山岳遭難と伝書鳩

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今でこそ山岳遭難事故でも携帯電話で救助要請をすることが一般的になっていますが、1960年代あたりまでは伝書鳩がその役割を担ってもいたようです。伝書鳩は明治時代になってから軍事目的の通信手段として導入されて以来、広く使われるようになっていました。

1960(昭和35)年9月19日に谷川岳一ノ倉沢の衝立岩で起きた登山者2人の宙吊り事故がありましたが、その時にも事故の写真をいち早く伝えようと新聞記者が土合小屋の遭難救助用の伝書鳩を借りてフィルムのパトロネーを鳩の体に結びつけて飛ばしたそうです。

山岳遭難の防止と救助を目的に伝書鳩を利用しようとしたのは、北アルプスの登山基地である大町で三田旭夫氏が伝書鳩を使うために昭和11年(1936)に中部山岳鳩協会を設立し、昭和16年まで大町駅前で登山者に伝書鳩を貸し出していたのが最初のようです。

上越線の開通とともに谷川岳は一ノ倉沢をはじめバリエーションルートでの遭難事故が多発しており、「魔の山」として名を馳せていました。谷筋のために無線もなかなか通じない所でもあったために、いち早く事故を伝える手段として昭和33年に土合駅近くに鳩小屋を作って500羽もの鳩を飼育し、登山者に無料で伝書鳩を貸し出していたそうです。登山者は鳩の入っている箱を担いで登ったそうです。鳩は麓の鳩小屋まで3分くらいで帰着出来たということです。鳩によって助けられた登山者も多かったのでしょう。


2020年1月のメールマガジンから転載しました。

「山岳遭難と伝書鳩」への1件のフィードバック

  1. 谷川岳、今はどうしちゃったんでしょうね?技術とギアのレベルUP..?バブル時のスキーみたいに誰でも谷川岳目指してた?故植田先輩が「昔はキスリング背負って銀座クラブ行くとモテた..」なんて聴きました。ヒマラヤ登山家は剣岳トレーニングが多いみたいです。

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