OB会月例山行 櫛形山


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月例山行 大平山









月例山行 栗生山
追悼・高梨先生 中 野 茂 (1974年卒)
「民主主義は人の話を聞くことから始まるんだ。」
朝礼の壇上で破鐘のような大声を出して生徒たちを睨みつけていたのが,私の初めて見た高梨先生の姿でした。いかつい顔と無頓着な服装,中学1年に入学して間もない私にとっては,町で会ってもついていってはいけないタイプのおじさんでしたが,民主主義でおこられるというのが何やら偉くなったようで,不思議にうれしかったのが思い出されます。
以来,高校卒業後もワンダーフォーゲル部OB会の活動を通じて,先生と親しくお付き合いする場を得たことは,私の人生の大きな喜びとなりました。
教諭としての先生は,生徒たちを励まし,向上心を植え付けてゆくことを信条とされていました。私も何度もおこられましたが,先生の眼光に見据えられると,言葉に出ずとも「そんなことでどうする」と諭されているようで,頭が上がりませんでした。部活動の登山で,「もう駄目だ,歩けない」と道にしゃがみ込んだ私の目の前にヌッと現れて,「君なら大丈夫だ」と声をかけられた途端,また歩けるようになったのも懐かしい思い出です。人と話をする時は,たとえ相手が子どもであっても,真正面から語りかける人でした。数々の思い出が残っていますが,中学1年の「民主主義……」の一喝以来,高梨先生といえば民主主義という印象が深く刻まれています。昭和10年代の暗い時代に育ち,「僕に青春はなかった」と語られた先生の,大切なものは自由と平等だとの信念が,きっとこの先も忘れることのない先生の思い出として,私の胸に残っているのだと思います。
「しっかり活きてほしい」と語られた先生の言葉を噛みしめつつ,先生のご他界を悼むとともに,ご冥福をお祈りいたします。
『獨協通信』第49号,1997年12月10日より転載
OB会月例山行 スキー湯沢



高梨先生が亡くなられてはや三余年の歳月が流れようとしています。生前から遺骨を自然に還すことは、先生の強い願いでした。
秋も深まった11月12日、好天に恵まれた相模灘でご家族、ご親戚、ご友人、新宮譲治先生らご同僚、佐藤八郎ワンダーフォーゲル部OB会長らOB諸氏、教え子らで散骨を行いました。
英国のチャーチル首相がオーナーであったという海の貴婦人と呼ばれる帆船”シナーラ” で三浦半島の油壺にあるシーボニアマリーナを出航、江ノ島の南20km の海上で鐘の響きに導かれ、奥様がご遺骨を海中に投じられました。参列者全員で投じた赤や黄の色とりどりの散花は水面を漂い、陽の光を受け、たとえようも なく美しく輝き、感動的でした。波のうねりの中に描かれた円形の航跡の中心に拡がる散花に先生のお姿を偲び、涙し永遠のお別れをさせていただきました。3 時間ほどの航海でしたが貴重な体験をさせていただきましたこと、御家族の皆様に感謝申し上げます。
(獨協学園ワンダーフォーゲル部OB会名誉会員 1960年卒)




1997年 秋の親睦会 小諸 日新寮にて
























