「埋蔵品」カテゴリーアーカイブ

故皆川先生と故森本悌次先輩を上野駅まで見送る

右から1番目がS32年卒の故植村俊則氏、2番目が故皆川完一先生、3番目がS32年卒の若井永氏になります。北大入学の森本悌次氏を上野に見送りに行った時の写真だそうです。1956(S31)年

故皆川先生 は1953年から1957年まで獨協学園で日本史の講師として勤務されている傍、1955(昭和30)年からDWVの顧問をされておられました。平成11年10月28日に享年83才でお亡くなりになりました。日本山岳会会員で「山日記」、「山」編集代表者・担当理事もされていました。

DWV創部前年の1954年にあった獨協学園の2年生と戸山高校の生徒が冬の西穂高で遭難した事故について書かれた下記の記事が残っています。

「西穂高遭難の教えるもの」

 

皆川完一先生略歴

東京大学国史学科卒、同大学院を経て1956年から歴史編纂所に勤務されています。1962年に獨協学園をお辞めになり同年東大助手、1972年助教授、1979年教授、1988年に定年退官されます。その後名誉教授、愛知学院大学教授、1992年に中央大学文学部教授、1998年に定年退職されます。正倉院文書研究の第一人者の歴史学者でした。

 

1965年10月 高妻山偵察山行での写真

前列左から長瀬 治(S43年卒)、田中廣明(S43年卒)、長谷川喜代志(S43年卒)、後列左から清水祥三(S42年卒)、平川良(S42年卒)

左から長瀬 治(S43年卒)、長谷川喜代志(S43年卒)


長瀬  治氏所蔵の12月に予定されていた高妻山合宿のための偵察山行の折の山頂での記念写真です。高妻山偵察登山の記録はちらから

この年の冬山合宿記録はこちらからご覧ください。

ワンゲル部室前で 1966年

長瀬氏(昭和43年卒)所蔵の1枚です。


前列左から 佐久間(44年卒) 野本(44年卒) 笹本(44年卒) 高橋(44年卒) 田中(4年卒)    2列目左から 志村(44年卒) 長瀬(43年卒) 鷦鷯(44年卒)    3列目左から 長谷川(43年卒) 冨樫(43年卒)    4列目左から 清水(42年卒) 伊藤(42年卒) 山田(42年卒) 寺沢(42年卒)