山で歌った歌 「北帰行」

1     今日も静かに暮れて ヒュッテに灯火ともる

いろり囲み 想い果てなし

明日は いずこの峰か

 

2    あわれ はかなき旅よ 人はみな旅人か

何を嘆き 何をかいたむ

憧れの峰越えて

 

3    夢は 昔に帰り えにし 山川をなし

そぞろ一人 うきねの旅路

明日は いずこの峰ぞ

 

※高梨先生のノートには「旅」というタイトルで小林旭が歌っていた「北帰行」とは違う歌詞の「北帰行」が記載されていました。元歌は旧制旅順高等学校の寮歌で、戦後山の歌として歌詞を変えて歌われていたようです。その他には「もずが枯れ木で」と「アルプス一万尺」も載っていました。

メールマガジン10月号/2018

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2018 / 10/ 20
△▲△▲△        も くじ  △▲△▲△
【1】埋もれて廃棄されてしまう前に
【2】「カワノリ山」の名称は本当に川苔山?
【3日航機が墜落したのは御巣鷹山?
【4】どこの山かご存知ですか
【5】行ってきました 山行Now
【6】高梨ノート
【7】編集後記
【8】記事の募集とメールマガジンについて
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【1】埋もれて廃棄されてしまう前に
 
DWV関係の写真や山行記録などでまだHPには掲載されていないようなDATAが未整理のまま埋もれているものがありませでしようか。
もしかしたらそのまま捨てられてしまうかもしれない画像やプリント資料でも時代を映す貴重な物かもしれません。
プリントされた写真や資料をデジタル化してDWV.OB会のホームページに蓄積・掲載することで今後に残していけるのではないかと考えています。
写真などは場所と年月日などが分かるようになっていればそれに越したことはありませんが、未整理のままであってもそのままゆうパックなどに入れて送ってもらえればこちらでDATA化して送り返しますので、検討のほどよろしくお願いします。
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今月のメールマガジンは「山の名前」について特集してみました。
【2】カワノリ山」の名称は本当に川苔山が正しいの?
現在、国土地理院はカワノリ山」の正式名を川苔山としているようですが、かつて国土地理院の地形図では「川乗山」、「川乗谷」と表記されていたようです。
 
後にこれを誤記とし平成8年の地図では「川苔山」、「川苔谷」と訂正したという経緯があるようです。
 
しかし、実際の山中での表記は「川苔橋」、「川乗山」、「川乗谷」のままのものも多く見られます。
 
本当に川苔山が正しいのでしょうか。
 
「かわのり」の地名の由来はこの地で川苔がとれたからということが一般に知れている所ですが、はたして名称になるほど川苔が取れたわけではなかったという地元の人の話もあって、川苔山という名称も疑わしいところがあるようです。
 
江戸時代(天保)の古地図には「上川乗」と「下川乗」「川乗谷」という名称が載っているものの、「川苔」の名は載っていないようで、「川乗山」が正しいという説も有力のようです
 
「川乗」とは林業ではかつて木材を筏に組んで山から運んでいて、これを操る人を「筏師」とか「川乗師」と呼んでおり、これが由来とする説の方が合理的ではあるようです。さて、どちらが正しいのでしょうか。
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【3】日航機が墜落したのは御巣鷹山?
御巣鷹山は江戸時代に野生の鷹の雛を毎年採取して将軍の鷹狩り用に献上するための山をさした名称で、山梨県、長野県、群馬県などいろいろなところもにあります。
さて、日航機が墜落したのは厳密に言えば群馬県の御巣鷹山の山中ではなかったとうことをご存知でしょうか。
事故後、「日航機が御巣鷹山の山中に墜落」と連日報道で言い続けられたのでその名が定着してしまったようですが、正しくは「御巣鷹山」ではなく「高天原山」(たかまがはらやま)が正しいようです。
しかし、上野村の村長は事故の翌年になって定着してしまった墜落地点を「御巣鷹山」から「御巣鷹の尾根」との変更を発表しています。
現在ウィキべディアでは墜落地点の正式名称を「高天原の尾根」とし、通称として「御巣鷹の尾根」と直されています。
鷹を獲るための山(鷹ノ巣山)は大名によって住民の立ち入りが禁じるなどの施策がとられていたこともあって、地元の人たちもよく分からない所であったことが名称がはっきりしない原因でもあったようです。
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【4】どこにある山かご存知ですか
摺鉢山、御殿山、和田戸山、箱根山、道灌山、池田山、木原山、西郷山、代官山、おとめ山、待乳山、久世山、愛宕山、紅葉山、赤根山、合海山、丸山、地蔵山、観音山、小松山、大山、唐津山、根府川山、三菱山、亀甲山、宝来山、等閑山、佐伯山、大倉山、星ノ山、三笠山、つつじ山、新高山、棕櫚山、見越山、権現山、椿山、大名山、弁天山、大仏山、新堀山、船山、地主山、飛鳥山、亀山、八幡山、諏訪山、宿山、大塚山、東山、花房山、夕日山、かむろ山、池田山、津島山、八ツ山、クヌギ山、土佐山、金子山、富士見山、樋の口山、新樋の口山、清水山、稲荷山、騎兵山、多聞山、坊城山、将監山
察しのよい方はお分かりかと思いますが、これは全て東京23区内にある山です。東京には何とたくさんの山があることでしょうか。一見平そうな東京ですがたくさんの山や谷、岬や断崖がある所でもあります。
 
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【5】行ってきました 山行Now
福島県と山形県の県境にある百名山の吾妻連峰の最高峰西吾妻山です。吾妻小富士や東吾妻山は現在噴火警戒レベルが2に引き上げられており、立ち入りが制限されています。西吾妻山も同じように火山ではありますが、ロープウエイ やリフトを乗り継いで簡単に山頂に立つことができます。紅葉を楽しみながら登ってきました。
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【6】高梨ノート
今後、1965(昭和40)年7月の夏山合宿、同年12月の冬山合宿、1976(昭和51年)2月の冬季訓練、同年7月の夏山合宿、1977(昭和52年)の夏山合宿、同年秋の山行、1978(昭和53年)の丹沢山行、1979(昭和54年)の夏山合宿などを掲載していく予定です。
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【7】編集後記
 
先ほど立山の雄山や室堂、槍ヶ岳に設置されたライブカメラを閲覧したところ一面の雪景色でした。富士山や北アルプスの頂上付近の季節はもう冬。
下界ではこれから各地で紅葉の便りが聞こえてくる頃ですが、10月15日を過ぎると多くの山小屋は営業を終了してしまい、賑わっていた山も静かな佇まいに変わります。
これからは気象の変化に気をつければピンと張りつめた空気の中での静かな山を楽しむことも出来るでしょう。

明るい林床の中、落ち葉を踏みしめながらのんびりどんぐりを探して低山をハイクするのもいいのではないでしょうか。

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【8】記事の募集とマガジンについて
 
このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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西吾妻山(2,035m) 吾妻連峰

2018年10月4日

深田久弥の「百名山」にも入っている山形県にある吾妻連峰の最高峰である西吾妻山に登ってきました。


山形新幹線で米沢駅まで行き、米沢駅から白布(しらぶ)温泉・湯本駅前行きバスで40分、湯本駅前駅からロープウェイで大きなグランドや宿泊施設もある天元台高原、そこからリフト3本を乗り継いだ北望台が登山口になります。

車窓から見える磐梯山
車窓から見える吾妻小富士や東吾妻山

東吾妻山、一切経山、吾妻小富士エリアは現在大穴火口を中心に噴火警戒レベルが2に引き上げられており、火口を中心に1.5Km以内の立ち入りが禁止されています。御嶽山にも似た雰囲気山域です。

8時10分発のバスが始発駅ですが、いつまでたっても来ません。10分遅れでやっと到着。車両の乗り換えというアナウンスがあったものの何だったんだかよく分かりません。

米沢は上杉の城下町。ポールには「義」と「愛」の旗が掲示されていました。上杉景勝と直江兼続が現在でも米沢の精神文化のベースになっているのでしょうか。もちろんブランド牛の米沢牛のサインも至る所で目にしました。

ロープウェイとリフトの往復切符は3,500円ですが、モンベルの会員証を見せると350円安くなります。

連休などは賑わうのでしょうが、ロープウェイは貸切状態でした。

天元台高原から見た紅葉です。白布大滝も小さく見えます。

紅葉は最盛期ということでしたが、山域は大シラビソやコメツガなどの針葉樹が多く、色づいているのはこの辺やリフト周り程度でした。

ロープウェイからは朝のうちは飯豊連峰や朝日連峰がはっきり見えたということでしたが、この時間にはかすかに見える程度でした。

3本目リフト終点の北望台からいよいよ登山道になります。

蔵王、朝日、飯豊、月山、鳥海の5峰が観望できる五名峰展望台からは残念ながらもう5峰を確認することはできませんでした。

リフトを降りると直ぐに大きな岩を乗り越える急登が始まります。しばらく行くと、石が積み重なった広い斜面のかもしか展望台に出ます。

ロープウェイとリフトを使ってアプローチを端折ったので、元気よく休憩もあまり取らずにひたすら飛ばして歩きました。

木道が続く、大凹(おおくぼ)の池塘群に到着です。

少し登った湿原の端に大凹の水場がありました。

大凹の水場

急登を登っていくと真上に梵天岩が見えてきます。大岩に立つ登山者もよく見えました。

見晴らしの良い梵天岩に到着です。

大岩に立ってみようと岩に乗るには乗れましたが、怖くてなかなか膝が伸びません。眼下には湿原がよく見ました。

少し休憩し、先を急ぎます。次は天狗岩を目指します。

天狗岩はかもしか展望台のように石が積もったゆるやかな広い斜面で、右奥の端には吾妻神社の祠が見えます。帰路に神社の脇を通ることになるので、まずは頂上を目指します。

西吾妻山山頂

西吾妻山の頂上に到着。西吾妻山の山頂は樹林帯の中にあり、展望はありません。三角点もなく、標柱があるだけです。

そのまま先を進み、回り込んでいくと避難小屋の赤い屋根が見えてきます。左の道を少し行くと吾妻小屋の入り口になります。

そのまま道を進んで行くと、すぐ目の上に神社の社が飛び込んできす。先ほど通った天狗岩で奥に見えた祠です。意外なところに立っている感じでした。

無事登頂を感謝してお参りしました。

再度、積み重なった岩のなだらかな斜面の天狗岩を縦断していきます。

梵天岩、大凹を経由して人形石とかもしか展望台との分岐に出ます。

直接北望台に向かう方が時間は短縮できるようですが、とりあえず急いで人形石方面に向かいました。

人形石は平らな広場で大きな岩が並んでいました。急げばバスに間に合いそうなので、フルスビードで下山です。

ロープウェイは20分間隔なので、2時20分発のロープウェイに乗れないとバスに間に合いません。次のバスに乗り損ねるとその次は2時間後になってしまうのでので、最後のリフトを降りたらすぐさま坂をハアハアいいながら駆け上がり、かろうじてロープウェイに滑り込むことができました。

バスに乗って米沢駅到着。在来線を走る山形新幹線「つばさ」の自由席に乗り込んで帰京です。

S47年卒 手島


コースDATA

上野 6:18  つばさ121号 米沢 8:20  バス9:10(10分遅れ)   湯本駅前 9:50  ロープウエイ(5分) 天元台高原 リフト3本乗り継ぎ  天元台高原 しらかばリフト(6分)  しゃくなげリフト(9分)  つかもりリフト(15分)    北望台10:45    分岐10:47    かもしか展望台11:00    大凹の水場 11:24    梵天岩11:50     天狗岩 西吾妻山12:10      西吾妻小屋12:20     吾妻神社12:20    人形石13:15    北望台13:40    天元台高原14:20 湯本駅前14:25    14:30  バス 米沢15:14  15:40    上野17:42

メールマガジン9月号/2018

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会 オンラインマガジン 2018 / 9/ 30
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【1】秋の親睦会が開催されました
【2】ヤビツ峠の饑(ヒダル)神
【3】御嶽山の登山制限の一部解除
【4】渡辺知也さんからのお便り
【5】行ってきました 山行Now
【6】編集後記
【7】記事の募集とメールマガジンについて
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【1】秋の親睦会
DWV.OB会の恒例の行事になっている「秋の親睦会2018」が9月23日、24日に小諸の獨協学園「日新寮」で行われました。
昨年は台風の影響で中止になってしまいましたが今年は秋晴れで天気も良く、グランドでのBBQには絶好のコンデションになりました。
参加者は会友も含めて14名と少なかったものの和気藹々とした楽しい会になりました。
詳細についてはHPのOB会活動記録に掲載しましたのでご覧ください。こちらからご覧いただけます
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【2】ヤビツ峠の饑(ヒダル)神
DWVでは歩荷訓練でもよく登った丹沢表尾根のヤビツ峠は矢を入れる筒である矢櫃がこの地で見つかったことから由来するということのようですが、このヤビツ峠には空腹をもたらす饑(ヒダル)神がいると言う伝説があるのをご存知でしょうか。
山道などを歩いている人間に空腹感をもたらすのがヒダル神という悪霊に憑かれたせいだと考えられていたようです。
このヒダル神に憑かれると、歩いている最中に突然激しい空腹感、飢餓感、疲労を覚え、手足が痺れたり体の自由を奪われたり、その場から一歩も進めなくなり、ひどい時にはそのまま死んでしまうこともあるといわれていたそうです。
ヒダル神は餓死者や変死者の霊と考えられており、人知れず死んだ者が祀られることなく周囲を彷徨う怨霊となり、自分が味わった苦しみを他人にも味合わせようとしているのだといわれています。
そして、ヒダル神に憑かれる場所は大抵は山道、峠、四辻、行き倒れのあった場所のようです。
さて、ヤビツ峠はかつて餓鬼道とも言われていたそうで、古来秦野と札掛集落を結ぶ重要なルートであったようです。
ある年の冬、長い雪で札掛集落の食糧が乏しくなり、力自慢の若者が荷上げのためにヤビツ峠にさしかかったところ、急に腹が減って歩くことができなくなり、這いずるようにして峠を越したということがあったそうです。
実はこの辺りは永禄年間に甲斐の武田氏と小田原の北条氏が激戦を繰り広げた所で、腹をすかせて倒れた武士の亡霊がさまよっているせいだと当時の人は考えていたようです。
それ以来、この峠を通る人は食べ物を山の餓鬼に投げ与えるようになつたと伝えられています。
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【3】御嶽山の登山制限の一部解除
御嶽山では58名の死者と5名の行方不明者を出した爆発的噴火から4年になる9月26日、黒澤口から剣が峰に至る登山道の制限が今年は期間限定で解除されることになりました。
被災者の関係者による慰霊登山に引き続き一般の制限も解除されました。
2014年の噴火は警戒レベル1という安全と思われるレベルにもかかわらず、秋の紅葉シーズン真っ盛りの土曜日のお昼という最も人が集まる時に、予兆の噴火もなくいきなりの凄まじい噴火だったので、多くの犠牲者が出てしまいました。
 
地元では毎年慰霊祭が執り行われていたようですが、今年は花束を持った多くの遺族や関係者が山頂まで登られたようです。
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【4】渡辺知也さんからのお便り
9月の上旬にスイス(ルガーノ)在住の渡辺知也氏(S34年卒)より編集委員長の柳澤孝嘉氏の元に礼状の絵葉書が届きましたのでご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・
「前略、礼状を出そうと思いつつここまで伸ばしてしまいました。訳もなくお詫び致します。立派な誌が出来ました。
それにしても亡くなった人が多いのに驚きました。貴兄も長生きをして下さい。
年金のとりそこないのない様にしましょう。
この橋はローマ人が作ったといわれています。2000年もたっています。お元気でいて下さい。」       知也
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【5】行ってきました 山行Now
新潟県糸魚川の雨飾温泉と長野県の小谷温泉に登山口を持つ頸城山塊の雨飾山です。標高は低いもの妙高火打とともに百名山に数えられる名峰です。小谷温泉からピストンで登った記録です。
噴火以来閉じられていた頂上の剣ヶ峰までのルートの一部が4年を経て慰霊登山に続いて解禁になりました。現在の御嶽山はどのような状況になっているのか黒澤口から剣が峰に登ってきました。
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【6】編集後記
 
東京ではお彼岸前に曼珠沙華の花が咲き出し、金木犀(キンモクセイ)の花の香りが道を歩いていてもどこからともなく漂ってきたりしています。
今年は季節が例年より早く進んできているようで、山からは紅葉や初冠雪の便りも聞こえてきています。
残念ながら今年の紅葉はあまり綺麗ではないようですが。
涼しくなったらどこかの山でもまた登ってみませんか。
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【7】記事の募集とマガジンについて
 
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本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

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御嶽山(3,067m)

2018927日〜28


死者58名、行方不明者5名という被害を出した爆発的噴火から4年が経ち、ロープウェイのある黒沢口から剣が峰山頂までのルートが9月27日から10月8日正午までの期間限定で開かれた。

小川さゆり著の「御嶽山噴火 生還者の証言」(ヤマケイ選書)を読んでで噴火の状況はおおよ分かっていたが御嶽山にはまだ登ったことがなかったので行こうとってみようと思った。(本ホームページに掲載の生存者の証言の記事はこちらから参照ください。)

大型台風が来ている事もあって天気が安定せず、唯一28日が晴れということだったので前日泊になるため仕事をサボっての山行になった。

上野駅13時30分発の新幹線の「はくたか565号」で長野まで行き、長野から名古屋行きの「しなの18号」で木曽福島まで。

木曽福島駅
木曽福島駅前

木曽福島に宿を取った。素泊まりで6,500円のプランが1室だけあったので、朝食1,000円の加算でお願いした。

木曽川沿いの値段の割にはまあまあの部屋。豪華な施設を売り物にする旅館が多い中、質素ではあるが安い割には一定のサービスを提供出来る施設が生き残って欲しい。

駅から20分くらい歩いた所だったが、行き帰りに木曽福島の観光も出来たのでよかった。

木曽福島 上の段集落の街並み
大昔から使われていたという井戸

駅前から御嶽ロープウェイ行きのバスが出る。駅前のインフォメーション事務所であらかじめ2日間のフリー切符を購入した。ロープウェイの割引券も付いてきた。

制限解除以降で天気もいいということでロープウェイ駅の駐車場にはすでに驚くほどの車がとまっていた。電車で来る人より車で来る人が圧倒的に多いようだ。

登山規制の案内

ロープウェイを降りると花壇が広がり、御嶽山も綺麗に見えた。

平坦な道を少し行き、登り下りして直ぐに行場山荘の脇を通る。「力もち」に唆られ横眼で見ながらも通過。

8合目の女人堂までは50分ほど。木階段の急登で消耗する。

紅葉はピークのようだ。ナナカマドが真っ赤に色づいていたが、今年の紅葉は何処もいまいちパッとしないようではある。

いろいろな所に石仏が並んでいて、チョット異様な雰囲気。山岳信仰と仏教が混ざり合った独特の雰囲気が色濃く、現在もなおそれが継続されている山でもあるようだ。(御嶽教)

女人堂を過ぎると森林限界になり、ハイマツの中を暫く進む。ハイマツを抜けるると礫がゴロゴロとした岩稜帯となる。

積もっていた火山灰のためか少し硫黄?の臭いがする。今日はロープウェイの始発には登山規制前よりも多くの人が並んでいたということで、すでにその第一陣が下りかかってきていた。

履いている靴が初めから窮屈で少し広げるように整形しながら使っていたが、今日は左小指が当たって痛くてたまらない。仕方なく靴下を脱いで登ることに。足裏が痛いものの小指に当たるよりましたった。

そんなこともあって、下から上がって来た人に結構抜かれた感がある。

石室山荘

下に8合目からの登山道が見て取れる。

覚明堂

9合目を通過して、二の池と王滝との分岐になる十字路からは三の池や二の池の火口が見渡せる。

二の池上から覚明堂間も通行可能のようだった。

剣が峰に向かって火口の縁になる稜線を登っていく。

頂上直下にある頂上小屋の跡地には新たに分厚いコンクリート製のシェルター3基と献花台が設けられていた。

剣が峰山荘は現在撤去作業が進んでいたが、火山弾によって穴の開いた屋根はひしゃげていた。撮影禁止だった。

最後の石段登りはヘトヘトで喘ぎながら。

登り終えて休んでいる最中の噴火では、状況も分からずなすすべなく災難にあった人もいたのだろう。

頂上奥社の社はなく、石像の頭は落ちたままだった。社務所(祈祷所)は新しく建て替えられたようだが、閉められたままだった。

噴火当時、この剣が峰山頂では33名の方が亡くなられている。

御嶽山山頂を示す標柱は資材の中に埋もれていた。

剣が峰に次いで多くの死者を出した八丁だるみでは噴石を避ける場所もなく16名が亡くなっている。さぞ怖い思いをしたのだろう。冥福を祈るばかりだ。

同じコースをロープウェイ駅の飯盛高原まで戻っていったが、登下山者が集中し所々で渋滞も発生していた。

今回ヘルメットを持参していったが、登山者の半数はヘルメットを持参していなかったようだ。頂上へはヘルメットが必要とのことで、小屋でもヘルメットの貸し出しはしているようだがみんなが被ったり持っていたかどうかは判然とはしていない。

無事下山できてよかった。                                                     S47年卒 手島


コースDETA

9月27日 上野13:30  はくたか565号  長野14:52  15:00  しなの18号  木曽福島16:30

9月28日 木曽福島駅前8:40    鹿瀬駅9:32    飯森高原駅(ロープウェイ)9:55   10:00    女人堂11:00    剣ヶ峰13:10    女人堂14:30    ロープウェイの駅     鹿瀬駅15:30     16:20    木曽福島17:13    17:26  特急  しなの19号  長野18:58  19:08    新幹線あさま630号  上野20:46


参考資料

空撮・御嶽山 : 山頂26日規制解除 14年の噴火後初  毎日新聞 9月26日公開 Youtube動画

渡辺知也さんからのお礼状

9月の上旬にスイスの渡辺知也氏(S34年卒)より記念誌作成委員長の柳澤孝嘉氏の元に礼状の葉書が届きましたので、ご紹介します。


前略、礼状を出そうと思いつつここまで伸ばしてしまいました。訳もなくお詫び致します。立派な誌が出来ました。それにしても亡くなった人が多いのに驚きました。

貴兄も長生きをして下さい。年金のとりそこないのない様にしましょう。

この橋はローマ人が作ったといわれています。2000年もたっています。お元気でいて下さい。         知也

(文書は送られてきた自筆の書面を柳澤氏が浄書したものです)

秋の親睦会 2018

DWV.OB会 秋の親睦会 2018

2018年9月23日〜24日

昨年度は台風のため秋の親睦会は中止でしたが、今年は晴天に恵まれた獨協学園日新寮(小諸)にて開催されました。


軽井沢のスーパーマーケット「ツルヤ」で食料の買い出しです。

中野・手島の両名に加えて、軽井沢の千野邸に前泊した佐藤、長瀬氏と朝方立ち寄っていた井上・有我夫妻と矢崎氏らとスーパーで落ち合って買い出しをしました。

たくさんの段ボール箱を車に詰め込んで日新寮に向かいました。

軽井沢から千野光子さんが、伊豆から5時間かかって二村夫妻がかけつけて到着。

火を起こしは元ボーイスカウトの先輩後輩である長瀬、二村の両氏が活躍です。

準備が整った頃、渋滞や車の充電で手間取った冨樫、木村両氏が到着し全員揃いました。

食堂の椅子やテーブルは外への持ち出しが禁止なので、外のかまどで焼いて中で食べるつもりで準備をしていました。しかし、やはり火に誘われて集まり、立ったり、バルコニーに座り込んでのBBQになりました。

食材の下準備は女性陣が担ってくれたようです。

しいたけ、アスパラガス、里芋、玉ねぎ、ピーマン、トウモロコシ、ナス、ハマグリ、サザエ、サンマ、ラムチョップ、牛肉など野菜、魚介類、肉などのバーベキューや女性陣が作ったサラダや味噌汁など。

場所を変えて食堂で二次会です。

翌朝8時ごろ、食堂で朝食です。

レトルトご飯、インスタント味噌汁、のり、納豆、漬物、自家製卵焼きや管理人さんが採取した時候坊(ハナイグチ)を使っての味噌汁など

ジゴボウの資料画像

すっかり秋の雲です。コスモスが咲き、下の棚田も刈り取りが始まっていました。

グランドからは低い雲に覆われた小諸市内の上に蓼科山、北横岳、縞枯山などの北八ツの稜線がくっきり見えていました。明日からしばらくの間アルプスなどの標高の高い山々では雪の予報が出されていました。

9時に集合写真を撮り、また、来年元気でお会いできることを楽しみに獨協学園日新寮にて解散しました。

今回の参加者は以下の通りです。

井上正巳夫妻 千野光子(一朗夫人)    佐藤八郎 長瀬治 冨樫克己 木村泰樹 二村謙次夫妻 手島達雄 中野茂

会友 有我昭蔵夫妻様 井上正巳夫人実弟矢崎様   以上14名

雨飾山(1,963m) 頸城山塊 

2018年9月19日〜20日 雨飾山

雨飾山は新潟県と長野県の県境にある百名山に数えられる火打山や妙高山、焼山が属する頸城山塊の山である。


9月に入って天候不順が続く中、唯一2日だけ天候が安定していたので、予て行きたかった雨飾山に行ってきた。

北陸新幹線で糸魚川駅まで行って、上りの糸魚川線で南小谷駅まで戻ってからバスで雨飾高原まで行った。

雨飾山の登山口は新潟県側の雨飾温泉と長野県側の雨飾高原からのルートがあるが、長野県側からのルートからは迫力あるドーム型岩峰の雨飾山が望め比較的登りやすくもあるということで雨飾高原の雨飾荘に前泊した。

車でなら駐車場のある登山口のキャンプ場まで行けるが、宿のある雨飾高原から登山口までは歩いて1時間ほどになる。村営の雨飾荘では登山口まで車で送ってくれ、朝食の替わりにパンと幕内弁当が付き、登山用イラスト地図が付くという13,000円の登山プランがあったのでそちらにした。(1人の場合は15,000円)

宿には露天風呂が併設された内風呂があるが、宿のすぐ近くに誰でも利用できる露天風呂があったのでそちらにも入ることができる。

料理は食堂になるが、懐石風に料理の説明とともに運ばれてきた。

翌朝、宿前に6時に集合して車で登山口のキャンプ場まで送っていただいた。10分ほどで到着。

登山届けを出して出発。

頂上までは400mおきに11分割されたプレートが設置されていている。はじめは平らな山道を行くが徐々に急登に変わって行く。

 

荒菅沢近くになると谷川の一ノ倉沢にも似た雨飾山の岩峰が見えてくる。荒菅沢まで一旦下りる。

荒菅沢を渡渉する。布団菱(荒菅沢奥壁)と呼ばれる雨飾山の岩峰が望める。

荒菅沢からは頂上に向けてどんどん急登になっていく。

いよいよ、このコースの核心になる急登が始まる。

急登が一旦終わり、なだらかな笹原が続く笹平に到着。この先が新潟県雨飾温泉からの登山道との分岐になる。

新潟側と長野側からとルートの分岐

いよいよ山頂へ向けての最後の登りとなる。

頂上は30mほどの間に南峰と北峰とに分かれていて、南峰には標柱と三角点が、北峰には石仏が並んでいた。

北峰到着である。天気は予報通りの快晴で、360度の展望。

向かいには白馬岳をはじめ北アルプスの後立山連峰、眼下には糸魚川の町や続く日本海、はるか遠くには能登半島を見渡すことができた。

白馬連峰
笹平の雨飾の女神(登山道が女神のよう)

帰路は新潟県側の雨飾温泉を経由して大糸線の根知駅や糸魚川に出ることもできたが、あまり調べていなかったので同じコースで雨飾高原まで降りることにした。行きと違って車の送迎はないので登山口からバス停まで40分歩くことになる。

アケビ

   途中、露天風呂で汗を流してからバスで南小谷駅へ向かう。

南小谷駅からの電車の接続が悪く、大糸線で信濃大町で乗り換えながら松本まで出て、スーパーあずさで帰ることになった。

白馬駅や信濃大町駅あたりからバスで長野駅まで行って北陸新幹線で帰った方が早かったかもしれない。

ちなみに南小谷駅からだとJR東日本の「大人の休日倶楽部」会員になっていると乗車券や特急券が3割引になるので時間がかかるが割安なのである。

S47年卒 手島



コースDATA

上野駅10:38    北陸新幹線(はくたか559号) 糸魚川駅12:48    13:13 南小谷駅14:15 14:20    雨飾高原バス停15:00 雨飾荘(泊)15:05

雨飾荘6:00 雨飾登山口(雨飾高原キャンプ場) 6:10   1/11ポイント   6:18     3/11ポイント6:37    4 /11 ポイント6:55    荒菅沢出会い7:30    7/11ポイント7:58    8/11ポイント8:24      9/11ポイント8:52      笹平9:05    分岐9:11 10/11ポイント9:15    雨飾山頂上9:35    10:10 荒菅沢11:50 雨飾登山口13:00 雨飾荘13:40 雨飾高原バス停14:25 南小谷駅15:10 信濃大町駅 松本駅18:35 新宿駅21:09

御嶽山立ち入り規制の一部解除

長野県木曽町は秋の紅葉シーズンを前に山頂へのアクセスを可能とする立ち入り規制の一部を解除する方針を固めたもようです。

紅葉シーズンの土曜日のお昼ということでたくさんの登山客が頂上にいた時間に起こっただけに58名が亡くなられるなどたくさんの方が被害に遭われた爆発的噴火から4年。昨年は噴火警戒レベルが1に引き下げられたものの、地元の自治体は剣ヶ峰を含む火口から1Km以内の立ち入りを規制していました。

そのうちロープウエイからのルートを持つ長野県木曽町はこの度、山頂の剣ヶ峰にあった山小屋を解体して、噴火が起きた場合におよそ90人が収容できる避難シェルターをほぼ完成させたほか、山頂につながる登山道の復旧も完了したとして剣ヶ峰に至るルートへの立ち入りを解除する方針を固めたとのことです。他の自治体の理解が得られれば9月27日前後から長時間の滞在をしないよう呼びかけるなど安全指導のもと規制が解除される模様です。

なお、地元の3自治体ののうち長野県大滝村、岐阜県下呂市は安全対策が十分ではないとして立ち入り規制は継続されるとうことです。

まだ5人の方が行方不明となったままであり、噴火当時の噴火警戒レベルは1だったということもあることを踏まえて登山は”自己責任”ということを意識してということなのでしょう。


本ホームページには小川さゆり著の「御嶽山噴火「生還者の証言」についての記事がありますので、参照ください。

https://dwvob.sakura.ne.jp/wp/2018/03/22/「御嶽山噴火%E3%80%80生還者の証言」から/

山梨県の登山届け義務化施行

山梨県は安全な登山を求めていくことで登山者が登山届の提出に努めなければならな条例(山梨県登山の安全の確保に関する条例)を2017年度に公布していましたが、安全登山推進地域として富士山や八ヶ岳、南アルプスなどなどの3つの地域を指定し、2018年9月20日から施行されることとなりました。ただし、罰則規定は設けられていません。

対象地域は「富士山」はおおむね6合目より上で「御中道」などの散策エリアは対象外です。八ヶ岳は、周辺の赤岳や権現岳などを含むエリアで、南アルプスは、白根三山や甲斐駒ヶ岳などのエリアになります。登山届けは基本的には山梨県知事宛で登山口に設置された登山届けポスト、ファクシミリ、メールなどで対応可になっています。

http://www.pref.yamanashi.jp/police/p_tiiki/sangaku/teishutuhouhou.html

他県での状況については下記メールマガジンに掲載してありますので参照ください。


DWV.OB会メールマガジン2017年4月号記事
【2】広がる登山届の義務化
 
3月上旬に岐阜・長野両県にまたがる西穂高岳(2,909メートル)を登山届を出さずに登った男性が遭難し、警察に救助されるという遭難事故が発生しています。この遭難では救助された遭難者に対して岐阜県の防災課では3月3日付で無届け登山に対する5万円の過料処分が下されました。岐阜県では2015年から北アルプスの登山に対して登山届の義務付けが条例化されており、昨年には御嶽山と焼岳が追加指定され、12月には白山も加えられることになっています。
すでに富山県は劔岳周辺の山岳区域、群馬県はの谷川岳の岩場地帯への登山について1960年代に罰金・過料をともなった登山届の提出が条例で義務付けられていましたが、近年の遭難事故の増加と御嶽山などの活火山噴火による事故などを受けて他県でも事故防止と事故後の対処の必要から、登山者に登山届提出の義務化を条例として定める動きが広がってきています。
長野県は昨年7月から罰則規定はないものの、指定登山道の通行について登山届の義務化と山岳保険加入の努力義務が条例で定められいます。
山岳保険加入については手軽なタイプが出回っていますが、自動販売機なるものも近頃登場しているようです。上高地のバスターミナルでは1ヶ月の期間中1回の事故で救助費用が最高で100万円まで補償され、死亡・後遺障害見舞金なども出る山岳保険が自動販売機で売り出されているそうです。1コイン(500円)を入れると領収券が発行され、それを登山届に貼って登山届け提出ポストに投函するというもののようです。手軽さから外国からの登山客にも人気だそうです。
岐阜県 北アルプス 焼岳 御嶽山 白山
富山県 剣岳
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