メールマガジン2月号 / 2017

獨協中学・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2017/ 2/ 26
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▲△ も くじ △▲

【1】近ごろの山での行動食はどんなもの
【2】山岳遭難救助かかわる2つの動向
【3】行ってきました 山行Now
【4】編集後記
【5】記事の募集とメールマガジンについて
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【1】近ごろの山での行動食はどんなもの

自分たちが高校生の頃、山での行動食といえば、「氷砂糖」「甘納豆」「夏みかんやレモン」「板チョコ」「あめ」「チーズ」「粉末ジュース」などが定番でした。「酢昆布」なんかもあったでしょうか。さて、近頃の行動食はどうなっているのでしょうか・・・

近頃の山での行動食と言えば、次のような物が定番になっているようです。

「ソフトクッキー」「柿ピー」「ドライフルーツ」「炭水化物系ゼリー飲料」「エナジーバー」「ミックスナッツ」「グミ」などが多いようです。だいぶ様変わりしています。ペットボトルにいろいろなものをミックスして入れ直したものを行動食としている方もいるようです。飲料水も昔は練習時を含めて「飲みすぎると疲れるから」と制限されていましたが、今は喉が乾くのを待たず決まったペースで補給することが推奨されています。また、吸収がいいようにスポーツドリンクが多いと思います。

変わったところでは近頃羊羹(ようかん)が見直されているようです。昔ながらの井村屋の製品ですが、しっとりとして口に入りやすく、運動時などの高カロリーの糖質補給として、また長期保存もできるということで災害用としても利用されているようです。「えいようかん」「スポーツようかんプラス」などのランニングや自転車、登山といったスポーツに特化したより動きながらでも補給しやすい形状にした商品に人気が出ているようです。

また、運動する体づくりやコンディションのキープのための「アミノ酸系のサブリメント」も多く使われてきています。変わったものでは「ミニトマト」や「バナナ」なども結構多いということです。
【2】山岳救助にかかわる2つの動向

<救助に関わる救助ヘリの有料化>

先ごろ埼玉県では他県に先駆けて、防災ヘリによる山岳救助の場合に遭難者からヘリの燃料費を手数料として5万円程度徴収する条例改正案が2月定例県議会で議員提案され、可決される公算が大きいようです。埼玉県では2010年に秩父市の山中で沢登り中に滝つぼに落ちた女性の救助活動中に県防災ヘリが墜落、機長ら5人が死亡した事故が起きています。それにともなって防災ヘリの救助費用の有料化が議論されましたが「近隣県が行っていない」「海難救助や救急車との整合性をどう取るのか」といった懸念から提出した条例案は結局、費用請求に関する条項は盛り込まず、付則で費用請求の検討に「早急に対応」と言及するにとどめられていたという経緯があったようです。

埼玉県に限らず、今や中高年だけでなく山ガール、トレールランニングなど登山人気は近年盛り上がっており、それとともに遭難者も増えており、警視庁によると2015年の全国での遭難者は3043人で2005年の1.8倍になっているということです。遭難件数が多い長野県でも同様の議論が起こっているものの、調整が難しく制定には至っていないようです。安全に対する登山意識や技術の低下、遭難件数の増加、安易な救助要請、受益者負担の観点などから今後有料化の議論が進んでいきそうな気配ではあります。さて、どうなるでしょうか。

<救助隊の賠償責任が問われることに>

近年スキー場に接するコース外のバックカントリーと称する山岳スキーやスノボーでの遭難が相次いでおり、自己責任と救助のあり方が問題になってきています。

2009年11月に北海道の冬期積丹岳で起こった遭難救助にかかわり、死亡した遭難者の遺族が道警(山岳救助隊)に対して起こした損害賠償請求裁判で最高裁は救助隊側に3割の落ち度を認め1800万円の損害賠償を命じる判決が2016年11月に下り、救助活動のあり方が問われています。

警察にとって山岳救助活動は裁量によって行われる活動であり、山岳救助要請があったとしても必ずしも警察官が出勤し救助をしなければならないという法的義務はなく、特に冬山登山における遭難については自己責任であり、救助隊の落ち度を明確にして賠償責任を負わせることは救助活動を消極的にさせるものとなりかねないということで裁判の結果が注視されていました。
一般的には結果だけを見ると雪山に入山し天候悪化で道に迷って低体温症状態に至り、救助されなかったとしたら当然死亡していたと考えられ、遭難者が自ら招いた結果であって、救助隊の救助活動が完全なものでなかったとしても責められるべきではないと考えるところである。

しかし、原告である遺族の主張などを調べてみると日本の山岳救助体制の現状など別の側面も見えてくるのである。

続きはHPのトピックス 「積丹岳損害賠償裁判について」をご覧ください。

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【3】行ってきました 山行Now

この時期の山行を去年と今年のHPの記録からご紹介します。
丹沢 表尾根 (2017年2月)

去年の3月にも表尾根を歩いてきましたが、その折は山全体が樹氷に覆われていて丹沢とは思えないような幻想的な山容でした。今回2月に登った時には雪はほとんどありませんでした。その代わり天気は上々で、見晴らしが良く疲れはしましたが快適な縦走を楽しむことができました。DWVではお馴染みの表尾根です。近頃の表尾根の様子をご覧ください。

赤城連峰 黒檜山 (2016年1月14日 )

直近で降雪がなければ大沼畔までノーマルタイヤで行くこともできるでしょう。大きな駐車場に車を停めて駒ケ岳登山口から登るコースです。鉄製の階段が現れ、息が上がったところで広々とした稜線に出ればもう少しで駒ケ岳山頂です。気持ちのいい稜線を歩いて行けば赤城山の最高峰である黒檜山(1827m)。積雪の状況によって違いますが、アイゼンが必要となります。雪山の入門コースとしても近頃人気があるようです。
伊予ガ岳 (2017年2月)

房総のマッターホルン? 房総半島の岩井海岸近くに千葉県で唯一山の名前で「岳」の付いた「伊予ガ岳」があります。平群神社の駐車場に車を駐め、2時間程度で往復できます。北峰は大きな岩で形成され、頂上付近には鎖場などもあります。よく整備もされており、近くの国道沿いには「富楽里とみやま」という大きな道の駅もあります。早春の房総ドライブと合わせてファミリーで登ってみるのもいいかもしれません。

棒ノ折山 (2019年2月)

DWVではこの棒ノ折山と川苔山が新人歓迎の定番でした。その折は奥多摩の大丹波から百軒茶屋を経由したコースでしたが、この時は飯能の名栗湖から白谷沢を右に左に道を取りながら谷を登り、雪のたっぷり積もった急登の尾根を頂上まで登っています。雪の棒ノ折山は静かで趣のある山でした。
鎌倉アルプス (2016年3月)
北鎌倉から建長寺の山門をくぐり、半僧坊の石段を上がり、ぐるっと鎌倉市内を囲む鎌倉アルプスと呼ばれる山地を歩き、瑞泉寺、鎌倉宮、頼朝墓所、鶴岡八幡宮を詣で小町通り経て鎌倉駅まで行く鎌倉一周ハイキングコースです。鎌倉アルプスでは何回もリスを見つけられるでしょう。
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【4】編集後記

民間のヘリコプターを捜索や救助に使うと1分で1万円程度の費用がかかるそうです。現場が分かっている場合は1時間程度で済むということなので、およそ50万円の費用が発生することになります。広範囲の捜索になると地上から警察や消防団、山岳関係団体などたくさんの人が動員されることになります。救助活動は民間の場合では隊員の日当だけでも3万円から5万円になるということなので、行政の場合にしてもたくさんの人員と経費がかかっての活動になります。今、年齢性別を問わず山をフィールドにして多様なスポーツやネイチャー活動が活発に行われています。山で楽しく活動できるために関係者・団体が努めなければならないことは多いようです。
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【5】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうどお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿をよろしくお願いします。
記事投稿の仕方

投稿の仕方

投稿の仕方は上記にありますが、ちょっとハードルが高そうな場合は、メールでお寄せいただいてもOKです。

dokkyo.wvob@gmail.com
※このメールについてのお問いあわせは dokkyo.wvob@gmail.comまでお願いし ます。このメールは一斉送信になるので、直接返信されると一斉に送信されてしまうのでご注意下さい。

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獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン

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積丹岳事故裁判について

積丹岳遭難事故裁判について

【裁判の経緯】

2009年1月北海道の積丹岳(1255m)で遭難したスノーボーダーが警察の救助活動中に死亡に至った事故に対して、遭難者の父親を原告、救助隊の警察を被告とした損害賠償請求裁判の最高裁での判決が山岳救助のあり方に対して問題視されている。

遺族は北海道に対して8,600万円の損害賠償を求めて札幌地裁に提訴し、2011年11月19日に遭難者に8割の自己責任、道警察に2割の落ち度を認め、道警察に1,200万円の賠償を命じる判決が下りた。その後、控訴し高等裁判所で争われることになる。

2015年3月26日、高等裁判所では遭難者の過失割合が7割に下げられ、警察に対する損害賠償額が1,800万円に引き上げさせる判決が下りた。北海道は高裁判決を不服とし上告、最高裁で争われることになる。

そして2016年11月29日、最高裁は二審を支持して警察の上告を退ける決定を下し、判決が確定された。

最終的には遭難者に対しては7割の過失責任を認定し、救助活動中の事故とは言え道警に対して遭難者が死亡に至たった落ち度を3割として過失相殺し1,800万円の損害賠償を命じたわけである。

もちろん救助隊の警察官は職務上の行為であって個人対する賠償責任ではなく、あくまでも行政に対しての賠償責任を負わせたものである。民間による救助の場合であってほとんどの場合、個人が責任を負うことはないということである。


【死亡に至る事故の概要】

1月31日、遭難者はスノーボードで友人2人と入山します。遭難者は午後友人とはぐれ道に迷ってしまい、山頂付近でビバークすることになります。友人は警察にGPSで位置を知らせて救助を要請します。翌日の2月1日、早朝より北海道警察の山岳救助隊は捜索を開始します。この時、警察はGPSの位置情報を誤り、400m以上もポイントを間違えてしまったために2時間以上も別の所を捜索することになります。男性が発見されたのは正午ごろになります。救助された時、遭難者はすでに低体温症で意識も朦朧としており、救助隊は遭難者を抱えて下山を開始します。しかし、遭難者と救助隊2名は雪庇を踏み抜き、200mほど滑落します。その結果、さらに状態が悪くなった遭難者はソリに固定され、崖の上に引き上げるべく救助隊員の作業が進められます。しかし、長引く引き上げ作業で隊員は疲労し、交代のためにソリをハイマツに固定し、その場を離れることになります。その時、ソリを固定していたハイマツが折れ(実際にはザイルが抜け落ちたということが分かったようです)遭難者を乗せたソリは下方に滑落して行ってしまいます。救助隊は天候悪化で雪崩等の二次遭難の危険もあるために、捜索を断念します。翌2日の朝、救助隊は200mほど下方のソリ上で凍死している遭難者を発見することになります。


救助隊は遭難者を一旦は救助しながら帰路で事故を起こし、遭難者を見失い死亡させてしまったことになります。しかし、自ら危険な中に身を置いて必死の救助活動をした救助隊に対して賠償責任を負わせることの是非が問われる所です。冬期にスノーボードで登山するということは、ある程度危険を承知した上での入山と考えられ、事故責任ではないかとも考えられます。救助活動の成果で損害賠償が問われることになれば、救助に対して消極的になってしまう風潮を生むのではないかと心配されています。

しかし、遺族の訴えを調べてみるとまた別の側面が見えてきます。

【遭難者遺族の訴えの要旨】

原告は下記の事柄についてその是非について疑問を呈しています。

  • 低体温状態の要救助者を救助隊員が抱えて下山させたこと。
  • 警察のGPSの計測不備から捜査開始から発見まで余分な時間を要したこと。
  • 救助隊は50mのザイルは1本のみ、ピッケルも持っていたのは1名の隊員のみ、ビバーク用のツェルト、ストーブも持参していなかったということで救助隊としての装備が不備だったこと。
  • ソリのハイマツへの固定が十分ではなかったこと。
  • 要救助者のソリだけを残して隊員全員がその場を離れていたこと。
  • 滑落後ソリ跡がはっきり残っているのに滑落から30分後にはすでに捜索中止を判断したこと。

【警察側の主張】

山岳遭難救助活動は警察の任意の裁量によって行われる活動であり、出動要請を受けた山岳遭難救助活動に対して警察官は出勤し救助をしなければならない法的義務はないとの主張です。


■裁判の結果

【高等裁判所で認定された遭難者の遭難の死亡に至る落ち度】

  • 登山当日は天気が崩れる可能性が高く、遭難者はそれを認識していながら登頂を敢行した。
  • 積丹岳は天候の急変することを知っていながら天気予報を十分確認していなかった。
  • ビバークに適さない頂上付近でビバークしたこと。
  • 冬期ビバークには不十分なツェルトを使用したこと。
  • 雪庇に近い場所でビバークしたため救助隊が雪庇を踏み抜く過失を誘発した。
  • 下山方向を誤ったこと。

【高等裁判所で認定された救助隊の遭難者死亡に至る落ち度】

  • 遭難者の発見場所付近に雪庇があることを認識しながら、適切な下山方法を取らなかったこと。
  • 雪庇を踏み抜き滑落したことにより、遭難者の健康状態が著しく悪化し、その後適切にソリが引き上げられていたとしても死亡した可能性が高いこと。

私感・・・・・・・・・・・

・積雪期の救助に出向く場合に救助隊全体でピッケルを持っていた者が1名のみで、ザイルは1本だけ、ストーブもツェルトもなしでどれだけのことが出来るのか?

・意識も朦朧とした低体温症の遭難者を抱えて下山したという遭難者に対する処置はどうだったのか?

・崖下からのソリの上げ方やビレーの仕方などは適切だったのか?

など、遺族のみならず救助隊に対するいろいろな疑問が残る。全ての救助隊が高い専門性を有しているとは限らない状況であろうが、救助隊としての最低限のノウハウと技能、装備を確保すべく行政は体制を整えるべきではないか。救助隊の未熟さは要救助者の命を左右するだけでなく、救助隊自身の命も危険にさらすことに他ならない。

スキルを高め自らの安全を確保しつつ、確実で効率的に救助活動ができるよう行政は隊員の資質の向上や救助体制の確率と環境整備を図ることが求められているのではないか。裁判の結果は行政に対して救助隊と要救助者の命を守るためにどうあるべきなのか、その責任を負わせたものではないだろうか。 サイト管理人

丹沢 表尾根縦走 塔ノ岳(1,491m)

2017年2月19日(日)

丹沢表尾根を歩いてきました。冬季の丹沢は人も比較的少なく空気が澄んでいて景色もいいので、昨年も1月には大倉尾根をピストンし、3月には表尾根を歩いています。なんだかんだ去年からバカ尾根も3回目になってしまいました。

電車を降りて、あわてて昼食のおにぎりなどをコンビニで購入。バス停は冬季とはいえ、さすがに日曜日なので行列が出来ていました。7時55分発のヤビツ峠行きのバスは「路面の凍結で蓑毛までのピストン運行になっています。」というアナウンス!で蓑毛行きに変更。

並んでいた他の乗客の反応はほとんどなかったので、皆んな分かっていたようです。平静を装っていましたが、山道を1時間かけてヤビツ峠まで行くのかと思うとショックでした。目的地を大山に変えようかとも思ってしまいました。

バスを降りて、蓑毛からしかたなくヤビツ峠までの道を行きます。高校生の時はやはり蓑毛から行ったのではないでしょうか。

ヤビツ峠まで来ました。トイレをのぞいたら大便器にはどこも山盛りウンチが。水道が凍結してしまっているので流せないままになっているようでした。そのままスルーパス!!

頑張ってやはり表尾根を歩こうと富士見橋の登山口までの道を行きました。山側の路肩には雪が固まって残っていましたが路面はさほど凍結している風ではありませんでした。

雪は所々残ってはいましたが今回雪の上を歩いたのはほんの少しでした。泥道の方がよっぽど多かったです。午前中は富士山がとても綺麗に見えました。

ちなみに去年3月10日はこんな状態でした。同じところの写真を2枚。天気は良くなく見晴らしもないものの樹氷がとても綺麗で、幻想的な表尾根でした。(期せずして同じようなところを撮っていました。)

去年と違うところ。1時間余計に歩くことになったショックが大きいのか?ふくらはぎがこの時点で早くも疲労困憊。何人に抜かされたか分からないほどです。登山口の道路を同時に前後して歩いていた娘に「頑張りましよう」ってグミをもらってしまいました。(でも最終的にはこの娘よりも結構早く塔ノ岳に着いています)

こんな泥田のようになっているところが多かったです。

塔ノ岳(1491m)山頂です。全然雪がなく残念でした。すでに富士山も望めませんでした。去年に比べて30分近く遅れてしまったようでした。

おなじみの尊仏山荘です。

下山中、42年卒の長瀬さんから「自分のLINEのプロフィールに写真を貼ったよ。」と入電あり。(長瀬さんはLINE初心者です。)ソフトバンクからドコモにキャリアーを変えたら感度が良くなった感じです。「これから日曜恒例の銭湯へ行ってきや〜す。ご安全に帰宅してね。」と・・・。

16時45分、大倉バス停着。                             (47年卒  手島)

伊予ヶ岳 (千葉県南房総市) 336.6m

2017年2月5日

千葉県南房総市にある山で千葉県にあって唯一名前に岳が付く山で伊予の国の石鎚山に似ているということから伊予ヶ岳の名前が付けられたようです。房総のマッターホルン?と言われているようです。だれがそんなこと言い出したのでしょう。マッターホルンというよりスフィンクスのようです。300m程度の山ではありますが、ちょっと魅力的な山容でもあるので行ってみました。2時間弱で行って来られる山ではありますが、岩場があったり、そこそこ急登だったりして楽しく登ることができました。2017.2.5


アクアラインで袖ヶ浦に渡り、富津館山自動車道で鋸南富山ICを下り184号線を進み、道の駅「富楽里とみやま」の手前を左折し県道89号に入ります。平久里中の交差点を左折するとすぐ左手に鳥居があるのでそこを入って行きます。平群天神社の入り口になります。右手にトイレと登山者専用の駐車場があります。

県道からの伊予ヶ岳の山容
県道沿いにある天神社の鳥居
神社の屋根の上に伊予ヶ岳の頂上が見えます

伊予ヶ岳登山口

伊予ヶ岳から見える富山

ロープや鎖が張られた岩場が結構続いて南峰頂上に出ます。

柵で岩場の先までは行かれないようになっていました。北峰からは南峰の 割れた先端の岩場が見えます。

南峰から見た北峰
北峰から見た南峰の頂上
北峰の三角点

前に6人ほどのグループがあったので鎖場で待ち時間があり、予定より時間がかかってしまいました。

8時半  天神社発—  9時  東屋—  9時南峰頂上  9時20分  北峰頂上—10時  天神社帰着    (47年卒 手島達雄)

レインボープロムナード&台場公園

東京散歩 レインボーブリッジを渡り台場公園へ

車では何回も通っているレインボーブリッジですが、歩いても渡れるということを聞いたので行ってみることにしました。

JR新橋駅から「ゆりかもめ」で芝浦ふ頭駅で降りて、レインボーブリッジ方面に歩いて10分くらいで登り口に着きます。「ゆりかもめ」は右に大きくカープしていきますが、歩道を行くには逆に左の海寄りに曲がって行きます。大きなビルの下に着いたらビルに入って、7階までエレベーターで登って行きます。

エレベーターを降りると都心方面の北ルートと臨海地帯の南ルートに分かれます。台場公園口近くまで入れ替わることができないし、一般自動車道と軌道で反対側の景観は妨げられてしまうのでどちら側の景色を眺めたいのかその時点でルートを選ぶ必要があります。

橋長の2/3くらいまで安全のためネットがかかっていますが、何箇所か展望のきく所がありますので十分写真などもそこで十分撮れます。

左に竹芝桟橋や日の出桟橋、浜離宮、中央に晴海埠頭、右手に豊洲、有明と見晴らしも良好です。話題の新しい豊洲の市場もよく見えます。

台場公園口近くになるとネットもなくなり眺望が良くなります。徐々に高度が下がってきて、歩き始めた芝浦口方面のレインボーブリッジも綺麗に見えます。

台場公園近くになると反対側に渡る通路が右手に現れます。そのまま進んでもしばらく行くと公園側に合流して降り口になります。

夏場は20:30まで入れるので夜景も綺麗だと思います。台場公園口からでも芝浦ふ頭口のどちらからでも渡ることができますし当初は有料だったようですが現在は無料です。所用時間は20〜30分くらいになります。

今回芝浦ふ頭から入ったので降り口は台場公園になります。ここまで来たので、台場の砲台跡に行ってみることにしました。砂州のように砂浜が広がり、都会の喧騒をまるで感じさせない別世界が広がっています。陣屋跡、弾薬庫跡、砲台跡など独特な感じのする所です。

降り口近くからは町田駅とフジテレビ方面に行くバスも出ていますし、15分ぐらい行くと「ゆりかもめの」台場公園駅があります。ダイバーシティーやバレットタウンあたりでお昼を食べて帰るのもいいでしょう。半日の東京散歩です。(昭和47年卒手島)

守屋山 (1,654m) 立石コース

1月24日(2017年)

1969年10月の秋山山行の記念写真

「守屋山山頂には赤トンボがたくさん飛んでいた。」1969年10月、高校1年生の秋山で行った守屋山の記憶はそれだけでした。いや、当時の記録写真を見るまではその記憶や守屋山の名前すら忘れていました。守屋山ってどんなところだったのか。

もう一度行ってみようと、夜が明ける前の中央高速を諏訪iCまで飛ばしていきました。

守屋山は諏訪市と伊那市との境にあり、八ヶ岳をはじめ南アルブス、中央アルブス、北アルプスを望むことができる山で、諏訪大社の神体山とも言われています。

当日は晴れるものの、各地で今年一番の寒さが予想されていました。インターを降りて、両脇に雪が残り凍りついている路肩に気をつけながら登山口のある杖突峠を目指し高遠方面に道をとります。所要時間は30〜40分くらいだったでしょうか。峠付近から尾根に沿って登るコースを予定していましたが、ポイントを見つけているうちに峠を越えてしまいました。峠を下りた所の片倉に東通リゾートと看板のある駐車場で登山の用意をしている人を見かけたので登山口を聞いてみました。守屋山立石コースはすぐそこで、車はそこに駐めても大丈夫いうことでした。

駐車場から峠方向に20〜30mくらい戻った所に守屋新道立石コースの看板が立てられていました。このコースはいろいろな岩を巡りながら側面を沿うように東峰の尾根筋に上がっていくコースと直ぐに尾根に上がって行くコースがあるようです。岩を巡るコースを選択して雪道を進んで行きました。

国道脇から雪がしっかり積もっていました。下の方では凍りついている所もありましたが、アイゼンなしでも問題なく歩行できる状態でした。(10本歯のアイゼンをつけて登っている人もいましたが。)途中、ぜんぜん積雪がない所もありました。上の方は全て雪道でしたが、凍ってはいないしそれほど圧雪になっていなかったので歩きやすかったです。寒かったせいかぬかるんでいる所もありませんでした。

亀岩

亀石、御陰核岩、立石、十文字岩、鬼ケ城などの岩を経由して一休平へ。

御陰核岩

鬼ケ城
橅難観音
一休平

一休平からは試練坂(息切坂?)を経て1631mの東峰に登って行きます。風がつきささるように寒くフェイスマスクを着けているのでより息切れしました。

1ヶ月近く風邪が治りきらずトレーニングがまるで出来なかったので筋肉も心肺機能も落ちていた体には本当に試練坂(息切坂)でした。

守屋山東峰(1631m)

東峰の下方には守屋神社奥の院がありました。当時からあったのでしょうか。

守屋神社奥の院

東峰をしばらく下り、再度本峰へ登り返します。頂上の肩にはラビットハウスという避難小屋がありました。

避難小屋付近のさざれ石
山頂避難小屋
ラピッドハウス内部

避難小屋から5分くらいで1,650mの守屋山頂上です。からだが鈍っていたので駐車場から2時間近くかかってしまいました。

肩の小屋から山頂を望む
守屋山頂上(1,650m)
頂上から諏訪湖を望む

残念ながら頂上から八ヶ岳やアルプスはほとんど見ることは出来ませんでした。ただ眼下の諏訪湖と諏訪の町がとても綺麗に見えました。

頂上はもっと広かったと思っていましたが、意外と狭かったでした。当時は無雪期だったので肩の所までなだらかなカラマツ林が広がっているので頂上と合わせてイメージしていたようでした。

帰りも同じコースをたどり、アイゼンなしで1時間くらいで帰着することができました。今年初めての足慣らしの山行でした。

2017年1月25日  昭和47年卒 手島

2016年登り納め(パノラマ台)

2017年12月30日

暮れも押し迫った12月30日。2016年の登り納めは、富士山が良く見える御坂山塊のパノラマ台(標高1325m)に行ってきました。登山口から1時間少しで登ることができ、寒い冬でもお手軽ハイキングを楽しめる場所でした。

県営精進湖駐車場に車を停め、10時に歩き始めます。

登山口はパノラマ台入口のバス亭から階段を上がっていきます。山腹に付けられた道を登っていきます。左側の木々の間から富士山を望み、精進湖が徐々に全体の姿を現し、高度が上がって行くのが分かります。

精進湖

何回かジグザクを繰返し、左に登って行くと少し開けた場所から、大室山を抱いた子持ち富士が正面に鎮座しています。ここで小休止をとります。

大室山を抱く富士山(子抱き富士)

山道を登って行くと右手に三方分山からの稜線が見え始め、根子峠からパノラマ台へと続く稜線が見え始めます。

三方分山

二か所の橋(桟道)を過ぎると、根子峠に到着です。この橋の下にもう一つ橋があります。

桟橋

三方分山からの稜線に出ました。根子峠に到着です。尾根の反対側から木々の間越しに南アルプス北部の白峰三山や甲斐駒ケ岳の山々の白い峰々が見えます。

根子峠
白峰三山(右から北岳、間ノ岳、農鳥岳) 一番右に甲斐駒ケ岳(写真では見えませんが)

標識に従って左に10分程度進むと旧下部町方面への道が分岐している場所です。道標には「千円札の逆さ富士」の撮影所の標識がありました。ここからパノラマ台までは目前です。

下部町への分岐

広い台地の左手に東屋が見えるとパノラマ台に到着です。正面に富士山がドーンと大きなすそ野を広げています。

パノラマ台から右側の山々です。南アルプスの赤石岳や悪沢岳、聖岳が白く輝いています。

右から赤石岳、悪沢岳、聖岳

本栖湖の上にダイヤモンド富士で有名な竜ヶ岳と雨ヶ岳が見えます。元旦の朝は、竜ヶ岳が混みそうです。

本栖湖と竜ヶ岳(左)、雨ヶ岳(右)

今度は、パノラマ台から左側の山々です。

富士山から左側の景色

富士山の左下には青木ヶ原の樹海、左手に精進湖と西湖、遠くには河口湖まで望めます。

足和田山、西湖の奥に河口湖

御坂山塊の山々では、三つ峠山から十二が岳、鬼が岳、王岳、三方分山などが一望です。

右から十二ヶ岳、王岳

三方分山の左奥には瑞牆山と金峰山をはじめとする奥秩父連山から大菩薩連嶺も見えます。正にパノラマ台の名にふさわしい絶景が広がっています。

遠くに奥秩父連山
瑞牆山(右奥)

ゆっくりと景色を満喫し、13時に駐車場に戻って来ました。帰路、富士吉田の名物「吉田うどん」を食べてから帰ってきました。

今回は、お天気にも恵まれ、期待していた雪山ではありませんでしたが、短時間で登れパノラマ台の名にふさわしい景色を眺めることができました。

(昭和46年卒 碓井)

 

 

メールマガジン1月号 / 2017

獨協中学・高等学校ワ ンダー フォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2017/1/17
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▲△▲ も くじ △▲△

【1】山を舞台にした競技が新たなトレンドに
【2】寄稿「ワンゲル部と私」 菅野則一
【3】当時の「山行のしおり」を発掘
【4】冨樫会長がDWVを表敬訪問
【5】編集後記
【6】記事の募集とメールマガジンについて
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【1】山を舞台にして多様なレースが増えてきています

かつて山を舞台にした競技(レース)となると富士登山マラソンが有名でしたが、近頃はいろいろな種類のレースが各地で行われています。テレでもよく取り上げられているのは、ウルトラライトの装備で設定されたコースを最短時間で走り抜くトレイルランニングです。マラソンのステップアップを目的としている人もいるし、野山を駆け回ること自体を目的にしている人も多いようです。一般登山者と一緒になった場合のマナーなどが問題になっています。積雪期にはスノーシューでの競技も行われています。

2020東京五輪で追加種目として正式決定されたスポーツクライミングは1人でボルダリング、リード、スピードの3種を行って、その総合成績を競います。今や各地にボルダリング施設が出来ていますし、フィールドの岩場にマットレスを持って行って敷いて練習している人も見かけるようになってきています。昔は腕力で登ってはいけないと言われていましたが、今や腕力主体のアクロバチックな登り方に変わっています。
一定の制限の元に指定された山岳コースを踏破して時間を競うトレイルレースも賑やかになっています。秩父&奥武蔵のレースや主要なアルプス横断するトランスジャパンアルプスレースなど山岳耐久レースもテレビで取り上げられたして一般にも知られるようになってきました。また、地図読みゲームを主体としたレースなども開催されており、走る事だけでなく山の総合的技術、体力、精神力が試されるレースも増えてきているようです。

<トランスジャパンアルプスレースの概要>

日本海の富山県早月川河口スタートして北アルプスの剱岳から始まり、中央アルプス、南アルプスのビークを越え太平洋側の静岡県大海岸に至る日本列島横断コースを単独で小屋に泊まることなくサポートも受けずに8日間という制限時間内に踏破するレースです。昨年度は5日間で踏破するという新記録も出ています。

早月川河口 剣岳 薬師岳 槍ヶ岳山荘 上高地 薮原駅 旧木曽駒高原スキー場 木曽駒ケ岳 空木岳 駒ヶ根高原 市野瀬 仙丈ケ岳 塩見岳 赤石岳 聖岳 畑雛第一ダム 井川オートキャンプ場 井川ダム 富士見峠 静岡駅 大浜海岸
【2】寄稿「ワンゲル部と私」  菅野則一

昭和41年卒の菅野氏から上記表題で寄稿をいただきました。菅野さんにはOBとしてたくさんの山行に帯同していただき、お世話になりました。当時は腕を組みながら黙って歩く強面の結構上の先輩という存在でしたが、拙子がバテている時などとても優しく面倒見ていただきました。OB会とは仕事の関係もあって離れていたということでしたが、これからは機会があればぜひ参加されたいということでした。

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今から56年前、獨協中学2年生の夏休み、知り合いの大学生に連れられて北アルプスの銀座通りを歩き大自然の雄大さに感動しました。翌年の夏には八ヶ岳を登り、少年なりに山の魅力を知りました。

獨協高校に進み、ワンダーフオーゲル部に入部。当時は同期が10名ほどいて先輩も多く今思うとワンゲル部の最盛期だったのでしょう。その頃日本の登山人口は500万人と聞いた覚えがあります。

その夏初めての合宿は私にとって大変過酷なものでした。ひ弱でガリガリの少年は50キロ近いキスリングを背負い上野駅のホームに辿りつくまでにへばってしまいました(学校から上野駅までは山田先輩がトラックで運んでくれたのですが)。自分の体重と同じキスリングは1度下ろしたら最後、自力では2度と立ち上がれませんでした。こんなことで朝日連峰の縦走なんで・・・不安で夜行列車では殆ど眠れませんでした。

翌朝歩き始めると・・・

この続きはHPでご覧ください。

ワンゲル部と私  菅野則一

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【3】山行のしおり」をデータに起こしホームページの山行記録に保存しました。

S47年卒の二村氏が所有保管していた「山行のしおり」を見せてもらい、借り受けててデータに起こしました。当時山行の前にガリ版で作っていたのもので、参加者、コース、献立や装備などを認めたものです。1970年前後のもだけですが、HPにアッブさせていただきました。

当時は「すき焼き」「カレー」「野菜炒め」が夕飯の定番だったようです。また、「雑煮」「焼きそば」「ビーフシチュー」なども繰り返し登場していました。ただ、「すき焼き」と言っても牛肉ではなくぶた肉を使っていました。お昼は「関口パン」のカレンズが定番でした。今の「関口パン」はイートインもあるおしゃれパン屋さんになっていて、残念ながらカレンズは既に作ってはいません。

行動食の定番は氷砂糖、レモン、夏みかん、甘納豆、ビスケット、粉末ジュース、チュコレートなどでした。

個人装備ではニッカーボッカー、カッターシャツとロングソックス、ザックは1年生はさかいや製の72センチのキスリングが定番でした。ストーブはラジウスで石油や固形燃料で余熱してから使う物でした。いかに早くラジウスをつけられるか校舎内で競いながら練習もしていました。冬山ではグランドシートの下には「むしろ」を敷いていました。ワンゲル部年次山行記録に*マークのある山行記録に「しおり」データを載せていますのでご覧ください。

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2017/01/04/1970昭和45年%E3%80%80飯豊連峰全山縦走山行のしおり/

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【4】冨樫OB会長が獨協中・高等学校ワンダーフォーゲル部顧問を表敬訪問

1月16日、獨協中・高等学校にDWV顧問の新村先生と桑原先生を表敬訪問しました。新村先生は25年間にわたりDWV顧問を務め、桑原先生は3年目になるそうです。現在DWVは中学生と高校生で構成され、年3回の合宿と日帰りの月例山行を行なっているということでした。夏合宿は中・高とは別の山に行っているようです。近年ワンゲルは人気が上がってきており、現在部員は中・高合わせて15人を超えているそうです。OB会に対しても出来うる協力はしていたたけるということでした。

表敬訪問の写真を含めた記事はHPの「お知らせ」に載せてあります。

獨協中学・高等学校WV部顧問を表敬訪問

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【5】編集後記

昨年9月からリニューアルスタートした本会HPですが12月の月間訪問数が延べ90人になり訪問数も上がってきているようです。これからもたくさんの方に何度も訪問していただけるよう新しい記事をアップしていけるようにしたいと思っています。皆様におかれましては是非同期の方や先輩後輩などにもお知しらせいただいて、本会HPを広めていただきHPを通して0B会各位が繋がっていけるようご尽力いただけるようよろしくお願いします。(47年卒 手島達雄)

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【6】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうどお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿をよろしくお願いします。

記事投稿の仕方

投稿の仕方

投稿の仕方は上記にありますが、ちょっとハードルが高そうな場合は、メールでお寄せいただいてもOKです。

dokkyo.wvob@gmail.com
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ワンゲル部と私  菅野則一

今から56年前、獨協中学2年生の夏休み、知り合いの大学生に連れられて北アルプスの銀座通りを歩き大自然の雄大さに感動しました。翌年の夏には八ヶ岳を登り少年なりに山の魅力を知りました。

獨協高校に進みワンダーフォーゲル部に入部、当時は同期が10名ほどいて先輩も多く今思うとワンゲル部の最盛期だったのでしょう。その頃日本の登山人口は500万人と聞いた覚えがあります。

その夏初めての合宿は私にとって大変過酷なものでした。ひ弱でガリガリの少年は50㌔近いキスリングを背負い上野駅のホームに辿りつくまでに、へばってしまいました(学校から上野駅までキスリングは山田先輩がトラックで運んでくれたのですが)。自分の体重と同じキスリングは1度降ろしたら最後、自力では2度と立ち上がれませんでした。こんなことで朝日連峰の縦走なんて・・・不安で夜行列車では殆ど眠れませんでした。

翌朝歩き始めると不安は現実となりました。特に登りはヘロヘロで高梨先生、飯島先生、藤田リーダー等の叱咤激励の声も虚ろに聞こえ、意識は朦朧としてきます・・・もう二度と山なんかに来るものか!合宿が終わったら直ぐに退部しよう!と思いながらひたすら耐えました。

ところがそれほど疲労困憊しても、雄大な東北の山懐に抱かれているとなんとも不思議な感覚を覚えたのです。この感覚はその後も山に入る度に感じました。山を降りて数日もすると苦しさを忘れ再び何処かの山へ行きたくなる、こうした繰り返しでした。

飯島先生や常盤先輩などと行った春の金峰山・瑞牆山。八ヶ岳は好天に恵まれすばらしい雪山を楽しむことが出来て益々山にのめり込みました。

 

獨協大学に入り高校の先輩達が創部した山岳部に入部し、新人歓迎山行には参加したものの根性無しの私には続きませんでした。甘い気持ちでワンゲル部に移り2年ほど在籍しました。ところがワンゲル部では物足りなく山岳部ではハード過ぎる、この中間位がいいな・・・なんと我が儘な!

高校ワンゲル部のOBとして現役に随行して山へ行くこともよくありました。その頃の獨大ワンゲル部は冬山は禁止でした。これも歯がゆく結局はそのワンゲル部も退部してしまい、社会人となるまでの間、自由で気ままな山歩きをしていました。

たった10年のこんな登山歴でしたが、ワンゲル部のおかげでひ弱だった少年は健康になり(今もガリガリですが)、登山の楽しさ、自然の魅力友達の有難さなどを知り、私の人間形成に大いにプラスとなりました。

お世話になった故・高梨先生、飯島先生その他先輩、同輩後輩にはとても感謝しております。

残念なことは同期だった坂井格君、大成哲君、山中和雄君が60半ばで他界してしまったことです。            平成29年1月

 昭和41年卒      菅野則一


1963(昭和39)年の朝日連峰の夏合宿は7月26日から8月1日に行われました。山行写真はこちらからご覧いただけます。

獨協中学・高等学校WV部顧問を表敬訪問

冨樫OB会会長が獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部の顧問を学校に表敬訪問しました。新村三千夫先生と桑原忠司先生のお二人です。ワンゲル部の顧問としては新村先生は25年、桑原先生は3年目ということでした。ワンゲル部は近年人気があって部員も中・高合わせて15人を超えるということでした。OB会の活動についてもこれからご協力いただけるということでした。(冨樫会長をはさんで左が新村先生、右が桑原先生です)

下の写真は生徒がデザインしたDWVのTシャツだそうです。有料で頒布しているということでしたが、値段は聞き忘れました。1枚いただいてきました。(写真は表裏のデザインです)

 

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