「続らくがき中間報告」 高梨三郎

学園の毎日は、希望と失望・苦悩と偕楽・憎しみと愛情・喧噪と静寂等々が、ごちゃごちゃになって未来へ向かう。

そこには感情のもつれもあれば、なぐさめもある。

卒業生を送り、新入生を迎え、教師と生徒の歯車は廻転する。こうした生活のなかで、忘れられたように教室の壁・机・あるいは扉に刻みこまれた小さな歴史は、すましこんでなにかを物語る。

私は「吠える」の1954年5号に”落書中間報告”なる一文を発表した。

これはその続編である。

・・・・・小さな歴史に・・・・・

点・線・丸・三角・四角などの楽書は、どこの学校の教室にもあるもので2年前の作品(?)と変わりはない。一般的なものに、バカ野郎から忠君愛国。ピカソ調から映画女優の名まで刻み込まれたりかかれたりしてあった。

以下一年前の高校生教室の楽書作品から紹介してみよう。

一番多いのは、やはり○○の馬鹿とかバカ野郎である。決して○○の利巧とはかいていない(小学生などの作品には○○のおりこうといったものがあった)。また季節によって楽書の場所も、楽書に使用される道具も変化する。冬ならば日当たりのよい窓ぎわとか窓に、ストーブの煙突(室内の部分)に、白墨・鉛筆・焼火箸様のものをつかった跡がみうけられた。例えば、ストーブの煙突に玉川勝太郎(浪曲家)の名が大書してあったり、Wの字が乳房を表現していたりしていた。前者の楽書についてはその教室の某が大の浪曲ファンであることをきき、楽書の主を推定することができた。

個人に対しての楽書は割合に多かった。○○はクサイ。○○はスケベ。あるいは性交=性病とかいた予防医学的楽書や清舎=陰舎とかいてあったり、当番割当表の下に悪口を記入したもの。古風なものに相合傘になかのよい友だち二人の名がかかれていたり、地理的なもので神奈川県とか北海道とかいたものや絵画的なものに裸婦。原始的なものに性器。時代的楽書ではスローガン・ストライキ・八頭身とか鉛筆あるいは万年筆でかかれていた。

変わったのは教室の柱に身長を計る目盛りが刻まれ、その各目盛りには5尺5寸・5尺3寸・5尺の三段階に区分され、5尺の目盛りには栄養不良、5尺3寸には平均身長(これが彼等の標準身長か?)、5尺5寸には健康児の身長とかいてあった。さらに5尺5寸から上に矢印がしてあって ”延びすぎ ”とかゝれていた。この楽書はチビがノッポに対するレジスタンスなのだろうか?彼等の頭にも八頭身にあこがれる流行がはいりこんでいるのだろうか?もっとも伊藤絹子嬢の名を口にする生徒もいるのだから当然かも知れない。

黒板楽書には教師生徒のアダナを白墨で大書してあったり、1時間前に教師のかいた文を改悪したりするのが多い。例えば関東地方を関西地方に、三角州を六角州、濃尾平野を濃頭平野にかきかえたイタズラがあつた。このうちきわだつたのに、2外テスト範囲の課=助動詞の変化と白墨でかいてあるその下にその例として I  love  youとあったのにはびっくりした。

2年前の楽書には「あゝわれすゝまん」とか「勤勉」とかの楽書があったが近頃のものにはあまりなかつたようだ。

一般的で複雑でこまかい楽書は、講堂の机にみられた。何年か前のカンニングのコン跡やら教師や友人の悪口、線、丸、四角などさまざまである。

・・・・・楽書のもつ意味・・・・・

らくがき(楽書、落書)は生活の余りであるともいわれるし、また飢えにあらわれるともいわれる。いずれも否定できない。どのらくがきも、はじめに在るらくがきにならって生まれているらしい。

反射的・並列的・近接的に存在する。

フランスのカタコンボの地下納骨所の岩壁両側に—

「死はいずこにありや 然り死は永遠にあり 急然として訪れ来たる されど跡方なし」

といつた深刻型のらくがきやそのほか沢山のらくがきがある。そのなかに日本人の ” 某中佐一行観之何年何月 ” と署名したのんびり型のらくがきがあったそうだ。日本人の性格の一端を物語っているといえよう。併しフランスのらくがきは岡本太郎氏にいわせると、政治デモの文句が多く例えば ”亡国○○党を倒せ ”  “ ○○党万才 ” “ ○○を絞首台にあげろ ” といった調子だそうである。

ここでらくがきについて考えてみよう。私は前の文(5号)でらくがきのことを落書とかいた。これはらくしょとよむが、らくがき(楽書)とらくしょとは異った性格のものと思っている。落書などは嘲弄とか諷刺の意味をもつもので衆人の目に触れやすい所に、あるいは権力者とか権勢家の門などに貼りつけたりする一種の反抗、諷刺とから起ったものである。日本では鎌倉、室町時代にもさらには江戸時代に入って隆盛をきわめた。この面からもその時代の政治とか民衆の生活の一端を知ることができるわけである。

楽書となると諷刺とか批判とかの意味よりも一種の遊戯であって、今日学校内部で多くみられるものは落書のごとき内容はとぼしいと思われる。勿論楽書が全く社会性をもたぬというのではない。もしそうならばそれは誤りである。学校という集団の場が個人の生活や社会環境の影響をもって種々の色づけられるのは当然であり、各人の潜在的意識の反映がみられ、楽書となつてあらわれるのである。

人間は行動する。ある目的をもって行動する。行動することによって反省したり、されたりする。そこに向上が発展が生まれる。従って楽書が単なる遊戯的でないような内容をもった場合つまり批判したり、諷刺したり、反抗したりするような内容をもつものであるならば、その環境は決して正常な状態にあるとはいえないだろう。

もう一歩進めて考えてみよう。

落書とか落首とかいうものは、それ自体発生して来た状態を考えあわせるならば、そこに抑圧された社会があったり、言論の弾圧や、圧迫された民衆を発見することができよう。幸福な正常な健康な社会であるならば批判的、反抗的、諷刺的らくがき(落書)はでてこないだろう。らくがき、落書が政治に対する批判と言論弾圧に対する反抗的なものであるとしても、そういった社会をらくがき(落書)という手段でよくすることは不可能であって、問題解決にはならない。それは民衆のセツナ的興奮による独善的自己満足に終ってしまう心ない政治家、指導者にとっては、このような形で民衆がウップンをはらし、正統な要求を忘れてくれた方が都合がよいのではあるまいか。

・・・・・学園と楽書について・・・・・

学園の楽書が決して健康的なものであるというようなオベンチャラ的言を私はかかない。また独協で生徒が反抗したり批判したりする程の問題はないと思われる。もしあるならば楽書という前時代的行動は ” おやめなさい ”。それより堂々と生徒会なり教師なりに提言すべきだと思う。勇気というのはそういうときにつかうのだ。

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社会が健康であれば、らくがきにもその反映があるだろう。

生徒は教室と生活し机と一緒にいる。机の上で苦しみ、なげき、怒り、わらい等々を通じ社会へでていく。その一端が楽書になってあらわれる。あとからあとから楽書がつみ重ねられ、けづられ、かかれることによつてあやまちを意識し、反省し社会へでていく。彼等の残していった小さな歴史が、きっと社会にでて大きな歴史の上に楽書でない跡をのこすだろうことを私は希望している。

附記

私がらくがきを落書とかいたのも意識して書いたのである。諸君のうちで、この点についてなんらかの反応があるのではないかと期待していたのだが・・・。

尚、フランスの楽書についたては李家正文さんの著書を参考にした。この文は楽書奨励のためにかかれたのではないことを明確にしたい。諸君等は紳士であるから私は信用している。

DWV顧問 高梨富士三郎


獨協学園 文藝誌「吠える」1956年7号より転記しました。

 

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