2018年9月27日〜28日
死者58名、行方不明者5名という被害を出した爆発的噴火から4年が経ち、ロープウェイのある黒沢口から剣が峰山頂までのルートが9月27日から10月8日正午までの期間限定で開かれた。
小川さゆり著の「御嶽山噴火 生還者の証言」(ヤマケイ選書)を読んでで噴火の状況はおおよ分かっていたが御嶽山にはまだ登ったことがなかったので行こうとってみようと思った。(本ホームページに掲載の生存者の証言の記事はこちらから参照ください。)
大型台風が来ている事もあって天気が安定せず、唯一28日が晴れということだったので前日泊になるため仕事をサボっての山行になった。
上野駅13時30分発の新幹線の「はくたか565号」で長野まで行き、長野から名古屋行きの「しなの18号」で木曽福島まで。
木曽福島に宿を取った。素泊まりで6,500円のプランが1室だけあったので、朝食1,000円の加算でお願いした。
木曽川沿いの値段の割にはまあまあの部屋。豪華な施設を売り物にする旅館が多い中、質素ではあるが安い割には一定のサービスを提供出来る施設が生き残って欲しい。
駅から20分くらい歩いた所だったが、行き帰りに木曽福島の観光も出来たのでよかった。
駅前から御嶽ロープウェイ行きのバスが出る。駅前のインフォメーション事務所であらかじめ2日間のフリー切符を購入した。ロープウェイの割引券も付いてきた。
制限解除以降で天気もいいということでロープウェイ駅の駐車場にはすでに驚くほどの車がとまっていた。電車で来る人より車で来る人が圧倒的に多いようだ。
ロープウェイを降りると花壇が広がり、御嶽山も綺麗に見えた。
平坦な道を少し行き、登り下りして直ぐに行場山荘の脇を通る。「力もち」に唆られ横眼で見ながらも通過。
8合目の女人堂までは50分ほど。木階段の急登で消耗する。
紅葉はピークのようだ。ナナカマドが真っ赤に色づいていたが、今年の紅葉は何処もいまいちパッとしないようではある。
いろいろな所に石仏が並んでいて、チョット異様な雰囲気。山岳信仰と仏教が混ざり合った独特の雰囲気が色濃く、現在もなおそれが継続されている山でもあるようだ。(御嶽教)
女人堂を過ぎると森林限界になり、ハイマツの中を暫く進む。ハイマツを抜けるると礫がゴロゴロとした岩稜帯となる。
積もっていた火山灰のためか少し硫黄?の臭いがする。今日はロープウェイの始発には登山規制前よりも多くの人が並んでいたということで、すでにその第一陣が下りかかってきていた。
履いている靴が初めから窮屈で少し広げるように整形しながら使っていたが、今日は左小指が当たって痛くてたまらない。仕方なく靴下を脱いで登ることに。足裏が痛いものの小指に当たるよりましたった。
そんなこともあって、下から上がって来た人に結構抜かれた感がある。
下に8合目からの登山道が見て取れる。
9合目を通過して、二の池と王滝との分岐になる十字路からは三の池や二の池の火口が見渡せる。
二の池上から覚明堂間も通行可能のようだった。
剣が峰に向かって火口の縁になる稜線を登っていく。
頂上直下にある頂上小屋の跡地には新たに分厚いコンクリート製のシェルター3基と献花台が設けられていた。
剣が峰山荘は現在撤去作業が進んでいたが、火山弾によって穴の開いた屋根はひしゃげていた。撮影禁止だった。
最後の石段登りはヘトヘトで喘ぎながら。
登り終えて休んでいる最中の噴火では、状況も分からずなすすべなく災難にあった人もいたのだろう。
頂上奥社の社はなく、石像の頭は落ちたままだった。社務所(祈祷所)は新しく建て替えられたようだが、閉められたままだった。
噴火当時、この剣が峰山頂では33名の方が亡くなられている。
御嶽山山頂を示す標柱は資材の中に埋もれていた。
剣が峰に次いで多くの死者を出した八丁だるみでは噴石を避ける場所もなく16名が亡くなっている。さぞ怖い思いをしたのだろう。冥福を祈るばかりだ。
同じコースをロープウェイ駅の飯盛高原まで戻っていったが、登下山者が集中し所々で渋滞も発生していた。
今回ヘルメットを持参していったが、登山者の半数はヘルメットを持参していなかったようだ。頂上へはヘルメットが必要とのことで、小屋でもヘルメットの貸し出しはしているようだがみんなが被ったり持っていたかどうかは判然とはしていない。
無事下山できてよかった。 S47年卒 手島
コースDETA
9月27日 上野13:30 はくたか565号 長野14:52 15:00 しなの18号 木曽福島16:30
9月28日 木曽福島駅前8:40 鹿瀬駅9:32 飯森高原駅(ロープウェイ)9:55 10:00 女人堂11:00 剣ヶ峰13:10 女人堂14:30 ロープウェイの駅 鹿瀬駅15:30 16:20 木曽福島17:13 17:26 特急 しなの19号 長野18:58 19:08 新幹線あさま630号 上野20:46
参考資料
空撮・御嶽山 : 山頂26日規制解除 14年の噴火後初 毎日新聞 9月26日公開 Youtube動画
お疲れ様でした。クルマで行った私と登山ルートが異なるようだが頂上付近の雰囲気は同じ。御嶽はボリュームある山塊で迫力あるね。大乗仏教ブームと中国仙人伝来のミックスから山岳信仰が流行ったのは年誌に書いたように西欧の岩alpの歴史とは異なる。私も出来なかったが飛騨頂上辺りを散策するって良さそう..
ゴーダマブッダが生きてたのは紀元前500年頃だがその後、誰でも救われる大乗(沢山のヒト)が紀元後、ナーガルジュナ(中国語翻訳:龍樹)などにより創始されブームになり中国経由で日本に輸入された。鎌倉時代の仏教ブームはこのトレンドで到着まで何百年も要してる。三蔵玄蔵が写経のため印度に着いた時には既にブームは過ぎていたという..
秀忠が真田のちょっかいに乗り、陣を張りた結果、関ヶ原に遅刻、家康に怒られた小諸懐古園は貧しい信州が何とかインバウンドしようと藤村を利用した努力が表れていた。さて、藤村の実家は木曽森林のオーナーだった。東海道よりヒトの往来が多かった中仙道で父親が明治(平田)新思想にかぶれる新政府に森林を没収されてしまう。義仲を出すまでもなく御嶽の歴史の怨念を思う..