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紀行「スペイン巡礼の旅」ロングトレイル踏破 1/3 ・打矢之威

<1回/3回>   「プロローグ」

馬齢79年10ヶ月重ね、そろそろ終活の一環として念願のキリスト教聖地巡礼を実行することにした。

:2017年9月28日―10月4日(8日間)

ルート:スペインのガリシア州サリアよりサンチャゴ・デ・コンポステーラ(カミーノデサンチャゴ)寺院までの120キロの徒歩旅行

カミーノ・デ・サンチャゴはスペインの大西洋カンタブリコ海岸近くの聖ヤコブの聖地である。ヤコブ(スペイン名サンチャゴ)はキリストの12使徒の一人で、イエルサレムで断首された殉教者。弟子二人が遺体を隠し、流れ流れてスペインのガリシア地域に埋葬された。その地にサンチャゴ大聖堂が西暦813年に建立され、以後イエルサレム、バチカンと並びキリスト教の3大聖地の一つとなった。

私は叔母が関係するフランスのルルド辺りからピレネー山脈を越えて300キロの巡礼旅を計画していたが、1年半ほど前ネパールのエベレストトレッキング中、胸の苦しさなど身体の変調を体験し、高山病だろうと安易に考えていたところ、狭心症の前兆であることが判った。2度ステント設置の手術を受け、リハビリに努めたのでソロソロ巡礼旅を実行しないとその前にあの世行きになると焦り、主治医に相談したら「あんたはダメと言っても聞かないだろう。せめて盛大に保険をかけて行きなさい。救援費用、遺体搬送費も含めておくように。」と冷たい返事であった。

巡礼旅のフィナーレはサンチャゴ寺院から巡礼証明書(クレデンシャル)を発行してもらうことで終了する。其の為には最低115キロ歩くことが絶対条件である。途上、各地の教会、アルベルグ(公営簡易宿泊所)、バル(食堂付き雑貨店)等から一日最低2か所のスタンプを押してもらうことが必要である。

サリアはスぺインのガリシア州の小都市で、ここからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで陸路120キロほどの道のりである。スペインでも貧しい農村が散在し、丘陵地帯(500-600m)と森林地帯が交互に現れる。ルート上の要所要所には巡礼路の標識である黄金色のホタテ貝の印が石柱に埋め込まれているのでほとんど迷うことはないが、早朝は暗いので何度か間違え脇道にそれたこともあった。

10月の始めとはいえ朝晩は寒いので、ウンドーブレーカーは必帯。その他2,000m級のトレッキング装備が必要であった。途上の民宿は共同シャワー、蚕棚のベッド、寝具は毛布又は持参の寝袋。巡礼者は男女雑魚寝、隣の鼾がうるさいのでウイスキーをひっかけて眠る。世界中から巡礼者が集まるので訳の分からない外国語がいたるところで聞こえる。

同行者は学生時代の同級生伊藤義明氏とその友人の河合宏、妙子夫妻、伊藤氏は私と同年、河合夫妻は60代後半、いずれも山歩きは慣れているので心強い同伴者であっが、足がそろわないので私は遅れがち。結局独り歩きになり、途中のバルやその夜の民宿で合流することになった。

当初一日当り平均25キロの行程で実働5日間と1日の予備日を取ったが、9月27日成田発予定のイベリヤ航空機が機体不備で1日順延、結局9月28日からの出発で1日短縮せざるを得なかった。従い平均1日30キロの強行軍となった。幸い天候には恵まれ、雨天はなくどんより曇っていたが涼しいので歩くのには好都合であった。

次回に続く

紀行「スペイン巡礼の旅」ロングトレイル踏破 2/3 打矢之威

<2回/3回>   「旅のスタート」

9月28日(木) マドリッド空港泊

9月29日(金) マドリッドからサリアまでスペイン国鉄で移動(約6時間)サリアの民宿泊(EL MALECON HOSTAL,一泊30ユーロ)
宿番の女性二人は8時ごろからいなくなり、無人宿、宿前の飯屋の路上で夕食。ガリヤ名物のタコの油揚げを食う。美味)

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9月30日(土) 早朝サリア出発。真暗な中、懐中電灯を頼りに進むが市内の道が複雑で何度も迷う。オランダ人の二人が大股でスイスイ歩く。

夫人らしき女性が懐中電灯でホタテ印を発見。しばらくついて行ったがあきらめた。郊外に出ると辺りも明るくなり田舎の一本道となる。サリア7時30分発、レンタ10時、ペルスカロ10:50分、モルガーデ12:00、メルカドイロ2:40分、ポルトマリン4:50分。サリアは標高400m、道中丘の起伏の最高地点600m、栗やドングリの林を抜ける。実があちこち落ちている。

今宵の宿、PORTOMARINE郊外のアルベルグ(公営民宿)まで25キロ弱、まだ調子が出ない。O.MIRADOR 民宿一泊10ユーロ約1250円、途中のバルや教会で巡礼手帳にスタンプをぺたぺた。(注)スぺインは緯度の関係でこの時期朝8時過ぎに明るくなる。

夜は7時頃ほの暗くなる。したがい10時間ぐらいはライトなしで歩ける。

 

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10月1日(日) PORTOMARINE-CASANOVA(30.4キロ)400mからSIERRA LIGANDEまでの登り720m迄がきつい。最高地点の750mまで丘陵地帯を登ったり下ったりの連続、消耗する。先行組についていけず脱落する。次々と外国人巡礼者に追い抜かれる。皆一様にカミ―ノ(こんにちは)という。途上胸が痛くなり、休止、休止の連続。このままくたばるかと一瞬空を仰ぐ。

先行組とは全く会えず追い付きようもないので、バルに駆け込み緊急に車を手配してもらおうかと逡巡する。よく考えると昼食時喉の乾くままに一人ビールを飲んだのが心臓ドキドキに繋がったと思いついた。大休止すると鼓動も収まってきた。やれやれ自分のうかつさにあきれる。夕方、カサノバの手前の階段で伊藤組が待っていてくれた。そこから宿まで急階段を最後のしごきとあえぎあえぎ登る。今宵のアールベルグはBOLBORETA。一泊素泊まり27ユーロ(3500円)清潔で4名一部屋を独占す。夜中おしゃべりしていたら隣からうるさいと怒鳴られた。(ドイツ語らしいが意味不明)

 次回に続く

紀行「スペイン巡礼の旅」ロングトレイル踏破 3/3 打矢之威

3回/3回 最終回 「ロングトレイル踏破」

10月2日 (月)   汗だらけの下着は前夜手洗いしておいたので、今朝は快適。調子も戻り、今日は距離を稼ぐと勇躍出発。CASANOVA-AZURA(30キロ) 今日も独り歩き。3ヶ目で快調になってきた。休憩場所ではいろいろな国籍の巡礼者と声を交わす。アメリカ、ドイツ、デンマーク、オランダ、カナダ、パナマ、スペイン等々世界中のキリスト教徒が聖地を目指す。相当な高齢者から若い男女まで千差万別。今日は韓国の若い女性二人と道ずれになったが置いて行かれた。途中のバルで追いついたので、伊藤氏など先行組に何とか歩いていると伝言したが伝わったか不明。彼女たちとは最終日サンチャゴに入る前に再会した。道に迷って迂回していた由。今日の行程はCASANOVAからARZUAの5キロほど先の寒村ACALZADAにあるアールベルグCamino Dos Ocas。全行程33キロ。電話で連絡すると山中わかり難いところにあるので途中まで迎えに来るという。しかし到着が遅いので夕食はない。それでは手前のアールベルグで食べようとしたが其処も不可。困り果てていたら宿前に休んでいた若い男女(イギリス人、スイス人、デンマーク人の混成部隊―途中で3人仲良くなった由)がなけなしのでかいフランスパンを恵んでくれた。巡礼のよしみで皆親切。ところが、宿に着いたら夕食を出すという。女将らしき小母さんがてきぱきとご馳走を作ってくれた。どうもスペイン人は江戸っ子と同じ性格で辛口だが根はお人好のようだ。

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10月3日(火)今日は最終日何としてもサンチャゴの大聖堂に着かねばならない。約33キロの長丁場。しかしサンチャゴ・デ・コンポステーラに近づくにつれ、人家も多く、市街地らしくなってきた。古い落ち着きのある家並みが散在する。遠方には通過地の教会の屋根があちこち見える。なんだか日本の奈良か京都の風情である。前夜泊まった宿を明るくなってから出発。SALCEDA 8:50分、SANTAIRENE 10:45分、AMENAI 13:10分、VIRAMAIOR 15:33分、MONTE DEL GOZO 17:00分、SANTAGO DE COMPSTELAサンチャゴ・デ ・コンポステーラ大聖堂前の広場近くのホテルPazo De Altamira着18:45分到着。ところが3人が到着していないという。どこで追い抜いたかあるいは彼らは道に迷い遅れているのか心配になった。夜9時になっても投宿しない。腹は減るし、全行程120キロ走破の虚脱感からロビーでぼうーっとしていると、レセプションの女性が目の前にうまい魚料理を食わせるレストランがあると教えてくれた。空腹に耐えきれず一人シャングリラで乾杯。生ハム、パエリヤ、魚のムニエルなどスペイン料理を盛大に食べた。後で聞くと巡礼終了証明書(クレデンシャル)を一刻も早く入手するため2時間も待って大聖堂裏のPILGRIM’S OFFICEで待機していた由。私は翌4日早朝、巡礼事務所に行き1時間ほどで無事入所した。

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10月4日(水)午後3時のマドリッド行き急行に乗るまで市内見物。大聖堂、広場前のマーケット、土産物屋、青天井の魚レストラン(ガリシヤ州は魚が旨い)どれも珍しい。夜遅くマドリッドのホテルでポートランドから来た家内と合流。後半はイタリヤのCOSTA ラインの地中海船旅(バルセロナ マルセイユ サボナ ナポリ シシリー島 マルタ島)を楽しんだ。1年ぶりの家内との長旅である。来年は若いころ駐在した中近東、特にイエルサレム巡礼を計画している。キリスト教3大聖地巡りをすれば神様も生前の不善行もお許しになるであろう。

終わり

 

打矢 之威  2017年10月27日 記

早大ワンダーフォーゲルに参加して

獨協ワンダーフォーゲル部        打矢之威

K君へ

K君その後お元気ですか。僕達は昨日無事に帰京しました。君が来られなくて本当に残念でした。我々は先生方のお世話で大変楽しく有意義な団体生活というものを味わいました。それで参加しなかった君にその報告をしようというのです。早大の方は皆親切ですね。特に幹部の方にはいろいろ部の運営方針について詳しく説明していただいてこれからの僕等の部活動に非常に参考になると思っているんですよ。あの人達は表面は山男顔した風貌していますが、心の内は清い心に自然を愛し、親しんでいる立派な人達なんですね。お話を聞いていても何か自分が知らず知らずの内に啓蒙されて行くような気が感じがしました。あのような人格は一昼一夜に出来るものではなく、何年も何年も、山野を汗渉をすることによって、お互いに楽しみ、お互いに悲しみ、そしてお互いに協力しあって次第次第に形成されて来たのだと僕は考えているんです。またワンダーフォーゲルの真の目的もそこにあるような気がしているのです。僕等も毎月のように山に入り込んでいますが、まだけだ修練が足りないんですね。これからの山行にはこの経験を生かしで独協ワンゲルの名に恥じない行動していきましょう。

さて前書きが長くなりましたが、これから僕の見聞きした範囲で早大ワンダーフォーゲル部と言うものをお知らせしましょう。しかし断っておきますが、原則的にいって、大学と高校では、規模その他の面で、大きな差があるのですから、あくまでも独協ワンダーフォーゲル部の運営上の参考として君にお知らせするのです。

まず幹部の方達の部員や部に対する愛情といったものは非常なるものでした。これは如何なる社会でも同じですが、特にこのワンダーフォーゲル部と云う一つの小さな社会においては目上の者は目下の者を愛しみ、目下のものは目上を慕う様な風潮は是非゙日必要ですね。しかしこの相互の親しみも幹部部員、上級生、下級生と言うがん厳然たる一本の境界線をはさんで行なわれているものなんです。確かにこの境を無視したら部の統制は取れません。これは車中で見た事ですが、幹部も新人部員も一緒になって、ワンゲルの歌を合唱して本当に友達同士のようにその雰囲気を楽しんでいましたのに一たびこれが終わって他の事を部員に注意する時の幹部の態度は前とは打って変わった毅然たるものがありました。それから部則は全員に徹底してるように思えました。何事もリーダーの命に絶対服従なんです。如何んなに雨が降っていようとも、如何に腹が空いてもリーダーの許可なくては絶対にヤッケを着たり、食事を取ったりする事はご法度なんです。それに驚いたことには、ひどい雨中を山に登る準備として、全員でトレーニングをしましたよ。もちろん幹部も、女子部員も一緒です。僕等も参加しましたが寒かったですね。しかしこれは必要なことですね。汽車から下りてすぐに登り始めたら、忽ち体に影響しますよ。ましてや夜行なんだったら絶対に欠かせません。

それから新人部員に対する技術指導の面ですが、これには大変貫禄のある先輩が二、三人いらっしゃって、最速日ピッケその講義を一席ぶっていましたよ。僕等も、北村、皆川、太田諸先生のような経験のある指導者が控えていらっしゃるのでその点は安心していいと思います。後の技術的な進歩は無音の心掛次第です。

それから部の構成ですが、最高の責任者は部長(これは代々先生)が受け持っているようです。次に主将そしてマネージャー、各グループのリーダーがいます。以上は四年部員が原則としてなっているようです。装備係、食料係、新聞係、記録係等の諸係員は、三年部員ががっちりと組んで、下級部員の世話をしてます。いづれにしてもあの様に百五十人もの大所帯になると各人が自分の持ち場を忠実に守ると共に積極的に活動しないと部活動と言うものは成り立っていきませんね。僕等のワンダーフォーゲル部も三十人以上もいるんですから余程しっかりしないと必ず破綻が来ますよ。だが三年部員には受験と言う難関が横たわっているので、この処分の調和が難しいんです。ですから二年生にも協力してもらい、ある場合には彼等が主体となってこの有意義な部活動を推進させてもらわないと困るんです。最後に部としての装備の点ですが、さすが大学だけあって全てが完備している様です。僕等としてはとうてい何から何まで備えることは出来ませんか二、三個のキスリング、それに大型テントは欠くべからざるものだと聞いています。後は個人装備です。以上とりとめもなく書きましたが先生方も森本部長も僕等も一致した感想は、早大゙ワンダーフォーゲル部は良くまとまっていると云うことです。集合した後のゴミ屑等などのしまつ、駅や街中での整然として歩いている姿、皆円くなって合唱している光景、何をしてもてきぱきと敏速に迷惑を掛けない部員達の張り切った姿、などがこれをなしている僕の目の前を走馬灯の様に次から次へと浮かんできます。僕等の独協生のこのワンダーフォーゲル部もかくありたいものだと心から期待している次第です。

では駄筆ですがあしからず。また学校で会いましょう。


昭和30年6月10日付け「独協新聞」より転載しました。

今年の富士山登山者(環境事務所報告から)

今年の富士山の登山者数が環境省関東地方環境事務所から発表されました。
環境事務所では平成17年から各登山コースのそれぞれ8合目付近にカウンターを設けて登山者数を計測しており、今年度の結果がまとめられました。それによると今年の7月1日から9月10日までの登山者数の合計は約24.8万人だったそうです。
富士山の登山者数は平成22年の32万人をピークに減少傾向が続いており、昨年度は23万人だたので今年は1.4万人増ということで減少傾向に少し歯止めがかかったという状況のようです。海外からの登山者も割合として大きいのではないかと思われますが、世界遺産に登録されても登山者数は増加してはいないようです。
政府がユネスコに提出した世界遺産登録継続のための保全策にれば2018年7月までに努力目標としての1日あたりの適正な登山者数を算出するとしていますが、適正な登山者数をどれくらいに設定することになるのか悩ましいところでしょう。
コース別だと吉田ルートが約15.1万人、須走コースが約2万人、御殿場ルートが約1.5万人、富士宮ルートが約5.9万人というこでした。吉田ルートからの登山者が毎年多いようですが、その差は広がってきているようです。

蓼科山(2,531m) 八ヶ岳連峰

2017年10月26日

妙義山越しの浅間山

雨ばかり続いている中だったが、定休日に秋晴れの予想が出ていたので百名山に数えられる八ヶ岳の最北端の蓼科山に行くことにした。関越道を走っていると正面に真っ白い浅間山が現れた。この時期にもう雪山?とちょっと思ったものの、これから行く蓼科山も同じ状況になっていることには思いあたらなかった。

上信越道に入り佐久小諸ICから中部横断自動車道で佐久南ICで降り、全線舗装された鹿曲川林道を大河原峠へ。

途中から道には雪が現れ、4WDといえノーマルタイヤなのでどんどん積雪量が増える道を慎重な運転でやっと峠に到着。天気がいいので午後にはある程度溶けていることを期待して登山口に向かった。

雨がたっぷり染み込んだせいだろうか、峠から見た佐久市は一面雲海の下にあった。

佐久平に広がった雲海
三角屋根の大河原ヒュッテ

蓼科山への登山口は三角屋根の大河原ヒュッテの脇にある。始めはなだらかな笹原を登って行くが、笹原が終わると急登になる。思いがけずの一気に冬の装いとなった蓼科山は空気も冬のそれになっていた。

大河原峠の蓼科山登山口

急登が終わり、2,300mを超えるとシラビソなどの樹林帯に入り、蓼科山荘のある将軍平まではなだらかな登り下りなる。

積もった雪や溶けた水や雪の塊がが雨のように落ちてくる。足元は雪と泥んこのようになっている所が混在していて、歩きづらい。

佐久市の最高地点の表柱

縞枯れ地帯

縞枯れ現象のエリアが断続的に現れる。

赤谷分岐

北横岳と南八ヶ岳

 

鞍部まで降りてきた所
2,353m付近の蓼科山荘
2,353m付近の蓼科山荘

大河原峠から登山者は一人も見かけなかったが、将軍平からはロープウェイ駅や七合目の駐車場方面から結構登山者が多く上がってっていた。

将軍平から蓼科山頂上へは大石がゴロゴロとした急登になる。途中1箇所鎖がついているところもあるが、傾斜はかなりきついものの距離はあまりなかったので、休まずに登り切れた。

前掛山

頂上直下に蓼科頂上ヒュッテがあり、その先には大きな火山性安山岩が海のように広がったが独特の地形が広がっていた。

蓼科山頂上の標柱
北横岳と南八ヶ岳

何人もの人に「え、半袖!」と言われたりしたが、汗かきの自分としてはほぼ登山中のノーマルスタイル。

青空のもと、八ヶ岳をはじめ、浅間山、御岳山、南北アルプスなど360度の眺望を楽しむ。

ポットのお湯でリフィルのカップラーメンとコーヒーで昼食をとる。食事後、道路の雪が溶けていることを期待して下山する。

無事、下山。幸い鹿曲川林道の雪は結構溶けていた。中部横断自動車道の佐久南IC入り口からも真正面に浅間山がきれいに見えた。途中渋滞に巻き込まれるが、無事帰着することができた。


コースDATA

大河原峠登山口(大河原ヒュッテ)発9:41 佐久市最高地点10:40 赤谷分岐10:46     将軍平(蓼科山荘)10:57 蓼科山頂ヒュッテ11:38 蓼科山頂10:45    山頂発12:20    蓼科山荘頂12:57    赤谷分岐13:07 佐久市最高地点13:14 大河原峠登山口(大河原ヒュッテ)着14:00

「スペイン 巡礼の道」ロングトレイルを踏破   打矢之威

DWV創立のメンバーである打矢之威先輩が9月28日から10月4日までスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ寺院までの120キロほどの巡礼徒歩旅行に行き、無事クレデンシャルという巡礼完了証明書を入手されたそうです。

このスペインの「巡礼の道」は日本の「四国お遍路」と合わせて世界で2箇所だけ「道」が登録された世界遺産登録です。

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「寝袋防寒具持参で一日平均30キロのトレッキングです。靴を2足持って行きましたが幸い一足も破損せず代わりに足の爪は真っ黒にないりました。」

手記を寄稿してもらえるということですので、ご期待ください。

メールマガジン10月号 / 2017

獨協中学・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2017/ 10/ 21

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△▲△    も くじ △▲△

【1】DWV山行実績ベスト5
【2】今年の富士山の登山者数
【3】那須茶臼岳遭難最終報告書
【4】行ってきました 山行Now
【5】編集後記
【6】記事の募集とメールマガジンについて
 
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【1】
DWV山行実績ベスト5
DWV設立から2017年8月までの山行記録からよく登られている山を調べてみました。分かっているだけのDATAでのまとめですが、以下の通りとなりました。
エリアで分けると1位が奥多摩エリアで30回、2位が東北エリアで22回、3位が丹沢エリアと八ヶ岳エリアで各17回、5位が南アルプスエリアで10回ということでした。ただし、南アルプスといっても仙丈と北岳が1回ずつで、あとは鳳凰三山、甘利山、守屋山、入笠山、鋸山などの前衛を含めてということになります。
山別では1位が八ヶ岳主脈縦走で13回、2位が丹沢表尾根で12回、3位が飯豊連峰と川苔山で9回、5位が棒ノ折山で7回となっています。
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【2】今年の富士山の登山者数
 
今年の富士山の登山者数が環境省関東地方環境事務所から発表されました。
環境事務所では平成17年から各登山コースのそれぞれ8合目付近にカウンターを設けて登山者数を計測しており、今年度の結果がまとめられました。それによると今年の7月1日から9月10日までの登山者数の合計は約24.8万人だったそうです。
富士山の登山者数は平成22年の32万人をピークに減少傾向が続いており、昨年度は23万人だたので今年は1.4万人増ということで減少傾向に少し歯止めがかかった状況のようです。海外からの登山者も割合として大きいのではないかと思われますが、世界遺産に登録されても登山者数は増加してはいないようです。
政府がユネスコに提出した世界遺産登録継続のための保全策にれば2018年7月までに努力目標としての1日あたりの適正な登山者数を算出するとしていますが、適正な登山者数をどれくらいに設定することになるのか悩ましいところでしょう。
コース別だと吉田ルートが約15.1万人、須走コースが約2万人、御殿場ルートが約1.5万人、富士宮ルートが約5.9万人ということでした。吉田ルートからの登山者が毎年多いようですが、その差が広がってきているようです。
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【3】那須茶臼岳遭難最終報告書
 
今年3月に起きた茶臼岳(那須岳)の「天狗の頭」付近で発生した雪崩に栃木県高体連主催の「春山」講習会に参加していた高校生と引率教員が巻き込まれ、合わせて8名が亡くなった事故に対して那須雪崩事故調査委員会が10月15日に最終報告書を発表しました。
事故の概要については本ホームページトピックスの雪崩遭難事故についての記事を参照ください。
この報告書では個人の責任については言及しておらず、また雪崩が発生した原因についても特定できなかったとしています。遭難に至った要因については雪山状態に対しての認識不足や研修体制の不備、危機管理体制の不備などを挙げ、スポーツ庁に対して事故を繰り返さないための7つの提言を示しています。
従来の経験則中心に研修計画が立てられ、PDCAによるマネージメントが確立されておらず、危機管理意識に欠けていたことが挙げられています。また、積雪期登山リーダーとしての資質に欠けた部分があったこと、事故後の対応については携帯電話が寒さで起動しなかったこと、無線のバッテリー切れや不携帯、連絡体制が確立されていなかったこと、ロープやシャベルを携帯していなかったことなども問題点として挙げています。
すでに高校生の冬山は原則禁止になっていますが「冬山状態」での「春山」登山についてはこれからどのようになるのでしょうか。
2017年那須雪崩事故調査委員会最終報告書の概要版はこちらからご覧いただけます。
【4】行ってきました 山行Now
那須 三本槍岳(1,917m)    2017年10月1日
山頂が会津藩、黒羽藩、芦野藩の三藩の境であったことから各藩で頂上に槍を立てたことが山の名前の由来となっている那須連峰の最高峰の三本槍岳。
那須連峰で茶臼岳や旭岳などを望みながら秋の紅葉を楽しむことができました。マウントジーンズスキー場からロープウェイで4時間で往復できるコースです。
奥多摩 本仁田山(1,224m)    2017年10月12日
青梅線の奥多摩駅から出発し、鳩ノ巣駅に戻る電車だけを使って4時間程度で登ってこられる奥多摩の本仁田山です。
秋の平日だと登山者も少なく、ゆっくりと静かなハイキングを楽しむことができます。意外とこの季節、花やいろいろなドングリなど豊かな自然と親しむこともできます。
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【4】編集後記
さて、今年の紅葉はどうかなと思っていたら、一気に冬になってしまいました。気温が下がり雨ばかり続いていて、東京では最低気温が一桁の12月のような寒さが続います。2,000m以上の山は既に一面の雪景色になってしまいました。
そんな中、超大型の台風が日本を縦断しようとしています。時を同じくして突然やってきた「総選挙」という台風の目は、どうやら「希望の党」から「立憲民主党」に変わってきているようです。台風が通り過ぎた後、どんな結果をもたらすのでしょうか。
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【5】記事の募集とマガジンについて
 
 
このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 

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那須雪崩事故検証委員会の最終報告書

平成29年3月27日那須雪崩事故検証委員会の最終報告書について

平成29年3月27日に茶臼岳(那須岳)で起きた雪崩遭難事故を受けて、平成29年3月27日那須雪崩事故検証委員会から平成29年10月15日に200ページに及ぶ最終報告書が発表されました。

報告書では、事故発生の要因として高体連及び登山専門部の「計画全体のマネジメント及び危機管理意識が欠如していたこと、従来の慣行に従った低い危機管理意識のまま講習会が実施されていたこと、またそれら講習会を見過ごしていた県教育委員会のチェックや支援体制の未整備だったこと、講師等の雪崩の危険(リスク)に関する理解不足と登山リーダー及び引率教員としての「個人の資質」に欠けていたことなどをあげています。

また、連絡体制の不備と携帯すべき装備の認識不足と不備についても触れられていました。

雪崩自体の発生原因については雪崩が雪上訓練により誘発されたものか、自然発生によるものかは特定できないとし、また個人の責任については言及していません。

事故発生時の状況と対応については、携帯電話が寒さで起動しなかったり、無線機のバッテリー切れなどの通信機器管理の不備もあり、救助要請が大幅に遅延したこと、参加者全員の情報や保護者の連絡先の一覧が作成・携行されておらず、警察、消防、山岳救助隊、生徒の保護者、引率教員の家族等に誰が連絡するのかといった緊急時の連絡体制も未整備であったこと、参加者がビーコンやプローブを装備しておらず、シャベルも常に携行していなかったことにも触れています。

また、この事故を起点として同じような事故を繰り返さないためにスポーツ庁に対して同委員会は次の7項目を提言しています。

【提言1  PDCAサイクルに基づいた計画のマネジメントと危機管理の充実】

【提言2 安全確保のための県教育委員会のチェック機能の充実】

【提言3 総合的な安全への対応力の向上を目指した顧問等の研修の充実】

【提言4 高校生等の安全な登山活動を支え、推進するための国、関係機関等の支援】

【提言6 全ての関係者の心のケアの推進】

【提言7 生徒の学ぶ意欲を喚起し、事故の教訓の風化を防ぐための取組】

具体的な項目としては次のことが述べられています。(抜粋)

  • 専門家の協力を得て、講義・実習等を取り入れ、初任の登山部顧問等の研修、経験者の研修等をきめ細かにかつ継続的に実施する。
  • 高校登山部活動の指針や計画作成のガイドライン等を作成する。
  • 天気図や地形図の読み方、指導上の留意点やポイント、登山等に潜む多様な危険の理解と危機管理、準備や計画、運営のマネジメント等に関する内容について、計画的に研修を行う。
  • 国立登山研修所や日本山岳・スポーツクライミング協会等の専門機関の研修に積極的に顧問等を派遣するなど、リーダー養成に努める。
  • 県教育委員会は、ビーコンやプローブなど、救出のための装備等を整備し、必要に応じて各高校等に貸し出せるようにする。
  • 高校生等と指導者のためのハンドブック(仮称)」を編集し、定期に改訂し、活用する。
  • 部活動の外部指導員の任命、行事等において専門家の支援や助言が得られる方策を検討し、積極的に専門家の参画を進める。
  • 県教育委員会は、事故に遭遇した生徒や御遺族並びに関係教職員等の心を癒し、QOL (生活の質の向上)と安心感や活動への意欲を醸成する心のケアの充実と継続を図る。
  • 事故の教訓の風化を防ぐために、慰霊の場を設置する。
  • 空き教室等を活用し、生徒が主体となり、これまでの栃木県の登山部活動の記録、事故の記録等を展示(掲示)するとともに、部活動参加者及び関心のある生徒が登山等に関する情報の収集ができるような拠点も設置する。
  • 定期に、各加盟校の活動や調査研究等の情報交換や交流ができるような機会を設定する。       以上、報告書の概要をまとめてみました。

スポーツ庁は高校生の冬山登山は原則禁止としており、当該教育委員会を通して各校にはその旨通知が出されていると思われます。

この報告書では「冬山」は一般的には12月から2月と考えられるものの、寒冷で雪崩の危険の高い山の状態は「冬山状態」であるということを講師や引率教員は直視しなければならなかったとしているものの、提言では冬山状態での登山について原則禁止ではなく、必要な手立てを講じなければならないとしています。

しかし、今回の事故や提言を受けてスポーツ庁から新たな方針が出されるものだと思われますが(既に出ているのかも?)、教育の場においてはことさら手のかかる面倒なことは避けるべく、スポーツ庁、教育委員会、各校各レベルで「冬山状態」である登山は原則禁止になってしまうのではないかとも思われます。

ちなみに、独協高校ワンゲル部では「冬山」は4、50キロもの荷物を担いで高妻山、八ヶ岳、仙丈岳、浅間山などに登り、「春山」は高妻山、八ヶ岳、金峰山・瑞牆山、北八ヶ岳あたりに登ってきた実績がありますが、すでにいずれも1971年あたりで「冬山状態」の登山は終了しています。

茶臼岳雪崩遭難事故検証最終報告書

DWV山行の実績

DWVとして現在までの山行の実績を現在までに分かっている情報を元に調べてみました。

山         域 山  名 山  行  数
奥多摩                                30 川苔山 9
棒ノ折山 7
本仁田山 1
陣場山 2
三頭山 1
御岳山 2
御前山 1
鋸山 1
鷹ノ巣山 3
大岳山 3
丹沢                                             17 表尾根 12
鍋割山 4
その他 1
東北                                              22 飯豊連峰 9
朝日連峰 4
岩手山・八幡平 6
八甲田 1
船形山 1
早池峰山 1
八ヶ岳                                         17 南八ヶ岳 13
北八ヶ岳 4
北アルプス                                   7 槍・穂高 5
白馬 1
劔岳 1
南アルプス                              10 仙丈岳 3
北岳 1
鳳凰三山 1
甘利山 1
守屋山 2
入笠山 1
鋸山 1
秩父                                               4 雲取山 1
国師岳 1
武甲山 1
両神山 1
上越                                                 8 高妻山 5
谷川 1
妙高山 1
巻機山 1
中央アルプス                              1 宝剣岳 1
浅間山およびその周辺          6 浅間周辺 6
奥秩父                                              4 金峰山・瑞牆山 3
乾徳山 1
三浦半島                                       1 鷹取山 1
御坂山塊                                       2 三ツ峠 1
御坂山 1
大菩薩山嶺                                1 扇 山 1
箱根                                                1 金時山 1
那須                                               1 茶臼岳・三本槍岳 1

2017年8月までのDATAから

山域とするとやはり奥多摩が30回と多く、新人歓迎などでもよく登られています。また、丹沢はボッカ訓練など、夏山のための準備登山としてもよく登られていたようです。積雪期には初期の頃は高妻山が多く、後には北八ヶ岳が多かったようです。DWVの特徴とすると夏合宿には飯豊連峰、朝日連峰、岩手山・八幡平などの東北の山を選んでいることがあげられましょう。標高はそれほどなくても緯度が高い分おとくな縱走が楽しめる割には登山も少なく、時間をかけてじっくり味わえるからこそ東北の山は高校生の夏山としても思い出に残る山であるのかもしれません。