古(いにしえ)の登山者

剱岳と満月

2019年7月号のメールマガジンから転載した記事になります。


剱岳は1906(明治39)年、陸軍参謀本部陸地測量部(現国土地理院)の測量隊が「点の記」を記すべく史上初の登頂を果たしましたが、頂上直下に奈良時代か平安時代の修験者が持っていたと思われる錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖を発見して持ち帰っていることが知られています。そんな昔に剱岳を登っていたなんて信じられない気もしますが、本当に大昔から人は山に登っていたのですね。

立山開山縁起によると立山は越中国司の息子の佐伯有頼によって飛鳥時代の701年に開山されたといわれています。また、白山は奈良時代の717年に修験道の泰澄という僧が登頂を果たし、今年開山1300年を迎えています。

平安時代には富士山などもすでに登られていたようですし、戦国時代の1584年には越中富山の城主の佐々成政が秀吉を倒す相談のために富山から厳冬期(12月)の立山のザラ峠、針ノ木峠を越え信濃路を通って浜松の徳川家康に会いに行き、再び往路を帰っていったという伝説が残っています。

槍ヶ岳は播隆上人によって1828年に登頂され、1640年に加賀藩によって組織された黒部奥山廻り役の役人は1870年まで藩林保護のために北アルプスの主峰のほとんどを登って回っていたといいます。

1820年前後にはおおよその名だたる山が踏破されていたようです。1820年代は江戸時代の文政年間にあたり、シーボルトが登場してくる時代であります。情報も装備も十分ではなかった時代に登頂を果たそうという思いとはどんなものだったのでしょうか。

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