メールマガジン5月号/2019

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【1】ラジウスはどこの国のメーカー?
【2辰野勇の「モンベルの7つの決断」
【3「コロンビア」のゴッドマザー
【4】シュイナードの作った2つのブランド
【5】「ザ・ノースフェース」の創業者
【6】行ってきました 山行Now
【7】編集後記
【8】記事の募集とマガジンについて
 
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【1】ラジウスはどこの国のメーカー?
 

「さかいや」の72㎝のキスリングのタッシュに入れた凹んだ灯油臭いラジウスの四角い缶とゴーと唸る青い光を懐かしく思う方も多いのではないでしょうか。

灯油やホワイトガソリンを用いたポータブルストーブはプリムス、スベア、オプティマス、ラジウス、ホエーブスと、いろいろなメーカから作られています。特に当時の日本ではラジウスがかなり普及していたようです。さて、このアウトドア用のポータブルストーブですが、オーストリア製のホエーブスを除きどれもスエーデン製なのをご存知だったでしょうか。

スエーデンではプリムス社が初めて灯油(ケロシン)を用いたコンパクトストーブを生産しました。フラン・ヴィルヘルム・リンドクヴィストが1862年に圧縮空気を利用した無煤煙のケロシン(灯油)ストーブを発明しました。そして、1892年、プリムス株式会社を設立し、プリムスストーブの量産を開始しました。ナンセンやアムンゼンが北極や南極に携帯していったのがプリムスストーブであり、ヒラリーとテンジンがエベレストで使っていたのもプリムスストーブでした。
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【2】辰野勇の「モンベルの7つの決断」

第一の決断 28歳で起業を決断

高校卒業後スポーツ用品店に住み込みで働き始めますが、店主からロッククライミングは危険だからやめるように言われ、父親が亡くなったことを理由にして会社を辞めます。その後、山好きの恩師の紹介で登山用品専門店の白馬堂に就職します。営業成績も良く本店の店長を任せられたそうです。仕事の傍クライミングを続け、4ヶ月の休暇をもらって21歳にしてアイガー北壁の第2登を果たします。白馬堂主催での登山学校を開設し、日本で初めてのロッククライミングスクールを運営することになります。

23歳で結婚しますが、会社の先輩と喧嘩をして店を辞めることになります。その後、白馬堂の顧客で山岳部のOBでもあった方の紹介で総合商社に就職し繊維部門の仕事に就くことになります。商社で仕事をしていく中で、自分でものづくりをしたいという気持ちが強くなり28歳で退社、起業を決断します。母親から200万円を借りて会社を登記し、銀行から引き出して母親に返し実質資本金ゼロからのスタートを切ります。アウトドア関係の会社モンベルの設立です。その後山仲間二人が加わりますが、はじめはスーパーの買い物袋の企画製造納品という仕事だったようです。その後、デュポンの素材で寝袋の製作に仕事がシフトされていきます。

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【3】「コロンビア」のゴッドマザー
 

ウエアからシューズ、バック、アクセサリーまで製作販売するアウトドア用品のメーカーであるコロンビアスポーツカンパニーの創業者はポール・ラムフロム。

彼はドイツでシャツの縫製工場を営んでいましたが、1938年にアメリカのオレゴン州ポートランドへ移住します。はじめは帽子問屋の権利を買い取り、近くを流れる川の名前からコロンビアハットカンパニーという名称の会社を立ち上げます。

ラムフロムの次女ガー・ラムフロムは10代だった頃から家業を手伝うことになります。
 
後に社長を引き継ぐことになるニール・ボイルは1950年からコロンビアの事業に参加し、ガートと結婚します。

ガートは夫ニールとその友人のためにポケットのたくさんついた釣り用ベストを考案しミシンを使って仕上げます。この釣り用ベストがとても好評だったので、1960年にはそれを社の製品とし生産してヒット商品になります。

この続きはこちらからご覧ください。


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【4】シュイナードの作った2つのブランド
 

「エルキャピタン」での”クリーンクライミング”など、ヨーロッパのクライミングからアメリカへ流れを変えた立役者でもあるクライマーのイブォン・シュイナードは同時に現「ブラックダイヤモンド」や「パタゴニア」の創業者でもあります。

イヴォンは少年の頃、狩猟のために鷹やハヤブサを調教する南カリフォルニア鷹狩団体に所属しており、岩壁の鷹の巣を取るための懸垂下降を教わったりしたことからクライミングに目覚めていきます。

1年中、週末にはどこかの岩を登るような日が続きますが、やがて舞台をヨセミテに移します。ヨセミテ国立公園は「エルキャピタン」をはじめ渓谷にそそり立つ白い花崗岩の岩壁が特徴でクライマーのメッカにもなっている所でした。
「エルキャピタン」は谷床から千メートルもある一枚岩で必要とされるピトン(ハーケン)の量も半端ではなかったので、自作でビトンを作り始め、繰り返し使うことができるクロムモリブデン鋼を使ったピトンを開発します。イヴォンの作ったピトンは評判がよく、山仲間にどんどん広がり、1個1ドル50セントのピトンに注文が殺到するようになります。ピトンを作りながらクライミングする日々が続いていきます。やがて手作りでは製造が追い付かなくなり、道具や金型、機械を整えての量産の必要に迫られます。
 
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【5】「ザ・ノースフェース」の創業者

ダグラス・トンプキンスは1943年3月20日にオハイオ州で生まれました。12歳でロッククライミングを始めた彼は、スキーや登山にのめり込んでいきます。17歳になると、高校を卒業しないままコロラドへ渡ります。ヨーロッパや南米で働いて資金を貯め、スキーに明け暮れていきました。

1964年にサンフランシスコで結婚し、1966年にはスージー・トンプキンスとともにスキーやバックパック用品を取り揃えた小さなお店を開きました。これが「ザ・ノースフェース」のスタートになります。当初から人気のお店で、顧客であったハップ・クロップが経営に参画し、当時としては画期的だったダウンジャケットやバックパック、新型のテントなどの商品を開発するなど爆発的なヒットとなりました。

しかし、トンプキンス夫妻は2年後にはお店をハップ・クロップに売却して、親友のイヴォン・シュイナード(後のブラックダイヤモンドやパタゴニアの創業者)とともに南米パタゴニア目指してサーフボードや登山道具と旅を記録するための16ミリのカメラをバンに乗せ旅に出ます。

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【6】行ってきました 山行Now
 
過去ログからこの時期の山行記録を集めて見ました。
 
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【7】編集後記
 
屋久島では大雨によりハイカーが孤立して自衛隊の出動が要請されたり、箱根山の火山噴火レベルが2に引き上げられたりしています。高山でも雪解けが進んできていますが、極端な気象変化や地殻地形の変動が続いていることに伴って大きな事故が怒らないことを祈るばかりです。
さて、今年度のOB会総会のご案内は届いていますか。今年はいつも総会で使っていた涵徳亭の大広間がリニューアルのため使えないので、都心から少し離れますが6月30日に北千住の「明日香」で行うことになりました。あらかじめ人数確認が必要なので、5月中に出欠席の確認の返信をよろしくお願いします。
34回総会の会場MAPを含めたご案内はこちらからもご覧いただけます。
 
 
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【8】記事の募集とマガジンについて
 
このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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