メールマガジン12月号 / 2020

獨協中学・高等学校ワンダーフォーゲル部OB会メールマガジン 2020/12/25

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DWVのOBを山の話題で結ぶメールマガジン12月号の配信です。

今月号ではエベレストを特集してみました。

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【1】エベレストの標高が高くなりました

【2】「山ががそこにあるから・・・」

【3】登山史上最大のミステリー

【4】富士山に登山鉄道構想が・・・。

【5】HPのまとめ

【6】高尾山は元旦登山を禁止に

【7】HPのコラム記事をまとめました

【8】独協通信第96号掲載記事

【9】テント泥棒が捕まりました

【10】行ってきました Now

【11】編集後記

【12】記事の募集とマガジンについて

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【1】エベレストの標高が高くなりました

ニューデリー共同によりますと、12月8日ネパールと中国はエベレストの標高をともに8,848.86mであることを発表したということです。両国が独自に測量した結果ということで、これまでのエベレストの標高より86センチ高くななったということです。高くなった原因は測量技術の向上か隆起によるものか

は分かりません。

エベレストの標高は今まで一般的には8,848m としていますが、歴史的にも測量した国や組織によって諸説あったようです。お膝元の中国とネパールでは測量結果に基づいた認識に違いもあったようですが、今回両国の共通認識が図られたようです。

エベレストはチベットではチョモランマ、ネパールではサルガマータとそれぞれ呼ばれていたようですが、東インド会社では1760年代からインド各地の地図を作成しており、1810年代には統合されたインド測量局はヒマラヤ山脈周辺の地図の作成も手がけていました。1849年には経緯儀望遠鏡で測量を行なっていたそうです。

1954年にインド測量部のインド人技師がエベレスト周辺12ヶ所で三角測量を行い、「ピーク15」としてこの山が8,848mで世界最高峰であることを発見し、ネパール政府も認めていたようです。(この時は氷雪の厚みも含めた値だったようです。)

その後、ピーク15はヒマラヤ周辺を測量していた技師で、後に測量局長官になったエベレスト氏の名に因んで1865年に命名されています。

1992年には山頂にGPSを設置して測定して8,846.10mという結果も出ており、1999年には全米地理学協会が山頂にGPSを設置して8,850mという測定結果も出ています。

これまでネパールは1954年にインドが測量した8,848mを公式としてきていましたが、中国では2005年に再測量し、氷雪部分を除き8,844.43mと公表しています。

ネパールは昨年2019年に測量のために登山隊を登頂させてレーザーゼオドライトとGPSおよび地中探知レーダーにより氷雪の厚みを測定して地質部のみの標高を測定しており、中国も今年2020年に衛星測位システムと登山隊によりGPSを使って測定した結果として、両国ともに先の8848.86mであるとの発表に至ったようです。この標高が今後エベレストの正式な標高になるということです。

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【2】「山ががそこにあるから・・・」

日本では山を登る理由として「山がそこにあるから」という英国人ジョージ・マロリーの言葉が一人歩きしている状態でが、実際の所とは少し違うようです。

マロリーは1924年の第3次エベレスト遠征登山を前に”何故エベレストに登るのか”との記者の問いに「Becouse  it there(そこにあるからだ)」と言ったようです。つまり、彼は山そのものを指して言ったのではなく、「ITはエベレストを指しており、”エベレストがそこにあるから”」と言った言葉だったようです。

マロリーは第一次世界大戦に従軍後、第1次英国エベレスト遠征隊員に選任され、初めてノースコルを踏み、第2ステップを超えて山頂に至るルートを見出しています。

第2次遠征隊では8,225mという当時の最高地点まで登り、最終アタックを目指していましたが雪崩により7名のシェルパが死亡するという事故によって、撤退を余儀なくされていました。

世界大戦に従軍して死生観も変化していたというマロリーは1回目の挑戦で得られた希望、2回目の挑戦で登頂目前で撤退を余儀なくされて味わった無念、そして満を持して得られた3回目の挑戦は並々ならぬ覚悟を持って臨んだのだろうと思われます。

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【3】登山史上最大のミステリー

先だって前号のメールマガジンでもご紹介した日本山岳会主催の「登山史上最大のミステリー マロリーとアーヴィンを探して」と題したZoomによるオンラインセミナーを拝聴しました。講師のジャック・ノートン氏は1999年にエベレストでマロリーの遺体を発見した「マロリー捜索隊」のメンバーでした。このセミナーを基にマロリーのエベレスト挑戦と遺体発見についてご紹介します。

マロリーの最後の挑戦となったのは1924年の第3次英国エベレスト遠征隊で、マロリーは登山経験は少なかったものの若く、酸素ボンベの扱い能力も高いアーヴィンをパートナーに選んでアタックに臨みました。

当時エベレストは北東稜からの挑戦でしたが、難関は頂上直下の第2ステップでした。二人は8,600m付近までは登って来ていることが確認されているものの、その後行方不明になり、そして帰らぬ人になってしまいました。

エベレストの初登頂は南東陵から1953年に英国で組織されたエベレスト探検隊のオーストラリア出身のヒラリーとシェルパのテンジンによって登頂されましたが、マロリーとアーヴィンが登頂を果たしたのかどうかが話題になっていました。

そこで、1999年にイギリスとアメリカの放送局の共同企画として「マロリー捜索隊」が組織されました。今回講師のノートン氏もアメリカ人登山家として捜索隊に参加していました。

マロリーたちの死後75年を経て、捜索隊は8,160m付近でうつ伏せになった大理石の彫像のようなマロリーの遺体を発見しました。うつ伏せになった下部の衣服は残っていたものの、紫外線にさらされた上部の衣服は失い、肌が露出した状態で発見されました。残った衣服からはマロリーの名前が確認されています。

片足は砕けていましたが遺体の損傷は少なく、片足は登山靴が履かれた状態でしたが、靴鋲は一部剥がれていたそうです。体には数メートルのザイルが結ばれたままになっており、アーヴィンとアンザイレンした状態で滑落したことが伺えました。彼のポケットにはゴーグルが仕舞われており、暗くなっていたか下山中だったのではないかと考えられました。また、持ち物の中には登頂した時に頂上に埋めると約束していた妻の写真は見つからず、登頂した可能性が残りました。

第2ステップは3回のエベレスト登頂を果たしている講師のノートン氏も登ることが出来なかったほど困難な箇所で、マロリー当時の装備やフリーの技術では到底超えることは出来なかったのではないかと思われるということです。エベレストの単独無酸素登頂を果たしているラインフォルト・メスナーも著書「マロリーは2度死んだ」の中で同じことを述べています。

その後、第2ステップは1960年に中国隊の人界戦術によって「はしご」が掛けられて、初めて北東陵からの登頂が成し遂げられました。北東陵は現在もそのはしごを利用して登られているようです。

また、酸素ボンベの残量が記載されているメモが遺体から発見されていますが、それによると酸素は下山するまでの残量はなかったということでした。

その後も数回にわたってアーヴィンの遺体の捜索が行われましたが、アーヴィンの遺体も登頂時を写すために持っていったコダックのカメラもまだ発見されていません。今後、衛星写真の解析でアーヴィンの遺体も発見できる可能性もあるとのことでした。

現在、エベレストには200体以上の遺体が放置されており、発見されたマロリーの遺体も危険を冒して回収することはしないでその地で静かに眠らせておいて欲しいという妻の意向もあり、簡単な葬儀をして礫土をかけてそのまま残されています。

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【4】富士山に登山鉄道構想が・・・。

山梨県は山麓駅(東富士五湖道路の料金所付近)から富士吉田口五合目までの富士スバルラインの自動車道にLRT(軽量起動交通)を敷設して、自動車から鉄道に置き換えるという登山鉄道計画を進めています。

富士スバルラインは富士登山を目指す来訪者が世界遺産登録後には2倍以上に増え、大型バスの走行による自動車交通による環境負荷や、電気や上下水道のインフラがなく、自家発電による排ガスや屎尿処理の改善などの必要にも迫られています。

そこで、山梨県は富士山麓と5合目を結ぶ富士山登山鉄道構想が提起され、実現の可能性を議論する検討会が御手洗冨士夫経団連名誉会長を会長として設置され、理事会で採算性などを示した基本構想素案が了承されたそうです。その際に出された課題を検討し、来年2月上旬に総会を開き、基本構想がまとめられるということです。県知事は、パリのユネスコ本部を訪れて自ら基本構想を説明する意向だということです。

詳しいことはこちらからご覧下さい。 https://tabiris.com/archives/fujitozantetsudo/

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【5】OB会HP年間アクセスランキング

今年1年間にホームページにアクセスされた訪問者数はのべ4,266人、表示件数は8,167件で過去最高になっています。(昨年は2,624人、6,708件)  1日平均すると約12人の方が訪れていることになります。ただし、下記のように記事別アクセス数を見ると検索サイトからの閲覧がアクセス数を押し上げていると思われます。

面白いことに「山で歌った歌」が総合ランキングにたくさん入っています。これも今年に限ったことでもないようですので、山で歌った歌に対する興味が少なからずあるようです。

外部からの閲覧はともかく、OB会会員相互の繋がりとホームページやOB会へのアクセスの掘り起こしを第一に記事を作っていきたいと思っています。

【総合ランキングベスト10】

1  「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」 348

2    八甲田山雪中行軍遭難事故  320

3   山で歌った歌 山賊の歌    269

4 「御嶽山噴火 生還者の証言から」231

5   積丹岳事故裁判について 146

6   山で歌った歌 北帰行    114

7   山で歌った歌 「 剣ダンチョネ節」97

8   芳ヶ平湿地群 96

9   山で歌った歌 新人哀歌 90

10   山で歌った歌    獨協中学・高校校歌 87

【行って来ましたランキングベスト10】

1  芳ヶ平湿地群  96

2  三頭山の地質と植生  45

3  燕岳  35

4  伊豆ヶ岳・子の権現  33

5  赤城山  32

6  高尾山(上り色はの森)  30

7  石裂山  29

8  天城山  26

9  岩殿山  25

10  高尾山での自然観察会 25

【山で歌った歌ランキングベスト10】

1  山賊の歌  269

2  北帰行  114

3  劔ダンチョネ節  97

4  新人哀歌  90

5  獨協中学・高校校歌  87

6  谷川小唄  74

7  山の友よ  44

8  獨協小唄  22

9  こんな歌もありました  20

10「山で歌った歌」歌集  10

DATAは12月24日現在のものです。

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【6】高尾山は元旦登山は禁止

東京都は高尾山の山頂である「大見晴園地」を12月31日午後5時から来年1月1日午前7時まで閉鎖することを発表しました。

高尾山は元旦に初日の出を見ようとたくさんの人が訪れる名所にもなっていますが、新型コロナウイルス感染症拡大の予防のためのやむを得ない措置という事です。

1号路は高尾山薬王院まで登ることはできるようです。また、稲荷山コースからの入山は出来ず、6号路は琵琶滝分岐から上へは上がれないようです。

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【7】HPのコラム記事をまとめました

今までOB会ホームページで掲載してきた「コラム」の記事をリンクを張って一覧にまとめ、HPのヘッドメニューに加えました。「30周年記念誌」に掲載されている文章もコラム記事の中に入れてありますので、御覧下さい。

コラムテーマの一覧へはこちらからご覧下さい。

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【8】独協通信第96号掲載記事

独協通信96号のワンダーフォーゲル部OB会の記事はもうご覧になりましたか。見られていない方はHPに掲載してありますので、下記からご覧下さい。

独協通信96号記事へはこちらから

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【9】テント泥棒が捕まりました

昨年、雷鳥沢キャンプ場や劔沢テント指定地で登山のために張っておいたテントと中に置いてあった物などが盗まれるという事件が発生していましたが、今年9月になって容疑者が捕まりました。

今年9月15日に劔沢のテント指定地でテント外に置いておいたザックが盗まれる事件が発生し、容疑者がザックを草むらに捨てようとしていた所を持ち主に見つけられ、私的現行犯逮捕によって劔沢警備派出所に突き出されました。容疑者は大阪在住の50歳の男で、その男がその時使っていたテントが昨年盗まれたテントだったということです。また同じようなことをしていて、1年を経て御用となりました。

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【10】行ってきました Now

筑波山(2016年1月5日) 伊豆ヶ岳(2020年1月5日) 節刀ヶ岳(2018年1月7日)

三つ峠山(2018年1月11日) 有間山・蕨山(2020年1月11日) 赤城山(2016年1月14日)

本社ヶ丸山(2018年1月21日) 大山(2016年1月22日) 守屋山(2017年1月24日)

石割山(2019年1月25日) 塔ノ岳(2016年1月27日) 雲龍渓谷(2019年1月27日)

高鈴山(2018年1月28日)

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【11】編集後記

今月は仕事が忙しくなってしまい、エベレスト関連で読み始めたエベレストで滑落死したライブ配信の登山家「栗城史多」氏について書かれた河野  啓著のノンフィクション「デスゾーン」が読みきれずに途中でストップしてしまいました。巣ごもりのお正月に続きを読みたいと思っています。

さて、今年もあと数日で終わりになります。去年暮れに中国武漢で発生した新型コロナウィルスはまる1年が経った現在も世界中で第3波の感染拡大が深刻になっており、感染者7870万人 死者173万人になっています。(24日午後3時現在)

東京オリンピック、パラリンピックで盛り上がるはずの2020年は思いもかけない1年になってしまいました。

来年はどんな年になるのでしょうか。みなさんお元気で新年をお迎え下さい。

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【12】記事の募集とマガジンについて

このメールマガジ ンは毎月1回(発行日は不定)、OB 会会員にお送りしているものです。次号以降配信が必要ない方は、メールでその旨お知らせください。また、記事はホームページにリンクしていますので、今後別のアドレスへの配信を希望される方はその旨連絡下さい。

本ホームページでは記事を募集しています。投稿・寄稿をどうぞお寄せ下さい。山行記録は当時のものでも個人の新しい記録でも結構です。当時の写真だけでも記録として蓄積したいと思っていますので、宜しくお願いします。山行記録のほかに、紀行文、コラム、近況報告などの直接投稿やメールでの寄稿もよろしくお願いします。

※投稿やお問い合わせメールは dokkyo.wvob@gmail.com 担当手島までお願いし ます。

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