「落書中間報告」 高梨三郎

「立てばコンニャクすわれば豆腐、あるく姿はフラダンス」=
これは某先生を形容して、よめる中学生のつくった歌で、あの先生ですよといえば、なるほどと思うくらい立派な?できばえである。

このように時間中教室で内職している生徒は1クラスに3、4人はいるものだ。

これらの芸術家?は先生の眼をたくみにのがれ、美術作品を作製し、もっばらクラスの文書活動を担当しているものである。

以下2、3紹介してみよう。先生の似顔をかく、先生のアダナを手紙で発表連絡するなどは序の口、常習者になると筆談している者、他の科目の宿題を一生けんめいやっている者、喫茶店なみに世間話をしている者等々数限りない。

さて落書についてであるが種類も多くその区分にまよう。

○落書きされてある場所と種類=机の上、横、椅子の脚、教室の壁、柱、黒板、廊下、便所、教科書、ノート、鉛筆入れ。

○落書に使われた道具=ナイフ、安全剃刀、万年筆(釘、三角定規カド、コンパスのさき等)このうち一番多いのが万年筆と鉛筆で、机の上、横がある。

中学2年某クラスを調べた結果は、机の上と横で=線36、丸24、三角13、四角7の落書があった。一般的に内容も高校生の場合=女優の名と生徒の名、ハートに矢印、丸、線、三角、四角。変形として、のぞきアナ(机の上から机の中がみえる)。迷路型=のぞきアナと線が結びついてビー玉パチンコ玉をころがし玉あそびのできるように溝がほってあるもの。

壁になると落書きも社会性をおびて内容も、反抗、嘲笑、揶揄的になる。たとえば○○は赤だ、○○はスケベ。ワイフ百人あり、歩兵軍曹○○は戦死せり。禁男の家。禁女の家。○○は文学者カストリ天才博士。エロ文学者。○○は六人の女をリーベそれとか、青山京子(女優)と○○の名前が相合傘でかいてあるものもみられた。以上は大体かつての高一の教室であったこところからあった作品である。これが中学生になると独協のマーク。ABC。丸、三角、四角、線などがもつとも多く、なかには飛行機、ブタ、ガイコツ、サツマイモ等の戯画がみられた。最近ではレスリングばやりのせいか「力道山」とかいたものを23発見した。流行歌の影響と思われるものに(2年生の机)「バイヤコンデオスマイダアリン」(原文のまま)があった。それでは卒業生の作品を紹介する。「あゝ我すすまん」「われときてあそべや彼氏のない彼女」” Good boy ”。こまった作品に、” I +you=kiss “とか、黒板へクラス委員のかいた「不正行為を禁ず」の注意事項わきに「性行為も禁ず」とあったのにおどろいた。これには勿論注意しイタズラがすぎることをたしなめたことを記憶しているー。

昨年スターリンが死んだ翌日だったか壁にスターリンの名がかいてあったのには考えさせられた。・・・・・もしこれらの落書きがそのかかれた ” とき ”    ” 社会関係 ”    ” 青少年心理”との関係から分析したら、もつと彼等の考えていることがうかがえるかも知れない・・・。

最後に残ったのが便所の落書であるが—彼等生徒は紳士であることを私は知っている—ので教員便所のチイサナ落書きを附記しておこう。旧教員便所の一番奥に何か計算したらしい落書がある。給料残額の計算か借金の計算か、かいた者も教員、事務の人、部外者か判然としない、けれどサラリーマン階級の作品であることだけは確かであり、またその数字もそれを物語っていると思う。

生徒達は教室と生活し机と一緒にいる。机の上で苦しみ、なき、おこり、わらい、そして社会へでていく。落書そのものの行為は確かに悪い。けれど落書は一方で幾つかの歴史のあとをのこしていった。そしてあとからあとから落書がつみ重ねられ、けづられ、かかれることによつて生徒達はあやまちを意識し、社会的に成長していった。いきつつある。生徒が去った教室で、じっと机をみていると一人々々の生徒の顔が姿が浮かんでくる。

最近旧校舎から新校舎にうつったが落書をさがしてもみえない。校舎の新しさと対照的な古い机、その古い机の上に落書はいきている。一年前に誰がつかったとも知れない机の上に線が、丸が、人の名が無数にかかれ、ほられてある。そして誰もが将来に希望をもって鉛筆を万年筆をにぎった机、そこには新校舎にない歴史がある。小さな彼等の歴史がやがて大きな歴史の上に大きな跡をのこすことを私達は知っている。この文は落書を奨励するためにかいたのではない。落書をいくつか並べてみてみせつけることによって、彼等は何と思うのだろうか。私は落書を過渡期の現象と考えると共に、亦特別なことを考えている。


故高梨富士三郎先生の獨協学園文藝誌「吠える」1954年5号の中のエッセイになります。この「落書中間報告」には続編があります。後日転載の予定です。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。