山で歌った歌 「獨協中学・高等学校校歌」

校歌

ワンゲルでは山行の折にテントの中でいろいろな歌を歌うのが長年引き継がれてきていた。校歌もよく歌っていた歌のひとつである。現在は下記のとおりであるが、かつての校歌は5番まであったようだ。

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1957年卒の若井永所蔵

独協学園の沿革を見ると1948年に中学・高等学校に名称が変わっているはずであるが、1955年に山で歌うためにワンゲル部で作成された「山で歌う歌集」は獨逸協会学園ワンダーフォーゲル部の名称で下記の古い歌詞が載せられているのをみると当時まだ旧体制が引き継がれていたようだ。



歌詞の意味

歌詞に登場する、Lorbeer(ロールベール)とはドイツ語で月桂樹のことです。月桂樹は、古代から神聖な木とされてきました。古代ギリシアでは、葉のついた若枝を編んで「月桂冠」とし、勝利と栄光のシンボルとしてオリンピックの勝者などの頭にかぶせました。

この校歌は、日本の歴史・伝統を大切にしつつ、ドイツをはじめ、西洋の文化・精神を進んで学び、世界に広く視野を持って、主体的に判断し行動できる人間の育成を目指すという、本校の教育理念が表現されています。

▶作曲者・作詞者の紹介

校歌の作曲者・東儀俊龍(1865年~1927年)は、宮内省の雅楽師でした。東儀家は、奈良時代から雅楽を受け継いできた家系です。同じく東儀家の出で、早稲田大学校歌の作曲者としても知られる東儀鉄笛(1869年~1925年)の後任として、本校の音楽教師を務めました。そして、校歌は本校の第4代校長の大村仁太郎の指示で、明治36年(1903)前後に作曲しました。

作詞者は、芳賀矢一(1867年~1926年)ということになっていますが、実は大村仁太郎校長から依頼された、当時、本校の国語教師であった志田義秀(1876年~1946年)が、恩師である芳賀矢一の校閲・補佐を得て、芳賀の名義で発表したものです。芳賀矢一は、のちに東京帝国大学教授や國學院大学学長などを務め、日本国文学の基礎を確立した第一人者として知られています。国語で学ぶ「形容動詞」という品詞の名前も、芳賀矢一の作った用語です。一方、志田義秀はのちに旧制六高教授などを務め、松尾芭蕉の研究家としても知られています。また、芳賀矢一と共に、日本最初の類語辞典として1909年に刊行された『日本類語大辞典』の編者も務めました。

(獨協中・高等学校のHPより転載させていただきました)

 

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