「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」を読んで

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」   低体温症と事故の教訓

羽根田治   飯田 肇   金田正樹   山本正嘉 著


2009年の夏、北海道大雪山系を縦走する人気の登山ツアーの参加者とガイドの計8名がトムラウシ山(2,141m)付近で低体温症により死亡した遭難事故があった。当時マスコミでも連日話題になっており、記憶に残っている遭難事故の一つである。

図書館で偶然この遭難事故について著された「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」-低体温症と事故の教訓-を手にした。この書籍は事故の翌年2010年に羽根田治 、飯田 肇、金田正樹、山本正嘉の4人が違う角度からこの遭難を記録、分析して教訓としてまとめたものである。自分にとっても戒めになる部分が多かったので、この場で提供できたらと考えてまとめてみました。

事故の概要

登山やトレッキングを商品として提供しているアミューズトラベル(株)という会社が「魅力の大縦走 大雪山系縦断の満喫コース」と銘打って旭岳からトムラウシ山へ縦走する2009年7月13日から17日の4泊5日の山旅である。アミューズ社のツアーはリピーターも多く、登山・トレッキングのツアーの中では比較的人気があったようだ。しかし、それも今まで大きな事故がなかったから済んでいたものの、この事故によってリスク管理などその実態が明らかになった。

ツアーは15名の参加者と3名のスタッフで構成されていた。スタッフはガイド資格を持つ添乗員がリーダー(61歳)を兼任し、メインガイド(32歳)とサブガイド(36歳)の3名。参加者は男5名、女10名でそのほとんどが60歳を超えており、50歳台は2名のみで55歳から69歳までの平均年齢63.8歳であった。

ツアーは13日午後に新千歳空港に集合し、同日5時に旭岳温泉白樺荘着。翌14日、5時50分にロープウェイ駅に向かい、旭岳には9時に到着する。旭岳を経由して北海岳、白雲岳を登り、白雲岳避難小屋に宿泊する。3日目の15日、この地方の天気概況では16日にかけて低気圧が通過するという予報が出ていた。朝、予報通り小雨が降っており、全員雨具を着用して5時に避難小屋を出発。平ガ岳あたりから風雨が強まり、忠別岳ではかなりの強風になっていた。(9時の風速は12m、気温16℃ )雨は強くなったり小雨になったりを断続に繰り返し、水はけの悪い登山道は池のようにもなっていたようだ。一行は終日雨の中、9時間から10時間かかって午後3時には3日目の宿泊地であるヒサゴ沼避難小屋に到着している。そして、翌16日はツアーの最終日。トムラウシ山を経由してトムラウシ温泉へ下山する予定であった。事故はこの日に起こった。

この日の朝、この地方の天気概況では雨は朝までとなっていた。朝方から強風が断続的に繰り返していた。解析によれば出発当時5時半頃の風速は19mで、風雨のピークだったようだ。降雨は土砂降りではなく、細かい雨または霧のようなものであり、12時頃には風雨は収まってきていたということである。だが、朝の気温は8.5℃であったものの、その後気温は下がり続け、最低温度は17時半に3.8℃を記録している。

この日の決行は添乗員兼リーダーの判断であったようで、他のガイドや参加者もそれに従った。ガイドのうちメインガイドはこのコースを5回登っていたが、サブリーダーは未経験、リーダーの経験は判然としていない。リーダーはガイドでもあると同時に添乗員でもあったので、天候が回復するだろうという天気概況による見通し、停滞することによる交通機関や宿泊場所などの再予約、費用の加算を含めていろいろな参加者への対応が必要になること、ヒサゴ沼避難小屋にはこの日の午後にはアミューズ社の別パーティーが宿泊することになっていたことなど、いろいろ考えての判断があったのだろうと思われる。決定の権限がメインガイドにあればまた違った決断があったのかもしれない。


補足  当日同じ行程を行く別パーティーがあったが、そのパーティーも決行を決めていた。ただし、パーティーが小規模であったこと周到な準備の元の山行だったことで1名の低体温症を出したものの無事下山している。また、同日同じ場所で単独行の1名が遭難した模様で、翌日遺体で発見されているが詳細は分かっていない。


ツアーは予定より30分遅れの5時半にヒサゴ沼避難小屋を出発した。出発後1時間もたたないうちに66歳男1名が何度も倒れ出した。風が強くなり、歩くのも困難な状態となっており、最大瞬間風速は30~40mになっていたと推定されている。パーティーは次第にバラけ、標準タイムでは避難小屋から2時間半の北沼に2倍の時間かかって10時に到着している。北沼は増水のために渡渉が必要になっており、全員が渡り終えるまで相当の時間がかかり、参加者の多くが座り込んだまま待たされることになる。その段階で多くのものが震え、眠気、無関心などの状況を示しており、すでに全員低体温症を発症していたようだ。さらに、1名が行動不能になってしまう。ガイド3名はその対応に追われ、他の参加者は吹きっさらしの場所で待機を余儀なくされる。嘔吐するもの、奇声を発する者も現れていた。解析によると北沼分岐の10時の気温は4℃位に下がっていた模様で、座り込んで冷やされた血液が出発して歩き始めたことによって全身に回って状態を悪化させたと考えられている。

行動不能になった者にガイド2名が付き添い(その後ガイド1名はその場を離れて本体に合流する)、もう1人のガイドが残りのメンバーを率いて移動を開始した。しかし、さらに女3名が本体から離れて動けなくなってしまい、1名のガイドと余力のあった69歳男とが動けなくなった女3名に付き添ってその場でビバークすることになる。残り1名のガイドが10名の参加者を引率して下山を開始する。しかしこの先の登山道上でバラけながらも進んで行ったが、ガイドはハイマツ帯の中で低体温症が進み仮死状態になり、参加者4名が死亡してしまうのである。

はじめに座りこむなどの行動不能の者が出たのが、出発してから4時間程度、5時間後には2人目が歩行困難になり、その1時間後には心肺停止に陥ってしまったと考えられる。1名のガイドと6名の参加者は低体温症と疲労困憊で朦朧とした意識の中、自分が生きてたどり着くことしか考えられないような極限の中で下山を継続させていた。(ガイドは渡渉時にずぶ濡れになっていてすでに状態が悪化して助言引率できる状態ではなかった)

7名のうち5人は歩き通して自動車やヘリでピックアップされ、1名は下山途中にビバークして翌日待ちヘリでピックアップされ、翌日ハイマツの中で仮死状態になっていたガイド1名が発見され救出されて一命をとりとめている。また、稜線でビバークした者のうちガイドを含む3名も翌日無事救出された。この遭難事故はガイド1名と7名の参加者(男1名、女6名)が亡くなり、ガイド2名と8名の参加者(男4女4)が生還することができたのである。

本事故からの教訓

・ツアー会社及びガイドは参加者のグレードや経験値等調査しておらず、参加規定なども出来ていなかった。

・アイゼンのつけ方も分からない参加がいたり、手数がかかる参加者が出ると途端に対応に手間取り、全体に影響が出てしまう脆弱なマネージメント体制であった。

・登山ツアーの参加者は登山経験や体力などバラバラで、よく知らないもの同じ隊列を組んで登ることの問題点

・ツアー会社及び参加者のリスクマネージメントの必要性

・ツアー会社、ガイド及び参加者ともに低体温に対しての認識が不足していた。

・高齢者は体力不足を補うために装備品を軽くしようするあまり食料などは軽いインスタント食品が中心となり、行動食を含めてカロリーの摂取量が少なかったことが低体温症の発症を早め、悪化させた。

・風雨に息があり、弱まる時もあったのでずるずると引き返す判断が出来ず遭難を招いた原因のひとつになった。

・気象条件がそれほど悪くなく体力も余裕があれば歩き続けることもよかっただろうが、低温、強風、濡れといった悪条件下の場合は低体温症を起こす可能性が高ので、体力に余裕がある場合は避難小屋に引き返し、余裕がない場合は衣服を着込んで早めにビバークすべきだったと筆者は提言している。

・この日同じ行程で無事下山できたパーティーはトムラウシ登山を想定し、15キロのザックを背負っての日帰り登山3回のノルマを課し、雨の日の登山も積極的に行い、熊よけスプレーの使用実験なども経験させるなど目的の山に対しての周到な準備をしていた。高齢者の場合は体力や対応能力が劣ってきている分、特に山を甘く見ることなく、訓練を含めて準備をおろそかにしてはいけない。

・15日、16日の雨の中の登山決行の判断と歩行不可になった人が出てきた段階で引き返さなかった判断はどうだったのか。引き返すことになると雪渓を下ることになり、そのリスクへの考慮もあったのかも知れない。

・予備日が設定できないというツアーの問題点もあろう。

・夏の北海道での気象状況は本州の3,000m級の山でも同じ状況になり得ることを心すべきである。

・対処出来る装備(テント、トランシーバー、携帯電話)や防寒衣服もあったものの、低体温症のために思考判断能力がすでに低下して使えないまま事態の悪化を招いた。

・風の中無防備で長く腰を下ろしていて、立ち上がった時に冷たい血液が一気に全身に回ったために低温障害を急激に悪化させた。再出発した人たちのうち6名がわずか数キロの間で亡くなった事は強風雨下で無防備でとどまっていたことがいかに急速に事態を悪化させたかを物語っている。

低体温症 体温と症状の段階

36度  寒い 寒気がする
35度 手先の動きが悪くなる 皮膚感覚が麻痺 震えがはじまる 歩行が遅れがちになる
35度から34度 よろめくようになる     筋力の低下を感じる 震えが激しくなる 口ごもるようになる     意味不明の言葉を発する 無関心な表情をする 眠そうにする     軽度の錯乱状態になることがある     判断力ご鈍る
この状態までに対処しないと死に至る
34度から32度 手が使えない     転倒する 真っ直ぐに歩けない     感情がなくなる しどろもどろな会話     意識が薄れる 歩けない 心房細動を起こす
32度から30度 起立不能 思考ができない     錯乱状態になる 震えが止まる 筋肉が硬直する     不整脈が現れる     意識を失う
30度から28度 半昏睡状態 瞳孔が大きくなる     脈が弱い     呼吸が半減     筋肉の硬直が著しくなる
28度から26度  昏睡状態     心臓が停止することが多い

低体温症についての補足

・低体温症でも脳障害が先に来て、震えが伴わないこともある。また、震えを起こすエネルギーさえないということもあるので注意が必要。

・当日はあまり雨が降っていなくても前日の雨で衣服が濡れていたこと、手足が濡れていたことも体温の喪失を助長させた。濡れているものでも重ね着することが大切だとされる。スボンを履かないで直接雨具のスボンを履くと熱が奪われやすい。雨や汗などで濡れた下着などは着乾かすのではなく必ず取り替えることが必要。

・風速20mだと1.5倍から2倍のスピードで歩いたのと同等の疲労になり、風自体が熱を奪い体力を消耗させるということをということをしっかり認識しておくことが必要。

・詳細な食料計画、防寒対策、訓練登山の実施など用意周到な計画の元に同じ時に同じ場所を登山していた65歳平均6名の別パーティーがあったが、1名の低体温症を出したものの仲間の介助もあり回復し、無事下山している。お湯を飲んだ事、行動食を食べた事、ダウンジャケットを重ね着した事が回復させた要因と考えられた。濡れている衣服であっても重ね着することは保温効果をもたらす。

・脳の機能障害は震えによって筋肉に沢山の血液を送る必要があり、脳細胞に血液が回わらなくなることによって引き起こされる。これは満腹時には消化のために大量の血液が使われるために脳に血液が回らなくなるために眠たくなるのと同様の原因である。転倒、無関心、眠気、朦朧、錯乱、奇声を発する、感覚の喪失などの症状が現れる。おかしいなと思った時にはすでに思考・判断力が落ちていて適切な対処ができない事態に陥ってしまっている可能性があり、早めに判断対処しなければならないということを心すべきである 。これは熱中症についても同じことが言えるのだろう。(乾きを感じてからでは遅かったりする場合もある。)ちなみに、この遭難事故では奇声をあげた人全員が死亡している。

亡くなられた参加者での女性の割合が多かったが、小柄な女性の場合は体の熱発生の表面積が小さいことから低体温症の影響が大きかったかも知れないとの分析がある。基礎体力の差もあったのかも知れない。

ツアー会社の体制

アミューズ社のガイドはメインガイド、サブガイド、ポーターに職種が分けられていた。ガイドは社員ではなく専属というの縛りはあるものの1ツアーごとの契約で、支払いも1回ごとで日当は1,1500円程度であったようだ。ガイドの規定も研修などもなく、雇用保険もないというものでガイドにとってはガイドとしての権限も権利も十分なものではなく、仕事をもらうためには運営上のことで強いことを言える立場にはなかったようだ。今回のツアーではガイド協会の資格を持っているものが添乗員も兼ねていたのでツアー全体を取り仕切っていたようだ。3人のガイドはともに面識がなく、当日初めて顔を合わせており、打ち合わせなどもできていなかったようだ。

アミューズ社はトムラウシ遭難事故を起こしたことにより51日間の営業停止処分を受けた。さらに、営業停止処分中に新規顧客をツアーに参加させたとして厳重注意を受けている。その後、売り上げが減少していたが、2012年11月に中国の万里の長城付近の山を巡るツアーで安全対策が何も取られていないまま3名が低体温症で死亡する遭難事故を再度起こし旅行業登録を取り消しの処分を受けている。

   昭和47年卒     手島達雄

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