DWV.OB会の思い出 富樫克己

校生時代、「道徳」の教科書に1953年にエベレスト初登頂したE.ヒラリー(&テンジン)の手記がありました(時は1966年頃ですから結構、情報としては早い)。M.エルゾーグのアンナプルナ登頂。また最近、1924年にエベレスト初登頂したかも知れないG.マロリー(Because it’s there-そこにエベレストがあるから..)の遺体が75年後の1999年に発見されたTV番組もありました。つまり、トレンドはヨーロッパから来ていました。

私の登山はあまり経験的ではない?友人に誘われるまま入部した私の登山の地に足が付いていないのは戦後日本の感覚に似ている?そんな感じでワンゲルに在籍していた?

たまに思い出した様に登山していた私に昔のワンゲルOB会からの参加案内が来ました。当時は皆、若く、OB会は発足したばかり。年齢的にも余裕の出てきたスタッフの集まりで結構、盛り上がっていました。現役時代も流される様だった私にはOBの方々との登山は俄然、リアルなものになりました。何か地に足が付いている人達?戦中派の自信と経験は得難い..高度成長期を支えていた先輩?知らない山に知らないまま参加し、何かあっても大丈夫..って感じでした。同級生との登山も復活し、彦坂くん、長瀬くん、知らなかった後輩との交流も始まりました。

当時の有志OB会山行を率いていたのは昭和35年卒の佐藤OBと常盤OBでした。佐藤奥様のイラストと共に月例山行のパンフが届きました。海外駐在の後、日本の友人関係も途切れ、手持無沙汰だった私は昔の登山を復活させた?まあ、年齢的にもトレンド的にも改めて中高年の登山は当時の先端だった?..のは如何にも獨協的?当時、佐藤先輩の住居が東武沿線だったせいか?山行は南会津が多く会津駒ケ岳、そして七が岳は素晴らしかった。水が流れる谷道を遡っていくって感じが新鮮で、ガスってた頂上付近の霊験さとの対比が渋く、日本的な山の雰囲気。ここら辺が西洋的なアルピニズムとは差異してる中国由来の山岳仏教的なアニミズムがなお、我々に残っているのでは?-遺伝子に残されている記憶、夢に現れてくる祖先の記憶が既視、デジャヴュしてる-かも知れません。3000m級の岩っぽい山(ALP=岩の山の意)はヨーロッパ的な近代登山、アジア的な緑っぽい山との象徴の違いでヒトが生きられないデス・ゾーンはアジア人には意味が無かったのでは?今ではむしろ、先輩達が近代モダン登山に近かった?..と思える時代になりました。

そんなこんなもあり10年ほどOBの方々と山行を繰返し、お陰で私の登山歴も個人的山行もあり現役時代より充実した内容になりました。OB会が無ければ私には山は遠かった..継続こそ力なり!思うに人それぞれ、人生のタイミングで突然、登り始めるヒトもいれば過去の実績を自負し止めてしまうヒトもいるでしょう。ヒトそれぞれ、人生いろいろ。現役時代、山は私には厳しかったけどOB会の山は優しかった。大人になって山を楽しむチャンスを与えてくれたOB会に感謝..。

昭和43年卒  富樫克己

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