高妻山山頂を目標に冬季合宿に入った常盤リーダー以下10名。この合宿には雪山に初めて入る部員が半数ほどいた。12月25日出発。すでに11月に先発隊を送って槍装備は若干一不動小屋に荷上げしておいた。
2日目、3日目に東京から担いできた荷を半分不動まで上げておいた。4日目残りを取りに八時出発十時二十分に牧場着、荷造り昼食を素早く終わり12時牧場出る。今日も雪が降っている。このルートで一番難しい滝場に到着。
この頃天気が変わり本格的吹雪になる。下りの時の足跡が消えてしまっている。ラッセル マンは胸までの雪をかき分け這うように一歩一歩進む。時々セカンドが「オーイ、ついてるか。」と声をかける。ラストが答えるが風に消されそうになる。また 声をかけながら進む。あたりは薄暗くなり寒さも一段と加わる。苦しい登攀が続く。ラッセルマン交代。奥貫先生がトップに立つ懐中電灯を振りながら進む。後 に声をかける。大丈夫ついている。最後の急斜面を一気に小屋に飛び込む。「おい着替えろ」怒鳴られ、夢中で着替え、火を囲み、やっと落ち着く。夏山の経験 とトレーニングを行ってきたおかげだ。明日の天気を祈りつつシュラフにもぐる。
29日、風強く停滞。協議の結果、高妻断念。地蔵でテントをためooo不明。
20日入山以来の初の快晴。ハウスキーパー2名おき出発。雪庇に注意し赤旗を立てなが ら頂上に来る。すばらしい純白の雪と蒼い空が目にしみる。富士、浅間、北ア、八ヶ岳、白馬等が手に取るように見える。佐藤以下4名が残り、私等は下る。翌 日、テント隊が降りてきた。一晩中風に吹かれたが調子は良いとのこと。来年の成功祈りつつ全員一不動より下山開始。阿由葉治男(1960卒)
1959(昭和34)年3月2日発行 - [ ] 獨協新聞 記事より転載