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新OBのご紹介

OB会員の皆様へ


今年卒業した獨協高校ワンゲルOBの新規会員登録がありました。黒川樹さん、久保田凌弥さん、大澤隆世さんの3名です。新しい仲間としてDWVの発展を担う人材として期待しています。OBの皆様も宜しくお願いします。

OB会    会長     冨樫克己           2016年11月11日

平標山(1,984m)

2016(平成28)年11月3日(祝)

文化の日で、紅葉終わりの山を楽しむ人も多いのかと思ったが、今年一番の寒さと、新潟などの日本海側は雨の予報も出ていたせいもあったのか、新幹線もバスも空いていた。上野をMaxとき303号に乗り込む。越後湯沢に8:10着。8:20発の苗場スキー場行きのバスに乗り、平標山登山口には8:50に着。前回行った苗場山の登山口となる二居田代スキー場のバス停よりいくつか先のバス停になる。越後湯沢駅からはちょうど600円。バスを降りて、少し戻ったところに登山口の表示があり、少し進んでいくと道標のある登山口。この間、登山者は見当たらなかった。結局、山中では下山中の2つのパーティーしか目にすることはなく、それはそれで頼りなさもあって寂しい思いがした。

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ちょうど登山口を9時に出発。「熊注意!」の看板もあり、熊と合わないですむように熊除けの鈴を鳴らしながら登って行くことにする。登山口からはいきなり急登。しばらく行くと石混じりの道になり3早くも0分くらいで展望が開けた。バスに乗っている時には時折小雨が降っていたが、バス停に着く頃には結構明るくなっていた。地元の人が新潟側の天気より群馬の天気に近いと言っていたのを思い出す。そういうことかと思って安心していたが、しばらく登っている途中で薄暗くなってきて細かな雪もちらつき出した。

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やはり、小雨が雪に変わる気温なのだ。その後、また明るくなり、気づくと下から上にかけて綺麗な虹が出ていた。

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10:00 ごろ、何か遠くで音楽ような音が聞こえ出し、何だろうと思っていたが、しばらくして前方に鉄塔が見え出したので、鉄塔の風切り音だったと思った。振り返ると苗場プリンスの白い建物のスキー場がよく見えた。鉄塔を越え、しばらくすると尾根に沿ってなだらかで綺麗な山が見えてきた。10:30 松手山山頂に到着。小休止を入れる。

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松手山を越えると道の端に雪が見られるようになった。尾根の側面には霧が凍りついたのか白く花が咲いてるような灌木が広がっていた。ガレ場帯を進んで行くに従って風が強くなり、吹きっさらしの稜線上は強い風とともに再び降り出していた細かな雪が顔にあたり、冷たく痛かった。フードを被り手袋も付けて凍えながら登る。

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12時10分山頂到着。あたりは霧に包まれ、何の展望もなく凍えていた。3人のパーティーが丁度下山するところだったようで、「風の具合はどうでしたか?」と尋ねられ、「じゃあ、最短コースで下りよう。」と慌しく下りて行った。「小屋は今日もう閉めてしまいましたから。」と言っていたので、小屋の方だったのだろう。こちらも仙ノ倉はあきらめ下山にかかる。

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木の階段が敷かれた道を下りかかると、ガスが突然飛ばされて景色が開けていった。下に平標山乃家がよく見えるようになった。遠くに山小屋が見える景色はとても心を暖かくする。

 

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12:40小屋に到着する。やはり、小屋は閉じられていて誰もいない様子だった。小屋の前のデッキで平標や大源太などを眺めながら昼食をとる。

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13:00 に登山口への下山にかかる。道は結構勾配がきつい。しばらくして植生が落葉広葉樹からカラ松に代わり、落葉した葉が敷き詰められた林を進む。この落ち葉の上にもう少したつと雪が積もって行くのだろう。14:00に登山口に到着し、林道を進んで行く。

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ゲートには14:25着。その先に登山口駐車場と表示さた山道を行くことにした。林道と沢に沿った道のようだが、石がゴロゴロとして歩きづらいし、小川を越えたりと道が分かりづらかったので、そのまま林道を行った方が正解だったかもしれない。国道には14:50帰着。

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時刻表を見ると15:55までバスはなく、1時間近くも吹きっさらしのバス停で待たされることになる。今日一番の寒さだった。持ってきたありったけの物を着込んでバスを待った。幸い、バスは遅れることなく到着し、ほっと一息つけた。駅のコンビニでウイスキーとおつまみを買い込んで、越後湯沢駅から新幹線に乗り込んだ。(手島 s47年卒)

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部部歌?

「山が僕らに教えてくれた事、たかがホモサピエンスの僕らにね。」    作詞・作曲…副部長:石鍋健太

 

よく「なんで山なんかに登るのか」と聞かれるけど、

アホに説明しても無駄だから適当に答えている。

だけど、本当はお前らに考える事が出来るなら、

こう言ってやりたいんだ。

オマエらに想像できるか、

山に流れる水の色が匂いが、

オマエらに想像できるか

あの頂上の景色が、

こんなに疲れて

こんなに汗かいて

こんなに上まで

こんなに来たのに

上を見れば僕らなんかの手の届かない所に空はある

僕は山で知った

僕らの存在の小ささを

はやくオマエらも気付いてくれ

手遅れになる前に、

でないとこんな歌歌い続けなければならない

さぁ行こう。我々と、

我々は、獨協高校ワンダーフォーゲル部

田部井淳子さんのこと

日本を代表する女性登山家の田部井淳子さんが10月20日腹膜癌で亡くなりました。2007年には乳がんが見つかり、2012年には腹膜がんで余命3ヶ月と宣告されたそうです。それでも「山の遭難に比べたら、癌の治療の方が恵まれている」と治療を続けながら山に登り続け、山の楽しさを伝え、震災後の子供達を励ましながら77歳の生涯でした。ご冥福をお祈りします。

田部井さんは1939年昭和14年9月22日福島県三春町で生まれ、1962(昭和37)年に昭和女子大英米文学科を卒業。1969年女子登攀クラブを設立し、1975(昭和50)年日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長としてエベレストに挑み、女性初の登頂を果たしました。その後山歴を続け、1992(平成4)年7大陸最高峰セブンサミッツを制覇します。

アジア大陸 エベレスト(サガルマータ)8,848m  ヨーロッパ大陸 エルブルス 5,642m  アフリカ大陸 キリマンジャロ 5,895m  北アメリカ大陸 デナリ 6,194m  南アメリカ大陸 アコンカグア 6,960m  オーストラリア大陸 コジウスコ 2,228m  南極大陸 ビンソン・マシフ 4,892m

山に関する著作も多く、環境保全活動などにも活動されていました。

「エベレスト ママさん」2000年     「高いところが好き」2007年   「人生は8合目からがおもしろい」2011年     「それでも私は山に登る」2013年など

補足

田部井淳子さんに次いで日本女性で2番目にエベレスト及びセブンサミッツ制覇を果たしたのはエベレスト登頂後に遭難死した難波康子さんになります。(この時はアドベンチャー・コンサルタンツ社主催の商業公募隊であり、その大量遭難事故は「エベレスト死の彷徨」「エベレスト3D」などの映画の主題になっています。ちなみに難波康子さんがエベレスト登頂を果たしたのは田部井淳子さんがエベレスト登頂を果たしてから21年後になります。)また、今年の8月には早稲田大学の南谷真鈴(まりん)さんは19歳にして7大陸最高峰征覇を果たしています。これは日本人最年少記録になります。(HP管理者)

日本橋川・神田川カヤックツアーに参加して

2016(平成28)年10月23日、東京水路カヤックツアーに参加しました。


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大島小松川公園から出発

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旧中川、小名木川を進み、水位の違う河川を2つの水門で水位調節する日本のパナマ運河と言われている扇橋閘門(おうぎばしこうもん)を通り、隅田川に出て行きます。

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橋の上から眺めるだけの川と違って、隅田川は旧中川や小名木川と違って大きく波も高くちょっとスリルがありました。遊覧船やボートが大波を立てながら行き交う間を縫って隅田川を横断して行きます。

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茅場町あたりになるのか日本橋川に入って行きます。高速道路の橋脚を潜りながら進んで、普段は車か橋上から眺めている日本橋を橋の下から見るのも珍しい体験でした。その後、船上で20分くらい休憩して、昼食をとりました。それから一ツ橋から九段を通って行きます。一ツ橋あたりの護岸は江戸時代からの石積みが残されています。一つ一つの石には各藩を示すマークが刻印されていました。

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後楽園手前を神田川に入って行きます。神田川は中央線を右に見ながら水道橋、御茶ノ水と通って行きます。途中、アトラクションとして増水時のために作られた分水路の真っ暗なトンネルを抜けて行きました。ライトを消してしまうと真っ暗でどう進んでいるのかも分からない感じで、結構スリルがありました。

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丸ノ内線の線路の下を抜け、秋葉原の昭和通りの橋を見上げ、浅草橋あたりに係留されている屋形船を見ながら隅田川に合流します。

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再度波立つ隅田川を渡たって小名木川に進み、スタート地点の大島小松川公園に戻りました。行程24㎞、6時間のツアーでした。

手島達雄(s47年卒)


クーランマラン東京水路カヤックツアーはこちらから

Memorys・草創期のワンゲル部の記事を更新しました

「MEMORYS・草創期のワンゲル部」に記載されている森本悌次、打矢之威両氏の著作「ワンダーフォーゲル」が従来から文字化けで不明な部分がありましたが、この度独協中・高等学校の図書館から学園文芸誌「めじろ」72号を入手し完成された全文を更新掲載しましたので、ぜひご覧ください。

ワンダーフォーゲル  森本悌次 打矢之威

なお、この72号には本校中等部を同級生よりも2歳若く卒業したと言われる本校OBの森鴎外長男である森於兔(もりおと)氏が在学中のことを「あの頃のこと」と題して寄稿されていましす。また、「小蓑毛の煙草作農業」について高梨富士三郎、新宮譲治両先生の社会科実態調査報告が載っており、当時調査参加生徒には高校1年生だった飯島義信先生の名も記されています。

2016(平成28)年10月26日  HP管理者 手島

苗場山(2,145m)

2016(平成28)年10月13日

田代ロープウェイはスキーシーズン以外は運休していますが、秋の紅葉シーズンだけ運行します。そこで期間限定でロープウェイを使った苗場山の田代コースを歩いてきました。

東京からの日帰りなら田代ルートの往復になります。ただし、帰りのリフトの最終が3時半なので、かなり急がないと間に合いません。1泊なら苗場山を経由して小赤沢温泉に泊まるコースも選べます。今回は日帰りのカモシカ山行になりました。

湯沢駅からバスで二居田代スキー場で下車。17号を渡り、少し戻ったところのスロープを下って行くとロープウェイの麓駅になります。田代ロープウェイで7分。残念ながら今年の紅葉は遅れていて、麓はまだ色づいていませんでした。雨が多かったせいで朝夕の気温が下がらず1週間から10日ぐらい遅れているとのことでした。頂上台地の草紅葉は黄色く紅葉していました。


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上越新幹線Max谷川401号

 

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田代ロープウェイ

 

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ロープウォイから眺める二居ダム(カッサ湖)

 

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ロープウォイからの眺め

 

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田代ロープウォイから第2高速リフトへのルート

 

ロープウェイを降りてから第2高速リフトへ行くにはドラゴンドラ方面に舗装道路を田代ダムの方に15分くらいに下って行きます。ドラゴンドラ前の売店を回り込んで行くと第2高速リフトがありますのでそれに乗り込みます。第2高速リフトは二人乗りで5分くらいです。リフトを降りたらゲレンデを15分くらい上がって行きます。しばらく歩いて行くと、またリフトが現れます。リフトに沿って上がり、終点駅を回り込んで行くと苗場山への登山口の表示がある登山口に出ます。この間案内がほとんどないので、登山口までが一番道迷いしやすいかもしれません。

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第2高速リフトへの下り道

 

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二居ダムのすぐ近くまで行きます。

 

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売店を回り込んで行きます。

 

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第2高速リフト駅

 

 

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リフトを降りたら前のゲレンデに沿って上がって行きます。

 

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リフトの駅舎を回り込んで行くと登山口の表示があります。

 

 

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色づいた木々

 

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頂上は当分先ですが、ここだけ唐突に池塘が現れます。

 

登山道に入ると初めは緩やかな登りと下りのダウンヒルが続きます。全体の1/3くらいでしようか。その後から切った笹や落ち葉に覆われた結構きつい急登になります。道はぬかるんでいでいる所がたくさんあります。このところ雨はあまり降っていなかったので大丈夫かと思いましたがぬかるみが多く、靴もズボンの裾は泥だらけになってしまいました。やはりゲーターを持って来ればよかったと後悔しました。

あいにくガスが切れずに展望はありませんでした。

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巻道のような峠に神楽ケ峰の表示があります。登り道にピークがあるようです。

 

神楽ケ峰の頂上は登山道から少し上に上がったところになります。ここを過ぎるとしばらく下りになり、その後雷清水あたりまで稜線を回り込むようになります。

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曇っていたので富士山は見えませんでした。

 

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雷清水に赤いコップが置いてあり、清らかで美味しい清水が湧き出ています。

 

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ちょっと行くと、お花畑。

 

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なだらかな道を20分くらい行くとお花畑と表示のあるポイントに到着。

 

お花畑から先は、ゴツゴツした岩と木の階段の急登が続きます。頂上を前にして疲れがたまるところです。スマホも体もバッテリー切れで休み休み行ったので予定よりも遅くなってしまいました。

頂上台地に出ると湿原が広がって、幸いガスも切れてきて少し見渡せるようになってきました。

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やっと頂上台地に到着。池塘が点在する湿地帯に木道が続いていきまい。

 

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頂上ュッテも見えてくると頂上はすぐそこです。

 

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途中、休憩ポイントもあります。

 

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ベンチが置かれた分岐を上に上がって行くと頂上です。行きに時間がかかってしまつたので昼休憩もそこそこに下山開始です。

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同じコースを下って行きます。

 

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下りはとても滑りやすいので注意が必要です。

 

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ロープウェイ到着です。

帰りのバス停は行きのバス停よりも湯沢寄りにあります。

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17号沿いのバ田代スキー場のバス停

手島達雄(昭和47年卒)


コースDAT

上越新幹線Max谷川401号利用 越後湯沢駅発苗場スキー場行きバス8:20 田代スキー場着8:50    田代ロープウェイ麓駅発9:00  頂上駅着9:07 第2高速リフト着9:19   登山口9:42  池塘10:50   神楽ケ峰11:14    富士見坂11:25    雷清水11:28    お花畑11:32    雲尾坂11:53    頂上12:26

雲尾坂12:52    お花畑13:06    登山口14:38    第2高速14:50  ロープウェイ頂上駅13:20 田代ロープウェイ麓駅13:27  田代スキー場バス発16:00 16:35着  越後湯沢発17:12Maxとき334号利用

 

メールマガジン10月号 / 2016

獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 10月号2016/010/05/

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▲△ もくじ △▲

【1】OB会設立30周年

【2】行ってきました 山行記録から

【3】特集「山岳保険について」

【4】部員名簿を更新しました


○お知らせ

本会のホームページには「獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会」とタイトルをつけていました。しかし、ネットで調べる場合は「獨協学園ワンダーフォーゲルOB会」と検索する方が多いようです。そこで、ヒットしやすくするために主タイトルを「獨 協学園ワンダーフォーゲルOB会」にしてサブタイトルに正式名称の「獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会」という具合に変更させていただきました。

http://www.dwvob.sakura.ne.jp/wp

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  • OB会設立30周年

獨協学園ワンダー フォーゲル部が出来てから今年で61年、OB会ができてからも今年で30年になるようです。

1985年10月のOB会の設立集会で高梨先生が挨拶の中でワンゲル設立当時の様子を話されています。

「DWV(獨協学園ワンダーフォーゲル部)として私が歩き始めた頃は、今ほど登山人 口も爆発的でなく、装備も立派なもので はありませんでした。大体は、上野のアメ横で買い整えたものばかりで、DWVメンバーが一堂に会すると、敗残兵かバタヤの集合みたいなスタイルでした。現 在私が使っている寝袋カバーは、朝鮮戦争でアメリカ兵が使用したお古です。当時のテントや麻のザイルはかなりの重量で、冬山山行 ともなればピッケル、食糧、個人や団体装備で部員諸君は42~43キロは背負っていたはずです。」

「私 が参加した’60年という年は、安保反対運動のあった年で、この年の夏山からDWV として歩き始めました。8月には山谷で3千人の暴動事件があったり、流行歌では『誰よりも君を愛す』『アカシヤの雨が止むとき』が流行して、冬山のテント では、この歌をよく聴かされたものでした。’61年はソ連宇宙船の地球1周、その翌年はキューバ危機、’64年には、中国が原子 爆弾の実験に成功、その汚 染された灰が、ソ連のそれと一緒に、日本の空をおおい、その灰をふくんだ雪を、私たちは冬山(南アルプス・千丈や八ヶ岳)でとか して飲んだりしました。」

という下りがありますが、当時の様子が伝わってきます。

浦和高校でワンゲルを立ち上げ、その後早大の山の会に所 属して活躍された方が「岳再び」というタイトルでHPを開設しています。その中に1960 年代頃からの登山装備について詳しく掲載されています。興味のある方は覗いてみてください。

 http://alp.my.coocan.jp/soub1/newpage1.htm 

http://alp.my.coocan.jp/soubi2/soubi2.html

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【2】行ってきました 山行Nowから

近頃HPにアップされた3つの山行をご紹介

◆尾瀬至仏山

尾瀬ヶ原では草紅葉が見頃を迎えているようです。今年の草紅葉は去年より遅いそうで、今週末まで楽しめるそうです。今回は 獨協ワンゲルOB会HPにアップされた6月に行った至仏山をご案内

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2016/10/04/至仏山/

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◆入笠山

ホームページの表紙にある八ヶ岳の向かいにあり、南アルブスの最北端にあたる1955mの入笠山。1700mくらいまでゴンドラで行 け、湿原の散策も楽しめる手軽 な山です。湿原から流れるテイ沢には今年6年に1度大発生するという白いヤスデ(ゲジゲジのような虫)が発生したとの報告があり ました。

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2016/09/27/入笠山/

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◆景 信山(かげのぶやま)から高尾山縦走

この時期、職場や山岳サークル を中心とした宴会気分の団体登山が多く行われているようです。10月初めの日曜日に行った景信山から高尾山への縦走コースをご紹介

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2016/10/03/高尾山はすごい賑わい/

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【3】特集「山岳保険について」

高齢者や女性の登山人口が増えたせいもあるのでしょうか、山岳保険に加入する人が多くなっているようです。年に何回か山に行っている方は保険の加入を検討している方もあろうかと思います。そこで山岳保険についてまとめてみました。

警察の発表では今年7月~8月に救助のために警察が出動した回数は600回 以上あり、その原因は、道迷いとケガが8割を占めているそうです。ケガをするリスクが高いことでその補償を求める場合と、遭難救 助に係わる費用が高額なのでその補償を求める場合があると思います。山岳保険にはそういった傷害を補償することを目的とした保険 と救助費用を補償する保険、そしてその両方を組み合わせたタイプなどがあります。掛け金は両方の事柄について補償があるタイプは当然高くなりますが、何を目的とするのか、どの程度までの補償を求めるか、手続きの方法などがポイントになると思います。山岳保険について分かりやすいページを見つけたので、検討されている方は参照下さい、

http://www.start-hike.com/01/03_02_hoken.shtml

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【4】部員名簿を更新しました

 今年高校を卒業したワンゲル部員の方と連絡が取れ、直近の部員名 簿を教えたいただきました。ホームページの部員名簿にその分を加筆更新してあります。

ご存知のように近年、獨協中・高等学校ワンゲルは中学から高校と一緒に活動しています。高校まで所属すると6年間ですから、長いものです。金先生が顧問をされている頃には中学生も一緒に剣岳にも行っていたということですから大したものです。 

名簿の閲覧はこちらから

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/会員名簿/

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