「御嶽山噴火 生還者の証言」を読んで

「御嶽山噴火 生還者の証言」

あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み 小川さゆり著

この事故では58名が死亡、5名が未だ不明のままになっています。2014年9月10日、11日と火山性微動が50回を超えていたものの、警戒レベル1は継続のまま11分前に登山者には気づかれない程度の微動の後、11時52に唐突に水蒸気爆発を起こしました。

噴火は秋の紅葉シーズンまっさかりの晴天の土曜日、そしてお昼の時間帯であり、山頂付近には250人ほどの登山者がいたと言われています。御嶽山は1979年10月28日にも水蒸気爆発を起こしているものの登山シーズンからは外れており、また噴火もゆっくりだったこともあり怪我人は出たものの死者は一人もありませんでした。

今回の噴火は一番人が集まっている時間帯に逃げる余地も時間もなく一気に大きな爆発が起こってしまったことで多くの被害者を出すことになってしまいました。運も大きく作用していたのでしょうが、火口近くにいたにも関わらず生還した人もありました。

その一人が登山ガイドをしているこの本の筆者の小川さおりさんでした。不幸中の幸、運にも恵まれたのでしょうが、当日の登山はガイド登山ではなく身軽な単独での下見登山であり、彼女は登山経験に基づいて臨機応変に対処したことで命を免れました。

この本は小川さんの噴火時に居合わせた経験を元に登山ガイドとしての視点から他の証言も混えながら御嶽山の噴火はどんなものであったかを教えてくれるものです。

いつ何時どんなことが起こるか分かりません。日本の代表的な山である百名山で言えばその34座が活火山にあたります。心の備えとして噴火とはどんなものなのか知っておく必要があるのではないでしょうか。

以下、小川さんの体験した噴火からその終息までの状況について小川さんの証言について抜粋してまとめました。


「ドドーン」というあまり大きくない低い音がした。剣ヶ峰の右奥に、見上げるほどに立ち昇った積乱雲のような噴煙と青空一面に放り出された黒い粒を見た。視界を遮る腐卵臭のするガスに巻かれた。温泉地にある「立ち入り禁止」の箇所で、もくもく出ている、あの少し黄色味かかった濃いガスだ。

噴煙を見てから20秒あったかどうか。鼻につくそのガスが喉に張りつく。ガスを吸わないように我慢するが、苦しくて吸ってしまう。酸素ではないので吸えば吸うだけ苦しくなっていく。喉を押さえてのたうち回る。

「もうダメだ」そう思った瞬間、風向きが変わったのかガスの臭いはするが、何とか息ができるようになった。今生きているので、そう長い時間ではなかつたと思うが、このとき、一番死ぬ恐怖を味わった。

1分くらいだろうか。それ以上長かったらここで死んでいた。視界はうっすらと自分たちの周りだけは見えていた。ついに放り出された噴石が降り出した。噴石を見てから2分弱はあった。その音は、説明しにくい凄まじいものだった。山で聞く落石の「ブーン」という音よりさらに早く、それが雨のように大量に真横に飛んでくる。噴石が山肌にぶつかり砕ける音と焦げくさい臭いがした。口の中はじゃりじゃりで水分がなく、喉が張りつきそうだった。噴火から6分くらいだと思う。

12時少し前、冷たい新鮮な空気が吹き込んだ。ガスの臭いのない新鮮な空気だった。15秒くらいで2回目の爆発があった。12時くらいのはずである。辺りは真っ暗闇になる。目の前にかざした手のひらが見えない。まったく見えない暗闇のなか、噴石が飛んでくる絶望的な音や鈍い爆発音も聞こえた。噴石と一緒に小さな石の粒がざんざんと降り出し、あっという間にしゃがんでいる腰まで埋まった。熱くはなくちょうど砂風呂に入っているようだった。

そして3回目の爆発が起きた。時間はおそらく12時30分くらいだと推測する。「ドッカーン」という物凄い音がした。時折ぼんやり見える視界を小さな穴から肩越しに見ていると、灰色のなかをレンジ、洗濯機ほどの黒い影が一瞬で視界から一ノ池方向に消えていった。そして軽トラックほどの黒い塊を見た。ずっと暗闇だった。

噴石が止んできた。真っ暗闇のなか雷が横に何本も走った。剣ヶ峰方向に、今度は縦に雷が3本走った。噴火してから約1時間。12時50分ごろ。最初はぼんやりと、次第にはっきりとあっという間に視界が開けた。目に映るその光景に息を呑んだ。見えるものすべてが真っ黒だった。まったく色のない世界に一変していた。私は稜線から全身が隠れる岩場を探し、一ノ池方面に下っていた。

私は急な斜面を足を怪我しないように慎重に、かつ大胆にかかとを使いかなりのスピードで駆け下りた。膝上まで積もった灰は、新雪のなかを走るように私にスピードをくれた。

セメントのようなべたべたした雨が降ってきた。セメントのような雨はすぐに止んだ。セメントのような雨が靴の裏につき、そこに火山灰がつく。靴が重く高下駄のようになる。ちょうどアイゼンに雪がつき「だんご」になるのとまったく同じである。・・・私はここに来て「助かった」というより「生き抜いた」と感じた。そして「ホッ」とした。


小川さゆり 著 ヤマケイ新書 2016年10月5日 山と渓谷社 あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み

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