「高梨ノート」カテゴリーアーカイブ

高梨ノート 1976年 棒ノ折山

51年2月7日(土)、8日(日)  冬期訓練

棒ノ折山

コース 川井キャンプ場 →大丹波 →百軒茶屋 →奥茶屋 →コン●沢上部 →棒ノ折山 名栗鉱泉 →飯能

参加者 広田 佐藤潤平 柴田 中村隆之 安井 中山 高梨 飯島

7日(土) 15:55 川井駅 テント場16:05 テント設営 17:40 夕食 カレーライス 17:52 気温 4℃18:15  2℃

高梨ノート 1976年 丹沢 塔ノ岳

51619日、20日 丹沢 塔ノ岳

(ノートには記載はなかったが、登山計画によると参加者は引率は高梨、飯島、0Bとして中野、 現役は広田、佐藤、田尻、柴田、吉田とある。前日の19日は大倉に幕営)

堀山小屋 9:55 休 10:05 出 小葦平●●1,129m  10:35 昼食1回分 10:45 出 11:25 休 11:40 出 12:10 塔ノ岳(1491.2m)  12:30 出 堀山の家1:55 休 2:05出 12:57 休 1:20 出 2:20 駒止 2:30 休 2:35 出 3:23 バス停 バス代80円 渋沢 4:00 4:22 急行乗車

(小葦平は堀山の家)

DWV顧問 高梨富士三郎 記録

高梨ノート 1976 年 冬期訓練 棒ノ折山

5127()8() 冬期訓練 棒ノ折山

コース 川井キャンプ場 →大丹波 →百軒茶屋 →奥茶屋 →コン●沢上部 →棒ノ折山 名栗鉱泉 →飯能

参加者 広田 佐藤潤平 柴田 中村隆之 安井 中山 高梨 飯島

2月7日(土)

15:55 川井駅 テント場16:05 テント設営 17:40 夕食 カレーライス 17:52 気温 4℃18:15  2℃

DWV顧問 高梨富士三郎 記録

高梨ノート 1973年 夏山合宿 浅間周辺

1973(昭和48)年7月21日〜24日 浅間周辺山行

参加者 高梨 OB山田(史)   長瀬 H3中野 H2 前沢

7/21  

9:47 笠幡 10:47 大宮 11:11 信州2号 小諸13:27 小諸にて茶、肉等購入 3:30日新寮  (7/22 8:40 湯の丸行)  22時就寝

7/22

5:00  起床 6:00  朝食 8:00  出 9:00   水源地より湯の丸行 バス乗車 10:50  湯の丸白滝キャンプ場

笠幡—小諸 720円 急行券200円 食事代1250円 タクシー代640円水源地—湯の丸390円

10:25  キャンプ場(体操) 曇 霧多し 12時頃雨 12:30  昼食 5:30  夕食 10:30  就寝

7/23

5時起床 6:30  朝食

<烏帽子岳> 8:30   出 8:45   分岐点 9:00   休 9:10   出 烏帽子湯の丸分岐点 9:15  休

9:30   出 9:45  山頂コル 10:00  山頂(2065.6m)  11:10   昼食 12:00〜1:00   昼寝 1:00  出 1:10  コル 湯の丸山、角間分岐点1:25  通過 1:30  休 1:35   出 1:50  テント場 3:00  間食 6:30 夕食 10:30  就寝

 7/24    

5:30  起床 7:20  朝食 8:50  出 9:10   休 9:12   出 9:20  休 9:24   出 9:40   湯の丸山頂(2098m)  9:45   出 10:00   湯の丸角 10:25   出 10:45  角間峠 10:50   牧場内で昼食 ラーメン 12:25   出 12:45   湯の丸ロッジ 13:15   85番地蔵尊付近 休 13:30  出 13:50   テント場 19:00   夕食 20:00   コンパ

高梨ノート 1972年 秋山山行 八ヶ岳連峰

1972(昭和47)年 10月5日〜10月7日    八ヶ岳

DWV47年度は夏山合宿が出来ないことから10月に入って合宿を行う

コース 美濃戸 行者小屋 阿弥陀岳コル 横岳 赤岳 県界尾根 天狗 ガレ沢 美しの森

参加者 高梨 飯島 中野(H2-3) 柳原 柳沢 生田(H1) 山田(H1) 饗庭(H3)

 10/5     23:55  新宿発

 10/6    

5:37 茅野 6:00 バス→美濃戸に6:50  天候 曇 7:25 出 8:00休 8:10出 8:35 ●の戸 8:45  出 9:20   二の岩通過 9:35  休 9:40 出 10:30休 10:45出 11:35行者小屋 テント設営 1:55 昼食 ラーメン 5:40 夕食 夕方から晴 8:00 就寝 気温低し

10/7  

5:00  起床 6:30  朝食 7:35  出 8:20 コル 8:30  出 8:35  中岳山頂 8:55  休 9:00  出 9:12  休 9:15  出 10:00  赤岳山頂(2899m)  10:30  昼食1回分 11:30  休 11:40  出 12:10  大天狗 15  出 12:40   清里村方向分岐点 かれ沢下降 –危険–  1:25 休 1:35   出 2:13  休 2:17  出 3:15   美しの森 4:07   バス乗車 90円荷物代 清里  16:39  小渕沢  19:22 のりかえ 新宿20:25

高梨ノート 1971年 冬山合宿 浅間山

1971(46昭和)年 12月21日〜25日  浅間山

参加者 C.L. 金子英夫 S.L. 田中誠剛  食料 饗庭

H1  中野茂 柳原 渡辺(源)    OB 碓井 笠原 中村

12/21

午前11時25分 急行 妙高3号 13:59 小諸 14:10 バス 日新寮15:10  天候 晴

田中が乗車券購入のため遅れ、田中を残して上野を出発。田中は後の車で小諸へ。その間部長の金子を小諸駅に待たせて本隊は出発。

バス→日曜祭日のみ浅間山荘行きはでないことになったので予定を変更

 12/22

4:00  起床 6:00  朝食 8:05  出 8:25  休 8:30  出 9:05  休 9:10  出 9:25  休 9:30  出

10:30 浅間山荘 分岐点は右の道を行くこと。今回は左の道をとったため浅間橋手前から自動車道路で途中山道に入る。 12:30  昼食 4:30   気温-2℃    5:00  夕食 -5℃(1日テント1張300円)

12/23晴 

5:00  起床 6:00  朝食 7:30  出 8:05  休 気温 -7℃    8:30  休 40  出 9:00  休 9:05  出 気温 -4℃

9:35 火山館 10:10  湯平高原道路(サイの河原)  10:25  出 11:45山頂 -12℃    12:00  前掛山裏休 気温 -8℃    12:35  休 13:05出 13:15  火山館 13:20   出 気温 -3℃    13:50  休 13:55  出 2の鳥居前 2:20   キャンプ場(浅間山荘)    所要時間 浅間山荘 火口山頂(2500m)  7時間

12/24

6:30  起床 8:30  朝食 10:35  出 3分 休憩2本

山荘→水源地→寮 11:45  寮着 OBはバスで先に帰京 5:00  夕食 7:00  コンパ反省会 9:00  就寝

 12/25

6:30  起床 8:00  朝食 10:05  出 10:07  バス 薬師館前より乗車 10:45  小諸 バス代80円 荷物代30円 小諸 急行  11:37 上野行き 14:22  上野着 解散式

–事故なし–

高梨ノート 1971年 夏山合宿 飯豊連峰

1971年(46年) 7月21日〜26日

7月21日

東北 磐梯5号 上野23:50発 会津若松5:08 発5:38(磐越西線)

野沢6:32     上野尻6:39  徳沢6:52    急300     乗1470     タクシー950

7月22日

磐越西線車中朝食(徳沢では雨 時々集中的に多く降る。)

トラックがこないのと雨のため駅長の紹介で杉本旅館に宿泊する。天候ますます悪し 素泊まり800円 11時50分 昼食ラーメン 大阪屋に電連 予定変更 コース変更検討させる。

イ)明日祓川まで入る(23日) 翌24日 三国岳 25日与四太郎 26日門内 扇・・・飯豊・・・・玉川口コース

ロ)天候状態があまり良くない場合は切合 飯豊山 下山コース 祓川か川入方向

ハ)23日においても天候が悪い場合は中止とする

7月23 日

起床3時 朝食4:40  5:55トラック乗車(雨) 6:50下車 (林道途中土砂崩壊のため終点まで不可能)  7:00〜7:10 渡河地点を探すが丸木橋が流失、渡河できない。雨強くふる。8:00 あきらめ弥平四郎部落に撤収することを決める。福島県取麻郡西会津町奥川大字豊島字下枝2375

奥川小学校分校(校長 井上正治氏) 取麻郡西会津町奥川大字飯根字弥平四郎716 (奥川小中学校 松本光雄井上武史主任)

奥川小中学校体育館を使用することと 分校主任より連絡

分校使用は5日前に教育委員会の許可を得ること。( 校長の配慮により分校体育館使用届書を提出)

11:40 昼食 12:30 偵察に出る 天候回復の様子なので1時頃から渡河。祓川まで入ることを提案したが、現役から明日にしたいとの希望が出され1時30分より自由時間 5:00 夕食

7月24日

2時起床 (天候 曇)    4:10  朝食 5:35 出 6:20 休 (林道が延長されている・・・) 6:45  出 7:15  休 7:20  祓川丸木橋流出 7:40 渡河完了 8:05  出 8:30  出 8:40  休 8:50  柳原バテる メ●イ パン一食分 9:05  出 9:30  休 9:35  出 9:50  休 柳沢バテル 10:05  出 渡辺腹痛状態が悪くなる様子 10:35   停雨 昼食1回分 柳原のバテ 渡辺の腹痛の様子が 非常●●ので天候が悪化の傾向にあること パーティー全体に気力がないことを懸念、下山を相談の結果決定する。

1:00  祓川 体操 5時45頃 二村がラジのそばに倒れ、熱湯をあび、背をヤケド。手当のあと弥平四郎までおろすとにする。草刈りにきた村人の協力を得て林道まであるかせ、林道からは耕運機にのせ部落へ碓井と野村をつけて下山。本隊は祓川に残る。

7:00 夕食 9:30  野村が帰ってきて報告。弥平四郎から車で約30分に町の診療所があり、診断の結果、全治2週間の火傷と判明した。  天候曇り後雨

7月25日

5:00  起床 7:15  朝食 12:00   昼食 12:50  (自由時間) 岩崎、柳原、中野、三辻4名は沢を降下。帰りが遅いので、野村が探しに出かけた。そのあと野村が探しに1人で降りて4名を連れて帰ってくる。2:00 金子の帰りが遅いので饗庭をやらせる。3:15  全員帰る。5:00  夕食 6:00  コンパ 9:40  就寝

7月26日

5:00  起床 6:45  朝食 7:20  撤収 雨 8:30  出 9:05 渡河 林道 休 9:30  出 9:45 休 9:50  出 10:20  弥平四郎 耕運機に乗せてもらった家にあいさつ トラック交渉 12:05 ●沢 12:15解散式 13:39  新潟行き乗車 1360円 3:30 新潟 ビジネス グリーンホテル ツインルーム3000円 (OB菅野と宿泊)  飯食代 昼300 夕350

高梨ノート 1971年 新人歓迎 棒ノ折山

1971年(昭和46年)    4月26日〜27日

奥茶屋 棒ノ折山 ゴンジリ 名栗 飯能

4/26   曇り

1:00   学校出発 新宿 立川  15:17  川井 16:08   バス徒歩50分 奥茶屋テント場着  17:10  テント設営    19:00  夕食 19:20  完了

4/27

4:40  起床 6:00  朝食 6:20   終了 7:30  出    7:50  休 7:55  出 上昇 8:15  休 8:20  出 8:40  休 8:50  出 9:05  棒ノ折山(976m)  9:25  ゴンジリ峠 9:50   休 昼食1回分 岩茸石山 10:15  出 10:40  バス通り 11:15  名栗バス停  11:35  飯能  12:20

高梨ノート 1970年 冬山合宿 北八ヶ岳

1970(昭和45)年 12月24日〜12月28日

参加者 高梨 飯島

H2-7  二村謙次 H2-3  新岡正美 H2-1  野村悦男 H2-4   黒川 明 H2-5  手島達雄

H1-1  饗場一光 H1-3   田中誠剛 H1-4   金子英夫 OB   山田史郎(途中参加)

コース  渋の湯 黒百合平 B.C. 東天狗 西天狗 2645.8m

24日 23時55分(新宿発)

25日 茅野5時45分 バス 奥蓼科行 奥渋8時15分 天候 曇

8時15分 出 9:10 休 みかん 10:10 休 みかん 10:50 —11:00唐沢分岐点 昼食1回分    11:55 休 12:15   黒百合ヒュッテ B.C.設営 12:30—1:15完了 3:00 ラーメン 5:30 夕食 7:30 就寝 気温著しく低下

26日

5:00起床 7:40 朝食 雑煮 天候 吹雪 風あり 12:40 昼食 ラーメン、パン 6:20 夕食 すきやき 二村に明日天候悪化の場合は天狗をあきらめ下山をすることを指示(天候良き場合は天狗をやる)

27日

5:00 起床 天候 快晴 8:40 出発 9:00 スリバチ池 ヤッケをつけさせる 天狗岳にガス 山頂 10:10 10:55 西天狗 11:20 11:35 13:10 テントバ着 (-10℃) 5:00 夕食 7:30 コンパ 9:00 終了 夜中気温低下シュラフの中でも足がいたい。

28日 

5:00 起床 天候 快晴 風なし 7:00 朝食 10:05 BC出発 10:30 唐沢分岐点 0B山田史郎と会あう 10:50 休 11:05 出 11:30 渋の湯 旅館で休む 12:00 出 山田の別荘に向かう 12:35 辰野旅館前 12:40出 13:00 明治湯そば山田君の別荘着 昼食 3:50 明治旅館(温泉)よりバス乗車 5:00(17:00) 茅野 17:08 アルプス8号に乗車 20:05新宿着解散する  事故なし。


この年は丹沢でのボッカ訓練や夏合宿の飯豊連峰と事故が続いていたので、最後の「事故なし」の一言が極めて重い。

高梨ノート 1970年 新人歓迎 丹沢表尾根

1970(昭和45)年 6月21日

饗場(H1-1)     二ノ塔より状態悪化 空みで歩行させたが状況さらに悪化し、時間がかかるので本隊を下山。営林署の小屋に停滞(飯島氏 饗場 中村 碓井 野村等がつきそう。)

5月28日 9時35分頃 以上 現役から電話あり)

  • 部長が丹沢遭難救助隊長 高橋啓一氏宅に連絡したため(最近過去2回に●●●高校生の死亡事故があったため救助を要請されたので28日22時40分頃救助を許可する)
  • 本隊についての指導

H1部員は最寄りバスで帰宅 現地より各自宅に電話をさせた

H2部員 部長 念のため大倉山荘一泊

22:30 饗庭宅にtel 飯島 碓井宅にtel

24時頃 学校宿直者より電連絡あり  22:45●●● 電連絡

29日  

5:00連絡 6:55連絡 8:00連絡 二村宛現地に急行する●●●連絡

8:30自宅出 渋沢駅 バスにあわず徒歩 10時35 現地到着 (饗庭以下全員元気)

大秦野署長 部長に挨拶する

経費●●●●の如し     54,950円

隊員8名 4,500円 警察官2名 花立山荘使用者 宿泊代 14名 550円 7,700円 20名 二食分 200円 4,000円 大倉山家使用者 宿泊料 5名 550円 2,750円 電話料 東京1.500円 計53,950円   駒止茶屋夜間休憩料及び茶代 10名 1.000円 合計 54,950円 丹沢遭難救助隊 隊長 高橋啓一


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