に奥多摩の浅間嶺で桜が満開の時期に登り、お花見山行をしたことがあります。遠くの山もいいけれど、近くの山ではなみでもしようかということになり、浅間嶺に行ってきました。今回は、払沢の滝の駐車場からのピストンです。・・・ 浅間嶺(4/30)
 
毛無山 十二ヶ岳  碓井達夫 梅雨の晴れ間を期待して、スリルと変化に富んだ山に行ってきました。場所は、御坂山塊で一番ごつごつした岩尾根を持つ十二ヶ岳です。今回は、職場の山仲間との山行です。7時に中央線の日野駅に集合し、河口湖に向かいます。中央道の相模湖あたりで事故渋滞があり、駐車場に9時に着きました。・・・ 毛無山 十二ヶ岳(6/17)
 
北八ヶ岳  手島達雄  テント泊で北八ヶ岳に行ってきました。6月中はバスの便が悪いのとキャンプサイトの関係から北陸新幹線で佐久平駅まで行き、8:35発の千曲バスで白駒池まで行くことにした。佐久平駅からの麦草峠行きのバスは1日2便だけで、しかもこの時期は土日限定である。白駒池入り口までの所要時間も2時間近くかかるが北横岳方面からの入山よりは早く登山口に着くことができる。・・・ 北八ヶ岳(6/17〜6/18)
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【5】編集後記
 
7月に入り、いよいよ夏山シーズンの到来でしょうか。すでに山から遠のかれている諸兄もまた一度足を向けられたらどうでしょうか。近頃山に登ってくる人は若い人だと3〜4人のグルーブ、5人以上のグループになると圧倒的に男女混合の高齢者、ソロの人は男女とも高校生くらいから80歳過ぎまでと広範囲な年代で楽しまれてきているようです。かつてソロは男ばかりでしたが、近頃は若い女性や年配の女性も単独で来られている人が多くなっているのが目につきます。今度、ご一緒にハイキングでも行きませんか。
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【6】記事の募集とマガジンについて
 
 
このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 

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山での捜索にドローンを活用

先日NHKのニュース番組でドローンを山での捜索に活用する取り組みについて取り上げられていました。番組では家族からの捜索依頼で民間の捜索隊とドローン運営会社が連携して捜索に当たったことを中心にまとめられていました。あらかじめ大型ドローンで木々の上から偵察した後、小型のドローンでモニターを見ながら沢筋を低空飛行で捜索していきます。夜になってビデオで細部を検討して手がかりを探して捜索範囲をどんどん絞って行きます。最終的に残った箇所をいよいよ地上部隊が捜索にあたり、結果、遺体の発見に繋げることが出来たという事例でした。

コントローラーとドローン間の電波の問題や風雨など問題は多いのでしょうが、捜索範囲が広範囲に渡っている状況や地上部隊が容易に行けない部分などを上から見るだけにしても捜索範囲を絞ることができるでしょうから有効な手立てになるのではないかと思われます。ヘリコプターが遭難者の救助に効果を発揮しているようにドローンも捜索に一役買うようになるのではないかと思われます。

私とスポーツ 生田 哲

自分がスポーツと再会したのは、唯単純な一言でした。20年程前に大学の友人のH先生曰く「そのままだとブタになるよ」大学生の時にはスカッシュ、スキー、スキューバダイビングなどをしておりました。卒業後仕事の忙しさにかまけて、歩き方は腹を突き出し、写真は3重あご、奇態ををさらすことになっていました。

当時、アマチュアのトライアスロンに参加していたH先生に誘われましたが、3種類は無理なので、3人の子供たちとも一緒に出来る水泳(400m〜1500m)陸上(3km〜5km)を続け、アクアスロンに参加するために上井草スポーツセンターに通うようになりました。

最初は、がむしゃらに力を入れただけで、その年の武蔵野市の大会ではたる惨憺たる成績でした。その後、センターで知り合った仲間たちから水泳は技術だと教えられ、フォームを改善し、また地下のトレーニングルームでは筋肉トレーニングを1日置きにするようにしました。また、40歳を過ぎた中高年は180から自分の年齢を引いた数(たとえば50歳ならば180-50=130)を最大脈拍数として、それを越えない範囲で20分以上運動すれば脂肪は筋肉に置換するという「マフェトン」論理に基づいて始めました。

また、コーチたちから走り方のチェックもしてもらいました。そのおかげで昨年と一昨年の武蔵野市大会では40歳で2年連続優勝し、練馬区の大会では銀メダルでした。また3人の子供たちも他地区の大会で上位に入賞しました。

現在、私は歯学のなかで「噛み合わせと全身との関係」を研究していますが、スポーツの分野ではスピード・スケートの清水宏保選手や大相撲の力士たちが。口の中にマウスピースを入れて世界記録をだしたり、好成績をおさめています。

歯科医師をしておりますと、つくづく本当の健康とは自分の目でものを見て、自分の歯でものを食べて自分の足で好きな所へ行けるという最低の3つの条件が揃わなければと思います。

数々のスポーツを通して、自分なりの目標目的を持った方々は生涯現役で衰えることのない若さをたもって行けるのではないでしょうか。

昭和50年卒 生田 哲

北八ヶ岳縦走 6/17〜6/18

2017年6月17日(土)〜18日(日)

上野駅(北陸新幹線) 佐久平駅(千曲バス) 白駒池入り口 白駒池 ニュウ(2,352m) 中山(2,496m) 高見石(2,249) 白駒池(テント泊)

白駒池 白駒の奥庭(2,100m)     麦草峠 大石峠 中小場(2,232m)    茶臼山(2,384m) 縞枯山(2,403m) 三ツ岳(2,844m) 北横岳(2,480m) 北八ヶ岳ロープウエイ山頂駅 北八ヶ岳ロープウエイ山麓駅(アルピコ交通) 茅野駅(中央線) 新宿


テント泊で北八ヶ岳に行ってきた。6月中はバスの便が悪いのとキャップサイトの関係から北陸新幹線で佐久平駅まで行き、8:35発の千曲バスで白駒池まで行くことにした。

佐久平駅から麦草峠行きのバスは1日2便だけで、しかもこの時期は土日限定である。白駒池入り口までの所要時間も2時間近くかかるが北横岳方面からの入山よりは早く登山口に着くことができる。バス代は1950円。

途中八千代駅を経由して白駒池入り口には10:20に着いた。白駒池入り口は大きな有料駐車場があり、大型バスでの観光客も多い。乗用車の駐車料金は1日500円と安い。

苔を目当の望遠レンズを付けたカメラマンも多い。しかし、梅雨に入ったとはいえやはり雨が少ないようで、苔も元気がなく色を落とし乾燥に耐えている感じだった。

とりあえずキャンプサイトになっている青苔荘を目指す。

白駒池のテントサイトは青苔荘の管理によるもので、小屋で受付を済ませた。すでにたくさんの方が入っているということで、出かける前にテントを張っておいた方がいいとのことだった。もらった番号札はすでに26番だった。水場もトイレもよく整備されおり、湖面に沿った林の中にサイトが区切られて整地がされていた。とても静かな所で、鳥の鳴き声がうるさいくらいだった。

テントはファイントラックの「カミナドーム1」というソロ用でフライを含めて1Kgちょっとという超軽量テントであり、今回初めて使用するものである。

ペグを打とうとザックを探すも、どこにも見当たらない。忘れて来たらしい。しかたなく石を探してフライを設置する。

荷物を整理して11時半、ニュウ 中山方面に出発する。

キャンプサイトから白駒湿原までは15分くらい、ニュウまでは1時間ほどの行程だ。

白駒湿原
ニュウ 中山への分岐
ニュウ頂上へ

12時40分、ニュウ山頂に到着。

白駒池を望む
イワカガミ
ウメバチソウ
エゾタチツボスミレ
ニュウ頂上を望む

南八ヶ岳への道を分け、中山山頂には14時に到着する。

中山山頂から5分くらい行ったところに展望台がある。

14時50分、高見石小屋到着。

高見石小屋

ザックをデポして小屋上のゴツゴツした岩を登って展望台に登る。

高見石小屋上の展望台

高見石小屋からは急登を一気に白駒池へ下りて行く。

白駒池の湖畔に出て駐車場方面に行くと、白駒荘前はたくさんの人で賑わっていた。

16時くらいにテントに帰着。しばらく小鳥の音を聞きながらうとうとし、その後夕食の準備にとりかかる。夏至前なので日が長く7時半くらいまで辺りは明るく周りのテントから聞こえてくる人声も気になり、なかなか寝付かれなかった。

夜になって辺りはガスで包まれていた。

夜が明け、白駒池には朝もやが立っていた。朝食を済ませ、6時半にテントをたたんで出発する。

朝もやの中の白駒池 対岸建物はの白駒山荘

昨日夜ガスっていたせいか、心なし苔が生き生きとしているようだった。駐車場手前で麦草峠への登山道を行くと「白駒の奥庭」と呼ばれる開けた平地に出る。

白駒の奥庭

麦草ヒュッテ

麦草峠から大石峠、中小場を経由して茶臼岳へ向かう。

茶臼山頂上は展望がないが先に南アルプスや御嶽山なども見渡せる展望台がある。

茶臼山展望台

 

縞枯山展望台を経由して縞枯山へ。

縞枯山山頂

山頂から30分くらいで雨池峠の原に到着する。雨池峠は雨池方面、ロープウエイ方面、三ツ岳方面、縞枯山方面と道を分ける十字路である。

雨池峠

雨池峠からは雨池展望台、雨池山を経由して三ツ岳I峰への急登に取り付く。

三ツ岳I峰

いよいよ今回の山行のハイライトになる三ツ岳登山である。46年卒の碓井氏から「三ツ岳はおもしろいから行ってみたらいいよ」と言われていた山である。I峰への急登で出会ったがっしりした若い二人のパーティーはビビって「心が折れそうでした。」なんて言っていたので少し不安もあったが、大岩を回り込みながら、あるいは大岩を飛び越しながらのスリリングで爽快感のある岩尾根歩きだった。

II峰には11時半に到着。

III峰から上がってきた地元の方としばらく話し込んだり、三ツ岳III峰直下クサリ場を登ってくるグループに待たされたりして予定より時間がかかってしまった。このグルーブは年配の男女混合のグループで慣れていないらしくこれから先登りきれるのか心配してしまった。とりあえず「ストックはしまった方がいいですよ。」とアドバイス。このクサリ場を下り切ると岩場は終了。

北横岳への尾根道に飛び出てしばらく行くと北横岳ヒュッテに着いた。

北横岳ヒュッテに着いたのは12:45になってしまった。北横岳ヒュッテからは30分弱で北横岳南峰に到着。残念ながらガスってきてしまって、展望はなかった。その先10分で北峰だったが、北峰は昨年春に来ていることもありバスの時間にも追われていたのでスルーして下山。ちなみに昨年春の北峰からの南八ヶ岳を展望して撮った写真が本ホームページのタイトル画面になっている。

急いで坪庭、ロープウェイ駅へ下山。気温も低く風も強くなってきていたが、坪庭にはロープウエイで登って来た観光客が大勢来ていた。

ロープウエイ頂上駅

14時にロープウエイ駅に到着。残念ながらロープウエイは14時発だったようで、20分待たされてしまった。その結果、ロープウエイ山麓駅から茅野駅に向かうバスの発車までは10分くらいしかなくなってしまい、食べよと思っていた昼食にもありつける事ができず、しかたなくアメリカンドックで我慢する。

ロープウエイ麓駅から茅野駅までのバスは乗客も少なかった。そして、茅野駅から特急「あずさ号」で新宿へ。新宿は雨だった。

手島達雄(昭和47年卒)

メールマガジン6月号/2017

獨協中学・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2017/  6 /13

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【1】2017年度総会から
【2】30年記念誌について
【3】秋の親睦会の日程
【4】会員名簿のパスワードについて
【5】登山計画書(山行のしおり)
【6】編集後記
【7】記事の募集とメールマガジンについて
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【1】
2017年度総会から
  2017年度OB会の総会が小石川後楽園の涵徳亭で開かれました。下記の議案について協議したほか会員の近況報告ならびに会員相互の交流を深めることが出来ました。
 
・会計報告
 
   
会長は昨年度に引き続き冨樫克己氏、事務局長は引き続き中野 茂氏、広報担当役員として手島達雄の役員人事が承認されました。
 
会設立当初に作られたOB会の会則が現況に合わなくなっていたので現況に合わせる形で簡略化した改定案が提案されました。今総会で初めて改定案が資料として配られ、目を通していただきご意見をいただきました。一応承認をいただきましたが、修正が必要な部分がありましたら意見をいただき秋の親睦会の場で再度協議いただくことになります。会の名称については元顧問の飯島、金両先生から正式な学校名としては独協中・高等学校であること、アルペンクラブではなくワンダーフォーゲル部であることから会としての正式名称は会則改定案の通り独協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会がいいだろうということになりました。その他の部分につきましてはHPで確認いただければと思います。 
 
 
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【2】
30年記念誌の発行に向けて
独協学園ワンゲル部OB会は昨年30周年を迎えました。OB会は設立準備委員会を経て1985年月に設立総会が開かれ、翌年1986年6月の第1回総会により獨協学園ワンダーフォーゲル部OB会として正式に発足しました。そこで30周年を記念して49年卒の柳澤孝嘉氏から30年誌の発行について提案がありました。詳しいことは後に回すとして編集委員会を組織して発行に向けて進めて行くことが了承されました。つきましては、柳澤孝嘉氏を中心とし、OB会役員を含む編集委員会を組織しOB会のみなさんに原稿の依頼等を行なっていくことが確認されました。ご協力のほどよろしくお願いします。
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【3】秋の親睦会の日程  
https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2017/06/05/秋の親睦会の日程と会場が決定しました/
秋の親睦会の日程と場所について総会出席会員の意向を確認したところ、9月23日、24日は独協中・高等学校の学園祭が行われるということから日程は9月17日、18日で場所は小諸の「日新寮」で予約を取ることになりました。総会には欠席された方も是非、同期の方などをお誘いいただいて今秋の親睦会に参加をお願いします。
 
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【4】会員名簿のパスワードについて
 
HPには名前のみですが会員名簿を掲載しています。個人情報の関係から閲覧にはパスワードがかけられています。パスワードは「*********」になります。他の方の住所や電話番号をお知りになりたい方は事務局中野茂またはHP担当手島達雄まで問い合わせください。
 
 
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【5】登山計画書(山行のしおり) https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/category/登山計画書/
長年ワンゲル部顧問をされていた飯島先生がお持ちになっていた登山計画書(山行のしおり)60部を譲り受けました。当時山行前には謄写版(ガリ版)刷り登山計画書(山行のしおり)を作っていました。ガリ版での印刷なので不明瞭な部分も多くまた色も褪せていますが当時の個人や団体装備、食料計画など当時の山行が蘇ってくる貴重な資料になります。PDFファイルにデジタル化し保管し、HPに順次掲載して行く予定です。HPでは「登山計画書」というカテゴリーで投稿という形でUPしていますので、ご覧いただければと思います。

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【6】編集後記
 
今月は仕事の方が忙しくてなかなか山に行くことも出来ず、山行の記事も更新できずにいます。是非、みなさんの記事の投稿をお願いします。ホームページのアクセス数はおかげさまで先月5月ののべ訪問者数が115になり9月スタート以来最高を記録しました。少しでもワンゲル部OBの皆さんの当時の思いや仲間の輪を繋いでいけたらと思って更新に努めていますので、応援のほど宜しくお願いします。
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【7】記事の募集とマガジンについて
 
 
このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 

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高い技術は,一つひとつの基礎の上に作られる 高梨富士三郎

「飯豊連峰」から「北八ツ」までの反省ということだが,実質的には月例山行まで含まれよう。反省となれば、第一に部員の質が問題となるが、部員の質は量と無関係ではない。量的な減少は質に影響する。

かって、高校生では無理と思われた冬季の「高妻山」の成功は過去の栄光であって、それをいまに求めることはできない。それよりか、確実な登山技術を要求したい。山歩きの初歩の技術が重要だ。科学的に充分ねられた計画と、部員相互の話し合いの態勢をつくることだ。

合宿も、夏季は7日間、冬季は5日間。その期間を形式的に終わらせているような態勢や考え方では進歩はない。消極的で形式的な取り組み方だ。不満である。いくつか問題点を列挙してみよう。

第一に練習法だ。日本の登山事故で特に多いのは転落だ。私たちの部にもこの危険はある。バランス、足のおき方・・・、これはある程度、練習でも消化できる。練習には体力をつけるのに重点を置いてはどうか。部員の体力低下は著しい。

第二に食料、第三に団体装備と個人装備だ。これについては、ザックのパックが完全にできていなければならない。不充分である。同時に団体装備の取り扱い方だ。これは部員の意欲の問題とも関係する。

反省というのは口先だけの反省はだれでもできる。必要なのは、身体での反省だ。全体としては危険に対する注意力がない。山行において、団体を解かさせ、目的地まで個人個人に歩かせたら、幾人が目的地まで達することができるだろうか・・・。

高い技術は、一つひとつの基礎の上に作られることを知るべきである。   1968年3月21日

DWV顧問 高梨富士三郎

あらゆる面で“山は学校”である… 飯島義信

ジャン・フランコという登山家は「山は根気強い勤勉さと、沈着と、頑張りの学校だ」と言っている。数年前の山日記に載っていたものを手帳に書き写しておいて覚えていたのだが、この人物のことも、この言葉のいわれも詳しいことは知らない。ただ、自分なりに解釈して、好きな言葉のひとつに数えているに過ぎない。そして時々、山に向かう姿勢を省みるよすがとしているのである。最近やや下火になったとはいえ、相変わらず大勢の人々が山に行くという。その一人ひとりの登山の目的はまた多種多様であろうが、共通して言えることは当人が意識するしないに関係なく、山は学校だということだ。
山は高きに登ることのためにのみあるのではない。登頂のみが目的であるならば、なにも重い荷物を背負って遠くまで出かけることはない。この過程と不可分に山には山の植物や動物、風や雲、雪や岩、またそういった自然全てを含めての美しくも厳しい山のただずまいといった魅力があって、われわれを強くひきつけるのである。そして、われわれがその山の自然を享受するには、それ相当の労をつまねばならない。山行にあたっては、それこそ根気強く勤勉に、また沈着に行動し、最後まであきらめずに、投げ出さずに頑張らねばならない。そして、山行を重ねていけば、われわれはいつの間にかこういった努力を惜しまぬ態度を身につけることができる。
初めて山らしい山に登ったのは、高校2年生の夏で、八ヶ岳を稲子湯から中山峠に登り。南に天狗岳、夏沢峠、硫黄岳、横岳、赤岳と縦走し、力尽きて県境尾根を清里に下りた。力尽きたのは、単独行だったので用心し過ぎて装備が重くなったこと、ペースの配分がよくわからず炎天下を力にまかせて、ほとんど休まずに歩き続けたことによるものと思われる。中山峠に泊まった翌日,赤岳まで行き,荷を置いて阿弥陀岳を往復する途中で,軽い日射病にかかり鼻血を出してフラフラになってしまったのである。幸い岩陰で小1時間ほど休んでいる間に元気を取り戻したからよかったもの,心細い限りだった。それで,編笠岳への縦走を取りやめたわけだが,後は病みつきになって山行を繰り返している。

しかし今頃になって,同年代の仲間も山に行かなくなると,ふと何故山へ行くのかと自問することがある。すると思い出すのがはじめの言葉で,山に向かう人間の真摯な心が読み取れ,励みを覚えるのである。      1967年

DWV顧問      飯島義信

OB会会則の改定

OB会発足当時に作られた会則ですが、現況に合わない部分も出てきていたので、今回改定することになりました。内容もシンプルなものに簡略化することになりました。条文については本ホームページの「OB会の組織と会則」に掲載してありますので確認ください。なお、会則に修正が必要と認められた場合は次の総会を待たず秋の親睦会の折に再度協議して承認を得ることになっていますので、不十分な部分にお気付きの場合は連絡いただければと思いますので、よろしくお願いします。